実態
俺が遠くでしばらく様子を見ていると、その太った男の傍に駆け寄る者がいた。女である。
太った男は、突如機嫌を悪くしてその駆け寄った女を蹴飛ばし、
「遅い、何をしている!」
と、怒鳴りつけ始めた。女はその場に蹲り、蹴飛ばされたであろうお腹をさすりながら土下座をし始め、謝っている様子である。
なんだ、これは。一体何が起きている、俺はそう思いながらも動かずにいた。否、動けなかったのだ。目の前に広がる光景があまりに奇妙すぎて。
「ええい、今日はアールエ様との大事な会談があると言うに。いいから、とにかく靴を磨けぃ」
遠くにいるにも関わらずその男の叫び声はここにまで聞こえてきた。下手をすれば食料部隊全体に響き渡っているのではないか、そう思える程大きな声であった。
女は平謝りしながら胸元から白い布を出すと、男の黒い靴を磨き始めた。
その様子、光景を見ながらこう思わざるを得なかった。自尊心、の一言で済まされる事なのだろうか。一体部隊をなんだと思っているのか、そして兵を、部下をなんと考えているのか。そう思うと同時に頭が熱くなる。
一言言ってやろう、そう思い力強く一歩踏み込んだのと同時。またしても信じられない光景が目に入り足が止まる。
女の肩に足を載せ、そして靴を磨かせ始めたのだ。横についている泥まで落とせと言わんばかりである。否、そうなのだろう。せっせと肩に載せられた靴を磨く女、そしてそれが当然だとばかりの太った男。
「これは」
想像以上だ。想定外、という言葉がぴたりと当てはまる状況。これでは交渉も成り立つまい。さて、どうしたものか。
思案しているうちに靴を磨き終えたのか、仕事は終わりと言うように男は嫌な笑みを浮かべながら女を思い切り蹴りつけた。女はその場で倒れ動かなくなり、太った男は何処かに行ってしまった。
その様子を無言で眺めていた。方角からして、魔術師部隊の方、か。
いや、そんなことよりも今は。
俺は走り、倒れた女の方へ向かった。そして女を抱きかかえ、
「おい、大丈夫か」
声をかけるが反応がない。どうやら完全に気絶しているようだ。どうやら頬を蹴られたようで、大きく腫れ上がっているのが確認出来た。
「って、お前」
よく見ると、そこには見慣れた顔があった。
───メルコだった。
「おい、しっかりしろ。メルコ、大丈夫か」
大丈夫なわけはなかった。よく見ればあちらこちらがアザだらけで、毎日のように暴行を受けていた事が伺えた。その様子を見て思わず歯ぎしりする。
一体何が起きている、いや、起きていたんだ。
と、後ろから誰かがゆっくりと近づいてくる。振り返ると、そこには女がいた。冷たい眼差しでこちらを見下していた。
「貴方、何の用」
女が冷めた声で俺に問いかけてくる。
「そんなことよりも、これはどうなっている」
すると、女は鼻で笑い、いつものことよ、とただ一言言うのみであった。
「質問には答えたわ。で、貴方は誰で、何の用なわけ」
「俺はヴェルファリアと言う。遊撃隊副隊長だ。食料部隊長に話があって来た。が、この女が蹴られているのを見てな」
「放っておきなさい、蹴られるのが仕事なのその子は」
「そんな馬鹿な話があるか。蹴られるのが仕事、だと」
俺のその言葉に対し、女は一言、そうよ、と答えるのみである。
よく見れば、その女にもあざがあった。
「お前も、か」
「ふん、やめてよ。あたしはもう蹴られるのが仕事じゃなくなったの。その子、引き取りに来たのよ。次の仕事が待ってるからねぇ」
「次の仕事、だと。冗談じゃない、この子は気絶してるだろう」
「水でも浴びせりゃ起きるでしょ、いつものことなのよ。学舎で習わなかったかしら。法は守るものだと」
その言葉に対し、俺は思わず叫んでいた。
「こんな法が許されるか。暴行を許す等、許されるはずがない!」
が、女も引かなかった。
「ここでは許されるの。部外者のあんたに何が分かるのさ。いいからその子渡しな!」
