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無口な大騒ぎ  作者: 東東
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 星が夜空から墜ちるのは、塩分過多に伴う重量オーバーの所為だった。本来なら夜空に静かに浮かび、人々を沈黙で持って見下ろすはずの星が、何らかの強い感情を抱きすぎてしまい、それが塩分という形で蓄積され、やがて空に浮かびきれない程の重さとなって墜ちてくる。しかも墜ちてくるほど強い感情というのは例外なく鬱憤という形で溜まっていて、溜まりに溜まったその鬱憤で墜ちた星はほぼ例外なく、皆、煩い、という訳。

 まぁ、その溜まってしまう感情の主な原因が、夜空を見上げる人間達の無責任な言動に対するストレスなのだから、同じ人間として、あまり文句も言えないかもしれない。ただ、それでもあと少しぐらい我慢出来ないのかよ! とつい思ってしまうのは、星履歴を確認した際、落下回数が二桁を越えている事実を見つけてしまった時だったりする。それも十何回とかならともかく、三十何回とか四十何回とか、五十回を突破しましたとかだと、真面目にイラッとする。

 浮かんでるのが本職のくせに、こんな簡単に墜ちてくんなっ、この、不良品! とか。

 ・・・いけない、いけない。ついうっかり暴言が零れそうになってしまう。

 危うく口から零れそうになった暴言を飲み込みつつ、柄杓で桶に掬った青黒い星の喚き声と、自分の足音を聞きながら歩く事、十数分。見えてきた湶の深い群青色の輝きと、その輝きを囲う深緑の木々の雄大さに、零れなかった暴言の代わりに安堵の吐息が零れた。聞こえてくる暴言は次第に音量を増していくけれど、とりあえず湶まで辿り着ければ、そしてあの湶の中に突っ込んでしまえば、最初の作業は完了だからだ。

 尤も、湶に突っ込んだ後に更に続くだろう暴言を聞くという作業が、今度は発生するわけだが。


『湶』が一体何時から存在するのかは、何処にも記述がなく、誰も知らないらしい。


 人が生まれる遙か以前から夜空に浮かぶ星々ですら始まりを知らないあの湶は、けれどその効力だけはいつの間にか、星々にも、人々にも知られるようになった。星を沈め、その水に晒す事によって星から重みを洗い流し、星を再び夜空へ還してくれる湶。どこかの偉い学者が水を持ち帰り、何度も解析したけれど、その効力は解明されなかったとか、同じような立地条件の場所にあの湶の水を注いだけれど、同じ効力は発しなかったとか、水が流れ込んでいるわけでもないのに、雨が何日も降らない日々が続いても水位が減らないとか、解明されない謎ばかりが堆積されていく湶。

『湶』と呼ぶばかりで誰もが名をつけないのは、その神秘的すぎる現実に畏怖と敬意を抱いているからかもしれない。


 ──地に墜ちたモノを、再び夜空に還す、そんな力を持つ湶に。


「早かったね」

「墜ちた場所が近かったので」

 あまりに神秘的過ぎる為、いつの間にか星拾い以外は不可侵という暗黙のルールが出来てしまった湶には、その生まれてしまったルール通り、お師匠様以外、人間は誰もいなかった。

 大きな木の根に腰を下ろしていたお師匠様は、桶を片手に近づく僕に静かに笑いかける。小柄なお師匠様が軽く腰を曲げて大きな木の根に腰を下ろし、穏やかな笑みで迎えてくれる姿は、いつだって荒みそうになる気持ちを宥めて和らげてくれる。まるで孫の頭を撫でるかのような雰囲気に、仕事を教えてもらっているという立場すらうっかり忘れそうになるのは、仕方がない事だと思う。

「じゃあ、沈めますね」

「そうだね、お願いするよ」

 目を細めて僕の行動を見守るお師匠様の様子に、孫気分はいっそう高まる。本当の祖父なんて物心つく前に亡くなっていて、孫気分なんて味わった覚えは一度としてないのに、今現在のこの気恥ずかしいほどの孫気分は、一体どうしたものか? 嫌なわけではないけど、むしろ結構嬉しいけど、これは仕事なんだという義務感と、その仕事がいまだに自信が持てない星拾いである事実と、振り払えない気恥ずかしさが混ざりに混ざり合って、毎晩、一度は叫び出したくなる。しかも顔を覆って、身悶えして。

 沸き上がってくるその衝動を何とか抑えて、小さく深呼吸。物凄く優しく見守ってくる視線を意識しながら、ようやく慣れてきた手順を辿る。湶の淵に両膝をついて、水面を覗き込む。あまりに深い青なので、じっと目を凝らさないとその深みを見ることは出来ないけれど、逆に、風ひとつない水面は僅かの波すらなく、深すぎる青は不純物を一切受け入れないと誓いを立てているかのように透き通っているので、目を凝らせば何処までも見通せた。その、底までも。

