20 森の守り人
コリンが王都に戻ってきた。
領主の息子という立場でコリンは多くの人々を動かし探したが、やはり森の守り人の生き残りは発見できなかった。
がっかりするマリジュに、
「エルフのことなのだけども」
とラピスが話を切り出した。
「隣国のエルフはおしまいだわ。世界樹が枯死寸前なの。それで一族を襲ったのでしょうけど、もう手遅れよ。なまじ世界樹の力が強いから、森全体を巻き込んで草木が生えているままの状態で立ち枯れが進んでいたわ」
「エルフは世界樹どころか自分の森さえうしなう。あとは滅ぶか惨めに放浪するか。世界樹を枯死させたようなエルフを、どの森も拒絶するわ」
マリジュの澄んだ色の瞳が濡れる。エルフではなく、枯れる世界樹と森を思って。森の守り人は、文字通り森と共生する一族だ。
「それでね、今後のことなのだけども、私たちが戻る時にハランドちゃんとともに鬼人の国へ来ない? 以前はリコナの花の件があったからマリジュは断ったでしょう? でも、翁の木の再生のためには魔力の豊富な私たちの大陸の方が、成功率は高いと思うのよ」
マリジュが王都に来て1ヶ月がたっていた。
この間に、病気の流行は鎮静化し、王都には平安がもどり、王国が発売元になっている等身大お祈りポーズのマリジュちゃん水晶人形が、天井知らずに売れに売れまくっていた。
マリジュの絵姿も彫像も王国が管理し、違法者には厳しい罰則が与えられた。第二王子が、粗雑なマリジュちゃんは許せない、と権力を行使したのだ。
利益は王国とマリジュで半々との契約のため、マリジュの収納には金貨が山積みであった。
ついでに、貴族や商人たちから山のように貢ぎ物が届けられていたが、自分がマリジュちゃん窓口担当となる、と第二王子が宣言して、妥協をいっさい許さない美的感覚により多くのものが突き返されていた。そのかわり第二王子が許可したものは、稀少であったり芸術的であったりして厳選された素晴らしいものばかりであった。
「……翁のために、鬼人の国へ……」
第二王子、ハランドの部下たち、王宮の人々、マリジュを大切にしてくれている者たちの顔が浮かぶ、しかし、一番は。
「だんな様」
マリジュは顔を上げてハランドを見た。
ハランドは、春の木漏れ日のように優しく微笑んでマリジュを見ていた。
「俺はおまえの側にいるぞ、そこがどんな場所であろうとも」
じわり、とマリジュの体にあたたかい気持ちが海のようにひろがる。
何時だってハランドの透明な愛情に包まれて、マリジュは立つことができた。
家族も一族もなくしても、ハランドがいたからマリジュは孤独ではなかった。
「だんな様、一族の死は一滴の水なのです。地面に帰り土と化し木の根に吸われ葉となるーー繰り返す循環ーーだから一族の種族魔法は流れなのです。森に溶ける一族を、エルフは肥料と誤解したようですが……」
マリジュは息を落とした。
「だんな様、王都では皆がマリジュに手を合わせます、拝礼して跪こうとする人もいます。それが苦しいのです、星のない空のように風のない大気のように。マリジュは王宮が息苦しいのです」
前世では平凡な一生だった。
今世では、素朴な生活の自然とともに生きた4年だった。
人々から熱狂されることも傅かれることもマリジュは望んでいない。
「では、公爵家も部隊も副官のあいつに任せよう。あいつは俺の従兄だからな。それに第二王子も、おまえのために身を粉にして働いてくれるだろう」
ニヤリとハランドは口角をあげた。
「ファンクラブだの祝賀の夜会だの面倒になってきたところだ。ちょっと鬼人の国へ行ってみるか?」
「いいのですか?」
「俺はおまえの夫だぞ。おまえの幸福が俺の幸福だ。おまえが心地好く安らげる場所を探すのもいいな」
