第二十一話 「掘り出し物」
「少しだけ、様子を見よう」
レインがそう言うと、シエルは首元を押さえたまま、小さく頷いた。
ついさっきまで、そこには奴隷の首輪があった。
今はもうない。
けれど、シエルの指は何度も何度も、首輪があった場所を確かめている。
自由になったばかりの彼女を、これ以上この場所に長く置きたくはなかった。
だが、扉の向こうから聞こえた声が気になった。
「お願いします……! 私を奴隷として買ってください」
震える女の声。
それに対して、商会員の声は冷たい。
「何度も申し上げていますが、その条件ではお引き受けできません」
レインは眉をひそめた。
商会員は作り笑いを浮かべたまま、レインの前に立つ。
「お客様には関係のないことでございます」
「関係あるかどうかは、見てから決める」
「当商会では、お客様同士の問題に介入していただくことは――」
レインの視界にログが浮かんだ。
⸻
商会員
状態:焦り
隠蔽意図:あり
発言成功率:72%
推奨:
上位客として振る舞ってください
⸻
上位客。
つまり、金を持った客として押せということか。
数日前のレインなら絶対にできなかった。
けれど今は、腰の袋に金貨がある。
レインは商会員を見る。
「俺は今日、正規の解除費用を払った客だ」
「はい。もちろんでございます」
「今後も取引する可能性がある」
商会員の笑顔がわずかに固まる。
「この商会で不自然なことが起きているなら、確認しておきたい」
ログが変わる。
⸻
発言成功率:
72% → 41%
⸻
商会員は数秒黙った。
そして、諦めたように頭を下げる。
「……少々、お見苦しい場面かもしれません」
「構わない」
レインはシエルを見る。
「無理なら、ここで待っていてもいい」
シエルは首を振った。
「一緒に行く」
声は小さい。
でも、目は逸らしていなかった。
レインは頷き、商会員の後に続いた。
◇
廊下の奥。
扉の前で、一人の女が膝をついていた。
年齢は二十代後半ほど。
くすんだ栗色の髪を後ろで束ね、質素な服を着ている。
その腕には、小さな少女が抱かれていた。
六歳くらいだろうか。
薄茶色の髪は汗で額に張りつき、呼吸は浅い。
女の前には、別の商会員が立っていた。
「お願いします……! 私を奴隷として買ってください」
女は震える声で言った。
「その代金で、この子を治療してほしいんです……!」
商会員は淡々と答える。
「あなた一人であれば、買い取り自体は可能です」
女の顔に、わずかに希望が浮かんだ。
だが、商会員はすぐに首を振る。
「ですが、その代金では、この子の治療費には到底届きません」
「……っ」
「魔力病の治療には、専門の薬師と高価な魔力安定剤が必要です。軽い症状でも金貨数枚。今の状態なら、金貨十枚以上を見込むべきでしょう」
金貨十枚。
その言葉に、女の顔から血の気が引いた。
「そんな……」
「あなたの買い取り額は、良く見積もっても金貨一枚程度です。契約処理や首輪の登録費を差し引けば、治療費にはなりません」
女は腕の中の少女を抱きしめた。
「では……私を買った方に、この子も一緒に引き取ってもらうことは……」
「難しいでしょう」
商会員の声は冷たかった。
「病を抱えた子どもを連れての契約は、買い手が限られます。治療費がいくらかかるかも分からない。長く持つ保証もない。商品としての価値は、低いと言わざるを得ません」
女は唇を震わせる。
「この子は……商品じゃありません……」
「ここは奴隷商会です」
商会員は表情を変えずに言った。
「命の価値と、商品価値は別です」
その言葉に、女は何も言えなくなった。
腕の中の少女が、苦しそうに小さく息を漏らす。
シエルの指が、レインの袖を強く掴んだ。
レインは少女を見た。
その瞬間、視界にログが浮かぶ。
⸻
【対象:リナ】
年齢:6
状態:
高熱
魔力暴走寸前
栄養不足
現在死亡率:64%
隠し才能:
【精霊交信】
希少度:S
将来的役割:
探索補助
精霊情報収集
魔力異常感知
成長後貢献度:
高
⸻
「……S」
レインは息を呑んだ。
商会には価値が見えない。
