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今日から僕は 5

 登りきったところで明石がそっと口に手をやって静かにするように誠に諭した。

 電気が消えた静かな事務所。その手前の廊下。そこに場違いなコーランの高らかな詠唱が響く。

「こっから先は静かに行かんとまずいけ、な?」

 大柄な明石は出来るだけ足音を立てないようにと廊下を進んだ。誠もそのあとを静かに進んでいった。

 廊下を折れて管理部と書かれた部屋の前が誠の視線に入った。そこで一人の髭面の褐色の肌の男が、東和の首都であり、初めてこの星に地球人が降り立った地である東都に向かって礼拝していた。

「あん人が管理部の部長、アブドゥール・シャー・シン主計大尉じゃ。お前が来る前は第三小隊隊長を兼任しとったんじゃ。『ベンガルタイガー』の名は知っとるじゃろ?」

 小声で話しかける明石。誠もシンの噂は聞いたことがあった。今も時折新聞をにぎわす不安定地域東モスレム。そこでの紛争が最盛期を迎えていた誠が中学生の頃に東和に支援されている東モスレム自治政府のエースとして何度も写真を見たことがある男だった。

 だが、こうして肉眼で絨毯の上に跪いているその姿を見ると、シャムや吉田を見たときがそうであったようにいまひとつピンとはこなかった。

「もしかしてあの人が……」

 コーランの詠唱が終わり身支度を整えた後、シンが落ち着いた様子でこちらを向いた。意思の強そうな目つきをした物腰の柔らかそうな人物だった。そして明石が『主計大尉』と呼んでいたことを思い出して、自然と誠の目は不思議そうにシンを見つめる形になった。

「彼が新しく配属になった神前少尉候補生かね?」

 落ち着いた低い声でシンは明石にそう尋ねた。明石がうなづくとシンは立ち上がって、しいていた絨毯をたたみ始めた。慣れた調子で動く手を見ていると、誠にはこの上官がかなり几帳面な性格の人物のように思えた。

「ああ、シンの旦那は実家が貿易会社を経営しとるんじゃ。だから帳面つけるのはお手の物で予算管理をオヤッさんに見込まれて西モスレム陸軍から引き抜かれたんじゃ」 

 小声で話しているつもりだろうが、明石の言葉はシンには筒抜けだった。シンの目は厳しくはあるが、愛嬌があるとも言えなくも無い雰囲気があり、誠も少しリラックスして目の前のイスラムの騎士と対峙した。

「神前少尉候補生。とりあえず案内が終わったら私のところへ来なさい。いくつか書類に目を通してもらうことになるから。それと明石大佐」

 誠に向けた穏やかな視線がかげりを見せ、少しばかり厳しい調子でシンは口を開いた。

「はあなんじゃ?」

「例の部活動費の予算はどうしても捻出できなかったので自費で何とかしてください」

 その言葉に明石は右手で頭を叩いた。懇願するようにシンを見つめるが、シンは聞く耳を持たないとでも言うように視線を誠の方に向ける。

「相変わらず厳しい奴じゃのう。せっかくピッチャーが来たっちゅうのに。これじゃあシャムあたりが文句言ってくるぞ?」

 そんな泣き言に、一つため息をついたシンは、子供を宥め透かすようなゆっくりとした調子で一言言った。

「厚生費はもう底ついてますので」

 それだけ言うと、手を伸ばして押しとどめようとする明石を無視してシンは静かに管理部の部屋に入っていった。

「部活動費って……」

 東和軍にも体育学校がある。また、各基地には同好会程度のスポーツクラブがあるのがふつうだった。しかし、オリンピック選手の育成を目的とする体育学校は別として、基地の同好会は部費や寄付で会を運営するのが普通だった。福利厚生にかける予算があれば正面装備に当てるのが東和軍の予算配分ということは誠も知り尽くしている。

 ただ、聞いた話では、部隊長の世襲や領邦制の影響で貴族の私兵的な色彩の濃い胡州軍ではごく普通に部活動の費用が部隊の予算から下りているという噂もあり、嵯峨と言う胡州軍出身の部隊長に率いられている保安隊にもそう言う雰囲気があるのだろうと誠は考えた。

「ワシも学生時代は野球やっとってな。一応胡州帝大じゃあ一年から正捕手で四番任されとったけ。それにシャムは遼南の高校野球で今は千陽マリンズのエースの二ノ宮を要して央州農林が準優勝した時のキャプテンじゃ。野球部の一つぐらい作ってもよさそうもん」

 明石は愚痴るようにそうつぶやいた。誠の思ったとおり明石は胡州軍の出身だった。そして彼の出身校だと言う胡州帝大と言えば胡州の最高学府として知られていた。胡州六大学リーグの万年最下位のチームではあるが、一年から四番と正捕手になるにはそれなりの実力が必要なはずだ。

『師範代は俺に野球をさせるために呼んだのか?』

 少しばかりの疑念が頭をもたげる。そしてそれを否定する要素が何一つ無い事に誠は今ようやく気がついた。



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