ロメーヌ王国を出国しようとすれば、わずらわしい問題が壁のように積み重なるだろうが、ハランドにとって唯一無二はマリジュだ。
「かわいい俺の菫、俺のマリジュ。俺はおまえが人間の世界で暮らせるように考えたが、おまえの望みは違ったのだろう? おまえの望みを言うがいい」
凍りついた木の匂いの冬の森から、人間の活気溢れる王都で暮らした1ヶ月。
マリジュを利用しようとする人もいたけれども、優しい人の方が圧倒的に多かった。
それでもマリジュは森が恋しくて堪らないのだ
「マリジュは、マリジュは森で暮らしたいです」
もうじき森は、根雪がとけ草木が芽吹く春の目覚めをむかえるだろう。
雪解けのひんやりした風が吹いて。
フィーと口笛のような声で鳴く春告げ鳥の声を聞いて。
紅紫色の蓮華草が咲き。
白、赤、紫、黄の躑躅が咲き。
花房が風に雅やかに揺れる藤が咲き。
顔を上げるように真上に花びらが開く雛げしが咲き。
順番に春の花が咲いていき、夏の花が続き、次に秋の花が。
そして、また冬になると不香の花が降るのだ。
鳥が囀ずり花が百花繚乱と咲きこぼれる季節が。
蝶が舞い飛び風が流れ星のように光る季節が。
照るる月が美しく木々の葉の舟が流れるような季節が。
降るる雪が純度の高い銀のごとく輝く季節が。
終わり始まり、見かけは変わりゆくようで変わっていない森の世界が。
森の木は、どの木も動かず同じ位置に立っていて。枝さえも太陽に向かって同じ方向と角度に伸び。
森の川は、高い方から低い方へ水を集め同じ場所で一定の速度で水を送り。
何もかもが、繰り返し繰り返す森の守り人の生活がマリジュは恋しかった。
それは前世からの望みでもあったから。
「世界は広い。おまえの気に入る新たな森を見つけようか? 俺はおまえの魔法使いだ。すべての望みを叶えてあげるよ」
ハランドはソッとマリジュを頭の上に乗せた。その指先は常に優しい。
「行こうか?」
「はい、だんな様」
ーーかつて森の守り人に救われた王都があったという。
人々は感謝と憧憬を語り継ぎ、そうして森の守り人の伝説は次代へ次代へと途切れることなく続いていくのだったーー
(ちょこっと) ちょこっとは、if感覚でお楽しみ下さい。最後は、ノーマルタイプから真綿でおくるみヤンデレタイプまで、お好きなタイプをお選び下さいませ。
ちゅっ、と。
小鳥がついばむような音をたてて離れた唇を、マリジュは恥ずかしそうに身じろぎして見つめた。
金糸の睫毛に彩られた宝石のようなハランドの双眸が、せつなく甘く蕩けていた。
「俺のマリジュ。かわいい菫。この世で唯一の俺の妻」
先日、マリジュはハランドに前世を打ち明けた。気味悪がられることはない、とハランドを信頼して。
が、中身が大人だとわかると、ハランドのストッパーが見事に圏外へと吹き飛んでしまった。肉体は子どもなのでさすがに節度は守っているが、滴る蜜のような溺愛の箍が外れ、マリジュは天命とも宿命とも運命ともいえるハランドの心臓になっていた。
今ハランドは12センチになって、マリジュとともに睡蓮の花の中にいた。
睡蓮を舟にして、ゆっくりゆったりゆらゆらと川を下る。愛おしい温もりを抱きしめるハランドの腕は、マリジュが大切なのだと伝わってくるほど優しい。
音もなく水草の間を行き交っていた銀色の魚をハランドが魔法で操る。
水面を魚の尾が揺らした。波紋が幾重にも輪を描き涼やかにひろがる、儚く淡く円やかに波紋が生まれては消えていく。水の曲線と銀の鱗が交わって煌めく様は、水面に落ちた精霊の涙のようだ。
「ほら、マリジュ」
水を弾いて、ハランドが水毬をつくってくれた。
「うわぁ、ぷにぷにです」
不思議な感触。マリジュは水毬を手に持ち、子猫のようにモニュモニュして遊ぶ。