女は、この子を生かすために自分を売ろうとしている。
だがレインには、その少女が持つ未来の価値まで見えていた。
さらにログが続く。
⸻
発現阻害要因:
・魔力過多
・栄養不足
・精神的恐怖
・魔力循環不全
推奨処置:
・月光花の花弁
・魔力安定剤
・休息
・専門薬師による継続治療
通常治療費:
金貨10枚以上
レイン所持素材使用時:
初期処置可能
⸻
月光花。
また、それが出た。
聖剣の浄化にも使った、希少素材。
シエルの【星読】発現にも必要な素材。
残りは多くない。
だが。
目の前の少女は、今にも消えそうな呼吸をしている。
レインは次に、女を見た。
⸻
【対象:エレナ】
年齢:27
状態:
疲労
睡眠不足
極度の緊張
職業適性:
家政管理 A
調理 B+
帳簿補助 B
対人対応 B+
雇用適性:
高
備考:
誠実。長期雇用向き。
⸻
「……なるほど」
小さく呟く。
この二人は、ただ助けるだけの相手ではない。
レインたちにとっても、価値がある。
もちろん、それを口にするつもりはない。
でも、判断材料にはなる。
レインは女へ声をかけた。
「その子の名前は?」
女が弾かれたように顔を上げる。
「……リナ、です」
「あなたは?」
「エレナ……です」
「エレナさん」
レインはリナを見る。
「その子を治療したいんですね」
エレナの瞳が揺れた。
「はい……。この子は、私の本当の子ではありません。でも、私にとっては娘みたいな子なんです」
声が震えている。
「三年前、路地裏で倒れていたところを見つけて……それから、ずっと一緒で……」
エレナはリナを抱きしめた。
「私には、もうこの子を治すお金がないんです。だから、私が奴隷になってでも……」
「奴隷になる必要はない」
レインは静かに言った。
エレナが息を呑む。
「え……?」
「リナの応急処置なら、今ここでできる。継続治療に必要な費用も、俺が一旦出す」
「そんな……そんなこと、できません」
エレナは首を振った。
「私には、返せるものが何も……」
「無償じゃありません」
レインははっきりと言った。
エレナが驚いたように顔を上げる。
「俺たちは、今ちょうど生活を整えようとしているところです。宿の手配、食事、洗濯、買い出し、荷物管理。そういうことを手伝ってほしい」
「……そんなことで、いいんですか?」
「そんなこと、じゃない」
レインは少しだけ苦笑した。
「俺はそれを三年間やっていました。ちゃんとやろうとすると、かなり大事な仕事です」
エレナは言葉を失った。
レインは続ける。
「それと、リナの体調が戻ったら、俺たちの仕事を手伝ってほしい」
エレナの腕の中で、リナが浅く息をする。
「仕事……ですか?」
「危険なことを無理やりさせるつもりはありません。ただ、この子にはたぶん、普通の人にはできないことができる」
エレナが目を見開く。
「リナに……?」
「今は詳しく言えません。でも、俺にはそう見えます」
レインはリナを見た。
「だからこれは、ただの施しじゃない。俺にとっても、将来への投資です」
シエルが隣で、少しだけレインを見上げた。
「投資……?」
「そう。助ける代わりに、元気になったら手伝ってもらう」
レインはエレナへ視線を戻す。
「嫌なら断ってください。その場合でも、今すぐ見捨てたりはしません。ただ、治療費は後で少しずつ返してもらいます」
エレナは震える唇で言った。
「働きます」
「奴隷としてじゃありません」
レインはすぐに言った。
「雇用です。辞める自由もある。給金も出す。その中から、治療費を少しずつ返せばいい」
エレナの目から涙がこぼれた。
「……そんな条件で、いいんですか」
「俺も余裕があるわけじゃないので、ちゃんと働いてもらいます」
レインは少しだけ笑った。
「その方が、お互いに気が楽でしょう」
エレナは何度も頷いた。
「お願いします……! 働きます。掃除でも、料理でも、買い出しでも、何でもします。どうか、この子を……」
「分かりました」
レインは商会員へ向き直る。
「そういうわけで、この人を買う話はなしだ」
商会員は少しだけ目を細めた。
「……当商会としては、取引が成立しないのであれば関与いたしかねます」
