第53話 マルティーノおじさま
扉があるわけでもないのに、ハヤメールはどうして小屋の中に入れないんだろう。
もしかして、結界が張られているの?
マルティーノおじさまは火魔法と水魔法が使えると聞いていたけど、結界も張れるのだろうか。
「マルティーノ!」
お父様はマルティーノおじさまの名前を叫んで、いてもたってもいられない様子で走り出した。
小屋の中にいるのならお父様の声が聞こえない筈はないと思うんだけど、マルティーノおじさまの反応がないことが気がかりだった。
私とダニエルも、お父様の後に続いて走り出した。
「マルティーノ! そこにいるのか!」
お父様は小屋の手前でぴたりと足を止めた。
見えない何かに阻まれてそれ以上進めないようだ。
子狐はするりとお父様を追い越して、入れない筈の小屋の入り口にちょこんとおすわりをする。
そして、キャンと一声鳴いた。
すると、ハヤメールが小屋の中へスーッと吸い込まれるように入っていった。
どうやら結界が消えたようだ。
小屋の中からは、ハアハアと苦しげな息遣いが微かに聞こえてくる。
「おとうさま……」
「マルティーノ……、病気なのか……? 中を見てくるから、お前たちはここにいてくれ」
小屋はとても小さく、大勢が入れるようなつくりではない。
一本の大きな木を背にして、枝と葉と蔓を使って雨露をしのげるようにしたようだが、大人一人が横になれば一杯になってしまうほどの広さしかなかった。
「マルティーノ……? マルティーノッ!」
小屋の入り口から中を覗いたお父様は、驚いたように大声を出した。
「チェリーナ! クッションを出してくれ!」
「は、はいっ!」
私は言われたとおり、アイテム袋から寝床代わりの大きなクッションを取り出した。
お父様は小屋の中に無理やり体を押し込めると、意識がないらしいマルティーノおじさまを背に乗せるようにして、中から小屋の壁をバリッと蹴破って外へ出てきた。
お父様はそっとマルティーノおじさまの体をクッションに横たえている。
どうやら、高熱で意識がないらしい。
それに、足を切ってしまったのか、ひどく出血したようで足に巻いたぼろきれが血に染まっていた。
子狐は心配そうにクウクウ鳴きながら、マルティーノおじさまに寄り添っている。
「ら、らっぷだ! それにゲンキーナ!」
お父様は、マルティーノおじさまが危険な状態だということに気が動転していた。
ここは私がしっかりしないと!
「はい! おとうさま、ラップをまく前に足をあらったほうがいいとおもいます!」
「そうか、なら水も頼む!」
「はいっ。ーーーポチッとな! まずはゲンキーナをのませてください!」
「わかった!」
お父様はマルティーノおじさまの上半身を支えながら、ゲンキーナを少しずつ口に流し込んだ。
「う……うう……」
マルティーノおじさまは、うめきながら細く目を開いた。
「マルティーノ! 俺がわかるか?」
「あ……、あにうえ……? なぜ……」
「質問は後だ。マルティーノ、このゲンキーナを飲めば体力と魔力を回復できる。ゆっくり飲み込むんだ」
マルティーノおじさまは、お父様に言われるがまま、少しずつゲンキーナを口にした。
すると、目に見えて顔色が良くなってきた。
お父様も、マルティーノおじさまの顔色を見てほっと一安心したようだ。
「チェリーナ、足の治療に取り掛かろう」
「はい。水はこれです。血をあらいながしたらラップをまきます」
「ーーーティーナ? ティーナなのか? 俺は、夢を見ているのか……?」
マルティーノおじさまは、私の顔を見てパチパチと目を瞬いている。
「これは俺の娘のマルチェリーナだよ。ティーナはプリマヴェーラ辺境伯家にいる。心配するな」
「なぜ……プリマヴェーラ辺境伯家に……」
「いまは考えるな。ゲンキーナを飲んだら横になれ。その間に足の治療をする」
お父様は、マルティーノおじさまを安心させるように優しく言った。
