春の行方
『童話』というジャンルに致しましたが、ジャンルにそぐわないかもしれません。
残酷な描写ありのタグを付けましたが、生々しい表現など、そこまで残酷なものは書いてはありません。
これは、私が小学生の時に書いた物語を少し書き直したものです。
読んで頂けますと、光栄に思います。
「ふあぁーーっ、くわぁーーっ。」
僕は春の柔らかな日の光で目を覚まし、大きく伸びをした。
今日も空には雲が気持ちよさそうにふわふわと浮かび、柔らかな暖かい風が気持ち良く吹いている。
今日も良い天気だ。
僕はそんな事をいつも寝床にしている公園の桜の木の上で思い、自分の境遇を考え自虐的に笑った。
僕の心には春がないのに。
こんな良い春日和とは裏腹に、僕の心は冷たい氷に覆われた真冬だった。
きっとこの氷が溶ける事はないだろう。
そう思ってる。
僕が消えて無くなるまで、永久に、ね。
そんなことは昔っから知っていたけど、やっぱり思うと悲しくて僕は俯いて悲しい顔を見せた。
・・・はぁぁ。
僕は溜息を吐くと、桜の木の上から飛び下りいつも通りの行動を始めた。
僕はのらねこ。
親も兄弟もいない、ひとりぼっちののらねこ。
友達もいない。
僕の他に誰もいない。
いるのは僕だけ。
昔から、ひとりぼっちだった。
気づいたときには茶色い箱の中にひとりでいて、ある日強い風が吹いて、茶色い箱が倒れて外に放り出されたときから、僕はひとり食べ物を求めて町を彷徨いだした。
町は、冷たかった。
誰も、優しくなんて接してくれなかった。
みんな、自分達が生きることだけで精一杯だった。
たまに、僕のことを気にかけてくれて食べ物をくれたり優しくしてくれるねこもいたが、そういうねこに限ってよく、人間に捕まって「ほけんじょ」という所に連れて行かれたり、事故や飢えで死んでしまったりした。
結果、生きるためには手段を選ばない。
そんなねこたちが多く生き残っていった。
最初から、そんな環境で生きてきたせいだろうか。
僕には夢も希望もなくて、取り敢えず生きていた。
酷い争いもたくさん見てきたから、争う気力もない。
目的なんかなにもなくて、何をしていいのかも分からなかったから、生きてたから生きてきた。
僕がここまで生きて来られたのは、ただの偶然だと思う。
だって、僕に力なんかないから。
力のあるねこなんか、他にいくらでもいたのに。
何故か生きているのは僕だった。
本当、ぽっくり死んでしまえるのなら、死んでしまっても良かったのに。
だって、生きててもなんにもないもん。
なんで、僕が生きてるの。
でも、生きているのだから僕は生きる。
それ以外の方法も良く分からないから。
僕はいつも通り公園の噴水の水で顔を洗うと、ごみをあさった。
いつも、僕の毎日の食料はここから得る。
人間は食べ残しが多いから、ごみをあされば弁当の残りなんかが出てくる。
僕にとっては都合がいいのだが、まったく、人間というものは贅沢だ。
しかし、今日は食べられそうなものが見あたらなかった。
今日ははずれらしい。
よくあることなので、そこまで気にかけることでもないのだが、今日は特段気になっていた。
・・・三日間、なにもたべてない。
さすがにこの空腹は辛かった。
二日間なにも食べられないときは何回かあったが、三日間なんてことは初めてだった。
空腹で目眩がする。
このまま、僕は空腹で死ぬのだろうか。
そう思ったが、僕には死というものの苦痛がよく分からなかった。
どのくらい苦しんだら死ぬのだろうか。
三日間食べないくらいの空腹ではまだまだ死ねないのだろうか。