「それで構わない」
レインは短く答える。
「ただ、診察用の個室を少し貸してほしい。使用料は払う」
商会員は一瞬だけ考えたあと、商人の顔に戻った。
「銀貨五枚で」
ログが浮かぶ。
⸻
提示価格:
銀貨5枚
相場評価:
やや高額
許容範囲
⸻
「払う」
今は値切る時間が惜しい。
レインは銀貨を渡した。
◇
小部屋に入ると、リナは簡易寝台へ寝かされた。
呼吸は浅い。
額は熱い。
エレナは心配そうに手を握っている。
レインは鞄から月光花を取り出した。
青白い花弁が、淡く光る。
シエルが静かに見つめていた。
「シエル」
「うん」
「一枚、使う」
「いいよ」
即答だった。
「今、必要なのはこの子」
その言葉に、レインは小さく頷いた。
「ありがとう」
月光花の花弁を一枚摘み、リナの額に乗せる。
青白い光が淡く広がった。
リナの身体から、熱とは違う不安定な魔力がにじみ出る。
ログが動く。
⸻
月光花による魔力安定処置を開始。
魔力暴走リスク:
高 → 中
追加処置推奨:
手首の脈動点へ魔力を逃がしてください。
⸻
「手首か」
レインはリナの手首へ指を添えた。
もちろん、治療技術などない。
だがログが、どこをどう押せばいいか表示してくれる。
⸻
圧迫位置:
ここ
力加減:
弱
維持時間:
20秒
⸻
レインは指示通りに動いた。
リナの呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
エレナが息を呑む。
「リナ……?」
ログが変化した。
⸻
応急処置成功。
死亡率:
64% → 18%
魔力暴走リスク:
高 → 低
状態:
安定傾向
⸻
「よし……」
レインは息を吐いた。
全員の緊張が、少しだけほどける。
その時、リナの瞼がわずかに動いた。
ぼんやりとした瞳が、レインを見上げる。
「……おにいちゃん……だれ?」
「ただの通りすがりだ」
「うそ……」
リナは小さく呟いた。
「黒いのに……きれい……」
「黒い?」
リナの視線は、レインの右手に向いていた。
無価値の指輪。
それは静かに黒く光っている。
ログが浮かぶ。
⸻
リナ
【精霊交信】微弱発現
無価値の指輪を認識しました。
⸻
「……見えてるのか」
レインは思わず呟いた。
シエルも驚いたようにリナを見る。
リナはそのまま、また眠りに落ちた。
エレナが震える声で聞く。
「あの、この子は……」
「今は落ち着いてます。ちゃんとした宿で休ませた方がいい」
「でも、私たちにはもう……」
「俺たちの宿に来てください」
エレナが目を見開く。
「そこまでしていただくわけには……」
「さっき雇うと言いました」
レインは言った。
「住み込みの仕事だと思ってください。まずはリナを休ませることが最優先です」
エレナは涙を拭い、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます。必ず働きます」
「無理はしなくていいです。まずはあなたも休んでください」
「はい……」
商会を出る時、レインの視界にログが浮かぶ。
⸻
クエスト達成。
『奴隷商会の掘り出し物』
達成評価:A
新規協力者候補を発見。
リナ
役割:
精霊交信
エレナ
役割:
生活管理
拠点補助
⸻
さらに、その下にもう一つ。
⸻
注意。
グレイス奴隷商会の一部記録に不審点あり。
サブクエスト更新:
『監視者の正体を探れ』
関連候補に追加。
⸻
レインは振り返り、黒い石造りの商会を見上げた。
やはり、この場所には何かある。
けれど今は。
眠るリナと、泣き疲れたエレナを安全な場所へ連れていくのが先だった。
シエルが、首輪の外れた自分の首に触れながら、小さく言う。
「レイン」
「ん?」
「自由になった日って、忙しいね」
レインは少し笑った。
「俺もそう思う」
その時、路地の屋根の上で、赤い目の鳥が一瞬だけ羽ばたいた。
ログが浮かぶ。
⸻
監視反応を検知。
対象:
レイン
シエル
リナ
⸻
レインの笑みが消えた。
「……対象が増えたか」
掘り出し物を見つけた代償は、思ったより早く現れ始めていた。




