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日日是好日
過ぎ去ってゆくどんな一日も、二度とは戻らぬかけがえのない好き時間。
あなたにも、わたしにも、誰にとっても。
会場は満開の花々に満ち溢れ、若者たちの門出を祝うべくハレの日を彩っていた。
「会場は美しいのに、お料理の彩りは最悪ですわね」
「ほんとう、夏野菜がおいしい時期なのに、ピンチョスもカナッペもカプレーゼもカップサラダもないなんて、どういうこと?」
バッフェステーションの周りに集う令嬢たちは扇で口元を隠し、肉々しく茶色い皿の並びに柳眉をひそめている。
わたくしは鶏の手羽チューリップとハニーマスタードのディップカップを取り分け皿にのせ、婚約者の隣に戻った。
「注目!皆に見届けてもらいたき儀がある。我らにしばし時間をくれまいか!」
卒業パーティーの宴も酣、カファール第二王子の声がホールに響き渡る。
「ローザ様!ローザ・グラナータ公爵令嬢様!切に、切にお願いいたします。壇上まで足をお運びくださいませ!」
王子の横に並んで立つファレナ・ブルーコ男爵令嬢が胸の前で祈りの形に指を組み、悲壮感漂う声でお呼び出しのアナウンス。
どうやら、何事か始まるようね。
わたくしは左手の皿を差し出し、婚約者に手羽チューリップを勧めつつ、空いた右手を彼の左肘にそっと添えて舞台を眺めた。
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わたくしが前世を思い出したのは、今より一週間前。家族で囲んだ昼餐の食卓に料理長がかぐわしい一品を置いた時だった。
「こちら、近ごろ隣国パタータにて流行りの『カリャイ』にございます。旦那様のご要望により本場の料理人監修の元にお作りいたしましたが、彼の者の話ですと、わが国では未だ馴染のない香辛料を使用しているため、体質に合わぬ場合もあるとのこと。まずは少量のお味見で。問題なければ今後のメニューに加えさせていただきます」
カレーである。小さなココットの中には、ホクホクのじゃがいも、サイコロ状の牛肉、つやつやと光る橙色の人参が混在する、あのとろみのある黄土色の液体。わたくしは既にこの食べ物を知っている。
「おお、これが噂のカリャイか。一度食してみたかったのだ……うん、美味いな」
お父様は上機嫌で平らげ、料理長の制止も聞かずに5度おかわりをした。
「見た目がちょっと……」
つぶやきながらスプーンにすくったひと匙を口に運んだお母様は「ん、美味ですわ!」と称賛し、パンでココットに残ったカレーをきれいに拭って完食した。
そう、パンだ。隣国の転生者(推定)は、まだ米を獲得できていないらしく、カレーライスではない。前世を思い出したばかりのわたくしは、白米が食べたいなあ……としみじみ思った。
この世界にどれ程いるのかは知らないが、日本からの転生者たちよ、米を普及させよ!わたくしは頑張らないけれど、よろしく。
ともあれ、玉ねぎの甘みと、りんごとはちみつがとろ~り溶けたこの味。日本の、家庭の、なつかしのおかんカレーである。
ノスタルジーに浸りつつ、これがこの先ずっとわが家の献立に加わり味わえるのだと、牛肉に絡んだスパイスの旨味と同時に喜びを噛みしめた。
しかし、そうはならなかった。
腹を下したのだ。お父様(おかわりの分、重症)とお母様だけでなく、前世でカレーを食べ慣れていた筈のわたくしも。
魂は同じでも、容器である身体は別人であり、わたくしは紛れもなく今世を生きている侯爵令嬢マレーネ・トランなのだな……と妙に納得した。
残念だが、どうせ二度と食卓に上がらないであろうカレーの話は最早どうでもいい。忘れよう。
夕餉は部屋に運んでもらった大棗の漢方スープだけで済ませて、わたくしは早々にベッドへ潜り込んだ。
転生といえば乙女ゲームの世界?となるのがお約束らしいが、生憎、前世のわたくしは乙女ゲームを嗜んだことがない。
悪役令嬢が断罪を回避したり、死に戻って復讐したり、他国の皇帝に溺愛されたりするウェブ小説は数多読んだものの、思い当たる物語はない。
入学したのが9月で卒業式を迎える今が6月という欧米の学期制度も日本の物語には馴染まないし……まあ、たとえここが乙女ゲームの世界だとしても、わたくし自身は金髪縦ロールでも王子の婚約者でもないので、心配せずともモブだと思う。
今世のわたくしは、芥子色の髪に山葵色の瞳というアニメ画には適さないくすみカラーのおっとり系。一応、淑女の鑑と主に年配層から評価の高いすみっこ好きの控え目な娘である。
モブなのに愛されちゃう展開のウェブ小説も読んだことがあるが、そういうのは全く求めていない。前世の知識で起業しようという野心も湧いてこない。
わたくし、疲れるからなるべく動きたくないし省エネのため口数も少ない生来のナマケモノなので、実生活で有り余るロマンス体験などNOサンキュー。キュンでギュンなトキメキ?なんそれ、しんどい。本で読ませて。
真実の愛だの泥沼不倫だのとは関わらず、平穏無事に毎日を過ごしたいものだ。
ただ、通っている学院に物語の定番っぽい第二王子とその婚約者の金髪公爵令嬢と王子と行動を共にしている桃髪男爵令嬢が存在しているのが大変気になる。
最大の懸念事項は、わたくしの婚約者であるヴァレ公爵家次男のジュール様が、第二王子の婚約者のグラナータ公爵令嬢と又従兄妹同士の幼馴染関係であることだ。