しかし、苦しみながら死ぬのも嫌だなと考え、僕は食べ物を欲した。
しかし、無いのだからしょうがない。
僕はそのうちごみを人間が捨ててくれるのを望みながら、今のところは諦めて公園を後にしようとした。
・・・人間なんてごまんといるんだ、きっとそのうち誰かが何かを捨てるさ。
「よぉーっ、ひ弱っ!今日は何か食えたのか?にゃはははっ!」
そんな時、僕の後ろのほうで嘲笑い混じりのからかいの声が聞こえた。
僕はその声に面倒そうに取り敢えず振り返ると、やはりそこには思った通りの奴らがいた。
僕はそれを確認すると、声を無視して公園を出ていこうとする。
「にゃぁっはははっ!食えたわけねーかっ!だって俺らが食ってやったもんっ!」
「にゃははっ!ひ弱なんか飢えで死ねっ!お前の食うものなんかもうねぇんだよっ!」
「そうだっ!お前のもんは俺のもんだっ!にゃはははっ!」
その声を聞いて、僕は一度立ち止まった。
「おっ!何?ひ弱っ!俺らとやんのかっ?」
しかし、また僕は歩き出す。
「はっ!びびったかっ!やっぱひ弱だなっ!にゃっはははっ!」
・・・怒ったって、しょうがない。
体力を無駄に消費するだけだ。
・・・でも、なんだか苛ついた。
あいつらは、いつも僕にちょっかいをだす奴らだ。
自分のことしか考えてない、他の奴の死を利益にしか思わない奴ら。
典型的なのらねこ。
のらねこなんて、そんな奴ばっかりだ。
自分が良ければいい。
まぁ、僕もそれには同じ考えだけど。
でも、絶対にあんな奴らとなんか一緒にいたくない。
そう思ってる。
あんな奴らと一緒にいるくらいなら、一生僕はひとりでいい。
死んでしまってもいい。
――――どんっ。
そんな事を思って少し俯いてたとき、僕は何かとぶつかった。
なにか大きくて柔らかいもの。
その時、周囲が少しざわめく。
僕がそのぶつかったものを見ると、そこには大きなねこがいた。
そのねこは、僕を片眼で睨み付けている。
僕はそのねこを見て、嫌そうな顔をした。
嫌な奴にあってしまった。
そう思った。
そのねこも、僕の表情を見て細い目をよりいっそう細くする。
「あ゛ぁ?ひ弱、なんだその目は。ぶつかっといて他に言う事はねぇのか?」
がらがらに掠れた、低く野太い地を這うような声。
この特徴的な体型とがらがら声の持ち主は、この辺には一匹しかいなかった。
ここら一体のねこたちに恐れられるボス的暴君。
片眼のきょういち。
一番恐い奴だから。一番の悪人だから。一番狂ってる奴だから。
いくつもの名前の由来の噂を聞く、ねこたちにとって恐れ多いねこだ。
「・・・ごめん。」
僕は素直に謝る。
「はぁっ!?ごめんじゃないだろ。目上の奴には『すみませんでした』と言え。」
「・・・すみませんでした。」
目上の奴なのかどうかは僕には良く分からなかったが、僕は突っかかるのも面倒なので素直に従う。
僕よりもいくらか年上だろうから、目上の奴なのだろうか。
「はっ!二度とぶつかんじゃねぇぞっ!」
きょういちはそう僕に吐くと、その傷ついた片眼に変わりもう片方の目でもう一度僕を思いっ切り睨み付け、大きな体を揺らしながら僕の前から去っていった。
僕の後ろでは、きょういちの機嫌を取るのらねこたちの声が聞こえる。
僕は嫌悪を感じながら、公園を出て行った。
すると、公園の門を出たところで僕は何かが落ちているのを見つけた。
それから、魚のようなにおいがする。
僕がそれに駆け寄ってみると、それは一匹の焼き魚だった。
何故、こんなところに焼き魚が落ちているのだろうか。
人間が何かの弾みで落としたのか?
