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「と、盗賊」


 新任の森の番人は、王都から来たという手紙を読んで、顔を青ざめさせた。


「わ、私が盗賊ですか!? 捕まったら縛り首ですか!?」

「盗賊は捕まえないわね、その場で斬り捨てるから」

「問答無用で殺される!?」


 あああああ、という情けない表情で、彼は手紙から顔を上げ妻に向けた。


「心配しなくても大丈夫よ、わたくしの夫であるかぎりは、この森の番人だもの。侯爵令嬢を襲った盗賊ではないと、侯爵家が保証してくれるから」

「そ、そうですよね」

「浮気したらそのかぎりではないけど」

「浮気なんてしませんよ!」

「どうかしら。あなたは意思が弱いから」


 妻が意味深に笑う。それに、かっと頬を染めて、夫はわめいた。


「それは、媚薬を盛られれば、誰だって意思が弱くなりますよ!」

「よく効くお薬だったわね」

「しれっと言わないでください! 私は、あなたが王子の心が離れて辛いと言うから、手を尽くして探してきたんですよ!」

「しかたないでしょう。殿下に毒を盛ったら、この首を落とされるだけでは済まなくてよ。持ってきた本人に毒見をさせるのは、常識の範囲内だと思うけれど?」

「それは、そうですが。……それに、あんなことされれば、誰だって……」

「あなたお勧めの娼妓に教えていただいたのよ、上手だったでしょう?」

「ああああ、あれだって! あなたが、結婚後の王子との生活がうまくいくか心配だからお願い、と言うから、評判の娼妓に失礼を承知で頼み込んだんですよ! それを……、それを……」

「お兄様なじみの方でしたのね。わたくし、てっきりあなたのお気に入りかと思いました」

「まさか! あんな高級娼妓、私では……」


 夫は途中で、はっとしたように口をつぐんだ。妻はにこりと笑った。夫は、うろ、と目をそらす。そこへ、妻は追い打ちをかけた。


「わたくし、あの小瓶を渡された時、心に決めましたのよ。……あなたを泣かせてやるって」

「ええっ!?」

「そんなにわたくしが他の男に抱かれてもいいと思ってるのなら、ぎったぎたにして、泣かせてやりたいと思ったの」

「ぎったぎたって……。いったいどこでそんな言葉を……」


 あぜんと呟き、そのうち、じっとりと見つめ続ける妻の視線を受け止めきれなくなり、彼は視線を落とした。


「……あなたは王子を愛しているとばかり……。

 ……それに、あなたは私などがどうこうしていい方ではありません。

 本当は、今も思っているのです。あなたはこのようなところにいるべきではないと」

「あら。本当に?」


 途中から、意を決して顔を上げた夫の頬に手を伸ばし、彼女はするりと撫でた。その艶めかしさに、夫はひるんで、またすぐにおよび腰になった。


「できないことはないのよ。あんなぼんくら王子も頼りない小娘も血祭りにあげて、わたくしが宮廷に返り咲くことも」

「ち、血祭りはいけません。もう少し、穏便に」

「わたくしに穏便に暮らしてほしいなら、あなたがわたくしをここに留め置いてくれないと」


 夫は困り顔で妻を見つめ返した。

 高貴な血を引く侯爵令嬢。美貌はもちろん、聡明さも持ち合わせている。貴族としての誇りを持ち、その義務も心得ている。これほど国母にふさわしい女性もいなかっただろうに、今は辺境の森の番人の妻などに、好んでおさまろうとしている。


「あなたはなぜ、私なんかを……」

「言ったでしょう。あなたの描くキリムの世界が好きだって」


 キリムとは戦を模したゲームだ。騎士や歩兵、城といった駒をルール通りに動かし、王の駒を取れば勝ちである。

 何もかもを備えた彼女の欠点は、『キリム狂い』と呼ばれるほどのキリム好きである。百年に一人の名人と呼ばれた師匠が亡くなって以来、負けなしだった彼女に唯一勝ったのが彼だ。

 孤児で、貧しいその日暮らしをしていた彼は、それによって侯爵家へと仕えることになったのだった。


「それに、わたくしのために、媚薬と一緒に、警護の網をくぐって殿下とこっそりと会えるルートまで調べてきてくれましたね。……無駄に有能すぎて、あれには眩暈を覚えるほど腹が立ちましたが」