「ふざけるな、この状態で渡せだと」
と、そこでメルコが目を覚ましたのか
「す、すいません。すぐに、仕事に、戻りますから」
夢現なのだろう、空をぼうっと見上げながらそんなことをつぶやき出した。
「ほらみな、仕事に戻るって言ってるじゃないのさ」
「冗談だろう、もうここはいいから休め」
休め、その言葉に突然怯えだしたのはメルコだった。
「あ、いや。私、まだ動けますから、仕事しますからどうか、どうか」
身体を小刻みに震わせながらそんなことを言い出した。
「一体、何が」
すると女は、ふん、と鼻で笑いながら、
「ここで休むってことは、死ぬ事なのさ。みたろ、あの隊長を。まだ蹴り飛ばされてるうちはいい。が、仕事はないから休めは最後。何人あいつの魔術で人が死んだか」
そう、左手を右手で抑え肩を震わせながらそう言った。
「ああ、いや。あんたに言っても仕方なかったね。とにかく、その子はこちらが預かる。悪いようにはしない」
その女の言葉を信じるしかなかった。何より、
「すいませんすいません、仕事に戻りますから」
そう言ってじたばたもがくメルコを見ていられなかった。
「分かった、あんたを信じよう。が、少しばかり話を聞かせて欲しい」
メルコを起こし、とりあえず仕事に戻らせた。メルコはこちらを見返しもせず慌てて女の隣を走り抜けていった。
女はこちらを見据え、何かを諦めたのか深く溜息をつき、何を聞きたい、と尋ねてきた。
俺は立ち上がり、女に近づき、こう尋ねた。
「何が、起こっている。ここでの法とは。そしてあの男、何者だ」
「魔術師部隊から飛ばされてきた男だよ。アールエって叫んでたろ、あれは魔術師部隊でも相当偉い立場にいるお方でね。今日も会談があるらしい、何の話をしているかは知らないが、まあろくでもない事でしょうよ。魔術師というのは誰もがああなのかねえ」
「何故飛ばされたか、分かるか」
「いやそこまでは。ただ、好き好んで来たわけではないのは確かだろうね。周囲に当たり散らしているあたり。あたしも、この通りさ」
そう言ってスカートを少しまくると、太ももあたりに青いあざがあった。静かに女はスカートを戻す。
「済まない、嫌なことを聞いたな」
すると、女は鼻で笑い、
「変な男だねえ。鋭いのか抜けてるのかよく分からないが。まあ、いい。ただ反発すると大声を上げて殴るのさ。そして使えないと休ませてやると言って魔法で、どん、さ」
「爆発するのか」
それに女は静かに頷いた。
「本当に爆発するんだな、火の魔術か」
「そこら辺は分からないけど、人が突然黒くなるんだ、ああはなりたくないねえ」
やはり火の魔術か。厄介な魔術師だ。爆発まで扱えるとなると相当高位な魔術師だろう。
「一瞬で爆発するのか」
「一瞬、と言うわけではないけど逃げる時間もないな。あいつは走らせて逃げさせるのさ。が、途中で逃げきれず人体が発火する、というのが正しいのか」
「分かった、嫌なことを思い出させたな」
「いやいいさ。何故だろうね、あんたなら何とかしてくれそうで少し話をしてしまった。単に聞いて欲しいだけかもしれないけどね。食料部隊の実情はこんな感じさ。部隊長に気に入られれば生き延びれて、そうでなければ死んでいく。逃げることも許されない。逃げれば、あたしらの誰かが死ぬのさ。連帯責任、それが逃亡を許さないようにしている」
「そうか、それでさっきの女はお前と連帯責任関係にあるわけか」
それに女は無言で頷いた。
なるほど、これは厄介なことになっているようだ。
「最初はこうじゃなかったんだけど、あいつが来てからさ。何が効率化だ、俺の言うことを聞いてればいい、だ。あたしらの命を弄びやがって」
女は吐き捨てるようにそう言った。
「なるほど、もうひとつ聞きたい。あの男は、農業は出来るのか」
すると女は、はっ、と声を出して笑い、
「出来るわけないじゃないか。あいつ、臭いと言って農場にすら顔を出さないんだよ。分かるわけがない」
