『因縁』
紅い夕日を受け、さらに深みを増す紺碧の薔薇。
凛と偉大に、この世に存在するのが己のみかのように佇んでいる。その美しさはすべての心を虜にし、宿す冷気はあらゆる生命を赦さない。
天上天下を貫く氷の超天魔法が、この世界顕現した。
「本当に……人間か?」
ガルダが息を飲む。
自らも同じ威力のものを撃てなくはないが、一国の環境を破壊するほどの魔素が必要になる。
それを自分の魔力だけで賄ってみせた少女に、魔喰とはべつの恐ろしさを感じていた。
「はぁっ……はぁ……あっ」
人類初の偉業を成し遂げたモモは、杖にしがみついたまま全身を痙攣させていた。
「す、すごい……い、今までで一番……はっ、あっ、やっ……」
「モモちゃん?」
アニが駆け寄る。
妙に艶っぽい声に反応した、ダンとデルの視線を遮るように立ち塞がった。
「……すごかった……こんなの、はじめて……ふぅ……んぅ!」
「魔力よね! 魔法の話よね!?」
足をガクガクと震えさせ、モモは立つこともままならなくなった。
アニは慌てて自分のマントをかけてやり、恍惚の表情を浮かべるモモを支えた。
「え、えーっと! これは勝ったってことでいいのか?」
「いや、まだだ」
声を張り上げ自分に注目を集めたシュウの問いに、ナミラが舞い降りながら答えた。
「……冗談だろ?」
「冗談なんかじゃないよ。超天魔法は見ての通りだけど、あくまで魔法だからね。魔喰にとってはごちそうかな。ま、この魔力量と密度なら、すぐには吸収できないだろうけど」
見上げたナミラの視線の先。
天上で咲く一枚の花弁が、僅かに溶け始めた。
「みんな、今のうちに下がってくれ。あとは俺一人でなんとかする」
「そんな! 一人なんて……」
アニは先の言葉を口にすることができなかった。
傷ついた自分たちでは、足手まといになると理解していた。
しかし、悔しさで胸がひどく痛む。
「ありがとう、アニ。でも大丈夫、勝算はあるんだ。魔喰を倒すには、先に依代を破壊しなくちゃいけない。そのためには、魔素や魔力を許容量以上吸収させる必要があるんだ」
絶氷青薔薇を指差し、ナミラは明るく語った。
「バジラナを切り離すことには成功した。あと一歩で依代は破壊できる」
「しかし、本体は……」
ガルダが険しい顔で進み出る。
万象王の死という悲劇が、脳裏に蘇っていた。
「たしかに、一度は返り討ちに遭った。だが、今はあの時代にはなかったものがある。大丈夫、俺を信じろ」
頼もしい笑顔のナミラに、精霊王たちは頷いた。
「分かりました。ではナミラ様、もし魔法を使うのならば、我らの魔素をお使いください」
「馬鹿。そんなことをしたら、お前たちの力が」
ガルダは首を横に振り、笑った。
「魔喰は我らにとっても因縁の敵。せめて、ご助力させてください」
「……分かった」
深々と頭を下げた四人に、ナミラそれ以上なにも言わなかった。
「では、我らは兵士たちを運びましょう」
「そうしてくれ。ゲルトさーん! その戦車に乗るだけ乗せてくれー!」
ナミラに呼ばれ、ゲルトがため息をつきながら戦車を近くに停めた。
「ったく、俺はただの商人だぞ? こんな最前線、場違いだっての」
「そう? 俺はなんだか運命感じてるんだけど」
「なんの運命だ……勘弁してくれぃ」
さらに大きなため息と共に、ゲルトは愛馬の頭を撫でた。
前線にいたシュウたちが戦車に乗り、自分以外の者が崩れた砦の向こうに行ったことを確認すると、ナミラは再び青薔薇と向き合った。
「さて……出迎えの準備をしなくちゃな。使わせてもらうぞ、精霊王たち」
愛刀を鞘に戻し、両拳を握る。
「はああああああっ!」
先程のモモと同じように、大量の魔力を練り上げる。
両腕に装備した篭手と胸当てのスフィアが輝き、力のレベルを押し上げる。杖の製作ついでに作った、オリジナルの装備。ぶっつけで使うことになったが、効果は期待以上だった。
今まで得てきた数多の前世。
彼らが有していた魔力だけではなく、精霊王たちの魔素も取り込み、一つの巨大な力に変えていた。
「こっからじゃよく見えねぇな」
テーベ村に続く街道で、ダンが呟いた。
「それなら、ほれ。遠見の魔法じゃ」
ガルフが水晶玉を取り出し、ナミラの様子を映した。
「おぉ!」
「さすが賢者様! やっと役に立った!」
「今日イチの活躍!」
「儂泣くぞ?」
がっくりと肩を落としたガルフは、モモに頭を撫でられた。
グ、オ、オ、オ、オ。
永遠に咲き誇るかのように思われた薔薇に、巨大な亀裂が入る。
同時に、二度と聞きたくない唸り声が響き渡り、兵士たちは皆身震いした。
「出てくるか。こっちも準備できたぜ!」
グギャアアアアアアアオオォォォ!
