紙に書かせることの意味
「この間は泣いてスッキリしたか」
俺が声をかけると、前列にいた兵がきりっと背筋を伸ばし、
「ハイ。スッキリしました」
と答えた。声はまだ少し掠れていたが、あの時の沈んだ瞳とは違う。顔の腫れは涙の痕跡を残しているが、表情はどこか晴れやかだ。まるで曇っていた窓ガラスが磨かれて、少しだけ透明度を取り戻したような。
よし、と心の中で頷く。
「では今日は、お前らの中にいる亡くなった魂たちを天に送る。いいか、今日は“書く”日だ」
そう告げると、兵たちはきょとんとした顔を見せた。俺は指を鳴らす。すると副官が束ねた紙を抱えて現れ、兵たちに1枚ずつ配りはじめた。
「まず紙を配る。ここに何でもいい。苦しいこと。今思っていること。普段、頭の中でよく浮かんでくるもの。とにかく、全部だ。ぜんぶ吐き出せ。言葉で埋め尽くせ」
暖炉の赤い火がパチパチと音を立て、静まり返った空間に小さな破裂音を響かせている。冬の乾いた空気に、微かな焦げた木の香りが漂ってきた。
「そして書き終わったら、その紙を暖炉にくべろ。燃やして天に返す。そしてまた新しい紙を取って、同じことを繰り返せ。今日はそれだけだ。朝から晩まで、ずっとこれをやる」
「おー……それは楽でいいな」
誰かが軽口を叩き、周囲にわずかな笑いが起こった。
「そうだろう? これは俺からのプレゼントだ」
俺はにやりと笑ってみせた。
しかし、内心ではわかっていた。これは見た目ほど“楽”な作業じゃない。自分の内面を文字に起こす――それは己の痛みに向き合うことだ。だからこそ意味がある。
配った紙は、この国では貴重品だ。軍であっても、ムダには使えない。役所で廃棄予定の裏が白紙の紙を、何とかかき集めてきた。もちろん、機密度が低いものだけだ。
「紙の内容は見せなくていいんですか?」
そう訊ねたのは、目の鋭い中堅の兵だった。
「もちろんだ。これはお前たち自身の儀式だ。お前らの中にある“亡くなった魂”を紙に引き出して、供養する。だから全部出せ。見せる必要はない。誰にも見られずに天に還す。それがルールだ」
俺は視線を一人ひとりに配りながら言った。
「いいか。今日は徹底的にやる。朝から晩まで。とにかく書け。わかったな?」
兵たちは頷き、机に向かった。最初は「楽勝だ」と言わんばかりの顔で、紙にペンを走らせる。カリカリ、カリカリという音が一斉に部屋に広がった。
時間が過ぎる。30分、1時間――
やがて、部屋の空気が変わり始めた。最初はスムーズに進んでいた手が、次第に重くなっていく。誰かがペンを止め、ため息をつく。眉をひそめ、固まる者。頭を抱える者。無意識に手が震えている者もいた。
心の奥底に沈んでいたものが、ひとつずつ浮かび上がってくるのだ。痛み、怒り、後悔、悲しみ――全部、居座り続けた感情たちが、ペン先を通じて引きずり出されていく。
それを知っていた俺は、あえて静かに声をかけた。
「いいか。それについて“考える”必要はない。ただ、頭から出せ。それだけだ」
その一言がスイッチになったのか、また一斉にカリカリという音が復活する。心を整えるのではなく、ただ出すことに専念する。それがこの儀式の意味だ。
鼻をすする音が聞こえる。涙がポタポタと紙に落ちる。目を赤くしながら、ただ黙々と書き続ける者。ペンを持つ手が力なく机に落ち、しばらく固まっている者もいる。
暖炉の炎は、書き終えた紙を飲み込み、オレンジ色の舌で激しく揺れている。その炎が、まるで兵たちの痛みを飲み込んでくれているように見えた。
実はこれは、精霊タンから毎日1時間やるように言われている“修行”だ。もう1年以上続けているが、これをやりはじめてから、頭の中が妙にクリアになった。モヤモヤが積もらない。シンプルに、スッと考えられるようになる。
俺は壁にもたれて、兵たちを見守りながら思う。
(書くことは、整理整頓と同じだ。混乱を外に出せば、内側は静まる)
そして夕方――
用意していた紙がすべてなくなった。ペンを置く音が、パタ、パタ、と静かに響く。兵たちは、まるで全身を使って戦い終えたかのように、肩で息をしていた。
「……これで、お前らの中の亡くなった魂は、すべて天国へ行った。どうだ、気分は」
一番前にいた兵が、かすれ声で答えた。
「……非常に、心をえぐられるような作業でしたが……スッキリしました」
その言葉に、まばらに笑い声が起きた。だが、その顔は一様に晴れやかで、午前中とは違う光を放っていた。
「そうだろう。俺はこれを、毎日1時間はやっている」
ざわつきが広がる。信じられないという顔、驚きで目を見開く者。いま自分たちが味わった、あの“しんどさ”を毎日続けるなど、考えられなかったのだろう。
「だからクレスト殿は、あんなに明晰なのですか?」
若い兵が、ぽつりとつぶやいた。
「そうだ」
俺は、少し笑って、堂々と答えた。
「毎日、ムダな魂は天国に送っている。だから毎日、頭脳明晰だ」
夕焼けの光が窓から差し込み、暖炉の炎とまじりあって、部屋を金色に染めていた。兵たちはそれぞれの思いを胸に、静かに立ち上がり、深い呼吸を繰り返していた。




