025 弁護
「静粛に!」
「拍手を止めろ!」
「静かにしろ!」
「叫ぶな!」
「お前こそ黙れ!」
会場内に様々な声が響いた。
「静粛に! 拍手も止めるように! 公聴会の進行を妨げる者は退出して貰う!」
ようやく拍手がなくなり、会場内の怒号も止んだ。
ざわめきは残っているが、進行できないほどではないと進行長は判断した。
「次は治癒の聖女の弁護人からの質問だ」
治癒の聖女の弁護人はサーザへ近づくと微笑んだ。
「これからいくつか質問をします。ですが、特別構える必要はありません。私の発言内容については事前に神殿に伺いを立て許可を得ています。先ほどと同じような質問になるでしょう」
「同じような質問?」
サーザは怪訝な表情になった。
同じような質問であればサーザの答えは同じ。
わざわざ質問する意味があるようには思えない。
ああ、それって……!
サーザは閃いた。
すでに勝負はついている。だが、治癒の聖女側として何もしないわけにはいかない。
そこで質問をする。やっぱりサーザが正しい。間違いない。確認終了。
事前に神殿に伺いを立て、許可を貰っている。すなわち、神殿が許可を出す程度のもの。大した内容ではない。無難なもの。
そうなることを暗に伝えているのだとサーザは思った。
「とある貴族の催しに招待された時のことです。神殿の内部についてはご存じない方が多いので、知られていないこともある。そう言いましたね?」
「言いました」
「先ほど、ここでも同じ質問をされ、同じように答えましたね?」
「そうですね」
答えた後、サーザは思い出した。
「ああ、でもちょっとだけ注意されました。ごく普通のことだと言わなくてもいいと」
「そうですね。でも、ごく普通のことだと思います。私の個人的な意見としては」
本来であれば、サーザの弁護人が異議ありと言ってもおかしくはなかった。
治癒の聖女の弁護人による個人的な意見はどうでもいい。わざわざ付け足すように言う必要はないと。
だが、サーザ側にとっては不利になるわけではない。
むしろ有利だと考え、サーザの弁護人は何も言わなかった。
「ただ、少し言葉が足りませんでした」
治癒の聖女側の弁護人は言葉を続けた。
「私も貴方も神殿については知らないことがあるという事実をね」
サーザは解毒士の一人。神殿の上層部の者ではない。
神殿について知らないことがあってもおかしくはないどころか、知らないことがあるのは当然のことだった。
推測ではなく事実。
だからこそ、サーザの弁護人は異議があるとは言えなかった。
「もう一つ。先ほどサーザの弁護人は真実だという言葉をよく使っていました。ですが、真実と事実は似て非なるもの。事実は客観的なものだけに一つですが、真実は主観的なものだけに一つとは限りません。言葉の使い方にもっと気を付けるべきでしょう」
サーザの弁護人は明らかに気分を害したような表情になった。
だが、すでに質問を終えていることもあって、何も言わなかった。
「では、続きです。ここだけのお話ということで。皆様は治癒の聖女をご存知でしょうか? と言いましたね?」
また同じ質問だった。
「どうやらそのようです」
サーザは少しだけ言葉を変えた。
多数の証言があると言われただけに、よく覚えていないとは言いにくかった。
サーザ自身、本当はよく覚えているせいでもある。
「多数の証言者がいます。サーザから治癒の聖女の話題を振ったと。ですが、これは別におかしなことではありません。治癒の聖女は有名人です。ごく一般的な話題の一つです」
サーザの弁護人とほぼ同じだった。
違いは『多数の証言』が『多数の証言者』になっているだけ。
サーザは安心した。やっぱり自分の予想通りだと。
「治癒の聖女が一日に治療するのは一人。せいぜい数人。治癒士よりもずっと少ない。そう言いましたね?」
またまた同じだ。
そのことに多くの者が驚いていた。
治癒の聖女の弁護人はやる気がないのではないかと疑う者もいた。
「なんとなく覚えがあります」
「これは事実とは言えません」
えっ?
違うのか?
