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【短編】悪役令嬢になれと言われたので遂行します  作者: 三木悠希


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2/2

2.本当の悪役は誰か

 

 あれから三日経っても、フィッセルからは何の沙汰もない。

 

 婚約破棄の話が城内に広まるのに、時間はかからなかった。廊下を歩けば視線が刺さり、すれ違う侍女たちが声を潜めて何かを囁き合う。エリンはそれを気づかないふりをしながら、いつも通り背筋を伸ばして歩いた。

 国王夫妻から心配の手紙が来たが、詳しい事情は知らないようで困惑している様子が窺えた。王妃は頻繁に茶会に誘ってくださるが、もう部屋の外に出るのも億劫なほど精神は擦り切れていた。

 

 王子妃としての務めも続けた。政務の書類を裁き、行事の日程を調整し、客人への返礼状を書いた。やることがある間は、余計なことを考えずに済んだ。忙しさが逆に救いだった。

 ただ、夜だけが辛かった。皆が休む時間で、趣味もなく、魔法も肩書きに成り下がっている。

 暗い天井を眺めながら、同じことを何度も考えた。

 

 朝、目が覚めた瞬間、夜を経て忘れたと思っていたものが肩に重くのしかかる。

 エリンは寝台に横になりながら意味もなく一点を見つめる。


(どうして今更婚約破棄なんて……)


 うだうだとそう考えていると、ノックもなしにガチャリと扉が開けられた。それと同時に軽快な談笑が聞こえてくる。


「あーあ、私も旅行に行きたかったな~」


 侍女の中でエリンは嫉妬の末にアリシェルへ水を浴びせた悪役になっているらしい。待遇は変わらなかったが、明らかに侍女の人数が減り、あまつさえ今いる侍女のやる気もなく呼び出しても来ないことが多い。

 エリンが部屋にいるにも関わらず、手を動かすより口が動いている侍女たちを叱ることはしなかった。部屋の外の情報を彼女たちから仕入れることができるからだ。

 

「そういえば聞きました? この国最強の聖騎士様が王命で近衛騎士団に赴任されるそうよ」


 いつもなら聞き流す侍女たちの会話に、今回ばかりは耳を澄ました。

 

「あの柔らかな顔立ちのお方ね? フィッセル様とも古いご友人だそうで…………。確か名を、ニュアンデ様と言ったかしら」


 その名前を聞いた途端、全身の毛が逆立ち、心臓が見えない誰かに握られたように身体が動かなくなった。

 

「ああ、確かエリン様の兄だとか。とても溺愛されていたそうよ」

「じゃああんな我儘になるのも無理ないわね」

「あー、会ってみたいわ。ニュアンデ様」

「そうねぇ、私たちがお会いできるような方じゃないと思うわ。次期聖騎士団団長候補とも呼ばれるお方を、教皇庁から引き抜いたんですもの」


 ニュアンデに夢を抱けるのは、彼の本性を知らないからだ。

 彼はとても恐ろしい人間で、実の父親である伯爵でさえ彼の手綱を放した。家族だからと容赦はない。特に、ニュアンデに溺愛されているエリンに対しての執着が酷く、エリンに近づく全てのものを切り払うほどだった。

 そして怒りの矛先は必ずエリンへと向いた。

 

 ゆえにエリンの心身には、見えない傷が刻まれている。


(ああ、そういうこと。私だけ蚊帳の外ってことか)


 そこから救ってくれたのはフィッセルとアリシェルだった。エリンと親しくしていたばかりに、ニュアンデに危害を加えられ、生きている数少ない人でもある。


 エリンは寝台に溶け込みそうだった体を起こす。


「貴女たち、もういいから出て行って」

「えっ、あの、その……」


 侍女たちはいまさら申し訳なさそうに眉を下げ、口ごもる。

 

「別に怒ったり、フィッセルに言いつけたりしないわ。ただ一人になりたいの」

 

 そう言って侍女たちに優しく微笑んだ。

 侍女たちはあたふたしながら部屋を出て行った。あの様子を見るに、殿下から仕事として送られてきた侍女のようだ。大方、様子はどうだとか、ニュアンデのことを仄めかすように言われたんだろう。


 ゆっくりと寝台から立ち上がり、窓の外を眺める。そこには庭園が広がり、あの場所でフィッセルに告げられた言葉がまだ深く胸に刺さっている。


(……可憐で、花畑で幸せそうに笑う姿に一目惚れね)


