5.最後にもう一度会ってみた。
夫が帰還魔法を行う人間だとしても、その妻は儀式には関係がない。実は関係があるのだけど、それを周囲に告げるつもりはない。だから私は、悠くんが帰る日も家にいなくちゃいけない。
最後の最後までその姿を焼き付けたかったけど、こればかりは仕方がないよね。帰還の前日、夫の計らいでもう一度家に来てくれたからそれで十分だ。改めて腕をふるって、懐かしい料理を作って、三人でたくさん話をした。
その中で一番ビックリしたのが圭介さんの新しい奥さんだ。千恵子という私の幼なじみだった。私の忘れ形見の悠くんに会いにくる間に、二人の間の友情が恋に変わったらしい。おめでとう。ちょっと複雑ではあるけど、千恵子はいい子だし、二人はお似合いだと思う。相模悠子にとって大事な二人が幸せになったというなら、喜ばしいに決まっている。二人の間には一人女の子が産まれたようで、恵ちゃんという名前らしい。ああ、抱っこしたかったなぁ。
あと、悠くんが大学の考古学部っていうのが驚いた。私も圭介さんも理系だったし、千恵子も福祉系だった。こっちの世界じゃ親と同じ職業や環境に進むことがほとんどだから感覚忘れてたけど、そういえば向こうじゃ親の職業や専攻した学部とか関係ないもんね。ってか悠くんは考古学に興味を持ったのか。私にはよくわかんないけど、興味を持てることがあってよかった。
彼女さんもいるらしい。高校からのお付き合いだって。高校時代は恋話がなかった私には羨ましい限りだ。悠くんはバスケ部で、そこのマネージャーさんだったんだって。なんだそれ。少女漫画か。ってかバスケしてる悠くん応援したかった。
「毎年、四人で母さんの墓参りに行ってますよ」
そして一番うれしかったのが、この言葉。四人っていうのは、圭介さんと悠くんと千恵子と恵ちゃんってことだろう。その四人にとって、私は今もちゃんと大事な人であることが幸せだ。
ってかいま私はここにいるのに、墓参りってなんか照れるね。
「母さんに会えて、うれしかった」
「私も悠くんにもう一度会えて、うれしかった」
玄関フロアで、悠くんは改めてそう言ってくれた。
異世界に召喚されて勇者になったことや、昔死んだはずの母親が前世だとかいう女と会ったことは父親である圭介さんにも言えないだろう。奇跡の代わりに、秘密を抱いてしまった。それを苦痛ではなく、喜びと感じてくれたならありがたい。
ねぇ悠くん。相模悠子として病に臥せっていた時、怖かったの。幼い悠くんを残していくことも、愛しい圭介さんを残していくことも、両親や友達と会えなくなってしまうことも、全部怖かった。どうして私がって思った。
悠くんの成長を傍で見守りたかった。二十歳になるまで、どんな風に過ごしてきたの? さっきいろいろ話を聞いたけど、ちゃんと傍で見つめたかった。
圭介さんともね、ずっと一緒にいたかった。年をとって、二人でお茶をの見ながらまったりとする未来を夢見てた。たくさんの思い出を、圭介さんと積み重ねたかった。彼との子を、もう一人くらいほしかった。
千恵子のことは大好きだし、あの子が悠くんのお母さんになってくれたことや、圭介さんの奥さんになってくれたことには心からありがとうと言いたい。でもね、私の役目をとられたことは、やっぱりちょっと嫉妬してるのよ。
私はもっともっと、相模悠子として生きたかった。それだけは、誤魔化しようのない気持ち。
本当はね、悠くんに帰ってほしくない。……いいえ、違うわ。悠くんと一緒に、あの世界に帰りたい。もうそこに私の居場所なんてないとわかっていても、帰りたいの。
