83 今こそ
夜、ジークフリード達が迎えに来た。
護衛が多めなのは、オルフェスが逃亡した場合に備えて。
睡眠魔法が使えるゴードンも一緒だった。
「素直に寝ているとは!」
「静かにしないとすぐに起きてしまうそうです」
オルフェスは眠りが浅い。
ちょっとした物音で目が覚めてしまうこともあり、寝てもなかなか疲れが取れないということだった。
「魔法過敏症のせいで、魔法に囲まれた王宮は疲れるのかもしれません」
「そうか。王都に住む者には多いからな」
王都は魔法が多い。
住むには便利で快適だが、魔法があり過ぎることの影響が人々に与える健康被害がある。
魔力持ちは魔力循環の不調を起こしやすく、魔力がない者や少ない者は魔力過敏症になりやすいと言われていた。
だが、それをはっきりと証明するのは難しく、気分の問題として軽視されてしまうのがほとんどだ。
「二人には本当に悪いことをした。この場所も座標も関係者しか知らないのだが」
転移門を作っているせいで、スノウがオクルスにいるということを知る者が増えた。
地名だけでもわかれば、地図を見て大体の座標を計算できる。
先に護衛が偵察すれば、正確な座標値も二人がいることもわかる。
「気にしないで下さい。王都には疲れている人が沢山います。ジークフリード様もそうですよね?」
「まあな」
否定できないジークフリードは苦笑するしかない。
「辛くて逃げ出したくなることだってあります。それで神殿や修道院に来る人は普通にいますので」
「そうだな」
ジークフリードは優しく微笑んだ。
スノウの優しさが心を癒してくれる。自分の中にある優しさを引き出してくれる気がした。
「ジークフリード様も時々来てください。お食事だけでも構いません。魔力循環を良くするためです」
「ぜひ、そうしたいところだ」
「王太子殿下」
オリバーが来た。
「転移しました」
オルフェスだ。
「戻る。またな」
「明日、王都に行くつもりだ」
「明日?」
ルフはオルフェスが魔法服と魔法の毛布を買ってくれることになったことを説明した。
「そうか。遠慮なく買えばいい。慰謝料代わりだ」
「ジークは知っているのか?」
「何がだ?」
「慰謝料だ」
ルフはオルフェスがスノウに慰謝料を払ったという話について伝えた。
「聞いていない。オルフェスが個人的に出したのだろう」
「そうか」
「私の方でも調べる。神殿は結界の件で動いているからな」
ジークフリードにとって神殿内の権力争いは管轄外。
だが、王家にとって厄介な者が台頭するのは歓迎できない。
「ジークフリード様、オルフェス様の相談に乗ってあげてくださいね」
オルフェスが私に相談するわけがない。
ジークフリードはそう思ったが、スノウにそれを伝える必要はないと思った。
「わかった。またな」
「また」
「またお会いできるのを楽しみにしています」
別れの挨拶が終わると、ジークフリードは自身で転移した。
「自分で転移したが?」
「長距離転移の修練をするそうです。では」
オリバーも後を追って転移した。
「感情が高ぶると魔眼になりやすい。魔力消費での調整も兼ねている」
ノールドも追加説明をしてから転移した。
「俺も長距離転移の修練をしないとだな」
いつまでもヴェラに頼ってばかりではいられないとルフは思っていた。
だが、王都は遠い。アヴァロスの地図を見るとよくわかる。
この距離を一気に転移するヴェラや護衛達がいかに凄いのかを実感するほどだ。
「オースの町に転移できれば便利です」
「まずは近場からか。明日のためにそろそろ寝よう。部屋に転移してもいいか?」
「いいですよ。でもその前に。いつも私を尊重してくれてありがとう。大好きです」
「俺もスノウが大好きだ」
ルフはスノウを守るように抱きしめると転移した。
結界に守られた王宮を見上げながら。
「余裕過ぎるな」
ジークフリードは自身で五回転移した後、ノールドの逆転移で王都に戻って来た。
短距離しかできないことや連続して転移する負担を考えた結果だったが、予想以上になんともないことに驚いていた。
「昔は三回が限度だったわけだが」
「魔力の安定期に入ったからでは?」
魔力量が成長するのは体の成長期と同じ。
力も出やすいが、不安定にもなりやすい。
「もう若くはないということか……」
「悲観的にならないように。不調になります」
「色も変わりやすくなる」
「王宮内へ転移する」
ここからなら大丈夫だろうと思ってジークフリードが転移すると、留守番役の護衛がいた。
「お帰りなさいませ。ご報告があります」
「急ぎか?」
「オルフェス様が体調を崩されました」
寝ているオルフェスの手を握り、アルトは転移しようとした。
しかし、転移陣を描いている最中にオルフェスの目が覚めた。
寝ぼけていれば良かったが、運悪く覚醒してしまった。
おかげで転移後は倒れ込み、転移した場所から逃れようとのたうち回った挙句、過呼吸の症状まで出てしまった。
アルトに続いて転移して来たゴードンがすぐに治癒魔法をかけたが、精神的なショックへの効果はない。
ぐったりとしたオルフェスは担架によって自室へ運ばれた。
「国王と宰相もその場にいまして……」
オルフェスが本当に帰ってくるのかを確かめるため、国王と宰相は転移ポートで待っていた。
オルフェスは戻って来たが、猛毒を飲んでしまったかのような酷い状態を目の当たりにした。
勝手なことをして迷惑をかけたことへの苦言も注意も吹っ飛び、なんとかしろ、必ず助けろと叫んで大変だった。
「ゴードンには悪いことをしたな。だが、いてくれて良かった」
「ゴードン様は王宮に泊まるそうです。朝までオルフェス様に付き添うことになりました」
ジークフリードは深いため息をついた後、オルフェスの部屋に向かった。
「すまない。だが、いてくれて良かった」
ジークフリードは真っ先にゴードンへ謝罪した。
「大丈夫です。それよりも、来たら伝えるように言われました。話があるそうです」
「話?」
「刺激しないように」
「わかった」
恨み言か? それとも嫌味か?