「あ、あれは! ……使う機会がなければ、あなたの望みは叶わないと……」


 夫はどこか痛みをこらえるような表情をした。

 王宮の、それも王太子の警護をだし抜くルートを、たった半月で提案するなど、本来ならば不可能なのだ。……非凡な才能と、才能を発揮させた情熱がなければ。

 そう。彼女は、あの小瓶を手にした時、確信した。

 ふふふ、と機嫌よく笑い、彼女は夫の首に両腕をまわして妖艶な体を惜しげもなく押し付けた。……彼の痛みごと抱きしめるかのように。


「わかっています。すべては、わたくしのためだったということは。……だから、お願い、ラウル、今度もわたくしの望みをかなえてちょうだいな。

 ……あなたがどれだけわたくしを愛しているか、教えてほしいの」


 夫はもはや言葉もなく、しがみつくように彼女を抱き締め返した。

 そうしてしまえばもう、己の中にある情熱に逆らうことはできなかった。

 腰を引き寄せ、背中を撫でさすり、髪の中に差し入れる。一瞬だけ彼女の視線を捉え、彼だけを見つめるまなざしに引き寄せられるままに唇を重ねた。

 最初はその柔らかさを味わうように一度押し付けて、すぐに離れ、また重ねて、今度は食む。角度を変えて、上の唇を数回やわやわと挟み、下の唇に吸いついた時、妻の体が、ぴくりと震えた。その反応に、体がさらに熱くなる。

 食べてしまいたいほど愛しいと感じる、その思いのまま彼女の唇を割り開いて、舌を絡めて。応える彼女の舌を吸い上げ、舐め、そうして、どちらの唾液かもわからなくなったものを啜って。

 そうしながら、首に巻かれたスカーフを剥ぎ取り、現れた白い首に吸いつく。


「あ、ラウル……」


 妻が甘い吐息をこぼした時だった。

 コンコンコン、と遠慮がちなノックの音が響いた。

 低い男性の声が、向こう側から掛けられる。


「隊長。……隊長」


 ぴたりと夫の動作が止まった。隊長とは、彼のことである。


 侯爵領のうち、国境となっている黒い森と呼ばれる広大な深い森の向こうに、隣国が砦を築いているという情報が入ったのが一年と半年ほど前。

 その砦と隣国の動向を調べ、娘との婚約を破談にしたぼんくらを王太子に据えるこの国に仕え続けるべきか、それとも隣国に寝返った方が良いのか探るようにと、侯爵より命じられたのだ。

 国に居残るならば、砦の攻略法を考えよとも、隣国に寝返るならば、その伝手を作れとも言われている。


 国一番のキリムの指し手であった令嬢を打ち負かすほどの才だ。また、王子を毒殺できる機会を見出した実績もある。

 非常に難しい任務であったが、令嬢を傷物にした罪で殺さない代わりに、責任を取れと押し付けられたのだった。……たとえそれが、令嬢のほうが彼を襲ったのだとしても。

 そうして、彼らは森の番人夫婦として、この地にやってきた。

 近くに拓かれたばかりの村の住人は、全員部下である。


 そんな成り行きだったが、夫に不満はなかった。天涯孤独に生まれた身である。いつ誰に顧みられることもなく死んでもおかしくない、低い身分の出でもある。高嶺の花と思っていた女性を手にすることができたのだ。これ以上の幸運はない。

 おそらく、一生分の幸運を使い切ってしまった。明日、いや、夜まで生きているという保証はない。だから、彼は目の前の魅力的な妻に今すぐ愛を示したかった。

 けれど、部下が扉の向こうで待っている。返事がないかと耳を澄ませてもいることだろう。

 眉根に皺を寄せ、究極の二者択一に逡巡する夫に、妻は、ふふふと笑って、彼の頬を撫でた。


「わかっていてよ、あなた。お仕事頑張っていらして」

「…………はい」


 夫は離れがたいと言わんばかりに、ぎこちなく体を起こした。妻の首に、うっかりつけてしまったキスマークを見つけ、投げ落としたばかりのスカーフを拾って、他の誰かに見られないよう、しっかりと巻き付ける。……白い肌に浮き出た赤い跡が、あまりに扇情的だったので。


「……行ってきます」

「はい、いってらっしゃいませ」


 チュッと唇にいってらっしゃいのキスを貰って、不承不承だった相好を崩す。

 それだけのことで報われてしまう、そんな彼を見て、妻もまた微笑んだ。王都にあった頃には見せたことのなかった、柔らかな美しい笑みだった。




 悪役令嬢が見た夢は、愛する男に愛され、共に穏やかに暮らすこと。

 彼女は生涯この森のほとりを離れず、二度と宮廷に現れることはなかったという。

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