次にハランドが水でつくったのは花だった。
バラを、ベゴニアを、ブルースターを、マリーゴールドを、ゼラニウムを、キキョウを、ナデシコを、カーネーションを、エーデルワイスを、カスミソウを、マーガレットを。
水でつくられた透明な花は、太陽を浴びて水晶のようにキラキラ輝く。どの花も愛の花言葉を持っていたーー最後に〈あなたを愛しています〉美しいアネモネを。
ハランドがスィと手を振ると空から本物の花が降ってきた。
ポチャン、ポチャン、小さな音をたてて水面が花で埋まる。
青、紫、赤、ピンク、オレンジ、白、黄色、花色や花形の様々なアネモネの花が水面に咲く。
「アネモネは〈はかない恋〉の意味もあるが、〈あなたを愛しています〉の意味もある。花の色によって違うが、俺がマリジュに生涯贈り続けるのは赤いアネモネ〈あなたを愛す〉だけだ」
睡蓮の舟が赤いアネモネに寄り添う。
マリジュは真っ赤だ。
前世と今世の経験値をあわせてもマリジュの恋愛経験はゼロ。ゼロは何を掛け算してもゼロであるが、ハランドは百戦錬磨の強者。ガンガン攻めてくるハランド相手に勝負にもならない。
「俺はおまえの魔法使いだ。天から星が降ってきても大地が割れてもおまえを守りぬく者だ。俺は一生誰も愛することはないと思っていた。しかし、おまえと出会った。俺はこの世の何よりもおまえが大事なんだ。この命の限り俺はおまえを、おまえだけを愛している。俺の心臓、俺の全て、おまえだけが俺を生かし続けることができるんだ」
ため息が漏れそうなほど麗しいハランドに微笑まれ、きゅう、とマリジュの喉が鳴った。もう声も出ないくらい心臓がドックンドックン打っていた。
『コースA』
再び近づく唇に、限界を突破したゼロマリジュは鼻にかかった愛らしい声で、ぴー、と小さく鳴いて腰を抜かした。そのままハランドの腕の中でずるずると崩れる。
バーカ、少しは私を見習え、とイエス・ロリータ・ノータッチの第二王子がハランドの脳内で言ったとか言わなかったとか。
『コースB』
再び近づく唇だが、マリジュの瑞々しい花桃の小さな唇に触れる直前、ちゅっと音だけ残して離れていった。
「触れないよ、大人になるまで俺からは。そのかわり、毎日花を贈ろう。世界中の愛の花を集めて毎日毎日おまえに花を贈るよ」
声が甘い。触れれないだけに体に籠った熱はハランドの声を淫靡に蕩かす。熟れたサクランボのように耳まで色づいて、ぽぽぽとマリジュの全身が赤くなった。
ハランドは、愛も言葉も惜しまない。
好きな人に好きと言ってもらえて、想い想われる奇跡は、奇跡だけども維持できるかは愛と心と努力が必要だとマリジュは思っていた。
だから、ちっちゃなお手手で握り拳をつくって赤面しながらマリジュは、んちゅっとハランドの頬にすいついた。
「マリジュもっ、マリジュだってだんな様のことが大好きですぅ……!」
甘いような初々しいような二人に、水面を渡る風さえ蜂蜜をまぶしたように甘く馨ったのだった。
『コースC』
再び近づく唇が、マリジュの小さな耳のやわらかい部分にキスするように声を出さず囁く。
「マリジュが大人になるまでに後4~5年。少しずつ少しずつ自立心を奪ってしまおうか。甘やかして甘やかして俺に依存させて、俺がいないと生きていけないように。気付かれないように優しくひたすら優しくして。食事や排泄すら俺に頼るように心地好さだけを与えて。揺りかごを揺らすように生涯愛だけを与えようか」
声が聞こえなかったマリジュは少し首をかしげるが、ハランドはこの世のものとは思えぬほど美しく笑ってマリジュの小指を甘噛みするのだった。
ーー今はまだ優しさだけを。
誤字報告、感想、ブクマ、お星きらきら、皆様ありがとうございました。
最後まで読んでいただき感謝致します。




