民俗学研究ノート
故・藤原教授の遺品より 執筆推定:1987年〜2024年
◆猫鳴島の「仮名の里」
日本海に浮かぶ猫鳴島。本土から船で3時間の孤島。 この島のある集落では、今も子供に本名を教えない。 生まれてすぐに与えられるのは「呼び名」だけ。 本名は紙に書かれ、神社の奥深くに封印される。
1923年、この掟を破った家族がいた。 都会から移住してきた教師一家。 「迷信だ」と笑い、息子に堂々と「正人」という名を与え、呼んだ。
三日後の朝。 家族は全員、布団の中で発見された。 生きていた。 だが、人間ではなくなっていた。
古老の証言: 「目ぇが縦になっとった。爪が伸びて、舌がざらざらで。でも一番恐ろしかったのは、あの子が自分の名前を忘れとったことじゃ。『正人』と呼んでも振り向かん。ただ『にゃあ』とだけ」
その後、一家は山に消えた。 四つん這いで。
以来、掟は一層厳格になった。 現在も、住民票には偽名が記載される。 役所も黙認している。 知っているからだ。 名前を呼ばれることの、本当の恐ろしさを。
◆霧深県旧・猫ヶ洞村の「名無し講」
中部地方の山間部、霧深県に1950年代まで存在した集落。 現在は廃村。
ここでは毎年、「名無し講」という奇祭が行われていた。 村人全員が面をつけ、その日だけ名前を捨てる。 朝から晩まで、誰も誰を名前で呼ばない。
記録によれば、この風習の起源は平安時代。 ある夜、村に美しい女が現れた。 村人の名前を次々と呼び、呼ばれた者は猫になって彼女についていった。
残った者たちが気づいた。 名前を知られなかった者だけが、人間のままでいられたと。
最後の名無し講は1956年。 その年、一人の若者が酔って本名を叫んだ。 翌朝、村は無人だった。 ただ、無数の猫だけが残されていた。
調査に入った役人の報告書: 「猫の数、約200。村の人口と一致。全ての猫が、同じ方向を向いて座っていた。まるで、何かを待っているかのように」
村は地図から消された。 だが、今も満月の夜には、廃村から祭囃子が聞こえるという。 そして、それを聞いた者は、自分の名前を忘れ始める。
◆影森地方の「子交わしの風習」
東北の影森地方。 今も密かに続く風習。 生まれた子供を、他の家族と「交換」する。 戸籍上は実子だが、育てるのは別の家。 そして、決して本当の親の名を教えない。
この風習が始まったのは、江戸時代中期。 ある年、村の子供たちが次々と失踪した。 共通点は、親が子の名前を呼んだ直後に消えたこと。
生き残った子供たちに聞くと、 「お母さんじゃない何かが、名前を呼んでた」 「声は同じだけど、目が違った」 「四つ足で追いかけてきた」
以来、血縁と育ての親を分離することで、 「本当の名前」を誰も知らない状態を作り出した。
現代でも、この地域の子供たちは奇妙な遊びをする。 「本当の名前当てゲーム」 でも、決して当たらない。 当たったら、その子は次の日にはいなくなるから。
◆月影島の「真名封じの洞」
南方の小さな離島・月影島。 古来より聖なる島とされ、その奥地に「入ってはならない洞窟」がある。
伝承によれば、そこには島民全員の「真の名前」が封印されている。 石板に刻まれ、決して光に当ててはならない。
1972年、本土復帰の際、行政が調査を試みた。 洞窟で見つかったのは、おびただしい数の石板。 そして、調査隊の一人が懐中電灯で照らした瞬間—
調査隊の記録はここで途切れている。 後日発見された彼らは、全員が「猫化」していた。
島の神女の言葉: 「名前は魂の形。それを知られることは、魂を握られること。大和の人たちは、それを忘れてしまった。だから、猫に戻される」
今も島では、子供に「仮の名」しか与えない。 真の名は、死ぬまで本人も知らない。 いや、死んでも知らない。 あの世でも、名無しのままでいる方が安全だから。
【現代における名前隠し】
2024年3月の調査より
驚くべきことに、これらの風習は形を変えて現代にも残っている。
ネット上でのハンドルネーム文化
子供の名前を SNS に載せない親たち
通称やあだ名で呼び合う若者文化
意識的にか、無意識的にか。 人々は本能的に理解している。 名前を晒すことの危険性を。
そして今、祢古町現象によって、その本能が呼び覚まされている。
ある母親の証言: 「最近、子供の名前を呼ぶのが怖いんです。呼ぶと、誰かに聞かれている気がして。それも、人じゃない何かに」
別の証言: 「夜中に目が覚めると、誰かが私の名前を呼んでいる。でも、その声は私自身の声。窓の外から聞こえてくる」
【最後の記録】
藤原教授の日記より・2024年3月25日
もう理解した。 名前隠しの風習は、防御ではなかった。 時間稼ぎだった。
「それ」は最初から知っている。 全ての名前を。 ただ、呼ぶ順番を待っているだけ。
そして今、その時が来た。 一斉に、全員の名前を呼び始めている。
私も聞こえる。 私の本当の名前を。 産まれる前から持っていた、もっと古い名前を。
それは人間の名前ではない。 もっと原初的な、音そのもの。
「にゃあ」
ああ、そうか。 これが、私たちの本当の名前だったのか。