 一言一句覚えているとは、相当衝撃だったのか、違和感があるから離れないのか。

 フィッセルはアリシェルが花畑で、と言ったが、アリシェルは大の花嫌いなのだ。ニュアンデに花畑で追いかけ回され、自慢の金髪を無残に切り刻まれたあの日以来、アリーは花畑どころか、花瓶の花にさえ近づこうとしない。

 なのに、フィッセルは「花畑で幸せそうに笑う姿」と、はっきりと口にした。

 

 あれは、アリシェルの姿ではあり得ない。

 

 ふと、四年前の記憶が鮮やかに蘇った。

 色とりどりの花が咲く伯爵邸の庭園が夕陽に染められていて、その中で花冠をフィッセルに被せた後だった。


「エリン、俺と婚約しよう。今よりもっと守ってあげられる。……ニュアンデが近づいてきたら婚約を破棄すればいい。それまでに二人でできることを増やしていこう」

 

 あの時、フィッセルはあまりにも真剣な眼差しでそう言った。握られた手はとても熱く、心なしか殿下の顔が夕陽よりも赤かったような気がした。

 ニュアンデが派手なことができないフィッセルと婚約すれば、フィッセルが盾となり二度とひどい仕打ちはされないと思ったから婚約をした。

 

(どうして黙って私を追い出そうとするの。相談できないほど頼りない?)

 

 教会の手に負えなくなったのか、教会内部がフィッセルという王権の象徴の対抗馬として打ち出してきたのかはわからない。ニュアンデとの接点を徹底的に絶ってきたせいだ。

 確実に言えるのは、ニュアンデが近衛騎士として城に来るのなら、フィッセルとの婚約は続けられないということだ。婚約の時にエリンとフィッセルはそう取り決めたから仕方がない。

 

(私たちの婚約にニュアンデが邪魔してくるのは想定していた。意外にも早かったな……今義兄は二十一歳か。フィッセルはその二つ下)

 

 あの婚約はエリンが義兄であるニュアンデから逃げるために取り決めたもの。そのニュアンデが城に来るならエリンはそこにはいられない。

 エリンは自分の両手をじっと見つめた。

 十年間、魔法使いだと冷遇され続けたこの手。四年、普通の令嬢を演じ、王子妃の務めをこなしてきたこの手。そして、魔法を封じ、素性を隠し、耐えてきた日々。

 どうせ追い出されるのなら、自分の好きに生きたい。


「もう十分耐えたかな」


 そう小さく呟いた。



+ + +

 

 

 太陽が空の頂点に達した頃。

 

「エリン様、こちらの書類にご署名を……」

「フィッセルに渡しておいて。私はもうすぐここを出るから」

 

 侍女が目を丸くするのを横目に、エリンは旅支度を始めた。

 

 大きな荷物は要らない。

 ここを出たら、王子妃でも伯爵令嬢でもなくなる。持っていけるのは身一つと、自分の足で歩ける分だけだ。

 この国では魔法使いは貴族と婚姻を結べない。

 それは最初から知っていた。フィッセルの婚約者になるために、エリンは一度その事実に目を閉じた。でも今となっては、その閉じた目を開く理由ができたとも言える。

 

 伯爵家に帰るという選択肢は最初からなかった。義父にとってエリンは使い勝手のいい駒に過ぎない。王子妃という肩書きを失った今、戻ったところで追い返されるのは目に見えている。

 

 だから一度は行ってみたかった、西にあるカーディリア王国に行くことにした。

 隣国カーディリア。魔法使いの国と呼ばれるその場所で、魔法使いとして生きていく。それだけを考えることにした。


「エリン」

 

 扉の向こうからフィッセルの声がした。

 エリンは床に座ったまま、手を止めずに答える。

 

「どうぞ」

 

 扉が開く気配がして、殿下が入ってきた。

 もてなしもしないで支度を止めない。

 いつもの茜色の瞳が、旅支度の途中の部屋を静かに見渡す。

 

「行くつもりか」

「はい」

「……止めはしない」

「知っています。そう仕向けたのは殿下ですから」

 