何を言われるのだろうと思いながらジークフリードはオルフェスが横たわるベッドに近づいた。
部屋が暗いせいもあって、オルフェスの具合はかなり悪そうに見えた。
スノウ達とお茶をしていた時とは全く違う様子にジークフリードの胸は痛んだ。
こうなったのは私のせいだ……。
幼少時の事件。
転移陣を描くことに集中したせいで、オルフェスを抱きしめる力が緩んだ。
すぐに手を掴めば良かった。もっと大きな転移陣を描けば良かった。
後悔は尽きない。
あの一瞬によってオルフェスの人生は一変し、魔力や魔法を拒絶するようになってしまった。
オルフェスの魔力は少なかったが、魔法を使えないほどではない。
少ない魔力をうまく活用する技巧派の者も多くいる。オルフェスもその道を目指すことができた。
その可能性を奪ったジークフリード自身はあり余るほどの魔力を持ち、いくつもの魔法を行使できる。
恨まれて当然だろうとジークフリードは思っていた。
いつかオルフェスに伝えようと思いながらも伝えていなかった言葉。
心からの謝罪。
今こそ伝えるべきだ。
ジークフリードはそう思った。
「オルフェス」
ゆっくりと目を開けたオルフェスの瞳はどこかうつろだった。
話があると言ったのはオルフェスだが、今の状態では難しいだろうとジークフリードは思った。
体調が良くなる方が先だ。ゆっくり休ませた方がいい。回復してから伝えるべきだ。
ジークフリードの決心はもろくも崩れ去った。
「ゆっくり休め。話はまたにしよう」
「ゴードンは出て行け」
すぐにドアが開き、閉じた。
ゴードンの姿はない。
言い出したからには聞かない。それがオルフェスだとわかっている証拠だ。
「無理をする必要はない。大変だったと聞いたぞ?」
「治療した。今は疲れているだけだ」
「だったら」
「聞け。私の気分がこれ以上悪くなる前に」
その方が良さそうだとジークフリードは判断した。
「わかった。それで?」
「悪かった」
謝罪の言葉。
ジークフリードは驚いた。一瞬息を止めるほどに。
「……そうだ、その通りだ」
いつもであればオルフェスを気遣う。配慮する。遠慮する。違うと言うだろう。
だが、ジークフリードにはできなかった。
今は本当のことを言いたかった。
「皆、心配した。父上は誘拐されたのではないかと疑ったが、本心は違う。お前の責任を問いたくなくてそう言っただけだ。本当は家出だと思った。少なくとも私はそう思ったぞ。母上がいなくて絶好の機会だったからな。家出だったんだろう?」
「違う」
オルフェスは否定した。
「スノウに相談があった」
なぜ、スノウに?