「マルチェリーナ様、足を洗うのは私がやりましょう」
ダニエルは私の手からミネラルウォーターの紙パックを受け取ると、マルティーノおじさまの足に巻かれたぼろきれを剥ぎ取って、固まった血を綺麗に洗い流して行った。
どうやら、足の裏を何かでざっくり切ってしまい、傷が化膿してしまったようだ。
くるぶしの辺りまで黒っぽい紫色に変色していて、この怪我が原因で高熱が出ているものと思われた。
私はそっとハンカチで足の水気をふき取ると、ラップを丁寧に傷口の上に巻いて行った。
ゲンキーナの効果なのか、それともラップの効果が現れはじめたのか不明だったが、マルティーノおじさまは治療を終える頃には小康状態になってすうすうと眠り始めた。
きっと目が覚めるころには傷もだいぶ癒えているに違いない。
「はーっ、驚いた……。もう少し来るのが遅ければ手遅れだったじゃないか」
「ほんとうですね、間に合ってよかったです」
私はお父様と頷きあった。
「ダニエルが知らせてくれたおかげだな。ありがとう」
「いえ、そんな! 私は何も」
ダニエルはお父様に褒められて照れているのか、顔を赤くしている。
「チェリーナもありがとう。チェリーナが付いて来てくれなかったら、マルティーノを救えないところだったよ」
「えへへ」
やっぱりね!
お父様には私が必要だと思ってました!
「キャンッ!」
「おお、そうだった。お前もここまで案内してくれてありがとな? いままでマルティーノを見守ってくれていたのか? よしよし、いい子だな」
子狐はお父様の大きな手に撫でくり回されて、ブンブンとしっぽを振っている。
「今日はとてもマルティーノを動かせる状態じゃないな。今夜はこの島に泊まって、明日の朝ポルトの町へ出発するとしよう」
「はい!」
そうして私たちは、日が暮れる前に野営の準備に取り掛かることにした。
うっそうとした木々のせいで、このジャングルは昼間でも薄暗い。
暗くなる前にたき火用の枝を拾い集めないことには、星明りすら届かずに真っ暗になってしまうだろう。
お父様とダニエルが枝を集めている間に、私は寝床にするクッションを2つ用意する。
幸い小屋の周りは邪魔な草が刈り取られていたため、3つ分の寝床にするくらいのスペースは確保できた。
「でも、こんな所でねてだいじょうぶなのかなあ?」
さっきは、結界のマントがあっても顔は守ってくれなかったことが気になるよ。
もし寝てる間に、毒ヘビや毒グモに顔を咬まれたら……。
お父様が山盛りに枝を抱えて戻ってきたから、聞いてみることにしよう。
「おとうさま、ここには毒ヘビや毒グモがいるでしょうか……」
「いるかもしれないなあ」
いるかもしれないなって、なんか呑気じゃない?
ヘビやクモなんて見るのも気持ち悪いし、絶対咬まれたくないよ!
「キャンキャンッ!」
えっと……、もしかして自分に任せろって言ってる?
そういえば、マルティーノおじさまの小屋に結界が張ってあったよね。
もしかして、この子狐が?
「この子狐は、結界が張れるのかな? マルティーノは結界は張れない筈だ。もしかすると、マルティーノを見守っていただけではなく、本当に結界で守っていたのかもしれないぞ。結界を張るだけじゃなくて、破ることもできるのかもな」
「キャンッ!」
どうみてもまだ産まれて数ヶ月なんだけど、こんなに幼い子狐に結界を張ったり破ったりする力があるのだろうか。
私の結界のマントがこの子狐に破れる程度の防御力だったなんて、ちょっとショックなんだけど……。
子狐はもっと褒めろと言わんばかりにブンブンしっぽを振って、お父様に自分の頭をこすり付けている。
ふふっ、かわいいな。
グオォォォォグギュルギュルギューーーーー!
お父様にじゃれつく愛らしい子狐にほのぼのしたのも束の間、私たちは突然鳴り響いた怪音にぎょっとして顔を見合わせることになった。




