第六話「陰陽師見習いの来訪」
ある秋晴れの日。
真白の屋敷に、一人の若者が訪れた。
我が名は玄丸。猫として暮らす元魔導王だ。そして、この若者の来訪が、我の平穏な日々に、微妙な波紋を投げかけることになるとは、この時はまだ知らなかった。
*
午後、我は縁側で日向ぼっこをしていた。
秋の日差しは柔らかく、心地よい。丸くなって、うとうとし始めた、その時だった。
「失礼いたします」
凛とした男性の声が聞こえた。
我は目を開けた。
門の前に、若い男性が立っている。二十歳前後だろうか。黒い狩衣を着て、腰に何やら道具を下げている。
顔立ちは整っているが、表情は堅い。真面目そうな印象だ。
そして、この男性からは、妙な気配がする。
魔力、ではない。だが、それに近い何か。陰陽の力、か。
この世界の術者が持つ、独特の気配だ。
「まあ、実俊様」
真白の声がした。
振り返ると、彼女が嬉しそうに駆け寄っている。
「お久しぶりでございます」
実俊、というのが、この男性の名前らしい。そして、真白が「お久しぶり」と言っているということは、旧知の仲、ということか。
我は、警戒心を高めた。
「真白殿、ご無沙汰しております」
実俊と呼ばれた男性が、礼儀正しく頭を下げる。
「陰陽寮での修行が忙しく、なかなか伺えず申し訳ございませんでした」
陰陽寮、だと。
やはり、この男は、陰陽師か。まだ見習いのようだが、それなりの力を持っている気配がある。
「いいえ、お忙しいのは存じております」
真白が微笑む。
「それよりも、今日はどのようなご用件で?」
「実は、少しご相談がありまして」
実俊が真面目な顔で答える。
「最近、この辺りで妙な気配を感じるのです。もしかしたら、妖怪が」
その言葉に、我は耳を立てた。
妖怪、か。月見の宴でも、その噂が出ていた。やはり、この辺りに何かいるのだろうか。
「まあ、それは物騒ですわね」
真白が心配そうな顔をする。
「どうぞ、中へお上がりください。お茶でもお出しいたします」
「ありがとうございます」
実俊が屋敷に入ってくる。
その瞬間、我と目が合った。
実俊の目が、僅かに見開かれた。そして、我を見つめる。その目には、警戒と、好奇心があった。
この男、我が普通の猫ではないことに気づいている、のか?
だが、実俊は何も言わず、視線を逸らした。そして、真白に従って屋敷の中へ入っていく。
我も、後を追った。
*
客間で、真白と実俊が向かい合って座っている。
我は、真白の傍に座った。実俊を、じっと見つめる。
「それで、実俊様。妖怪の件、詳しくお聞かせ願えますか?」
真白が尋ねる。
「はい」
実俊が頷く。
「最近、都の北部、この辺りで、人が夢に魘される事件が続いています」
実俊が説明する。
「夜、眠ると、悪夢を見る。そして、朝起きると、ひどく疲れている、と」
夢、か。
我は、興味を持った。夢を操る妖怪、というのは、我がいた世界にもいた。精神に干渉する、厄介な相手だ。
「陰陽寮でも調査しているのですが、まだ正体は掴めていません」
実俊が真面目な顔で続ける。
「ただ、水の気配を感じるのです。恐らく、水に関係する妖怪かと」
水の妖怪、か。河童や水虎、あるいは蛇の類かもしれない。
「それは恐ろしいですわね」
真白が不安そうな顔をする。
「私も、気をつけなければ」
「はい。夜は、戸締りをしっかりとしてください」
実俊が真白を心配そうに見る。その目には、明らかな好意がある。
我は、内心で舌打ちした。猫だから、実際には舌打ちできないが。
この男、真白に好意を持っている、な。
「真白殿には、何かあってはなりません」
実俊が真剣な顔で言う。
「もし、何か異変がありましたら、すぐに陰陽寮に連絡してください。私が、すぐに駆けつけます」
「ありがとうございます、実俊様」
真白が微笑む。
その笑顔を見て、実俊の顔が、僅かに赤くなった。
ふむ。この男、初心だな。真白の笑顔一つで、こんなに動揺するとは。