 短い沈黙が落ちた。

 フィッセルは何かを言おうとして、でも言葉を選びかねているようだった。その様子がいつもの殿下に似ていて、エリンは少しだけ胸が痛んだ。

 いつもの殿下。そう、これがいつもの殿下だ。迷って、考えて、それでも自分の決断を曲げない人。

 だからこそ、今更何も言えることはないとエリンにはわかっていた。


「ただ一つお聞かせください」

「なんだ」

「花畑で一目ぼれしたのは私ですか?」

「……そうかもな」

「大事な所をはぐらかすんですね」

「君は、強い人だからな」


 フィッセルは壁に凭れてエリンを真っすぐ見つめる。

 床に座ったままフィッセルを見上げると、顔に影が落ち、照れているのか悲しんでいるのか分からない。

 フィッセルに「そうだ」とはっきり答えてほしかったのかもしれない。夕日に燃える花畑の時みたいに、少しだけ顔が赤くなっていたらいいな、なんて期待してしまった。

 

「だから私を悪役に仕立て上げたんですか」

「君が二度とここへ戻ってこないようにだ。アリシェル・アズモンドから、君はそういう人だと聞いたから」

「だったら素直にそう話してくれたらよかったではありませんか、義兄が城に勤めるから出て行けと! なぜ当事者である私だけが知らないで……、なんの配慮ですか!?」

「これが俺のやり方。君と婚約を結んだ時のようにね」


 フィッセルはよく「敵を騙すにはまず味方から」と口にしていた。

 その言葉の意味を、まさか自分が身をもって知ることになるとは思っていなかった。

 

「路銀は用意してある。受け取ってくれ」

「結構です」

「エリン」

「自分で何とかします」

 

 きっぱりとそう言ったら、フィッセルはそれ以上何も言わなかった。しばらく部屋の中に立っていたが、やがて静かに扉を閉めて出ていった。

 その足音が遠ざかっていくのを聞きながら、エリンは旅支度を続けた。なるべく瞬きをしないようにしながら。


 

+ + +

 

 

「何をしているの」

 

 城の裏門に向かう途中、アリシェルが廊下の角から現れた。

 金色の髪をいつも通りきっちりと整えて、侯爵令嬢らしい優雅な立ち姿で、ただその目だけがいつもと違った。

 

「見てわかるでしょう、旅に出るの」

「ひとりで行くつもり?」

「ひとりしかいないもの」

 

 アリシェルはエリンの荷物に視線を落としてから、また顔を見た。

 

「エリン、わたくしは……」

「花が嫌いな人に一目惚れっておかしいわよね」

 

 エリンはアリシェルの言葉を遮った。

 真っすぐ、親友に思ったことをぶつけた。ぼろを出してくれたらいいな、なんて期待を込めながら。

 

「そうね。誰のことかしらね? ま、わたくしじゃないことは、貴女もすぐわかったでしょう? わたくしが花を嫌いになる瞬間を、貴女も傷だらけになりながら止めてくれたんだもの」

「どうして私に黙っていたの」

「言ったら一人だけ逃げるわけにはいかないって言うと思ったから。知ってる? この作戦は殿下から頼まれたのよ。殿下も酷いわよね。ただ、あいつから逃げるのに必死なだけなのにそこまでする?」


 アリシェルもまた、ニュアンデの被害者の一人だ。

 フィッセルと婚約するよりももっと前。二人で遊んでいたのをニュアンデにたまたま見られてしまった。目が合った瞬間、心臓の音が脳に響くほどうるさかったのを覚えている。

 アリシェルが帰宅する頃、花畑から突然姿を現し、アリシェルの頭を踏みつけ髪を数回に分けて剣で切った。何度も、何度も、エリンがアリシェルに覆いかぶさるまで。

 

「……でも、丁度良かったわ! 王太子候補と婚約できるなんて願ったり叶ったりよ」 


 アリシェルは高らかに笑ってそう言い切った。しかしその瞳には、苦しげな光が灯っていた。

 

「親友のためなら、手段を間違えたんじゃない?」

「それなら大成功ってことかしら。庇ってくれた時の貴女の顔、酷いものだったもの」

「いつかまた、どこかで会える日が来たら、その時に話しましょう」

 

 アリシェルは何も言わなかった。ただ唇をきつく結んで、エリンを見つめていた。その目が少し潤んでいるように見えたけれど、エリンはそこから目を逸らした。

 見ていたら、歩けなくなりそうだったから。

 

「じゃあね、アリー。最後まであなたの姿勢が変わらなくて良かったかも」

 

 エリンは前を向いて歩き出した。



 


読んでくださりありがとうございます。

感想やコメントくだされば昇天するほどよろこびます。あと、よければ評価もお願いします。

お付き合いくださり、ありがとうございました。

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