「そうか、農業の指導をしている者は別にいる、ということか」
「そうだね、シルフィって女がいるんだけど、あのお方くらいかねえ分かっているのは。あたしらの命がかかっているから必死さ」
「と、言うと」
「食料の質と量が悪ければ、あたしらのうちの誰かが死んでしまうということさ。だから今頃農場でずっと指示飛ばしてるよ、嫌われ役までやって、大変だわ」
「そうか、いや色々と済まないな。ところであんたは何て名前だ」
「あたしかい。あたしはティナってんだ。さっきの子はメルコ、いい子なんだけどねえ。あの男に目をつけられてしまってね」
あのざまさ、両手を大げさに広げながらティナはそう言った。
「そうか、これは一度戻る必要があるな。あの男とは話にもなりそうにないしな。シルフィと話が出来ればいいのだが」
「それはよしたほうがいい。今近寄ると、あんた問答無用で顔叩かれるよ。相当追い込まれてるから。今月の食料は予定数値程上がってない。予定数値が高すぎるのが原因なんだけど、あの男が無理難題押し付けるから」
「分かった、済まないな」
「あんた謝ってばかりだね。ヴェルファリアとか言ったっけね」
「ヴェルでいい。今は引き下がる。また会おう」
するとティナは苦笑し、また会えるといいがねえ、と言うのみであった。
俺はティナと別れると、すぐさま城に戻った。勿論、父上に報告するためだ。
城の廊下を歩いている途中、母さんと偶然出会った。
「どうしたのヴェル、怖い顔をして」
「ああ、いや何。父上、ジークフリート様に話があってな」
「いいけど、その顔で会うのはよしなさい。何があったかは知らないけど、今の貴方、触れば人を殺し兼ねない顔になってるわよ」
「む、そうか。冷静なつもりだが、な」
「そうそう、ロゼッタ様にも話しかけてあげてね」
「今は余裕が無いから後にさせてもらう」
すると、母は溜息をつき、そうね、と一言言うのみであった。
その母と別れ、俺は父上のいる部屋を尋ねた。扉を叩き、父上の返事を待つ。入れ、と言う声と同時に俺は扉を開け、部屋に入った。
扉を閉め、
「失礼します」
そう言って頭を下げる。
「で、何があった」
父上の一言目がそれだった。
「はっ、食料部隊の実情をご報告申し上げたい」
「聞かせてもらおう」
俺は見てきたこと一部始終を話した。父上は腕を組み考えながら、
「お前はどうしたい」
と尋ねてきた。
「さて、おそらく事はそう単純ではなさそうだ。殺せばいいと思ってたが、どうだろう」
「そのアールエとの繋がりも面倒だな。何があるのか分かったものではなさそうだ」
珍しく父上も慎重だった。
「そもそもそのアールエと言う人物は何者なのか、俺は知らないが」
「魔術師部隊の3番手、とされている人物。人間だがな。良くも悪くも頭の切れる人物ではあるな。ただ好ましい人間ではないのは確かだ」
どうやら父上とアールエという人物には面識があるようだった。
「今回は、どうも話し合いで解決出来る問題ではなさそうだな。靴を磨かせているあたり相当見栄えを気にする魔族だと言うのは分かったが。金で解決すべきか」
それに難色を示したのは父上だった。
「金では解決出来んだろうな。おそらく私腹を肥やしているだろうし」
そう聞かされ、再びあの太った男の姿を、そして仕打ちを思い出し怒りがこみ上げてきた。
「なら、どうする。やはり殺すのが手っ取り早い気がしてならないが」
すると、父上は、ふむ、と言い置き、こう言った。
「悪いが、お前の手、汚すことになるが構わないか」
俺は迷わずこう答えていた。
「それが必要であるならば。ただし、ただの汚れ役になるつもりはないが」
「何か策でもあるのか」
そう尋ねられ、
「いや、何。ただ派手に行こうと思っているだけですが」
「派手に、だと。どうするつもりだ」
「父上、明日集会を開いて下さい。魔族軍全体に伝達を。奴を、全員の前で処刑します」