同い年のジュール様は、わがトラン侯爵家に婿入り予定。挙式は2年後だが、1週間後に学院を卒業したら二人でお父様に付いて仕事を学ぶため、うちで一緒に暮らすことになる。まあ、結婚するまで彼の部屋は渡り廊下の向こうの棟に設えた客室なので、ワンルームでうれしはずかしという前世の同棲イメージとは違い、宿泊ホテルが同じ(しかも別館)程度の感覚だけれど。
うちのお父様の強い希望が叶ってジュール様とわたくしの婚約が調ったのは3年前だ。漆黒の髪にトパーズの瞳の彼は乙女ゲームの攻略対象者と言われても肯ける美丈夫で、年齢の割に落ち着いた大人の色気がある。正直、わたくしの身に余る。彼も口数が少ないタイプなので、婚約した当初はご同類かしらと居心地の良さを感じていたのだが、近ごろは通りすがりにわたくしの頭をポンポンしてきたり、微笑んで小首を傾げ、流し目をくれたりする。なんそれ、どどど、どげんしたと?と、動揺のあまり挙動不審になるわたくし。
学院内で手繋ぎや肩抱き、あろうことか内緒話ついでに耳食みなどしてくるのでさすがに「蹴りますよ」と睨んで逃げる日々。
「えー、冷たいなあ」
この男、笑顔が胡散臭い。癖のある前髪を掻き上げるダルそうな仕草が淫魔に見える。表情が読めず心理がつかめない。いやまあ、この男に限らず、ぼんやりなわたくしには誰の心も解かりゃしませんけれどね……エスパーじゃないのだから。
まあ、わたくしと婚約者の関係は今のところ良好なのだろう。多分おそらくきっと。
さて、件の第二王子と公爵令嬢と男爵令嬢も同学年。第二王子がグラナータ公爵家に婿入りの予定なのだが、卒業式を前に、どうにも雲行きが怪しい。
乙女ゲームといえばアレでしょ!の、婚約破棄劇場が開演されそうな気配がプンプンと漂っていた。
普通に考えて、公爵家に婿入りをする身で婚約破棄してどうするの?という話になるのだが、第二王子としては公爵令嬢が気に入らないというより、婿入りをして王子ではなくなることが嫌なのだろう。というのも、一つ下の第三王子は、王太子の補佐として王子の身分のまま王宮に残ることが決まっているからだ。
兄の第一王子は既に立太子されており、他国から嫁いできた王太子妃との間に王子が一人いる。姉王女二人はそれぞれ異国へ王妃として嫁ぎ済。そして第二、第三王子と、三男二女すべてが同腹であるにも関わらず、カファール第二王子一人だけ臣籍へ下る。
第二王子が悪いわけではない。
この世界では前世同様、魔法使いは架空の存在だ。ただ、王侯貴族には特殊スキル持ちが多い。
スキルというものは本来、訓練・学習・経験を通じて習得する技能であり、努力次第で誰でも向上可能な後天的能力を示す言葉だ。しかし、悲しいかな、同じだけ努力すれば皆が100mを9秒台で走れるようになるわけではないのは自明の理。
第三王子は同性への対人対応能力が架空物語の中で描写されるところの『魅了魔法』並みに高いらしい。なんだかBL臭がするなぁ。
カファール王子の容姿は兄姉弟の中でも一番煌びやかだし、剣術の腕も学業成績もトップクラスを維持してきた。それでも、王家の駒としてお得なのはどちらかと比べてしまえば、いつも眠たげな糸目の、運動嫌いで成績は中の上程度でいいでしょと頑張らない甘えた末っ子でも、交渉術に長けた第三王子を王宮に残そうとなってしまう。
なんかコイツ好きだわー……という、数値化できない『なんか』は努力では埋まらないので。
カファール王子はスキルというよりギフト持ち。前世ならフラッシュ暗算ができるタイプの数学的計算能力があるが、いかんせん、天才ゆえに人間関係の機微は計算できない。切ないね。
さて、そこでファレナ・ブルーコ男爵令嬢の登場である。彼女は花を咲かせるスキルを持っているそうだ。それは前世で言う『緑の指』なんて生易しいレベルではなく、一帯の植物に祈りの波動を与えることによって花芽がみるみる膨らんで蕾になり開花するという……なんそれ、外気功?ほぼ超能力者でしょう。
びっくり人間の花咲か令嬢がいればイベントの宣伝効果は抜群。そんなタレント性のある彼女を聖女に推し上げて娶れば自分の価値も上がり、第三王子に対抗できるのでは?
思惑としては、そんなところだろう。
ファレナ嬢はブルーコ男爵が若いメイドに手をつけて生ませた庶子だ。市井で生活していたが母親が亡くなったので引き取り、学生時代に尊敬していた先輩の後妻にするために令嬢教育を施そうと学院に入れたとか。事情を知れば可哀想な身の上だとは思う。
老齢男爵の先輩ということは、相手は当然親より年上である。貴族令嬢の婚姻にはままあることだし、お相手のヨーム・タクトゥス子爵は社交界に於いて往年のアイドルだったそうで、うちの祖母などは「何が可哀想なの?ヨムタク様の嫁になれるなら、代わって差し上げたいくらいよ」とか言って祖父に嘆かれていたが、いくら50歳オーバーのご婦人方に絶大な人気を誇るイケオ爺でも、18歳の乙女としてはイヤでしょ。そこは分かり合えませんわ、お祖母様。
第二王子にしてみれば、彼女は自分が王宮に残るために起死回生の一手となってくれるかもしれない超能力聖女様。
男爵令嬢にしてみれば、彼は自分を王子妃にして爺さんとの望まぬ結婚から救い出してくれるかもしれない白馬に乗ったヒーロー。
真実の愛?そんなもの、成功すれば後からいくらでもついてくる。
成功すれば……ね。