そう不思議に思ったが、僕はかなりの空腹だったので、考えるのを止めてその魚にがっついた。
春の風がゆっくりとそよぐ、まだお日様が真上に昇らない暖かな午前。
僕は、ある場所で日向ぼっこをしていた。
そこは僕が毎日通う場所。
魚屋の前の日当たりの良い、寂れ始めた商店街の通路の端っこだ。
僕はいつもこの場所から魚を見つめている。
魚屋の前と行っても、魚屋のある反対側の店の、店と店の間なので、魚屋とは少し離れた場所にいる。
毎日この場所に来ては、日が赤くなる頃まで魚を見つめて、そしていつもの公園へと戻っていく。
それが僕の日課だった。
ただ、見つめるだけ。
とったりなんかはしない。
悪い事はなるべくしたくはないし、なによりそんな勇気も気力もなければ、逃げられる自信もない。
だから、ただ見つめるのだ。
いろんな魚を見ては、僕が食べる事を想像するのだ。
・・・あの小さな魚は、きっとあんな味。
・・・あっちの大きな魚は、きっととってもおいしいこんな味。
・・・そしてあそこの長細い魚は、きっと不思議なあんな味かな。
想像すると、笑顔とよだれが出てきそうになる。
この時間が、僕にとって一番好きな時間だ。
この時だけは、とても幸せな気持ちになれる。
「よぉっ!ひ弱っ!今日も未遂か?にゃはははっ!」
しかし、しばらくすると一時の不幸せがやってきた。
のらねこの集団だ。
いつもこの時間帯になると、のらねこたちが魚屋にやってくる。
そしてあいつらは、あらゆる手を使って魚を盗んでいくのだ。
僕の前を、数匹ののらねこたちが過ぎてゆく。
その中には、きょういちの姿も見えた。
みんなが僕のことを嘲笑いからかっていくと、その後すぐねこの鳴き声と魚屋のおじさんの怒鳴り声が響いた。
「あばよっ!ひ弱っ!」
魚をくわえたのらねこたちが、僕の前を過ぎてゆく。
そしてその後、頭に血を上らせたおじさんが怒鳴りながら店から出てきた。
「ごらあぁぁぁっっ!!どらねこめっっ!!いつもいつも盗みやがってっ!!いったい何回ただ食いすりゃ気がすむんっだっっ!!ちっくしょうっっ!!」
おじさんが息を切らせた怒鳴り声で、逆上し地団駄を踏む。
「っちっくしょうっっ!!うちの店は、お前らのせいで潰れそうなんだよっっ!!」
おじさんは、とても悔しそうだった。
歯をギリリと噛んで、被っていた帽子を脱ぎ捨て地面へと思いっ切り叩き付ける。
「っくっそうっっ!!」
おじさんの顔は、悲しそうだった。
その時、おじさんが僕の事を睨んだ。
そして悔しそうに話しかける。
「・・・俺はな、ずっとこの店をやってきた。ガキんころからこの店を見てきた。ずっと、守ってきたんだ。親父から継いだこの店を。
・・・なのにここ数年、のらねこが酷くってな、俺がどんなに頑張っても、利益を全部持ってっちまうんだよっ。あいつら、どんな手を使ってでも、俺の魚を持ってちまうんだよっ。
・・・っお前みたいなのらねこがっ、俺の魚屋を持ってちまうんだよっっ!!
っなぁっ、お前もグルなんだろっっ!?だからどんな手を打ってもあいつらに取られちまうんだっっ!!なぁっ!そうなんだろっ!?っおいっっ!!何とか言えよっっ!!
っくっそうっ!!お前らのせいでっっ!!!」
逆上したおじさんが、僕の事を思いっ切り蹴り飛ばそうとする。
・・・っあぶないっっ!!
そう思ったが、もうどうしようもなくて僕は固く目をつぶった。
「父さんっ止めてよっっ!!その子は何も悪くないっっ!!」
僕が覚悟を決めたとき、唐突に魚屋の方から大きな声が聞こえた。
「っあ゛ぁ!?なんだよ裕人っ!!何でそう思うんだっ!?此奴だってあいつらと同じく毎日うちに来るのらねこじゃないかっっ!!何で違ぇんだよっっ!!」
おじさんの足がすんでで止まった。
僕は胸を撫で下ろす。
すると店先から一人の少年が出てきて、おじさんを落ち着かせるように話し始めた。
「っだって、この子は一言もしゃべんなかったし、何もコンタクトらしきものをとっちゃいなかったっ。それに、もしこの子があいつらとグルなら、一緒に逃げてるはずだろっ?
