表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔界への誘い  作者: 直井 倖之進
2/32

第一章 『魔界への誘い』①

            第一章 『魔界への(いざな)い』


 住宅広がるこの街で、最も大きな病院。入院用のベッドは、二百床を超える。平成九年より地域医療支援病院と呼ばれるようになったが、昔のままのほうが分かりやすいだろう。総合病院である。その屋上に、(あま)()ミカはいた。

 屋上の周囲にはフェンスが張り巡らされ、地面はコンクリートだ。北側三分の一ほどは給水塔が占拠し、中央には大きな“Ⓗ”のマーク、ヘリポートが設置してある。その残った南側三分の一のスペースの隅に、天音ミカはいたのである。

 現在、ミカは、はいつくばるように地面とにらめっこしている。学校からこっそりと(はい)(しゃく)した白のチョークを使い、彼女は、(けん)(めい)に何かを描いていた。

 それは、二重の幅のある帯円だった。外円の直径は、九フィート(約二百七十三センチメートル)。まだ途中だが、帯の中には、図形や数字、文字などが記されていた。

 そう。ミカは、魔法円を描いていたのである。

 ミカの傍らには一冊の本が、開いた状態で置いてあった。夏特有の熱を帯びた風が屋上を吹き抜けると、本のページは表紙まで戻された。

 薄汚れた表題には、『召喚大図』の文字。背表紙の下方には、“禁帯出”と記された赤いシールが()られていた。

「待っててね、お母さん」

 そう(つぶや)くとミカは、本のページを開き直した。それから、再び魔法円を描きだす。

 南西高くから降り注ぐ日の光は、周囲に遮るものなど何もなく、彼女の背中を容赦なく焼いた。地面からの照り返しも相まって、額には大粒の汗が浮かんでいた。

 だが、それでもミカは、ひたすら魔法円を描き続ける。

 一意専心し、一心不乱に。

 何ゆえ、彼女は、召喚魔術などというものにこうも必死になっているのか?

 その理由を知るためには、現在よりひと月ほど前まで、時を戻さなければならない。

 それは、この街を梅雨前線が覆い始めた六月半ばのことだった。


 その日、ミカは、生まれて初めての経験を三つすることになった。ひとつは、救急車の要請。二つ目は、救急車への乗車。そして、三つ目は、母親、()()の入院である。

 夕刻、二階の自室で宿題をしていたミカは、家の中が妙に焦げ臭くなっていることに気がついた。不審に思い、階下のキッチンへと向かった彼女が見たものは、(なべ)の中で黒こげになっている煮物と床に倒れた母の姿であった。

 「お、お母さん!」血相を変えて駆け寄るミカ。

 だが、慌てながらも彼女は、この時、鍋の火を消すのを忘れなかった。それは、十一歳という年齢にしては落ち着いている彼女の性格からの行動であった。

 次に、ミカは、自宅の固定電話から救急車を呼んだ。受付員の「火事ですか? 救急ですか?」との問いに、「救急です」と答え、住所と分かる範囲での母親の症状を伝える。受話器を置くと、ほどなくサイレンの音が聞こえてきた。

 小雨のぱらつく中、ミカは玄関から外に出て救急車を誘導した。

 駆けつけた救急隊員により、美和は担架に乗せられ運び出された。

 母親とともに、救急車に乗ることになったミカ。ここでも彼女は落ち着いていた。美和の携帯電話と財布、それから健康保険証も忘れることなく携え、家を出たのである。

 通常、身内に生命の危機が及ぶとなれば、たとえ大人であろうとも狼狽(うろた)えて致し方無しというものだ。

 しかし、この時取ったミカの行動は、全てが(かん)(ぺき)だった。その評は、駆けつけた救急隊員はもちろん、これから向かう総合病院の医師や看護師においても同様で、誰もが非常時にも動じぬ彼女の心の強さに感心した。事実、ほんの数分でも発見や通報が遅れていれば手遅れとなっていたのだから、それは(なお)(さら)であった。

 医師の適切な治療の()()もあり、美和は翌日には意識を取り戻した。入院三日目に固形食が摂取できるようになると回復もより(いっ)(そう)(けん)(ちょ)になり、このまま順調に行けば、月のうちの退院も可能なのではないかと(もく)された。

 ところが、詳細な検査結果が判明し、事態は急変する。美和の心臓に、(じゅう)(とく)(やまい)が見つかったのである。

 すぐにでも手術が必要なのだが、執刀医のスケジュールの都合がつかない。

 ようやく日取りが決まったのは、七月の(さく)(じつ)。しかも、手術日は二週間後だということだった。

 「手術までに、お母さんに何かあったらどうしよう」そう()()し、ミカは悩んだ。

 さりとて、子供の彼女にできることなど取り立ててあるわけではない。自転車に乗って、西へ東へ。この街にある神社という神社、果ては、道端で忘れ去られている(どう)()(じん)に至るまでを探し出し、そこに手を合わせた。

 神に祈ること。それが、今のミカが母のためにできる精一杯の行いだったのである。

 神社で購入した御守りを持参し、病室の母を見舞う。日々増えていくその数は、一週間で(とお)を超えた。

 しかし、それでもミカの不安が(ぬぐ)われることはなかった。いつ再び母が倒れることになるか。そう考えるだけで、恐ろしかったのである。

 加えて、そこに追い打ちをかけるような話が彼女の耳に飛び込んできた。手術の成功率が、約五十パーセントだというのである。

 無論、これはミカが直接聞いたのではない。父親の(ただ)()と担当医師が診察室で話しているのを、ドアに耳をそばだてて盗み聞きしたのだ。

 会話の内容については、配偶者の許可であるとか、()()なき場合の免責承認だとか難しく、その全てを理解することはできなかった。だが、「正直なところ、二分の一です」と語る医師の言葉が示す意味だけは、瞬時に察したのである。

