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第3話②「他人以上、友達未満」

 放課後、雫が体育館でバレーボールを手に、一人でサーブの練習をしていた。コートの端に立って何度もボールを上げては打つ。ネットに届いたり届かなかったりする。通りかかって足が止まった。声をかけようか迷ったが、迷っている間に雫がこっちに気づいた。


「あ、栞。まだ帰ってなかったの」

「忘れ物取りに来ただけ。……練習してるの?」

「うん。まあ、あんまり上手くならないんだけどね」


 雫はへらっと笑った。でもその笑顔の下に「また雫じゃん」がまだ刺さっているのだろう。少し迷って言った。


「下手なのは、練習すれば上手くなるよ。隠す必要はない」


 自分で言ってどきっとした。隠す必要はないって私が言うのか。毎日、秘密を隠して生きている私が。

 でも、嘘じゃなかった。少なくとも、バレーボールが下手なことは隠す必要がない。下手なら練習すればいい。それだけのことだ。隠さなければいけない秘密とは種類が違う。雫は少し目を丸くして、それから笑った。さっきとは違う笑い方だった。


「……藤咲さんって、たまにすごくまっすぐだよね」

「そう?」

「うん。なんか、気持ちいいくらいまっすぐ」


 まっすぐ。嘘で塗り固めた自分が、まっすぐだと言われている。おかしかったけど嬉しかった。嘘の中にも本当の部分はある。雫に言った言葉は本当だった。


「あと、コケたやつ。わざとでしょ」

「え」

「だって、ボール破裂させた人が、あんな簡単なレシーブでコケるわけないじゃん」


 バレていた。雫はにやっと笑った。


「ありがとね。助けてくれたんでしょ」

「……いや、あれは本当にコケただけで」

「はいはい」


 信じていないけど追及もしてこない。ただ「ありがとう」と言って笑ってそれで終わり。雫はそういう子だった。ボールを投げてよこされた。


「ねえ、サーブのコツ教えてよ。ボール破裂させない程度の力加減で」

「……善処する」


 三十分くらい、二人でサーブの練習をした。私が打つとネットの向こうの壁まで飛んでいくので、加減が難しかった。雫は十回に一回くらいネットを越えるようになった。


「やった! 越えた!」

「越えた」


 雫がガッツポーズをした。私もつられて小さくガッツポーズをした。こういうのを何と呼ぶのだろう。友達だろうか。まだ早い気がする。でも他人ではない。クラスメイト以上、友達未満。名前のない関係。


               ◇


 帰り支度をして教室に戻ったとき、雫が自分の席でスマホの画面を食い入るように見つめていた。表情がさっきまでと違った。昼休みの「推し」の話をするときのふわふわした感じではない。もっと真剣な目をしていた。

 近づいたら、反射的に隠すように雫がスマホを胸に押し当てた。一瞬だけ画面が見えた。ウェブサイト。暗い背景に白い文字。ページの上部に、ぼやけた写真が一枚。夜空を背景に、銀色の——。


「——っ」


 雫が慌てて画面を消した。


「な、何でもない。何でもないよ」


 私は見なかったことにした。正確には見なかったふりをしたが見えていた。あれは、スカイブルーセイントの都市伝説サイトだ。

 知っている。引退前にルーと一緒にネット上の情報を洗い出したことがある。私の活動に関する目撃情報や考察を集めたサイトがいくつかあった。どれもアクセス数は少なく、一般にはほとんど知られていないので都市伝説の域を出ない。でも雫はそれを見ていた。雫はスマホをポケットにしまって、何事もなかったかのように笑った。


「帰ろっか!」

「うん」


 校門まで一緒に歩いた。桜の花びらが風に舞っている。雫は制服のスカートについた花びらを払いながら、明日の時間割の話をした。私は相槌を打ちながら、さっきの画面のことを考えていた。