だが、それは理解できる。真白の笑顔は、確かに美しい。心を動かす力がある。
しかし、真白は我の主だ。他の男に心を奪われるわけにはいかない。我が、真白を守るのだ。
「ところで」
実俊が、我を見た。
「その猫は?」
「玄丸と申します。最近、拾った子なのです」
真白が我を抱き上げる。
「とても賢い子で、私の大切な家族なのですよ」
家族、という言葉に、実俊の顔が少し曇った。嫉妬、か?猫に嫉妬するとは、面白い男だ。
「ふむ」
実俊が我を見つめる。その目は、鋭い。術者の目だ。
「確かに、賢そうな目をしていますね」
実俊が手を伸ばして、我の頭を撫でようとした。
その瞬間、我は「しゃあっ」と威嚇した。
触るな。我は、お前の猫ではない。
「おや」
実俊が手を引っ込める。
「人見知りのようですね」
「ごめんなさい。玄丸、まだ慣れていないのです」
真白が申し訳なさそうに言う。
だが、実俊は笑った。
「いえ、構いません。猫には、猫の気持ちがあるのでしょう」
実俊の目が、我を見つめる。その目には、理解があった。
この男、猫、いや、動物を理解しているようだ。単なる嫌な奴ではない、のかもしれない。
*
実俊が帰ろうとした時。
真白が縁側まで見送りに出た。我も、真白に抱かれたまま、ついていく。
「実俊様、今日はありがとうございました」
真白が頭を下げる。
「妖怪のこと、気をつけますね」
「はい。くれぐれも、お気をつけください」
実俊が真白を見つめる。その目には、心配と、何か別の感情があった。
恋慕、か。この男、本当に真白に恋をしている。
実俊が門を出て、去っていく。
だが、少し歩いたところで、振り返った。
そして、我と目が合った。
実俊の目が、鋭くなる。術者の目だ。
その目が、何かを語っていた。
「お前、何者だ?」と。
我も、じっと実俊を見つめ返した。
言葉は交わせない。だが、視線だけで、何かが通じ合った気がした。
実俊が、小さく頷いた。そして、去っていった。
我は、思った。
真名井実俊。陰陽師見習い。真白の幼なじみ。そして、恐らく、真白に好意を持っている男。
厄介な存在が現れた、な。
だが、同時に、頼れる存在かもしれない。
真白を守る、という目的では、我と同じだ。
*
夜。
我は窓辺に座り、月を見ていた。
実俊の話を思い出す。都の北部で、人が夢に魘される。水の気配がする妖怪。
我も、その気配を探ってみるべきか。真白を守るためにも。
だが、今夜は何も感じない。妖怪の気配は、ない。
庭に、人の気配がした。
見ると、実俊が塀の外に立っている。我と目が合った。
実俊が、小さく頷いた。そして、何かを呟く。呪文、か。
その瞬間、我の周りに、微かな結界が張られた。守護の術だ。
実俊は、真白を守るために、屋敷に結界を張ったのだ。
我は、複雑な気持ちになった。
この男、嫌いではない、のかもしれない。真白を守ろうとする気持ちは、我と同じだ。
だが、それでも、真白を取られるわけにはいかない。
実俊が去っていく。我は、その背中を見送った。
真名井実俊。ライバル、か。それとも、仲間、か。
まだ、分からない。だが、一つだけ確かなことがある。
我は、真白を守る。誰が来ようとも。
我は、真白の元へ戻った。
真白が、布団の中で我を待っている。
「玄丸、おいで」
真白が微笑む。
我は、真白の元へ駆け寄った。四本の足で、畳を蹴って。
真白が、我を抱き上げた。
「さっき、誰かいた?」
真白が不思議そうに尋ねる。
「何だか、外を見ていたみたいだけれど」
我は「にゃあ」と鳴いた。
何でもない。ただ、お前を守る者が、増えただけだ。そう、伝えたかった。
「そう。なら、いいのだけれど」
真白が微笑む。
その笑顔を見て、我は、思った。
実俊という男性が、これからどう関わってくるか。それは、まだ分からない。
だが、我は、ここにいる。真白の傍に。
それだけは、変わらない。