なのにこの子はいっつも逃げないで、ずっとここにいるじゃないかっ。
・・・だから父さんっ、落ち着いてっ。」
少年はそう言っておじさんを落ち着かせようとする。
するとおじさんは考えを改めたようで、むっとした顔をして一つ舌打ちをすると店の中へと戻っていった。
すると、今度は僕の所に少年が近づいてきた。
「大丈夫だったっ?ごめんなっ、君は何も悪くないのにっ。」
そう言って、少年は僕の頭を優しく撫でた。
僕はその少年の行動に驚きを見せた。
僕なんかが誰かに撫でられることは、初めてだった。
とても、気持ちが良かった。
少年は、僕に笑顔を見せて話しを続ける。
「ねぇ、君っ、いつもここに来てうちを見てるよね?前から気になってたんだっ。
魚が好きなの?おなか空いてるのかな?
・・・でも、ごめんなっ、うちの魚あげたら、それこそうち潰れちゃうかも。あははっ。」
そう話す少年は、僕に手を差し伸べて言った。
「俺は裕人っ。よろしくなっ!」
そう言った黒い髪を日に明るく照らされた少年は、笑顔だった。
その笑顔は、いつもの冷ややかな嘲笑いとは違って、とても暖かく感じた。
その次の日、それまた次の日、またまた次の日―――――。
その日からというもの、僕がその魚屋に行くと、その少年は僕に話しかけてきた。
いつも一匹でぼーっとして魚を食べる事を想像していたのに、僕が想像しようとしていると、彼が話しかけてくるようになった。
最初はめんどくさいし、うるさいし、うざったく感じた。
しかし、そんな僕に彼はいつも笑顔で明るく接してくれた。
そんな彼に、僕は少しずつ惹かれていった。
もしかしたら、人間には良いやつもいるのかもしれない。
そう思うようになった。
ちゃんと、彼の話を聞いてやろうと思うようになった。
それまでは、彼が何かを喋っているのをただ聞き流していたのだが、せっかくなのできちんと聞いてみる事にした。
彼の話は予想以上に面白かった。
主は彼の日常の話だが、思えば人間の生活に接したのは彼の話が初めてだったかもしれない。
面白くて、おかしくて、驚いて、楽しくて。
いつだか、彼の話を聞くのが楽しくて魚屋に通っている僕がいた。
他の奴が僕に喋りかけるのは悪口なんかを言うときだけだったから、他の奴の話なんて聞かない事が多かった。
しかし彼の話を聞いていると、浅はかな僕の世界が開けてゆき、楽しい事もあるもんだと思うようになった。
気づくと、僕の心の氷が溶け始めていた。
もしかしたら、僕にも春が来るかもしれない。
そう考えた。
しかし、心の春とはどうゆうことだろうか。
僕には良く分からなかった。
けど、きっと暖かなんだろうな。
そう思った。
僕は、生きているのが楽しいと感じるようになった。
裕人毎日お話出来るのが楽しい。
当然だが、僕の言語が裕人に分かることはない。
しかし、それでも裕人は分かろうとしてくれたし、僕は話を聞いているだけで十分楽しかった。
毎日が楽しい。
そう感じるようになったのは、初めての事だった。
今までの僕の色あせた世界に、色がついていくような感覚を憶えた。
人間は、良いやつもいるんだ。
そう自信を持って思えるようになった。
僕の心の氷も、みるみるうちに溶けてゆく。
春が目前に迫ってきた。
しかし、僕の心の氷が完全に溶ける事は無かった。
毎日が楽しい。
確かにそう思えるようになった。
しかし僕の心はまだ何処か冷たく氷に覆われているのだった。
原因は、うすうす分かっていた。
しかし、力のないひ弱な僕にはどうする事も出来なくて、春の来る事のないまま、ただ裕人と話す時間だけが毎日早く進んでいった。
そんなある日の事だった。
僕がいつものように魚屋に行くと、そこには裕人がいた。
しかし、そこにはいつも店先で仕事をしているおじさんの姿は無かった。
そのおじさんのいない光景は、とても異様で心地の良くない違和感があった。
そして裕人もまた、どこかいつもと違っていた。
・・・いつもの笑顔じゃない・・・?
