『鮮血の夜』
窓から差し込む光が、訪れた沈黙に美しさを添える。
サタナシアは顔を赤くし、プルプルと震えていた。
「……ほお」
「ふむ」
突然の申し出だったが、王とガルフは予想の範囲内だったようで、合点がいった声を発した。
しかし、名指しされたアレクは口を開いたまま固まり、サタナシア以上に顔を真っ赤に染めていた。
「すまぬ。王子のために、経緯を話してはくれないか?」
ふと隣を見た王は笑いのツボを刺激されたらしく、肩を震わせながら言った。
「ち、父上ぇ!」
アレクが素っ頓狂な声を上げ、空気が和やかにほころんだ。
サタナシアは恥ずかしさで小さくなりながらも、深呼吸をして語り始めた。
「……ご存知の通り、バーサ帝国は我が愚弟により滅ぼされました。残ったのは、わたくしが父と閉じ込められていた小さな島だけ。元々病に伏していた父は、黒く染まった大地を見て……」
サタナシアがさっと顔を伏せる。
「そうか……ご遺体はどうした?」
「父は最期、帝国の地に眠ることを望みました。なので、船を出して海の近くに埋めようとしたのですが……」
話を聞きながら、ナミラだけは結末を予想していた。
「上陸した者は次々に倒れ、父の亡骸ごと全員塵に。そのうち海水に触れていた船も沈みかけ、命からがら孤島へ戻りました。ですが、わたくし以外の者は海水を浴びていて」
「では、生き残りは」
「はい……わたくし一人でございます」
王は小さく「そうか」と呟いた。
皇女が現れたことで、皇族とその身辺の者は救えるかもしれないと考えていた矢先の、暗い現実だった。
「途方に暮れたわたくしは、なにか手立てはないかと屋敷中を探しました。そのとき思い出したんです。古い同盟の折、皇女に危機が迫ったとき空間移動で逃げられるように、セリア王国から贈られたという魔法の鏡のことを」
ずいぶんいい話で伝わったな、とナミラに三人の視線が刺さった。
「セリア王国とは何度も争った歴史を持ちます。しかし」
サタナシアは膝をつき、深く深く頭を垂れた。
「先祖から続く数々の因縁無礼を承知の上で、お願いします。どうかわたくしを、王家に加えてくださいませ。バーサ皇族の血を、セリア王家の一部として後世に繋げさせてください!」
美しき嘆願が周囲に反響し、四人の耳と心を揺らした。
「顔を上げよ。その願い、この獅子王が聞き入れた。だが、そうだな。王子はなにか申したいことはあるか?」
「……ではひとつ。なぜ私なのです? 私はまだ未熟な学生の身ですよ?」
かしこまった口調で、アレクは疑問を投げかける。
「その……覚えていないかもしれませんが、昔貴方から結婚しようと言われまして」
「……は?」
頬を赤らめるサタナシアを尻目に、ルイベンゼン王は息子を怖い顔で睨みつけた。
「もう十年以上前のことですわ。まだ貴方は五つだったけれど、膝をついて薔薇を渡してくださったの。わたくし、とても嬉しくて……あ、あの、でも、嫌ですわよね? そんな昔のことを言われて、六つも年上の女となんて」
「いえいえいえいえ! むしろ光栄です!」
潤んだ瞳に、アレクは心底慌てふためいた。
「で、ですが、先程申した通りまだ学生の身。その……卒業するまで待っていてもらえますか?」
「はい。もちろん」
若い二人の間に、キラキラとした空気が漂った。
隣の王はやれやれと首を振り、ガルフは微笑ましそうに見つめている。
しかし、ナミラはまだ疑念が拭えぬ視線を皇女に向けていた。
「あの、アレキサンダー様?」
「ア、アレクでいいですよ」
「ではアレク。その、先程から気になっているのですけど、そこの少年はいったい」
そんな視線を感じたようには見えないが、サタナシアがナミラヘ興味を示した。
「あぁ、彼はナミラ・タキメノ。英雄シュウ・タキメノの息子で……魔喰との戦いにも参加していました」
「お初にお目にかかります、皇女様」
ナミラがお辞儀をし直すと、サタナシアはおもむろに近づき、悲しげな表情を浮かべた。
「貴方方には、弟が本当に迷惑をかけました。許してとは言いませんが、一人残った姉からの謝罪を受け取ってください」
ナミラが顔を上げると、今度はサタナシアが丁寧に頭を下げた。
「そんな、皇女様が謝罪など必要ありません! どうか、顔を上げてください!」
やっと互いに向き合うと、ナミラは眩い美しさに目を細めた。
