3・誘い
「......よしっ! 終わった」
最後の空欄を埋め、トントンっと書類を揃える。
一息つきながら腕の体操をしてると、亜季が話しかけてきた。
「あなた最近元気になったわね。何かあったの?」
「何か......何かかぁ。まぁぼちぼち」
「はっきりせい」
だって、あれはいいことなのだろうか?
確かに元気は貰ったっていうか、あの場面を思い出すだけでもう胸がキュンキュンしてしまう。
「ほーれ、白状しちゃいなさい」
「なんか悪いことしたみたいな言い方ね......」
そんなことを言いつつ、私は席を立つ。
今日は早めに帰ってゆっくりしようかと思っていたのだ。
「まぁ気が向いたら話すわよ」
「そぅ?じゃあ気長に待ってるわ」
亜季もわざわざ追及するようなことはしない。そこんところが分かってるから、付き合いやすいのだろうな。
デスクに向き直った亜季に挨拶をして、オフィスを後にした。
会社を出ると、気持ちのいい風が吹いていた。まだ6時ちょっと過ぎなので明るさが残っている。久し振りの自分の時間があると思うと、心が弾む。この間録った映画も残ってるんだよなー。
うきうきしながら足を前に出そうとしたーーーー
「風上さんっ!」
ーーーーのだが、呼び止められた。
振り向くと、岡部さんが走って向かってきていた。
「ど、どうしたんですか?」
仕事、残ってたっけ? 条件反射でそう考えてしまった。
「あのさ、これからご飯行かない?」
「ご飯......ですか」
「そう。俺奢るから」
そう言って爽やかな笑顔を向けてきた。
まぁ奢ると言ってるし、悪い気はしないけど......
でもな。
今日は家でダラダラしたいな......
「ねっ! いいでしょ?」
なんて言いながら、ここまで押されると断れないのが私なのだ。亜季に言わせてみれば『優柔不断女』......
あんまり深く考えないことにしよう。
それにしても、唐突だなと思う。今までは私を食事に誘うなんてことはしなかったのに。
「じゃあ行こうか」
歩き出した岡部さんの後を少し間を開けてついていった。
途中でタクシーを拾ってお店に行くことにした。ちょっと距離があるところらしかったのだが、今の私はそんなことが気にならないくらいに驚いている。
いや、だってここ......
超有名店じゃん!?
最近雑誌やテレビなどで話題をよんでいる高級店だった。
「あの......お金、大丈夫ですか?」
そうたずねると、何でもないという顔で「これくらいあるさ」と余裕の表情の岡部さん。
「入ろうか」
しばらく固まっていた私だが、その言葉で我に帰った。
「は、はい......」
そう言って店内に入る。
外見も西洋風でオシャレだったが、中もまた凄かった。
恐ろしく高い天井。そこからぶら下がるシャンデリアは、程よい光を放っている。
テーブルもかなり多く、多分オフィスより広いんだろうな......
だいたいうちのオフィスが小さいのだ。結構な人数がいるからかなり詰め込んでる感があるのは、気のせいではないだろう。
「何でも好きなものを頼んで」
えー......
メニューを開いてみるが、嫌でも遠慮しちゃうよこれ?
コーヒー1杯1000円ってなんじゃそりゃ!!
「......コーヒーで」
「え!? それだけ?」
それだけって!? 私なら水で我慢するよ多分!!
てゆうか、さすが社長の息子だな。
こんな店沢山知ってるんだろうな......
岡部さんが近くのウェイトレス(ボーイ?)を呼んだ。
「ケーキセット2つ。どっちもコーヒーで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
あ、優し。
「あ、ありがとうございます」
「君は遠慮しすぎなんだよ。もっと強欲にならないと出世できないよ?」
別に無理に出世とかは考えてないんだけどね。私は現状満足なので。いや、亜季とは違う意味ですけど......
「......ところで、何で食事に誘ったんですか?」
さっきから気になっていたことを聞く。
「え? 早く仕事終わったようだったし」
うん。確かに早く終わったね。
私が頑張ってやったからね。あなたに全部任されたからね。
なんかとてつもなくムカッときてしまった。
「お待たせしました」
タイミングよく、さっきのウェイトレスがきた。
あ、あぶねぇ......危うく怒鳴るところだった。
気持ちを押さえるように、運ばれてきたケーキをフォークですくいとり、口に入れた。
程よい苺の酸味と、クリームの甘さが絶妙にマッチしている。入れた瞬間に溶けるような、そんな食感。凄く美味しい。
そして......カップを手に持った。
うん。香りはいい。
ちょっとドキドキしながら、コーヒーを口に入れた。
「あれ? 結構美味しい」
ブラック以外のコーヒーを美味しいと思うのは初めてだった。
ちなみにブレンドらしい。
そういえば浅木さん言ってたなぁ。他のところでも美味しいものはあるとかなんとか。
これがそのコーヒーか。
不意に、岡部さんが呟く。
「この後、どうするんだい?」
え、この後?
「普通に家に帰るつもりですが」
「......よかったら家に来ない?」
コーヒーを噴き出しそうになった。
「いやいやいや、なんでですか!?」
ちょっと待っておかしいぞ!?
私に好意を持ってるのは薄々感づいてたけどいきなり誘いますかね......
「これでも僕は君のことを買っているんだよ。仕事ができて可愛くて、それでいて忠実だ」
......忠実?
その言葉に違和感を覚えた。
なんだ忠実って。まるで犬みたいじゃない。
それでも、岡部さんはいつも通りの態度で続ける。
「僕に逆らわないところが凄くいい」
「とても君が好きだ」
それが引き金になった。
「ふざけないでっ!!」
思い切り叫んでしまった。周りの人がこちらを見ているが、そんなものは気にしない。
「バカにしないでっ! 誰が好きであんたなかんにつくもんですか!! 仕事全部押し付けて自分は遊んでるし! しまいには逆らわないから好きだ? フッざけんな!」
思いっきりテーブルを叩く。
席についたまま唖然としていた岡部さんは、おどおどと呟く。
「ちょ、風上さん。お、おちついて......」
「おちついて!? 人のことを犬みたいに扱っといておちついてっておかしいんじゃないですか!?」
あぁ、もうだめだ。
このままじゃ止まらない気がする。
私は5000円札を財布から引き抜き、テーブルに叩きつけると、走りながら店を出た。
すれ違い様に、「最っ低!!」と言ってやった。