今日の裕人は、いつもみたいに笑顔だったがどこかその笑顔は悲しそうだった。
僕はその魚屋のあまりの違和感に、普段は立ち入らない店の中へと歩みを寄せる。
そして裕人の足下につくと、僕は心配そうに尋ねた。
「どうしたの?」
すると裕人はやっと僕に気づいたようで、僕を見て微笑んだ。
しかし、やっぱりその笑顔には無理が見えた。
「珍しいなっ。君が俺に近寄って来るだなんて。店に入ったのは初めてじゃないか?」
そう言って裕人は僕の頭をなでると、たまにくれる魚をさばいた時に出る魚の身の屑を少しくれた。
「お食べっ。」
そう言って、もう一度僕の頭をなでた。
僕は少しためらいを感じたが、お腹がすいていたのでむしゃむしゃと食べ始める。
すると、僕の目の前で水のつぶがぽたっと落ちるのが見えた。
その水を不思議に思うと、またひとつ、またひとつ。
ぽたぽたと水が降ってきた。
最初は、雨かと思った。
しかし、僕が顔を見上げてみると、そこにはぽたぽたと涙を降らしている裕人の姿があった。
僕はその光景にとても驚いた。
裕人のこんな顔は初めてだった。
「ねぇ、どうしたの?裕人。」
僕はそんな裕人を見て心配そうに問う。
するとそんな僕に裕人は涙を拭いながら言った。
「・・・ごめんなっ。泣いてちゃだめだよなっ。笑顔じゃなくちゃっ、俺らしくないっ。
・・・でも、やっぱり今日は無理そうだよっ・・・。」
そう言って涙を流す裕人は、その涙の理由を僕に教えてくれた。
「・・・父さんが、倒れたんだ。・・・今朝。」
裕人が言った。
「・・・お医者さんの話によると、極度の過労とストレスが原因だって。」
裕人は、すごく悲しそうだった。
「・・・実は、ずっとこの魚屋、あいつらのせいで赤字だったんだ。
・・・それに父さんずっと悩んでたんだ。赤字続きで経営が危うくなってからは、夜まで他のところに働きに行ってた。それまでして父さんは、この魚屋を守ろうとしてたんだ。
・・・母さんも他に働きにいってるけど、最近は生活も厳しかった。
それに父さんも責任感じてたみたいでね、最近は腹減ってないっていって、ご飯もあまり食べなかった。・・・栄養失調もあるみたい。・・・昔はあんなに食べたのに・・・。」
段々裕人の顔が辛くなっていっているのが見えた。
すると思い詰めたように裕人はまたぼろぼろと涙を流して、膝をかかえて縮こまった。
「・・・俺もバイトしたり店番したりしてるけど、雀の涙ほどしかまだ稼げないから、何の役にも立てなくて・・・。
・・・もう、俺、どうしたらいいのかわからないよ・・・。」
縮こまった彼の身体は震えていた。
すすり泣く声が魚屋に響き渡る。
僕もそんな彼を見て、どうして良いのか分からなくて、ただ悲しそうな顔をして彼を見つめていた。
しばらくそのしんみりした沈黙が二人を包み込み、それぞれは思い思いのことを考えていた。
「おっ、今日はあのじじぃいねーじゃねぇかっ。今日はついてるぜっ。」
そんな時だった。
僕の耳に、嫌な声が聞こえた。
僕の心の何処かが、ひやっとする感覚に襲われる。
僕が恐る恐る店の前に出ると、やはりそこには僕が思った奴らがいた。
・・・奴らだ。
・・・いつもののらねこの集団と、きょういちだ。
また、魚を捕りに来たんだ。
そう思うと、何だか恐くなってきた。
いつもは無視出来ていたが、今日はそんな事出来なくて身体が小刻みに震える。
しかし、それでも僕は決意を決めていた。
確かに、僕はひ弱で力がなくて、なんの役にも立てないかもしれない。
・・・けど、
・・・・・・だけどっ、
僕は裕人のっ、裕人の力になりたいんだっ!!