悠くんが勇者として召喚される前なら、こんな気持は押さえることができた。ある意味この郷愁は、幼い頃から慣れ親しんだものなんだから。違う世界にある、私の、相模悠子の生きた場所。絶対にたどり着くことはできないからこそ、押さえることの出来た渇望。
でも悠くんはここにいる。あの子にとってここは異世界なのに、勇者としてここに存在している。こちらとあちらを繋ぐ魔法を、私の夫は持っている。その事実を前にしたら、心の奥深くに押し込めた想いが溢れだしても仕方ないよ。
会いたい。帰りたい。相模悠子になりたい。
溢れてくるその想いに、きっと夫は気づいているんだろうな。
私が前世を明かしてから、彼は何度も私を抱きしめて名前を呼んでくれる。アナベルを刻みつけて繋ぎ止めるように、何度も何度も。彼のことも、不安にさせてしまっている。ごめんなさい。でも、もっともっと呼んでほしい。彼がアナベルと呼んでくれたらそれだけで、私は相模悠子の想いに溺れずにすむ。
だって、やっぱり私はアナベルなの。両親も弟もいるし、友達はもちろん仲の良い使用人もいる。この身体はこの世界のアナベルのものだし、私の精神は相模悠子を包み込んだアナベルだ。相模悠子の記憶も想いも大事だけど、アナベルとしての想いと記憶だって大事だ。どちらも私で、どちらかが欠けたら私じゃなくなる。
夫が幼い頃に言ったように、「それもアナベル」なの。「受け入れろ」ってことなの。会いたいと、帰りたいと、相模悠子になりたいという想いも、私のものなの。だから、否定しない。この想いを否定しない。悠くんを追いかけて、一緒にあの世界に行きたいと願う想いを否定しない。圭介さんに会いたいという想いを否定しない。
そのうえでゆっくりと考えれば、私の一番の願いは結局ここにあるんだ。夫の隣で、これからもずっと過ごして思い出を積み重ねていく未来を望んでいるんだ。圭介さんとは短い年月しか一緒にいられなかった。それに未練がある。でも、いま傍にある夫との未来を捨ててまで圭介さんとの未来を望むのかといえば、いいえとしか言えない。
私は夫から離れない。いまある望みを見失わない。たとえ悠くんや圭介さんを手放しても、この人だけは手放したくない。
私が愛しているのはケイス、……ケイネス様だ。どうしよう心の中ですら間違えた。後で本気で土下座しよう。
言い訳すると、ケイネス様のことはずっと婚約者とか旦那様とか代わりの呼称で呼んでたから言い慣れてないの。圭介さんは赤ん坊の頃から一貫して圭介さんって染み付いているから、そっちのほうが慣れててね? ちゃんと愛してるよケイネス様。薄情な嫁だけど見捨てないで下さい。
……シリアスな気持ちだったはずなのに、なんかすごいダメだ。気持ちを切り替えよう。
密やかに意識を切り替えてから、目の前の悠くんを見る。圭介さんに似た顔立ちの悠くんを、目に焼き付ける。悠くんはいい男に育ったよホント。モテるだろうけど、彼女のことを大切にしなよ。私が言えた義理じゃないけど。いや、そうじゃない。それは置いておけ。
隣に立つ夫の袖をつかんで、気持ちを落ち着ける。そして改めて悠くんを見たら、笑ってくれた。私も、笑い返す。きっとこれが、私達が交わすことのできる最後の笑顔。
「元気で」
「ええ、元気で」
悠くんは、その一言を告げて外に出た。私も、同じ言葉を返してその背中を見送る。さよならじゃなくて元気で。この言葉で十分だ。もう二度と会えないだろうけど、それでも最後にさよならなんて言いたくない。
悠くんが出て行ったドアが閉まる。そしたら夫は私を抱きしめて頭を撫でてくれた。途端に、涙がこぼれた。
「子ども産みたいです旦那様」
「……。…………ああ、がんばっていいいならがんばるぞ」
そして翌日、勇者様は――悠くんは、夫の魔法であるべき世界に帰っていった。