 校門で「またね」と手を振って別れた。雫の背中を見送りながら思った。

 雫は隠していた。スマホを胸に押し当てて、画面を消して「何でもない」と言ったあの仕草を、私はよく知っている。自分が毎日やっていることだから。雫も何かを隠して生きている。

 それが何なのか聞かなかった。私だって隠しているのだから。でも、隠す者同士はたぶん匂いでわかる。雫が私の転倒を「わざとでしょ」と見抜いたように。私が雫の画面を「何でもない」と見なかったふりをしたように。

 互いの秘密に触れない距離。それが今の私たちの距離で、たぶん今はそれでいい。


               ◇


 夜。

 部屋のベッドに横になって、スマホを眺めていた。雫にインストールしてもらったアプリが画面にずらっと並んでいる。半分以上は何に使うかわからない。

 スマホが震えた。ビデオ通話の着信。


 朝霞凛。


 画面に凛先輩の顔が映った。ショートカットの黒髪、きりっとした目。いつ見てもきれいな人だ。

 凛は元魔法少女「レッドスターバースト」。私より一年早く引退して、今は高校二年生だ。引退後も連絡を取り合っている。というか凛先輩のほうからたまに連絡をくれる。


「栞ちゃーん。元気?」


 画面の中の凛は明るい笑顔だった。部屋の照明が暖色で背景に本棚が見える。整理された普通の高校生の部屋。


「元気です。……一人、できたかも」

「え、友達?」

「うん。たぶん。まだ友達って呼んでいいかわからないけど」

「名前は? どんな子?」

「内田雫って子。同じクラスで」


 雫のことを話した。SNSをやっていないことに驚かれた話。バレーボールの練習をした話。おばあちゃんのスマホに負けた話。ボールを破裂させた話は、少し迷って言った。凛にはこういう話ができる。凛も同じ経験をしてきた人だから。


「ボール破裂!?」


 凛が画面の向こうで笑い転げた。


「私もやったやった! テニスボール握りつぶしたことある!」

「テニスボールって握りつぶせるんですか」

「つぶせちゃったんだよね……コーチに怪物みたいな握力だなって言われて、笑えなかった」

「笑えないですね」

「笑えないよー」


 凛は笑っていた。目尻に涙が浮かぶくらい笑っていた。凛先輩はいつも笑っている。引退して一年、普通の高校生としてちゃんとやれている。友達がいて、部活をやって(弓道部だと聞いた)、成績も良くて、元魔法少女の先輩として凛はお手本みたいな存在だった。「普通になれる」ことの証明。


「凛先輩」

「ん?」

「……先輩は、もう慣れましたか。普通」


 凛は少し間を置いて笑った。


「慣れたよー。最初は大変だったけどね。栞ちゃんも大丈夫。すぐ慣れるよ」

「……そうですか」

「そうそう。大丈夫大丈夫」


 大丈夫。その言葉を、凛は軽やかに言った。


「じゃあ、またね。友達の話、もっと聞かせてよ」

「はい。おやすみなさい、凛先輩」

「おやすみー」


 画面が暗くなった。通話が切れた。

 私はスマホをベッドの上に置いて天井を見た。凛先輩の笑顔がまだ網膜に残っている。明るくて軽やかで「大丈夫」と言い切れる笑顔。私もいつかああなれるだろうか。ルーが机の上から言った。


「良い報告ができたな」

「うん。……雫のこと、ちゃんと友達って呼べるようになりたいな」

「そうだな」


 ルーの声が少しだけ柔らかかった。気のせいかもしれないけど。

 目を閉じた。今日あったことを順番に思い出した。ボールを破裂させたこと。雫のために転んだこと。サーブの練習をしたこと。おばあちゃんのスマホに負けたこと。雫がスマホを隠したこと。凛先輩の笑顔。全部、昨日までの人生にはなかったことだ。

 三年間、私の一日は「戦闘」と「回復」と「待機」で構成されていた。それ以外の時間は存在しなかった。今は違うのだ。

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