僕は決心して拳を握ると、奴らの前に立ちふさがった。
「・・・あ゛ぁ!?なんだよひ弱っ!?そこどけよっ、じゃまだっ!」
奴らの足が止まった。
「はぁ!?何ひ弱!?・・・もしかしてっ、やるつもりかっ?俺らとっ!にゃはははっ!」
奴らは僕の事を睨んで、嘲笑いながら言葉を吐く。
僕はまた心の何処かがひやっとする感覚に襲われる。
体は震え、手足ががくがくと揺れる。
しかし、僕はそんな体を地面に押しつけるように懸命に踏ん張り、毛を逆立て爪を尖らせると、奴らを威嚇し始めた。
その瞬間、奴らが驚いたのが見えた。
「・・・っなにっ?俺らと本気でやろうってんの?」
予想外の展開に、奴らは少し動揺を見せる。
しかし、何て言われようと僕の決心は変わらなかった。
「・・・・・・どかないっ。
・・・ここはっ、
・・・魚屋はっ、裕人はっ、
・・・・・・っ僕が守るんだっ!!」
そして僕は、集団の中へと飛びかかっていった。
「・・・フンッ、面白そうじゃねぇかっ!やってやろうじゃねぇのっっ!!」
奴らも、僕に襲いかかってくる。
守ろうとするものと、壊そうとするもの。
その二つの決心が、今ここで始まった。
・・・・・・裕人はっ、僕が守るんだっ!!
僕はみさかい無く噛み付き、ところかまわず引っ掻きまわした。
喧嘩なんてした事無かったから、僕は喧嘩のやり方を知らなかった。
ただ、一心不乱に止まることを知らず暴れ続ける。
しかし、どんなに暴れたって一対複数では分が悪かった。
僕の体はしだいに赤く染まっていき、傷だらけになっていった。
でも、僕は止めなかった。
だんだん体の自由が奪われていく。
動きが鈍くなり、もう僕の攻撃は奴らにはあまり当たらなくなっていった。
その代わり、奴らの攻撃だけは段々とたくさん当たるようになってくる。
しかし、それでも僕は止めなかった。
死んでも戦うつもりだった。
立っているのもやっとのような状態だが、それでも出来る限りの力で奴らと戦う。
・・・ちくしょうっ、ちくしょうっ、ちくしょうっ!
様々な思いの憎悪を胸にためて、僕は奴らに襲いかかる。
・・・っちくしょうっっ!!
僕は渾身の一撃を奴らにぶつける。
しかし、それは虚しく、弱弱しく宙を切り、僕は地面へと倒れていった。
僕はまた立ち上がろうと手足を踏ん張る。と、
・・・・・・っ!!
体中に強い電撃のようなものが走った。
体中が悲鳴を上げる。
僕は、もうとてもじゃないが立てる状態では無かった。
しかし、それでも僕は立ち上がろうと試みる。
しかし、その行為はのらねこ達によって遮られた。
・・・・・・っ!!
