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23話






「隣国にいたフェルドのもとにまで話が伝わっていたのですね、頭では理解していましたが」

「ええ、2日前知らせを受けました」

部屋中央のソファへ腰掛けた僕とフェルドはどちらからともなく会話を始めた。自分の心情をはぐらかすような無意味な探り合いはしなかった。

「君との関係性の構築について、外部からの目に気を配れていませんでした。改めてお詫びします」

「謝らないでください。フェルドの多忙の仕方のないことは分かっているのです。きっと間が悪かったのだと思います」

フェルドはたどたどしく言葉を紡ぐ僕を入念に検分しながら、次の台詞を探しているようだった。王妃様からの指摘は僕の精神にかなり深い傷を残している。この話題になると、僕はどうしても左頬の引き攣りを抑えられなかった。きっとこのみっともない反応にはフェルドも気づいているのだろう。

しかしそれ以外の不調はなく、睡眠時間が取れているからか身体は随分元気だ。

「顔色、いつも通りのようで少し安心しました」

「気分はある程度時間が解決してくれたのです。顔色の悪さを言うなら、フェルドの方が随分ですよ。まさかヴァリス国から直接来られたのですか?」

「ええ、まあ」

「――ありがとう、ございます」

僕は言った。

「まさか、フェルドが直接来てくださるとは思っていませんでした。大事なお仕事だとお伺いしていましたので」

「サーティウス家の風評を傷付けたまま、のうのうと異国にはいられませんよ」

「・・・感謝いたします」

フェルドは僕の顔をじっと覗き込み、そして黙った。

僕は複雑な感情になった。

フェルドのことを恋愛対象として見たことは未だかつて一度もない。記憶を取り戻す前のヨミは彼にゾッコンだったが、今の僕はそうではなく、彼のことを他人の描いた創造上の人物として見ていた。

だからこそ、僕は小説の中のフェルドの描写を思い起こしながら彼の性格を分析し、どんな状況に陥ればどのような行動を取るのか、推測する癖がついていた。

今回、僕はフェルドが直接ヨミのもとへ来ることはないだろうと予測していたのに。

ヨミに対してそれほど興味を抱いていない彼は、きっと来訪の手間と目の前の商談の価値を天秤にかける。冷静な分析の結果、何かしらの手紙は寄越すかもしれないが、片付けるべき案件を完遂させた後訪ねてくるだろうと。もしくは、そのまま見捨ててしまうだろうと思っていた。

しかし実際は違った。

「・・・」

フェルドの沈黙は長かった。

僕もまた俯き、複雑な螺旋を描く絨毯の紋様を茫漠と眺めた。

ただ、無性に疲れていた。

フェルドの心を繋ぎ止めるため必死で貴族の立ち振る舞いを模倣して、その努力が全て水泡に帰すことを分かっていながら、がむしゃらに頑張り続けた。

お金があれば人は幸福になれる。ならばフェルドと婚約するべきだと今の今まで心から信じてきたけれど、自分の努力が報われないと分かっていながら続ける努力というのは、自我を見失いかけるほど虚ろだった。

僕がどれだけ努力したところで、彼は未来信じられないほど魅力的な女性に会うことが分かっている。僕とは比べ物にならないほど人間味があって、完全無欠の純白の女性。

元々叶うはずなどない希望なのだ。

だって、彼らはそもそも僕と違う。創造上の人物なのだから。誰かの理想が詰め込まれた、欠点でさえ計算された物語の主役達。

生まれ持った欠点を改善することもできない〝生身の人間〟が、勝負に挑もうとすること自体が馬鹿な話だ。

――それなら。

「いっそ、貴族の肩書きなんて捨て去ってしまったほうが、私は……」

ほとんど無意識のうちに僕は言葉を出していた。フェルドとは一切目を合わせず、焦点の定まらない目で呟かれた台詞は、静寂の空間に異様な余韻をもたらした。

フェルドの息をのむ声が聞こえた。

僕は慌てて口を閉じ、フェルドの視線から逃げるよう顔を背けた。

エリックの笑顔が脳裏に浮かぶ。

本当の幸せとはなんだ。

エリックは平民でありながら僕よりもずっと幸福そうな顔で街を歩いている。対して貴族に生まれたはずの僕は今こうして自分の未来を思い悩んで、破滅の恐怖に震えている。

「どういう意味ですか?」

「・・・」

「ヨミ」

低く這うような声だった。建前上の否定で返されるかと思っていた僕は、彼の反応を意外に思い振り向いた。

フェルドはただ、能面のような無表情で僕を観察していた。

「フェルド?」

「君は、僕との婚約が解消されても構わないと思っているのですか」

「そうは、言っていません」

「そう思っていなければ出てこない台詞でしょう」

強い拒絶に驚いた僕は、反射的にフェルドから距離を置いた。婚約者の行動としては落第点だと分かっていながら、自分の反応を制御することが出来なかった。

フェルドは開いた分だけの距離を即座に縮め、僕の腕を強く掴んだ。

「君は僕の婚約者だ」

「・・・!!」

睨みつけるようなフェルドの眼差しが僕を射抜いた。〝今からお前を殺します〟と言われたら信じきって縮こまるほど鋭い眼差しだったので、驚いた僕は黙って頷き「もちろんです」と答えた。

僕は掴まれた腕を冷静に見つめながら、フェルドの言葉を考察した。

――彼がここまで、サーティウス家との婚約関係に価値を見出しているとは思わなかった。

確かに、サーティウス家との縁を繋ぐパイプ役の僕がいきなり身分を放擲するような言葉を吐けば彼も不快な気持ちになるだろう。僕の台詞は両家の財産のことをこれっぽっちも考えていない無責任なものに聞こえたかもしれない。

僕は慌ててかぶりを振りフェルドに向き直った。

「サーティウス家のためにも、スレイマン家のためにも、私達の婚約が重要な意味を持つことは理解しています」

「・・・ええ」

フェルドは静かに僕の腕から手を離し、今度は頭を抱えた。

「フェルド、やはり体調が悪いようです。ご無理なさらず・・・本日はサーティウス家へ宿泊されてはいかがでしょう」

断られると分かっていながら僕はそう尋ねた。といっても、フェルドの体調を心配しているのは本当だ。2日前までヴァリス国にいたというのだ。移動時間だけで一日半かかる隣国から、彼は宿屋を介さず直接サーティウス家へ来訪している。休みなく馬車に揺られてきたのだろう。

「そうします」

フェルドは僕の予想に反して頷いた。そしてそのまま、ほとんど気絶するように僕の肩にもたれ、目を瞑ってしまった。

「ベッドを用意します」

「もう少しこのままでいさせてくれませんか」

「え?」

「・・・僕はもうかまわない」

「フェルド?」

フェルドは独り言のようこもった声で言った。

「君が僕を、〝スレイマン家の嫡子〟としか見ていなくてもかまわない。ただ、その代わり・・・」

フェルドはそこまで言いかけて口を閉じた。

僕はしばらくその続きを聞くために耳を立てていたが、フェルドが本格的に寝入ってしまったことに気づくと、慣れない状況に困惑し必死で硬直を続けた。

そのうち、僕も彼の隣でいつの間にか眠りについていた。




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