世界が恐怖する絶叫。
青薔薇を喰らい尽くした魔喰は再び巨大化し、ナミラを憎らしげに見下ろした。
そして、魔力を放出しすべてを破壊しようと背を丸めた。
「それを待っていた!」
ナミラのほうが一瞬早く、溜めた魔力を外へ出す。
「『我万象王也』」
黄金に輝く絶対の力。
どこにも非のない球体が対象を閉じ込め消滅させる、逃れようのない尊き御業。
「まさかもう一度、この目で見られるとは……」
精霊王たちが感涙を流す。
目の前で光を放つのは、十万年前魔喰の依代を破壊した万象王ゼノの奥義であった。
「うぎゃあああああああ!」
光の中から、男の悲鳴がこだまする。
魔喰の雄叫びではなく、人間のもの。依代となった皇帝カリギュリスの、苦悶の声だった。
「やっと許容を超えたか。バーサ帝国の皇帝カリギュリス」
ナミラは光の中に向かって言った。
【解析眼】で、事の真相はすべて理解していた。
「ナ……ミラ……タキ……メノ」
恨みか、それとも皇帝としての称賛か。
絞り出る声からは、乗せられた感情を読み取ることはできない。
「おう、そうだ。俺はナミラ・タキメノ。お前を倒した男だよ。しっかり魂に刻んでおけ。それで」
ナミラが立てた親指と、満面の笑みを向ける。
「来世は仲良くやろうぜ!」
人間としての姿や尊厳すらも失った、皇帝カリギュリス。
太陽の如き光に包まれた、すべてを飲み込む漆黒の闇のさらに奥。誰も見ることのできない深淵の底で、その瞬間、たしかに彼は笑っていた。
「はああああああああああああああ!」
ナミラが両手をかざし、さらに力を込める。
光の球はみるみる縮小し、音もなく消えた。
ザンッ。
依代も蓄えた魔力も消滅し、魔喰の本体は黒く染まった大地に突き刺さった。
「勝ったああああ!」
「ナミラ胴上げだー!」
「まだだ!」
喜びで飛び跳ねる人間たちを、ガルダが一喝した。
「ここまでは十万年前と同じだ。ここからだ……」
精霊王たちは手に汗握り、固唾を呑んでナミラを見守り続けていた。
そのただならぬ様子に喜びは瞬時に姿を消し、重い緊張が再来した。
「さて」
ナミラがゆっくりと、魔喰に向かって歩き始めた。
ここまでは計画通り。
しかしここからは、どの前世も知らない可能性の世界。
アニには勝算があると言ったが、半分嘘をついていた。勝算と呼べるほどの確証はない。だが、これ以上有効な手段も他にはない。
今まで出会った人も乗り越えた試練も、すべては前世からの運命であり、この魂が積み重ねた輪廻の賜物。
ならば、俺はこれまでの人生すべてを信じる!
すべてを賭けて、この因縁を断ち切ってみせる!
より強い覚悟が、ナミラの目に灯った。
その瞬間。
魔喰がナミラに向かって飛んだ。
「馬鹿な! まだその距離では!」
ガルダが声を上げる。
ゼノも同じように襲われ、心臓を貫かれた。しかし、反応を示したのはもっと近づいてからだったはず。そしてそのことを、ナミラが覚えていないわけがない。
離れて見ていた誰もが虚を突かれた。
目を背けたくてもその隙すらない。
瞬きの間の、一瞬の出来事。
ナミラの胸当てを、魔喰の刃が貫いた。




