『陰謀 ゼノ山脈にて』
霊峰ゼノ。
バーサ帝国では、かつてその名で信仰の対象にもなっていた荘厳なる山脈。今は絵画や彫刻のモチーフとして、また豊富に眠るクリスタルの産地として世界中に知られている。日が暮れても消えぬ採掘場の明かりが、夜闇に怪しい輪郭を浮かび上がらせていた。
「こちらでございます」
小柄な老人が呟く。
腰が曲がり、魔法の杖に頼って歩く姿はどこか弱々しい。しかし、彼こそ北の賢者バジラナ・ドーテンであり、この採掘場の責任者であった。
「うむ」
案内に続く若い男の声。
この場に不釣り合いな豪華で輝かしい召し物で、汚れなど気にすることなく進んでいく。鉱夫男の一人は、まるで金銀財宝が歩いているようだと思った。
「ま、待ってくだせぇ!」
周囲の者が跪いて道を開ける中、一人の男が制止を振り切って道を塞いだ。
「なんじゃ貴様。もう話は終わったであろう」
若い男を守るように、バジラナが立ち塞がった。
「ま、まだ終わっちゃいねぇ! お、俺を斬竜団の頭領にしてくれる話はどうなった! その団を、バーサ帝国公認の騎士団にしてくれるんじゃなかったのかよ!」
吠える男はテーベ村から逃げた捕虜であり、ナミラに矢を射った自称次期頭領だった。
「ふんっ! 田舎の村ひとつ落とせん奴を、我が国の騎士になんてできるかぃ」
「こ、このまま終われるか! あのガキに復讐を……ゴホッゴホッ!」
「どうした?」
若い男が柔らかな声を発した。
「喉が痛いのか?」
「へ、へぇ。この山の寒さで、風邪を引いたようで」
「苦しいだろう。よい、余が救ってやろう」
その言葉に、捕虜だった男は感動の涙を流した。
「お、俺みたいな奴に皇帝陛下が……有り難ぇ、有り……難ぇ……え?」
音も無く。
男の首は胴から離れた。
「喉が無ければよいだろう」
死体には一瞥もくれず、バーサ帝国皇帝カリギュリスはバジラナと共に坑道を進んだ。
手には細身だが冷気を放つ美しい剣があり、横たわる傷口は凍りつき血の一滴すら流れていなかった。
「どう思う。話にあった少年、我が覇道の妨げになるか」
坑道の奥に備え付けられた昇降機に乗ると、カリギュリスが口を開いた。
「そうですな。竜牙剣の使い手とあの頭のおかしな自称賢者まで倒しているそうですし、無視はできないかと。気になりますかな? 皇帝陛下」
老人の言葉に、皇帝は愉快な笑みを浮かべた。
「そうだな。この遺跡から発掘したあの老体、妄言が真実かはともかく伝えられた古代の技術は本物であった。モンスター・テイマーも、あの老いた肉体を参考に作り上げたキメラだった。まぁ、肝心なところで役に立たんかったがな」
皇帝は速度を増して下降する床を指差した。
北の砦を苦しめた者に思いを馳せるが、すでに顔も思い出せない。
「左様ですな。まぁ、魔法の腕は二流止まりでしたが。あの頭領の男の下に置いたときの、あの顔といったら」
「笑ってやるな、バジラナ。あのクォーター・オークもなかなかの男だったではないか。ギフトにあの剣……うむ、やはりその子どもから剣だけは貰うことにしよう」
カリギュリスの頭には、ナミラの意思など微塵も考えられていなかった。
「その魔剣でも満足できませんかな? エルフに造らせたものなんですが」
「うむ、これも余の愛剣と呼ぶには程遠い」
昇降機はまだ降り続ける。
「あぁ、そういえばエルフの子どもがこの山にまつわる詩を口にしていまして」
「ほう?」
「古いエルフ語でしたが、この山は大自然の神の骸だとか。神は破滅から世界を守るため、自らの体をクリスタルに変え封印したと」
「面白い」
ふわりと体が浮く感覚のあと、動いていた床がゆっくりと停止した。
「そのエルフに詳しく話を聞こうか」
「申し訳ございません。もう森に還りました」
皇帝はニヤつきながら「だろうと思った」と言い、薄暗い坑道を歩き始めた。
魔素をエネルギーとする淡い光の照明を頼りに、二人は迷うことなく奥へと進む。途中すれ違う者たちは皆、普通の鉱夫ではなくローブに身を包んだバジラナ直属の部下たちだった。
「そういえば」
進みながら、皇帝がまた口を開く。
バジラナは、出かけたため息をぐっと堪えた。普段は無駄口を嫌うくせに、ここに来ると途端にお喋りになる主君を、面倒に感じていた。
「例の村に、雷迅の賢者が来ているそうだな」
今度は堪え切れなかった魔力が、坑道を揺らし壁面にヒビを入れた。
「許せ、バジラナ。しかし、無視はできんであろう?」
「……お戯れを」
こちらの反応を楽しむ若い皇帝に、バジラナは低い声を返した。
「えぇ……確かに、ガルフは因縁の相手。当代最強などと持て囃され、この凍花の賢者に何度も辛酸をなめさせた男にございます」
なおも進む二人は、純度の高いクリスタルが幻想的な光を発光する空間に入った。
「だからこそ、儂は貴方様に仕えているのです。貴方様が持つギフト【剣人】があれば、すべての聖剣魔剣の力を限界まで引き出すことができる。そのお力に、儂は賭けているのでございますよ」
しわがれた忠誠の声に、カリギュリス帝は満足気に笑った。
「そうであったな。老いた父や美しいだけの姉上とは違い、お前は幼い頃から余を支えてくれた。さすがは賢者の先見の明、僻地に飛ばしたあの二人とは大違いだ」
現皇帝の畏れ多い高笑いが、狭い坑道に響き渡る。
やがて二人は、物々しい雰囲気が満ちる開けた場所へ辿り着いた。バジラナの部下が忙しなく働く中心に、巨大なクリスタルの球体が安置されている。そして、その中に皇帝が求める力があった。
「……もうすぐでございます。もうすぐ、クリスタルを削り切ることができますぞ」
「楽しみだ。そうだ、エルフの詩にこれの名は無いのか?」
球体に張り付き中のものを見つめる皇帝は、まるでおもちゃを楽しみにする子どものようだった。
「あぁ、そういえばありましたな……それは『魔喰」と呼ぶそうです」
虹色の光を放つ球体は、かつて万象王の肉体を動かしていた心臓。
そして、その中に閉じ込められた魔喰こそ、永遠を生きるはずだった命を奪いし破滅であった。
「魔喰か……余に相応しい力か見極めてやろう。試し斬りは……例の村の少年にするか」
狂気の眼が見つめる先に、闇を纏う暗黒の剣が眠っていた。




