(4)
風の精霊は無言のまま突っ立っている。
なんだか、あたしの言葉が予想以上に衝撃的だったらしい。
実体化を解けないって、そんなに驚くような事なの?
ひょっとしたらこっちの世界じゃ、誰にでも簡単にできる事なのかしら?
あたしは試しに、ちょっと解いてみる事にした。
…ふんっ!
……フン~~ッッ!!
あぁ、やっぱりダメだわ。
「やっぱり無理みたい」
「嘘だろおぉ!? 人間って実体化も解けない生き物なのか!!?」
驚愕そのものの表情で、風の精霊が自分の髪を掻き毟った。
「し、信じられない! そんなんでどうするんだよ一体!?」
「いや、どうするもこうするも」
解かなくても、今まで生きていくのに支障は無かったもの。別に。
っていうか、解けちゃった方が問題があると思うんだけど。
「飛ばずにどうやって神殿まで行くんだよ!?」
「え? い、行けないの?」
「行けるわけが無いだろう!?」
「知らないわよそんなの!」
「ああぁぁぁ、まったく本当に人間って生き物は!」
「愚痴ってないで、何か方法を考えてよ!」
ここで、こんな性悪な精霊と一緒に乾物になるなんて嫌よ! なんとかして!
呻きながら頭を抱えた精霊が、ふと天上を見上げた。
途端に、その銀の両目に希望の灯りがともる。
「よし! 行ける!」
「ほんと!? どうやって!?」
「虹の滝を利用するんだ。あれを見ろ」
風の精霊の指さす方角に、昼と夜の空を分断する虹の滝があった。
「お前の力で、あの滝を神殿までの架け橋にするんだ」
虹の架け橋。
あの虹も滝なんだから、当然水の仲間だ。ならあたしの力で何とかなるの?
でも……
「どうやって?」
「…あ?」
「何をどうしてどうやれば、精霊の力って使えるの?」
「……」
「だから、あたしは生まれた時からずっと人間一筋だったんだってば!」
ひくひく表情を歪ませている風の精霊に、あたしは必死で弁解した。
いきなり精霊の力を使えって言われても困るわよ!
あたし、こう見えて不器用なのよ! 新製品のコピー機だって、慣れて使いこなすまでには時間がかかるのに!
水の力よ!? 精霊の力! 簡単に使いこなせるわけないでしょ!
「オレ達にとって、力を使うってのは普通に生きている事と同じ事なんだ」
風の精霊は、片手で顔を覆いながら声を振り絞る。
「どうやって生きているのか? って質問と同じなんだよそれは。聞かれても答えようが無い」
え…えぇっとぉ……。
あたしも片手で口元を覆いつつ、冷静になろうと努めた。
落ち着け落ち着け。ここで絶望しても無意味だわ。えぇ、絶望からは何も生まれない。
生まれないどころか、余計に異世界とかに飛ばされちゃって事態は悪化するだけよ。
もーいや。そんなのゴメンだわ。
滝。水の力。精霊。仲間。
そう、今のあたしは水の精霊の力を持っている。だから水の仲間はあたしの身内みたいなもの。
だったら、心を込めてお願いすれば聞き届けてくれるかも?
そうよ、困ってるお友達の真剣な願いなら、きっと聞いてくれる。
なんだか幼児向け教育番組みたいな発想でちょっと頼りないけど。
なにはともあれ、まずはチャレンジしてみよう!
あたしはパンパンと勢い良く両手を合わせて、かしわ手を打った。
訝しげな精霊の視線を感じつつ、目を瞑る。そして一心に祈り始めた。
お願い、助けて。今、あたし達は命の危機にさらされているの。
どうか助けて。お願いだから力を貸してください。
懸命にあたしは祈る。
頭の中は、その事で一杯。
砂漠に吹く風も、命を削り取る熱気も、精霊の銀色の視線も、もはや何も感じない。
助けて欲しい。助かりたい。ただそれだけ。
ひたすらに一途に、救われる事だけを望んだ。
水。水の仲間。助けて。
助けてお願い。助かりたいの。
死にたくない。助かりたい。
生きたい、生きたい、生きたい。
あたしは、生きたい……。
―― ピチョン・・・
水滴が、ひと雫、落ちた。
何処に?
その疑問の答えを知る間もなく…
―― ザアァァァ!
波紋が体中に走り、全身に潮が満ちる。
あぁ、波紋が、波が、潮騒が。
細胞が、血が、全ての水が…
反応し、呼応している。
呼び合い、手を取り合い、次々と目覚めていく。
踊るように、息づくように。
これはまさに、躍動。
生命の躍動だ。