のらねこの一匹が僕の頭を手で押さえつける。
どんなに足掻いても、もう起きあがれなかった。
「・・・はぁっ、もう終わりか。つまんねぇのっ。やっぱり所詮お前はひ弱だったなっ。」
そういうと、一匹は爪を尖らせて僕ののどにそれを突きつける。
「・・・じゃあひ弱っ、永遠の眠りへさようならっ!くそつまんねぇー喧嘩をありがとなっ!!」
そう歪んだ笑顔を浮かばせると、そののらねこは僕ののど目がけてそれを振り下ろした。
「・・・止めろっ。」
その時、一つの声がその場に響いた。
がらがらに掠れた、低く野太い地を這うような声だった。
その声が響いたとき、僕へと伸びたのらねこの手がすんでで止まった。
のらねこ達はその声がした方を振り返る。
すると、そこに立っていたのは細い片眼を光らせる一匹の大きなねこだった。
・・・・・・きょういちだっ。
僕はその声で気づいた。
喧嘩に参加していなかったきょういちが、その声でのらねこ達の手を止めたのだ。
「・・・っへぇっ?・・・きょういちさんっ、何言ってんすかっ?」
のらねこ達はそのきょういちの言葉に耳を疑うように苦笑いを浮かべる。
しかしきょういちはまるで噛み付くかかのような口調でのらねこたちに言葉を吐いた。
「・・・っいいから止めろっつってんだっ!もう十分だろっ!?」
その声にのらねこたちはびくっと震えた。
「・・・でっ、でもきょういちさんっ、だってもとはと言えば此奴が・・・・・・。」
しかし、一人ののらねこがびくつきながらも納得がいかなそうに口を挟む。
すると、そのねこに向かってきょういちがよりいっそう鋭い目で睨み付けた。
「・・・っんあ゛っ?お前は俺のいうことを聞けねぇっつうのかっ?」
のらねこたちが再びびくっと震える。
その言葉に、のらねこ達は必死に首を振った。
「・・・んならお前らっ、今日の所は引き上げんぞっ!公園に一旦戻る。早く散りやがれっ。」
「っはいっ!」
きょういちがそう言うと、のらねこたちは一目散に逃げていった。
「・・・どう・・・して、こん・・・なことっ?」
僕は、きょういちが去ってしまう前に一言聞いた。
すると、それを聞いたきょういちは一度立ち止まった。
「・・・俺が落としちまったせっかくの魚が無駄になったら、俺は腹立たしいからなっ。」
そしてそう一言漏らす。
「・・・俺が見込んだ奴だっ。そう簡単にくたばっちまったら困る。」
そう言い残すと、きょういちは去っていこうとした。
しかし、きょういちはまだ思い残すことがあるらしく、もう一度立ち止まる。
「・・・実はな、俺は昔っからお前のことを知ってた。ずっと見てきた。」
そう言ったきょういちの声はなんだか優しく聞こえた。
そして、その後何かを思い出すように言葉を続ける。
「・・・いやなっ、実は昔、俺には好きな奴がいたんだ。
真っ白でとてつもなくきれいな奴だった。
だが、そいつは飼いねこだった。
しかしある夜、俺はいてもたってもいられなくなっちまって、そいつの家に忍び込んで行った。
案の定、その日はたまたま奴が外で寝てた。
・・・あの時の俺は馬鹿だったよ。
奴はとても嫌がって泣いてたのに、そんなこと気にもしなかった。
それから何日か日がたったとき、俺はそいつにガキが出来たことを聞いた。
まさかとは思ったが、その情報を聞いていくうちに知ったよ。
そいつは紛れもなく、俺の子だった。
俺は奴にした事に後悔した。
しかし、時は遅かった。
それからまた何日か経って、奴がガキを生んだことを知った。
俺は気になって、こっそり塀の上から覗いた。
すると、そこには小さなねこが何匹か増えていた。
中には俺と同じ模様の奴もいたし、真っ白い奴もいた。
またそれから何日かすると、奴が生んだガキが一匹、捨てられた事を知った。
どうやら、生まれたはいいが育て切れないので、近所などに何匹か引き取って貰っていたが、どうしても一匹は残ってしまったらしい。
俺は、申し訳無く思った。
その思いから、一度その奴のガキが捨てられている段ボールの前にいったが、のらねこの俺には、そいつに何も出来ない事を思って、通りすぎた。
それから何日も経った頃、今度はそいつがこの世界で生きている事を知ったよ。
・・・俺とは真逆の、『ひ弱』の名前を背負った奴を。」
そう言うと、きょういちはまた歩き出した。
僕は、そのきょういちの話しに目を丸くする。
歩き出したきょういちは、僕を振り返ることなく前を見ながら言葉を残した。
「昔はお前に申し訳無く思ってたが、今のお前にはそんなこと微塵も思っちゃいねぇ。
・・・・・・守ると決めたもんは、最後まで守り通せっ!