「ありがとう。御父上にもお会いしたいのですが」
「父は二日前、南へ発ちました」
表向きの英雄シュウ・タキメノは、南の戦線へ援軍として向かっていた。
シュウは新しい屋敷を堪能できないことをボヤきながら、盛大な見送りを受けていた。
「まぁ! そうなのですか?」
「彼の存在を知らしめれば、向こうから停戦なり話し合いが提示されると思ったのだがな。どうやら、獣人の血の気を少なく見ていたらしい。届いた書状には『面白い! 勝負させろ!』と書いていたよ」
呆れたため息を漏らす王に、ご意見番であるガルフも続く。
「そうですか……では、せめて無事をお祈りしています」
「それは心強い……さて、サタナシア。お前の今後だが」
王の口から、サタナシアの処遇が言い渡された。
彼女がセリア王国に現れたことは、まだ王城の者しか知らない。帝国について近隣諸国が探り合いを続ける中、存在を知られると混乱を招く恐れがある。そこでしばらく、王城の西に建てられた賓客用の尖塔に匿うことになった。
「……ありがとう、今日はいっしょに来てくれて」
謁見の間をあとにしたナミラとアレクは城を回り、バボン王の鏡のような危険があるものを調査した。
おかげでいくつかの前世が蘇ったが、帰る頃にはすっかり日が暮れてしまった。
「べつに、なにもしてないさ。俺だって王に呼ばれただけだし」
「いや、きみがいてくれるだけで安心できた……一応、あれでもね」
馬車に乗り込むナミラを、アレクが一人見送る。
サタナシアはすでに尖塔へ移り、城の中は夜の静けさに満ちていた。
「今日は家に帰るのかい?」
「うん。しばらくは寮と行ったり来たりさ」
本来であれば、ナミラもアニたちのように学院にある寮へ入る予定だった。
しかし、ナミラまでいないのは寂しいとファラが駄々をこねたため、週の半分を屋敷から通うことで落ち着いてもらった。
「ははは、母君によろしく伝えてくれ。今度時間があれば、宝物庫も開けて前世を増やしてみよう」
「お、本当だな? 期待してるぞ?」
笑い合う、友人同士の和やかな時間。
馬車に乗ったナミラは窓から顔を出した。
「じゃあ、また明日学院で」
「おやすみ、友よ。余計な心配だとは思うが、道中気をつけて」
二人は互いが見えなくなるまで手を振り合い、別れた。
夜の帳が下りた王都を、馬車が静かに進む。
その車内で、ナミラは一日を振り返っていた。
その表情は険しく、胸には払いきれないざわめきがあった。
「なんだ……この違和感は」
気になる相手は皇女サタナシア。
しかし、ざわめきの正体を上手く言葉にできない。
「……すべては仕組まれていた? 誰かが裏で糸を引いている?」
思いついた言葉を口にするが、どれも腑に落ちる確証はない。
そのうち馬車が止まったため、一旦考えるのをやめた。御者に礼を言うと、我が家の重い鉄の門を前に夜の空気を吸い込んだ。
「ま、今日はもう寝」
「おかえりなさいませ、坊ちゃま」
「うおおおいっ! びっくりしたぁ!」
誰もいないと思っていた門の向こうに、一人のメイドが立っていた。
「ウルミさん! こんな時間になにを」
「なにって、ナミラ坊ちゃまのお出迎えでございます」
先日ウルミと名乗ったメイド長が、淡々とした口調でランプを向ける。
ウルミは淡い光でも分かるほど白い肌と、ジトッと睨みつけるような目つきで、二十六歳ながら他のメイドたちから早々に怖がられていた。しかし、仕事は完璧でメイド長としての資質も備えており、タキメノ家からは高い信頼を得ている。
「べつにいいのに」
「そういうわけにはいきません。さ、扉を開けますので離れてください」
「いや、いいよっと!」
ナミラは地面を蹴り、背の高い扉を軽々と飛び越えた。
「おぉ……流石でございます」
ウルミは称賛の拍手を送ったが、そのせいでランプを落としてしまった。
「あ……申し訳こざいません。すぐに替えを」
「大丈夫。光生の魔法使えばいいから」
ナミラは目を閉じ、右の手のひらを上に向けた。
「『光よ 我が道……』」
「坊ちゃま」
意識を手に集中させ呪文を唱えるナミラの耳を、ウルミの冷たい声が撫でる。
「おやすみなさいませ」
その日、タキメノの屋敷に光生の魔法が生まれることはなく。
ナミラの首から、鮮血の飛沫が飛んだ。