 これには、さすがのミカも両手で顔を覆った。零れ落ちる涙を、どうしても堪えることができなかった。母親の病状について知っておきたいと、安易な気持ちで盗み聞きしたことを後悔さえした。

 コイントスの(うら)(おもて)。そんなどちらに転ぶとも分からぬ確率で、母親の生死が決まる。小学六年生の少女が背負うにはあまりにも重い現実が、そこにあったのである。

 どれだけ神に祈っても、(とお)を超える御守りを並べてみても、手術の成功率が上がるという保証がなされたわけでは決してない。それは、「消しゴムに緑のペンで好きな人の名前を書き、誰にも触れさせずに使いきれば両想いになれる」だとか、「意中の人の背中に向かって“セミセラ、セミセラ、ソプラン”と三回唱えれば恋が叶う」などといったような、いわば、まじないの(たぐい)と同じものだ。そうではなく、今欲しいのは、約束。母親の手術が百パーセント成功するという絶対的な約束である。もし、それが可能となるのならば、自らの身命を賭しても構わない。そんな覚悟までもが、赤く両眼を腫らす彼女の胸のうちには芽生え始めていた。

 母の手術日までに、自分にできることはないものか。そう考えていた折、ミカは一冊の本と出合った。 召喚魔術の専門書、『召喚大図』である。

 本当は心臓の病について書かれた本を探していて偶然見つけたのだが、それは、学校の図書室からつながる図書準備室にあった。背表紙に“貸し出しできない”という(しるし)である“禁帯出”の赤いシールが貼られた状態で、寄贈された百科事典や学術書などとともに並んでいたのである。

 本の内容はといえば実にシンプルで、右のページに魔法円が描かれ、左のページには召喚される魔物の名や魔界における地位などの紹介。それが延々と繰り返されている。総ページ数は、三百あまり。つまり、この一冊で、約百五十体の魔物が召喚できるというわけだ。

 もちろん、大方の者と同じく、ミカが魔術書に興味を示したことはこれまで一度たりともない。魔法円やそれに伴う召喚については、アニメやゲーム、ファンタジー小説などでしばしば登場するため知ってはいるが、それらも言葉として知っているというレベルでの話だ。魔術というものに関しては、まったくの無知だったのである。

 だが、それでもミカは、この『召喚大図』を持ち出した。貸し出し禁止を承知の上で、密かに拝借したのである。

 召喚できる魔物百五十体のうち、たった一体でも人間界に現れてくれるのならば会話ができる。さすれば、母の手術を成功させるという約束もできる。そこに、彼女は賭けたのである。

 自室で『召喚大図』を紐解くミカ。それは、「読む」というより、「解読する」といった表現のほうが適切であった。幸いにも書物自体は日本語で書かれていたのだが、その言語は、口語ではなく文語。平安時代の文法を基礎とした昔の文章、いわゆる古文が多用されていたのである。

 文学部出身の父、忠志が持っていた古語辞典を使い、ミカは少しずつ解読を進めていった。作業ができるのは、主に放課後。しかも、母の見舞いをすませたあととなるため、それは夜間しかなかった。

 連日、寝る間も惜しんで『召喚大図』と向かい合う。古文の読みにも慣れ始めたころ、彼女は大きな壁にぶつかった。召喚の際に用いる供物である。

 供物とは、良く言えば“捧げ物”のことで、悪く言えば“(えさ)”だ。魔物は、(ただ)で人間界にきてくれるほど優しくはない。ゆえに、それを魔法円の中心に置き、呼び寄せるのである。

 ミカがぶつかった壁とは、正確にはその供物の内容であった。何しろ、召喚相手が魔物であるせいか、「()(にく)(もっ)て供物と()す」や「供物に()いては、百の(けい)(かん)を用ふるべし」などの言葉が、当たり前のように記されていたのである。狗肉は犬の肉、鶏冠は(にわとり)のとさかであることを知れば、それを準備するのがいかに困難であるか分かるだろう。

 思わぬ事態に、ミカは途方に暮れた。しかし、ここで諦めるわけにはいかない。自分にも用意できるような供物を好む魔物はいないものかと探し、ようやくそれを見つけ出すことに成功した。

 百四十七体目にして、「婦凛を好みし(ちん)()なる()(もの)(なり)」の一文を発見したのである。

 婦凛というのは、プリンのこと。ミカが諸手を上げて喜んだのは、言うまでもなかった。

 そして、いよいよ今日。

 放課後、ミカは総合病院へとやってきた。南病棟の五〇二号室で、手術を翌日に控えた母をいつもどおりに見舞うと、彼女は、その足で密かに屋上へと向かった。

 屋上の南側、コンクリートの地面に白のチョークで魔法円を描き始めるミカ。真剣な表情で手を動かす彼女が見据える視線の先には、病を治して微笑む母の姿があった。

 ミカが召喚魔術を施すのは、母のため。たとえ、それが万に一つ、いや、億に一つの可能性であったとしても、絶対に成し遂げなければならない。

 これより召喚する魔物。その名は、ルキフゲ・ロフォカレであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