今日から僕は 115
「ちょっと不安になったみたいだな」
嵯峨はコップに酒を注ぎながらそう言った。
表情は特にいつもと変わらない。昔からの彼の二つ名「人斬り新左」のことは知っているので彼が誠に想像する事ができないような修羅場をくぐっている事は知っていた。
『人間慣れてしまうものだ』
マリアの言葉が頭から離れない。
嵯峨は明らかに人の死と言うものに慣れている側の人間だ。
「いつもと違って進まないじゃないか?そうだ。シャムが作ってる猪の干し肉があるぞ。結構、癖はあるが酒にはあう」
ポケットから薄くスライスした猪肉を干したと思われるものを差し出す嵯峨。
「ちょっといいですか?」
誠はそう言うと一切れ千切り、軽く匂いをかいだ。
野趣溢れるというのはこのことを言うんだろう、野生動物特有の臭みが鼻を襲う。
「それと柿の種持ってきたけど食うか?」
今度は右の胸ポケットからビニールに入った柿の種を取り出す。
「俺は制服とか嫌いなんだけどさ、こう言う時はポケットが多い軍服が便利に感じるね」
嵯峨はそう言って取り出した柿の種のビニールを破ると誠に手渡す。
誠は手にしながら食べるかどうか躊躇していた干し肉を嵯峨に手渡して柿の種を受け取った。
「こう言う実力行使部隊には隊長に多くの権限を与える事が多い、それはなぜだと思う?」
いつものいたずらっ子のような自虐的な笑みが嵯峨の顔の口元に光臨する。
誠は柿の種を一粒口に放り込んで、コップ酒を傾けた。
「状況の変化に対応するためには現状を一番理解している指揮官に裁量を与える必要があるからですか?」
「そりゃあ後付の理由だ。実際、意外に人間の作る組織ってのは不安定なもんだ。それに常に指揮官が現状を把握できるとは限らん。むしろ情報が多すぎて状況を把握できない指揮官が殆どだな。俺もそう言う状況にゃあずいぶん出くわしたもんだがな」
また笑みがこぼれた。
「責任を取らせるためですか?」
投げやりに誠が言った言葉を嵯峨は櫛がしばらく入っていないと言うような髪をかき回しながら受け取った。
「まあ俺の本職は憲兵隊だからな。まさに責任取らして詰め腹切らせるのが仕事だったようなものだ。隊員の指揮命令系統化での全ての行動は指揮官の責となる」
嵯峨はまたゆっくりと酒を口に運ぶ。
「つまりだ、お前さんは命令違反をしない限り、敵を殺したのは俺と言うことだ」
いくつかその言葉に対して言い返したいこともあったが、誠は静かにコップ酒を一口、口に含んだ。
「誠。お前さんがそう割り切れる人間じゃない事は承知しているよ。自分の責任の範疇じゃ無いからと言って、すんなり人を殺せと言う命令に納得できる方がどうかしてる。少なくとも初の出撃の時からそれを覚悟しているなら、他の部隊でも行ってくれと言うのが本音だね」
コップのそこに残った酒をあおると、嵯峨はシャム謹製の干し肉をくわえた。
「そんなものですか?」
「そんなものだよ」
嵯峨はまた静かに三杯目の酒をコップに注いだ。