だが、オルフェスがそうだったと言えばそれまでだ。
「そうか。まあ、相談しやすい相手ではある。必ず秘密を守ってくれるだろうからな」
「家出じゃない。ただの外出だ。正直に話しても外出許可はでない。強行するしかなかった。王宮に閉じ込めようとする父上のせいだ。私は悪くない」
謝罪から一転。
それでも、ジークフリードには理解できた。
自身も魔力を制御できるようになるまでは外出できなかった。
魔眼を自力で抑えるようになれたことで、ようやく王太子宮にいるしかない日々から解放された。
転移魔法の修練を重ね、確実に王宮から抜け出せるようになった。
その時の気持ちは言葉では言い尽くせない。感動した。やればできると思った。
しかし、オルフェスは違う。
成人してからもずっと王宮に閉じ込められているような状態だ。
外出許可がなければ王宮の外には出られない。
大学教育さえ通学ではなく王宮内での特別講義だった。
執務をさせないようにしているのも極力外出させないため。
強行するしかないと考えても仕方がないとジークフリードは思った。
「そうだな。父上のせいだ。普通に外出させればいいというのに過保護過ぎる。母上がヒステリーを起こす方が面倒だと思っている」
母親はオルフェスの命が二度と狙われないようにしたいだけ。
その愛情が深すぎて、かえってオルフェスを苦しめる結果になってしまっている。
「これ以上は我慢できない。自分で転移できなくても、護衛に転移させればいい。護衛さえ従わせれば簡単だ」
「そうだな。いくらでも方法はある」
「その通りだ。悪いと思ったのは外出のことではない。別のことだ」
オルフェスは逸らしていた視線を向けた。
兄、ジークフリードに。
「兄上を信じなくて悪かった。転移陣から抜け出したのは私の責任だ」
心に秘めた言葉は何度も変化した。
だからこそ、言いたくても言えなかった。
だが、今夜こそ伝えようとオルフェスは思った。
今の自分の気持ちを。それがまた変わってしまわない内に。
「魔法が嫌いなのも使えないのも私自身のせいだ。兄上のせいではない。気にしなくていい」
ジークフリードの胸に込み上げ一気に溢れたのは強い想い。
涙もまた。
「違う。私のせいだ。私がお前を守れなかったからだ!」
ジークフリードは膝をつき、頭を垂れた。
「すまない……ずっと伝えなければと思っていたというのに、私は言えなかった。どれほど謝っても許されない。そう思うと言葉が出て来なかった」
どうすればいいのかわからなかった。
オルフェスに悪魔と罵られ、嫌われ、拒絶されていた。
それを覆すだけの力もなければ方法も思いつかなかった。
会わない方がいい。今はそっとしておいた方がいい。冷却時間が必要だ。
時間が経てば状況が変わる。
オルフェスの気持ちも落ち着き、魔力や魔法への拒否感も抵抗もなくなると言われた。
そうすれば兄弟間の溝も徐々に埋まるだろうと。
ジークフリードはそれを信じた。
現実は甘くないと気づいた時には、埋めきれないと感じてしまうほどの溝と距離ができていた。
「私は盾を選んだ。どんなことがあってもお前だけは守ると神に誓った。だというのに、私は守れなかった。お前との約束を破ってしまった!」
「もういい。あの約束は無効だ」
オルフェスは答えた。
「守護神の剣と盾は兄弟だ。兄が剣で弟が盾。そう決まっているというのに、逆にしてしまった。持つべき者が持たなければ、力を発揮しないに決まっている」
それがオルフェスの導き出した答えだ。
そして、解決する方法も考えた。
「交換すればいい。兄上が剣で私が盾だ。盾の腕輪は私が持っている。不調になった時の魔力調整に使っている。剣の腕輪には何の効果もない。私には合わないということだ」
魔法の効果がある腕輪は一つだけ。
もう一つはそっくりだが、魔法の効果はない。
今のオルフェスを助けてくれるのは間違いなく盾の方。
それは兄がオルフェスのために外した守りの腕輪だ。
オルフェスはベッドサイドの引き出しを開けた。
魔力で。
自身の力で大切な腕輪を取り寄せることができるよう必死に練習した成果だ。
魔力を使える。完全に全くできないわけではない。そのことを示したかった。
「持っていけ」
魔力で放り投げられた腕輪をジークフリードは落とさないように受け止めた。
剣の模様がある。オルフェスのために作らせた腕輪だ。
「これで交換した。兄上が剣で私が盾だ。持つべき者が持ち、守護神も安堵していることだろう。話は終わりだ」
「オルフェス……」
「疲れた。またにしろ」
「そうだな。わかった」
ジークフリードは立ち上がった。
剣の腕輪を自身の腕にはめて。
「不甲斐ない兄ですまなかった。心から謝罪する。これからは剣を持つ者に相応しくなれるよう努力する」
「お互い様だ。私は最低の弟だからな」
「違う! 最低ではない!」
いつだって、どれほどのことがあったとしても、かけがえのない弟だ。
「今はそれでいい。変わるように努力すればいいだけだ」
ねじ曲がった気持ちとプライドを捨て、素直になってしまえば楽だった。
次々と言葉が出て来る。ずっと言えなかった気持ちと共に。
「兄上も休んだ方がいい。体だけでは駄目だ。心も休める必要がある」
「……そうだな。その通りだ。ゆっくり休めよ」
ジークフリードは涙を拭うとドアへ向かった。
「おやすみ。にーに」
またしてもジークフリードの胸は締め付けられ、止まっていた涙が溢れ出した。
「おやすみ、オルフェス。いつでも相談に乗るからな」
震える手でドアを開けると、ジークフリードは寝室から出て行った。
ようやく……言えた。
オルフェスは深い息をつき、瞼を閉じる。
溢れた涙が頬を伝った。




