おまえは誰だ
俺はスコルの手から『変異』を受け取った。
念のため直接は触れず、闇をクッションにしてすくい取る。
俺はその黒いスライム質に闇を加えた。
混ぜ合わせて撹拌し、大きなヴェールへと変える。
俺はアンさんに『変異』を使って。
彼女を俺達の知るアンさんへと戻す。
「……ありがとうございます、リヒトさん」
アンさん本人が言葉を口にした。
少し肌が青白く、瞳の色は赤に変わってしまっている。
だけど闇の気配はない。
彼女は今、正真正銘の人間だ。
「────私からも感謝を述べよう」
その時、俺のすぐ背後から声。
俺に覆い被さる影と気配を感じて、俺はそこを飛び退いた。
振り向いた先には、黒いスライム質から姿を現す人影。
その金色の瞳を見て頭に血が上る。
「ロキ!」
俺はクレイモアを振りかぶった。
「フランをどこへやった!」
俺はロキへと肉薄する。
剣の闇が足りない。
なら『黒き十字を抱きて眠れ』で。
だけどその『ロキ』の姿を見て足が止まった。
「そう警戒しないで欲しい。私はただ感謝を述べたかっただけです」
金色の瞳で俺を見下ろす、老人が言った。
年老いたというよりその顔は全くの別人。
唯一金色の瞳だけが俺の知るロキとの共通点だ。
「アングルボザを人の身に戻してくれて良かった。彼女は魔物であることを望まない」
「何を言ってる。アンさんを魔物に変えたのはお前だろ」
「その通りです」
その老人の姿をしたロキは俺を。
次いでアンさんを見る。
「ロキ……?」
アンさんが呟いた。
「ええ、私もロキです。もっとも能力のほぼ全ては当代のロキに奪われ、このロキはいつ消滅するかも分からないが」
当代?
何の話だ。
俺はちらりとアンさんを見た。
「ロキはすでに死んでいます。魂もろとも滅びて」
「じゃあ、あのロキや目の前のこいつは?」
「ヘルの権能は死者の情報保存でした。時間と共に形を失う魂の在り方を維持する魂の管理者。今いるロキはヘルの権能によって引き出された彼の情報を他者に複写した存在です。ですが複写を繰り返すうちに情報は刷りきれて磨耗し、劣化していきました」
「ついにはその肉体に宿る元々の人格に飲み込まれてしまうほどにね。あの混乱をもたらすロキは魔物の将ロキではない。魔物ロキの力を取り込んだ人間なのです。私に成り代わり、私の知識と権能で混沌を招こうとしている」
「……あのロキの居場所は」
「聖堂都市に。その最下層に向かっている」
聖堂都市の最下層。
つまり。
「邪神のもとに」
ロキがこくりとうなずいた。
「キングサクリファイスとその契約者を贄に封印を解くつもりでしょう。そしてその力を自分のものにしようとしてい────あまり余計なことを喋るなよ。まだ時間がかかる。今は邪魔が入ってほしくないんだ」
突然ロキの声が変わった。
見ると老人のロキの顔半分が、俺の知るあの長髪のロキのものへと変わっていて。
「今はボクこそがロキだ。お前は消えろよ」
ロキがそう言うと、黒いスライム質から身を乗り出していた老人のロキの身体が溶けて消えていく。
「やはり見つかってしまいましたか。……リヒト」
ロキは俺に手を向けた。
すると胸の中を蠢く感触。
俺はそれを吐き出した。
どろどろとこぼれ落ちたのはロキの『変異』。
でも一体いつ俺の中に。
「私が消える前に取り除いておきたかった」
消えていくロキが言った。
「いつ俺にこれを」
「始めからですよ。君という存在を生んだと同時に仕込んでいた」
「どういう意味だ」
「────」
俺に答えようとするロキ。
だけどその身体は黒いスライム質に変わって消えてしまった。
あの俺の知るロキの気配もない。
謎だけが残される。
まさか俺も元はアンさんのように魔物だったとでも?
唯一闇の属性を操る人間、それが俺だったはずなのに。
「…………」
俺はふと思い出した。
東の街の情報屋が言っていた。
俺の情報を売ってもいいと。
あの男は俺の正体に繋がる何かを知っているんだ。
きっと聖堂都市でのロキとの戦いが最後の決線になる。
そして俺はその前に自分が何者か知っておくべきだ。
「…………いや、違う」
俺は頭を振った。
知っておくべきとか、そういう話じゃない。
ただ怖いんだ。
自分が何者か分からないのが。
「大丈夫。リヒトさんはリヒトさんですよ」
アンさんが俺の手を握った。
ぶんぶんと力いっぱい上下に俺の手を振る。
「そうよ、あんたはあんた。別に人間でも魔物でもあたし達には関係ないわ」
「ふふふ。あたし達、か」
ハティの言葉を聞いてスコルがわらった。
「なによ」
「ううん、なんでも。ただハティちゃんは変態さんのことずいぶん好きだなぁと思って」
「はぁ? んなわけないでしょ」
「またまた。わたしには分かるよ。ハティちゃんのことは全部分かるの」
顔を真っ赤にして否定するハティと、その様子を見てくすくすとわらうスコル。
そしてスコルは思い出したように懐に手を。
そこにはハティの服が押し込まれていた。
「はい、ハティちゃん」
「ちょっと、持ってきてたなら早く渡しなさいよ」
奪い取るように服を受け取り、ハティが素早く着替える。
「ありがとう」
俺はみんなに心の底から告げると、空の彼方に向かって言う。
「来い!」
俺の声に応え、ロードナイトが乗っていたブラックドラゴンを呼び寄せた。
その背に跨がるとアンさんに手を伸ばす。
「まずはアンさんもここを1度離れよう。ハティも一緒に。スコルはここで待っていてくれ」
「う、ううん。わ、わわわ、わたしも……行く!」
スコルが言った。
えい、とブラックドラゴンの背に跳び乗る。
「わ、わたしのせいでお姉ちゃんが拐われちゃったから……だから」
泣きそうな顔で俺の服の裾を掴む。
どうやらこの手は離してくれそうにない。
「分かった。一緒に行こう」
俺はスコルに答えた。
アンさんをドラゴンの背に引き上げ、さらにハティも跳び乗る。
俺はブラックドラゴンを駆り、空へと飛んだ。
再びあの聖堂都市に戻る。
でもその前にやっぱり。
俺は東の街へと立ち寄った。
アンさんは自分の魔物としての姿と能力を快く思ってない。
俺はアンさんを戦いに巻き込まないために東の街に残していくことにした。
そして俺1人で情報屋のもとへ向かう。
「来たね、リぃヒトちゃん」
「俺の情報を売ってくれ。いくらだ」
俺は情報屋を前にしてすかさず言った。
「金貨1枚だにぃ」
「ずいぶん安いんだな」
「この情報もリぃヒトちゃんにしか意味がないからに」
俺の渡した金貨を受け取り、情報屋は硬貨を確認すると俺に向き直る。
「リぃヒトちゃんの両親は元冒険者だに。そして母親は魔物から受けた傷が原因で子供を授かれない身体だった。あの両親はリぃヒトちゃんの血の通った肉親ではなかったに。リぃヒトちゃんはどこで生まれたか分からない。国境沿いの場所で深傷を負った老人から託された赤子。金色の瞳の老人が唯一の手がかりにぃ」
「そうか」
俺は情報屋をあとにした。
俺は2人の子供じゃなかった。
それでも2人が俺に注いでくれた愛情は本物だったと断言できる。
でも。
俺は通りの窓に映る自分の顔を見て訊ねる。
「自分は誰だ。誰なんだ────」