公聴会に出席している多くの人々がそう思った。
「神殿にある聖女の治療行為の記録は完璧ではありません」
ざわり。
「治癒の聖女は重篤者のみ担当。では、重篤者を何人治療できるのかと言えば、実際にやってみないとわかりません。一人の時もあれば二人の時、それ以上の時もあるわけです」
一人一人の症状は違う。重篤度も。
相当な負担がかかる治療の場合は一人しか無理な場合もあるだけに、何人も予約を入れるわけにはいかない。
事前の診察や検査で可能な限り詳しく調べ、予約数を決めるしかない。
「細心の注意を払って予約数を決めていましたが、多すぎてしまった場合は休日返上で治療します。少なかった場合は治療者を追加します。そして、それらの記録は全て聖女の治療記録ではなく、治癒士としての記録に載ります」
治癒の聖女は仕事を二つしていた。
聖女の仕事と治癒士の仕事だ。
「聖女の記録だけを見て少ないと判断するのは早急であり、正しくもありません。治癒士としての記録と合わせるべきです。ちなみに、治癒士の中で最も多くの治療をこなしていた治癒士は聖女と同一人物です。だというのに、少ないわけがありません。最高に多いと言うべきでしょう」
「異議あり!」
サーザの弁護人は叫んだ。
「私は聖女の記録を見た! 担当者にも確認した! 聖女は間違いなく少しの患者しか治療していないということだった!」
「その担当者が言わなかっただけです。もう一冊、治癒士としての記録があると」
「なぜ言わないのですか?」
「知らないからです」
治癒の聖女の弁護人は当然だというように答えた。
「最初の方に言ったはずです。私もサーザも神殿については知らないことがあると。聖女の情報は一部の者しか知らない秘匿情報。神殿の者なら誰でも知っているわけではないのです」
そして、聖女の情報を知る者は守秘義務によって何も言えない。
それこそが、まさに事実だった。
「魔法治療を患者に施したせいで死んでしまった治癒士は多くいます。魔力が失われてしまった治癒士も。聖女も治癒士の一人。そして、神殿にいる全ての治癒士が自らの命と魔力を削って人々を救っているのです。だというのに、それでは駄目だとでもいうのですか? 一人では少ないと? そのように言う者は何人の重篤者を治癒できるのです? 自分の命が失われる危険を覚悟で何人の命を救えるのですか? ぜひとも聞いてみたいものですね」
答えはない。
「治癒の聖女は治療行為の後、護衛に運ばれていました。事実です。その理由は治療行為で限界まで疲れ果てて立てないせいでした。魔力を使い過ぎて気を失ってしまうこともありました。護衛が放置するとでも? 抱えて運ぶに決まっています。治癒の聖女は頻繁にそのような状態になるまで治療行為をしていたのです。治癒士の頃からずっと。目撃者が多数いるのは当然です」
治癒の聖女の弁護人は深いため息をついた。
「気を失うまで真摯に人々を治療し続ける女性を我儘だと思う者がいるようです。非常に残念だと言うしかありません。神殿内部のことなのでわからないこと、伝わらないことが多くあるせいです。聖女として頑張っていることも十分に伝わっていません。公表すれば、人々を勇気づけることができたでしょう。ですが、聖女は未成年だったために公表できませんでした」
未成年だというのに、気を失うほど酷使するのはおかしい。もっと休ませろという声が強まるのを神殿は懸念した。
重篤者やその家族は治癒の聖女の休みが多いことを喜べない。ただでさえ取りにくい予約が余計に取りにくくなってしまう。
聖女よりも患者優先。
人々を救う崇高な使命こそが最優先。
たった一人が我慢すれば、大勢が救われる。命もまた。
聖女は神職者。一般人ではない。
未成年であっても関係ない。特例だ。
それが神殿の考えだった。
「声を大にして言います。治癒の聖女は未成年の少女でした!」
治癒の聖女の弁護人は会場中に訴えるかのように叫んだ。
「だというのに、戦場に行くよう言われました。未成年でも少女でも関係ない。聖女ゆえの特例だと。少女の聖女はそれを受け入れ、懸命に多くの兵士を治療しました。戦争が終わった後も、王都に戻りながら負傷兵を治療し続けました。奉仕と慈愛の精神に溢れた献身的な少女だとわかるはずでは?」
現在の聖女は成人している。
だが、聖女になった時も、戦場に行った時も未成年だった。
少女。
その言葉が意味するものはとても重かった。
そして、一人の少女にいかに大きな重責が背負われていたのかが示された。
「サーザは必死に勉強と修練に励み、優秀な解毒士になったという説明がありました。そして、その能力を人々のために役立てる仕事にも真摯に励んでいる。聖女になれるかどうかはわかりませんが、誰かが聖女に相応しい人物だと個人的に思うのは自由。サーザの弁護人がそう言ってましたね?」
治癒の聖女の弁護人はサーザの弁護人を見つめた。
「では、貴方自身はどう思いますか? サーザが聖女に相応しい人物だと個人的に思いますか?」
「それはここで答えるべきことでもなければ、質問すべきことでもないと思います」