お前になら絶対出来るさっ。
なんてったってお前はここらいったいに恐れられるきょういちさまの―――――。」
最後の方の言葉は、きょういちが小さく呟いたため聞こえなかった。
しかし、僕は驚きと共に笑顔を浮かべる。
そして、僕も小さく、
「うんっ。」
そう返事をした。
きょういちに聞こえていたら、「返事は『はいっ』だっ!」と怒られそうだ。
危ういところだった。
そして僕は思う。
・・・・・・もしかしたら、僕はずっとひとりぼっちのことなんてなかったのかもしれない。
そう、推定の意に、断定の意を込めながら。
「・・・・・・ねぇ・・・、だいじょうぶ・・・、ねぇ・・・。
・・・・・・ねえっ!・・・大丈夫っ!?おいっ!」
裕人の声が聞こえる。
僕がその声で目を覚ましゆっくり目を開けると、そこには裕人の顔があった。
心配そうな裕人の顔が目の前にある。
気づくと僕は、裕人の膝の上で眠っていた。
「・・・・・・僕は・・・。」
「・・・っあっ!良かったっ!目を覚ましたっ!」
目を覚ました僕に気づくと、裕人が安堵の表情になったのが見えた。
・・・どうやら、僕は気絶してしまったらしい。
ズキズキと痛む体を見ると、全身包帯だらけだった。
「・・・まったくっ、心配したんだぞっ!」
裕人はそう本当に心配そうな顔をして言う。
そしてその後、裕人が目にしたものを語り始めた。
「ねこの鳴き声に気づいて店の前を見てみたら、きみがあいつらにやられてるんだもんっ。
驚いたよっ、まったく。どうなる事かと思ったっ。無茶すんなよっ!」
そう言って、彼は明るく笑う。
しかし、その後そんな裕人の目から涙が流れてきた。
「・・・・・・っありがとうっ、守ってくれてっ。魚屋を、守ってくれてありがとうっ。」
そういう裕人の目から流れる涙は、僕の上に落ちて傷口にしみる。
ひりひりと痛んだが、なんだかその痛みは心地良かった。
「安いよ安いよーーっ!新鮮なお魚を、あなたの食卓にどうですかーーっ?」
彼の明るい声が周囲一体に響く。
今日も空には気持ちよさそうに雲が浮かび、気ままに散歩を楽しんでいた。
あれからというもの、僕は毎日裕人と一緒に魚屋の店番をしていた。
もっとも、僕は何もすることが出来ないのだが、そんな僕でも裕人は一緒にいるだけで喜んでくれた。
おじさんの体調は、日に日に良くなっているそうだ。
毎日裕人が嬉しそうに話す。
もうすぐ退院出来るらしい。
本当に良かったと思う。
おじさんといっしょに店番しても怒られないだろうか。
そう不安を胸に過ぎらせながらも、僕はおじさんが退院したら一緒に店番したいなと楽しみに思っている。
裕人の頑張りと、・・・僕の頑張りで、魚屋の経営も大夫安定し右肩上がりになってきた。
きっとこれで、みんなの笑顔が戻ってくるだろう。
あれから、奴らがこの魚屋に来る事はなかった。
いろんなところで噂は聞くが、相変わらずの様子らしい。
しかし、奴らに公園で会っても、最近は冷やかしてこないのが少し慣れなくて不思議に感じる。
でも、それはとても嬉しかった。
ときどき、冷たい風が僕の心に吹くこともあるが、僕はもう大丈夫だ。
心の氷もすっかりきれいに溶けてしまった。
・・・僕にもやっと・・・・・・。
そう思いたいところだが、まだ気を抜くのは早い。
季節はもう桜が散り、緑が青々しだす頃になってきたが、僕の春はきっとまだまだこれからだ。
そしてきっと、いつか夏がやってくる。
そう期待に胸を膨らませ、僕は裕人との店番のほうに意識を向かせた。
――――彼の暖かな春が、すぐ近くの角で頬を赤らめながら彼を見つめている何てことは、少しも知らずに。