 深くはない。僕が立っても、腰より少し低いくらいの水深しかない湶の底をじっと見つめて、近くに何もない事を確認する。それからそっと周りを確認すれば、少しだけ離れた位置に沈んでいる星が見えた。一昨日沈めた星。他の星が近くにあれば、沈めた際にぶつかってしまう可能性がある。そうなれば、痛いだの乱暴だの、馬鹿だの阿呆だの罵詈雑言が飛び出すのは目に見えているので、凝らす目は真剣で。

 痛むほど見つめる先には、何度眺め回しても一昨日沈めた星より近くに沈んでいる星は何もない。断言出来るぐらいじっくり見渡した後、足下に柄杓を置き、両手で桶を持ってそっと湶に浸していく。静かに、静かに、ほんの僅かの振動も生まれないように両手に全神経を集めて桶を湶に浸していって・・・、やがて銀の桶の縁から耐えかねたように水が入り始める。水の圧力の分、腕に重みを感じ始めるけれど、なんとか耐えながら尚も静かに浸していくと、桶は水で満たされていき、その水の中に、桶の底に転がっていたはずの星が浮かんで、いつの間にか生まれた静かな流れに沿うように桶の中を何周か回り、何回目かの回転の後、既に肘の辺りまで沈めていた桶から転がり出る。

 ふうわりと、銀の淵から浮かぶように転がり、静かに、静かに沈む星。

 それほど深くはない底。それなのに水の青さが果てしない深みを予感させる湶の底に沈んでいく、青黒い星。自身の重みによって沈んでいく時だけは、何故かどの星も酷く静かだ。まるで自分の重みに感じ入っているかのような厚みのあるその沈黙が、僕は意外と好きだった。背筋を思わず伸ばすようなその沈黙を感じる時だけは、この星拾いという仕事を立派な仕事だと感じられるから。


『痛ってぇな! もう少し丁寧に沈めろよっ、この下手くそ!』


 ・・・ただ残念な事に、それは浅めの底に辿り着いた星が沈黙を突き破るまでの、本当に些細な幸福の時ではあった。夢より早い、つかの間の幸せ。

 湶の底に着いた途端に暴言の暴徒と化した星は、絶対大して痛くないくせに、必ずと言っていいほど、どの星も罵倒の嵐を巻き起こす。そしてそのお決まりの暴言を好きなだけ言い終えると、いよいよ本番に入るのだ。もう何度も経験した、お決まりの流れ。だからこそまだ僕に対する暴言を気持ち良く喚いている星を余所に、そっと後ろを振り返る。

 僕の星沈めを見ていたお師匠様は、振り返った僕に向かって、にっこりと微笑んで一つ、頷いてくれた。なかなか上手になったね、という合図。星をただ湶に沈めるだけではあるけど、振動一つ立てないように重みのある湶の中で星を沈める作業は、意外なほど難しい。当然、お師匠様はそれを分かっているから、笑顔で頷いてくれるのだ。たとえどれだけ静かに沈めてもクレーマーと化す、星達の暴言が響き渡っている最中でも。

「蜜夜、私は回ってくるから、ここは頼めるかな?」

「・・・はい、大丈夫です」

「うん、頼んだよ」

 そうして笑顔で立ち上がったお師匠様は、ここ数日前から告げられるようになった台詞を今日も穏やかに告げて、ゆっくりと歩き出す。湶の淵にそって、右回りに静かに、静かに。足を一歩進めては止まり、止まっては進むという緩やかな歩みは、湶に沈められている他の星々の様子を確認しているから。じっと水面に注がれる眼差しはプロのもので、そのプロの眼差しを持つ人に一つの場所を任されるようになったという事実は誇らしいのだが・・・、同時に、いまだに星の、特に沈めたばかりのフルパワーで暴言を吐くような星の罵詈雑言を聞き流すだけの技量がない僕には、大分辛いものもあって。

「はぁ・・・、」

 溜息が零れる。それも止める事が不可能なほど、はっきりとした、重い、暗い溜息。我ながら哀れみを誘うようなその溜息に、しかし優しい心なんて忘れ果てている星は、当然、僕に優しさを持って接してくれるはずもなく。


『辛気くさい溜息なんかついてんじゃねーよ! このっ、バーカ! 溜息つけば頭良く見えるとでも思ってるのかよ!』


 バーカ! バーカ! バーカ! ・・・と、静かなはずの湶を波立たせるほど繰り返される連打的『バーカ!』を、穏やかな笑みと心で受け止める、もしくは受け流すほどの技量がない我が身が、本当に口惜しい。今は片手で持っている桶が、ことりかたりと震えるほど、腹立たしい。勿論、いくら腹立たしくても怒鳴り返すことは出来ないけど。

 深呼吸を、数回。それから目を瞑って、数秒の暗闇。暗闇の向こうからは、まだ僕を罵倒する声が聞こえてくるけれど、お師匠様の姿と声を必死で呼び起こして、我慢、我慢。どうにか自分を抑えつけて目を開くと、ゆっくりと立ち上がり、踵を返す。すぐ傍の、星拾いの小屋に向かう為に。小屋の中から、星履歴と筆記用具を取ってくる為に。

 背後から、阿呆、という単語が混じり始めた暴言に追い立てられながら。


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