「そうかもしれません。ですが、私は知っています。サーザのことを。神殿で勉強をする子供達の世話役も指導役も務めていましたからね」
治癒の聖女の弁護人ゴードンは冷たく微笑んだ。
「聖女の称号はとても重いもの。誰でも努力すればなれるものではありません。能力があればいいわけでもありません。その力を私利私欲には使わない。人々のため、アヴァロスのために使うことができると信じられる者でなくてはなりません。自身の名声のために誰かを非難したり足を引っ張ったりするような者では駄目だということです」
「異議あり!」
サーザの弁護人が叫んだ。
「サーザのことを悪く言っています! 誘導です!」
「私はどんな者が聖女に相応しいかを言っただけです。そして」
ゴードンはサーザを見つめた。
「私は忘れません。上級の指導官として認められ、一人で授業を任された時のことを」
治癒の聖女になれそうだと期待されていた少女がいた。
名前はスノウ。
とても優しい性格で、何を言われても決して怒らない。悲しそうな表情で耐え続けるとても大人しい少女だった。
ゴードンは好きな色とその理由を答えるという授業をした。
「スノウの好きな色は何ですか?」
「好きな色は赤です」
スノウが答えた瞬間、
「血の色が好きなのね」
後ろの方の席にいた少女がそう言った。
小さい声だったが、誰もが静かにしていただけによく響いた。
スノウは黙り込んでしまった。
その表情は蒼白になり、目をつぶったまま体を震わせていた。
ゴードンはすぐにスノウの魔力が不安定になったのを感じ、授業を中断してスノウを教室から連れ出した。
魔法事故が起きては一大事。
聖女になれそうだと言われるほど強く豊富な魔力があるのだ。
暴発すればどうなるか予想できない。
スノウが自身の感情を抑えて耐えるのは、決して優しく大人しいからという理由だけではない。
強く豊富な魔力を抑え暴発を防ぐ訓練を、誰よりも厳しく受けて来たからでもあった。
ゴードンは素早くそれでいて静かに強固な結界を作り、魔法防御も上げた。
上級の指導官に求められる必須の技能。
だが、それだけでは足りない。
ゴードンはスノウに優しく語りかけた。
「大丈夫です。私が側にいます。一緒ですからね」
スノウは何も言わず、うつむいたままだった。
目をつぶり、手を握り締め、一生懸命に魔力を抑えようとしていた。
スノウはどのような状況かがわかっていた。
魔力が暴発すれば、結界の中にいるスノウだけでなくゴードンも死ぬ。
スノウだけを結界に閉じ込めれば、ゴードンは死なずに済むかもしれない。
だが、ゴードンはスノウと一緒にいることを選んだ。
死を覚悟してスノウの側で寄り添い、語りかけることにした。
スノウが魔力を抑えることを決して諦めないように。
そして、スノウなら絶対に魔力を抑えられる。
そう信じていることを示した。
「私も好きです。大好きなんです。赤が」
ゴードンがそう言うと、スノウの体が大きく震えた。
「赤は勇気の色ですからね。ですから、私は勇気を出せます。スノウも赤が好きですね? 勇気を出してください。深呼吸をして、一緒に魔力を鎮めましょう」
スノウは顔を上げた。
溢れた魔力によって瞳が強く美しく輝いていた。
涙もまた溢れそうだった。
「愛の色だから……好きなんです」
スノウの瞳から涙が溢れ落ちた。
だが、溢れた魔力は暴れなかった。
少しずつ、静かに、抑え込まれていった。
スノウの愛と勇気が暴れ狂いそうになる魔力を鎮めたのだ。
昔話をしたゴードンは深い息を吐いた。
その表情には強い悲しみが宿っていた。
「たった一言。それが人の心を深く傷つけ、計り知れないほどの苦痛や命を左右する試練になってしまうこともあります」
会場の静けさもまた深い悲しみのあらわれだった。
なぜ、血の色だと言ったのか。
好きな色のことだというのに。
相手を傷つけることがわかっていたはずだ。
そう思う者はとても多かった。
「スノウは孤児でした。愛に憧れ、尊いものとして大切に想っていました。赤が好きなのはそのせいです。だというのに、なぜ血の色だと思ったのでしょうね。私は聞きそびれてしまったので、今こそ尋ねようと思います。サーザ、なぜ貴方は赤を血の色だと思ったのですか?」
会場中の視線がサーザに集まった。
その視線は激しく厳しく強い。
まるでサーザを突き刺すようなものだった。
「貴方はスノウをよくけなしていましたね。多数の目撃者がいます。悪口を言っていたのも知っています。私は子供達の相談役でしたから」
子供は様々なことを勉強している。
重要なのは、成人した時にこれまで学んだことがどのような結果であらわれているか。
失敗や過ちを顧みることも反省することもなく繰り返していれば、成人だからこそ厳しく見られる。
昔からずっと同じ。そう思われてしまう。
「スノウが聖女でなくなった時も喜んでいましたね。努力しても無駄。結局、他人にこき使われて終わりだと言っていたのを聞いた者が何人もいます。そのような貴方が聖女に相応しいのでしょうか? 答えはわかりますね? とても簡単な質問ですから」
サーザは蒼白な表情のまま体を震わせていた。




