表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平安猫魔伝〜異世界を滅ぼした魔導王、平安の都で猫になる〜【連載版】  作者: 伊勢吉
第一章:都の小さな怪異

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/22

第十七話「実俊の悩み」

晩秋の午後、実俊が屋敷を訪れた。


いつもの堅苦しい表情ではなく、どこか疲れた様子だった。肩が落ち、足取りも重い。


我が名は玄丸。屋敷に座敷童子のわらべが住み着いてから、屋敷全体が少し賑やかになった黒猫である。


「実俊様、どうぞお上がりください」


真白が実俊を迎える。


「真白殿、お邪魔いたします」


実俊が礼儀正しく頭を下げる。だが、その声には元気がない。


我は縁側で、二人の様子を観察していた。実俊の気配がいつもと違う。何か、悩み事があるのだろう。


真白も、それに気づいたようだ。


「実俊様、お顔色が優れませんが、何かございましたか」


真白が心配そうに尋ねる。


「いや、大したことでは……」


実俊が言いかけて、言葉を濁す。


「真白殿、少し、お話をさせていただいてもよろしいでしょうか」


実俊の声が、珍しく弱々しい。


「もちろんです。どうぞ、こちらへ」


真白が実俊を庭へと案内する。


我は、少し離れた場所から、二人を見守った。



真白と実俊が庭の東屋に座る。秋の風が、二人の間を吹き抜けていく。


我は木の陰から、二人の会話を聞いていた。


盗み聞きというわけではない。ただ、真白の傍にいるだけだ。たまたま、会話が聞こえるだけだ。


「実俊様、何があったのですか」


真白が優しく尋ねる。


実俊が深く息をついた。


「陰陽寮での、立場のことです」


実俊の声が、重い。


「私は、見習いとして陰陽寮に入って、もう三年になります。ですが、いまだに一人前として認められません」


実俊が拳を握りしめる。


「私は、誰よりも努力してきたつもりです。夜遅くまで文献を読み、術の練習を繰り返し、師の教えを忠実に守ってきました」


実俊の声が、悔しさに震える。


「ですが、同期の者たちは次々と昇格していくのに、私だけが取り残されている」


実俊が顔を伏せる。


「師からは『お前は理屈に頼りすぎる』と言われます。『術は心で感じるものだ』と」


実俊が苦笑する。


「ですが、私には分からないのです。心で感じるとは、どういうことなのか」


実俊の言葉に、真白が静かに耳を傾けている。


「私は、理屈で物事を理解します。それが、私のやり方です。ですが、それが陰陽寮では評価されない」


実俊が拳を握りしめる。


「私は、このままでは一生、見習いのままなのではないかと」


実俊の声が、不安に満ちている。


我は、実俊の言葉を聞いていた。


理屈に頼りすぎる、か。


それは、かつての我と同じだ。


我も、理だけを追い求めていた。感情など、理の前では無意味だと思っていた。


だが、真白と出会い、我は少しずつ変わった。


理だけでは、世界は成り立たない。


感情があるからこそ、世界は美しい。


「実俊様」


真白が口を開く。


「私には、陰陽の術のことは分かりません。ですが、ひとつだけ、申し上げても良いでしょうか」


「はい、真白殿」


実俊が真白を見る。


「実俊様は、誰よりも真面目で、誠実な方です」


真白の声が、優しい。


「そして、人を救いたいという想いも、誰よりも強いと思います」


真白が実俊を見つめる。


「ですから、きっと、いつか実俊様の努力は報われます」


真白の言葉に、実俊の目が僅かに潤む。


「真白殿……」


「ただ、もしかしたら」


真白が少し考えてから、言葉を続ける。


「理屈で理解することと、心で感じることは、対立するものではないのかもしれません」


真白の声が、静かに響く。


「両方があって、初めて完全なのではないでしょうか」


真白の言葉に、実俊が目を見開く。


「両方、ですか」


「ええ。実俊様は、理屈で理解することがお得意です。それは、素晴らしい才能です」


真白が微笑む。


「ですから、その才能を捨てる必要はありません。ただ、それに加えて、心で感じることも大切にされてはいかがでしょうか」


真白の言葉が、実俊の心に届いているようだった。


「心で、感じる……」


実俊が呟く。


「はい。例えば、今、実俊様がこうして悩んでいらっしゃること。それは、心で感じているからこそ、ですよね」


真白の言葉に、実俊が頷く。


「理屈だけなら、悩む必要はありません。ですが、実俊様は悩んでいる。それは、心があるからです」


真白が優しく微笑む。


「ですから、実俊様には、既に心があるのです。ただ、それに気づいていないだけなのかもしれません」


真白の言葉に、実俊の表情が和らいだ。


「真白殿……ありがとうございます」


実俊が深く頭を下げる。


「あなたの言葉に、救われました」


実俊の声が、少し明るくなっている。


「いえ、私は何も特別なことは申し上げておりません」


真白が謙遜する。


「いいえ、真白殿の言葉は、いつも的確で、温かい」


実俊が真白を見つめる。


「私は、真白殿に出会えて、本当に良かったと思います」


実俊の声に、特別な感情が込められている。


我は、それを聞いて、胸が少しざわついた。


実俊の目が、真白を見つめている。その目には、明らかに恋慕の情がある。


真白は、それに気づいているのだろうか。


真白の表情は、いつもの優しい微笑みのままだ。


「実俊様、私も、実俊様とお話しできて嬉しゅうございます」


真白が穏やかに答える。


だが、それは友人としての言葉だ。


実俊の想いとは、少し違う。


我は、複雑な気持ちでその様子を見ていた。


実俊は、真白を想っている。


それは、分かる。


だが、真白は、実俊をどう思っているのだろうか。


そして、我は。


我は、真白をどう思っているのか。


家族だと思っている。大切な存在だと思っている。


だが、それは。


我は、自分の感情が分からなくなった。


その時、真白が我を見つけた。


「あら、玄丸。そこにいたのね」


真白が我に気づいて、微笑む。


我は「にゃあ」と鳴いて、真白の元へと歩いていった。


真白が我を抱き上げる。


「玄丸、ずっとそこにいたの?」


真白が我を撫でる。


我は「にゃあ」と鳴いた。


ああ、いた。お前たちの話を、全部聞いていた。


「ふふ、玄丸は本当に私の傍にいてくれるのね」


真白が嬉しそうに笑う。


実俊が、我を見た。


「玄丸殿も、真白殿の話を聞いていたのですか」


実俊が我に話しかける。


「玄丸殿は、賢いですからね。きっと、理解しているのでしょう」


実俊が我の頭を撫でようとする。


我は、実俊の手を避けた。


別に、嫌っているわけではない。ただ、今は、真白に撫でられたい気分なのだ。


「あら、玄丸。実俊様に失礼よ」


真白が我をたしなめる。


だが、我は真白の腕の中で、じっとしていた。


実俊が苦笑する。


「玄丸殿は、相変わらず気難しいですね」


実俊がそう言って、立ち上がる。


「真白殿、今日は本当にありがとうございました」


実俊が深々と頭を下げる。


「あなたの言葉で、心が軽くなりました」


「いえ、お役に立てたなら幸いです」


真白が微笑む。


「また、いつでもいらしてくださいね」


「はい、ありがとうございます」


実俊が屋敷を後にする。


その背中は、来た時よりも少し、軽くなっているように見えた。



実俊が去った後、真白は我を抱いたまま、庭を歩いた。


「玄丸」


真白が我に語りかける。


「実俊様、悩んでいらしたわね」


真白の声が、少し心配そうだ。


「あの方は、本当に真面目な方なの。だからこそ、不器用なのかもしれないわ」


真白が空を見上げる。


「理屈と心。その両方を持つことは、難しいことなのかしら」


真白が我を見る。


「玄丸、あなたはどう思う?」


我は「にゃあ」と鳴いた。


難しい、な。


だが、不可能ではない。


我も、かつては理だけを追い求めていた。


だが、今は違う。


真白と過ごす中で、我は心を知った。


感情を、知った。


だから、実俊も、きっと変われる。


時間はかかるかもしれないが。


「ふふ、玄丸。あなた、何か言いたげね」


真白が微笑む。


「いつか、あなたと言葉で話せたら、きっと色々なことを教えてくれるのでしょうね」


真白が我を抱きしめる。


我は、真白の温もりを感じていた。


実俊が、真白を想う気持ち。


それは、分かる。


真白は、優しく、美しく、そして強い。


誰もが、真白を大切に思うだろう。


我も、真白を大切に思っている。


だが、我と実俊の想いは、同じなのだろうか。


違うような気がする。


だが、何が違うのか。


我には、まだ分からない。


ただ、一つだけ確かなことがある。


我は、真白の傍にいたい。


それが、我の全てだ。



その夜、我は真白の部屋で、窓の外を見ていた。


月が、空に浮かんでいる。満月ではないが、明るい月だ。


真白は、既に眠っている。穏やかな寝息を立てている。


我は、今日のことを思い返していた。


実俊の悩み。真白の言葉。そして、実俊の真白を見る目。


我は、何を感じたのだろうか。


嫉妬、か。


いや、それだけではない。


もっと複雑な、何かだ。


実俊は、真白を想っている。


真澄も、真白を想っている。


そして、我も。


我は、真白を。


守りたいと思っている。


傍にいたいと思っている。


それは、家族としての想いなのか。


それとも、別の何かなのか。


我には、分からない。


だが、一つだけ、確かなことがある。


真白が幸せであること。


それが、我の願いだ。


実俊が真白を幸せにできるなら、それでもいい。


真澄が真白を守れるなら、それでもいい。


ただ、我も。


我も、真白の傍にいたい。


それだけは、譲れない。


我は、月を見上げた。


月は、何も答えてくれない。


ただ、静かに輝いているだけだ。


我は、溜息をついた。


感情とは、難しいものだ。


理だけを追い求めていた頃は、こんなことで悩むことはなかった。


だが、今は違う。


心があるからこそ、悩む。


それは、辛いことでもある。


だが、それは、生きているということでもある。


我は、真白の傍で丸くなった。


真白の温もりが、我を包んでいる。


この温もりを、失いたくない。


だから、我は、真白を守り続ける。


誰が何と言おうと。


それが、我の決意だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