ー風嘉の白龍ー
賑やかな音楽が流れていた。
急ごしらえで作られた割にはそれなりに立派な石造りの建物の中で、これまたどこから持ち込んだものやら、溢れんばかりに盛り付けられたご馳走と酒が所狭しと並んでいる。
広間のあちこちには、酒を片手に大騒ぎをする闇商人達…いや盗賊達が、楽しげに笑いながら今日の成果を自慢し合っていた。
そんな男達の周りには、やけに露出度の高い衣装を身に纏った女達が、酒を注いで回ったり舞を披露したりして場を盛り上げている。
だが中には蒼い顔で、ガタガタと震えながら応対している者も居て、女達の全てが接客を生業としている訳ではなさそうだった。
そんな中、明らかに上座と分かる一際高く作られた場所に、一人の男が座している。
年齢は四十代後半といったところだろうか。
浅黒い肌に短く刈りそろえられた黒髪、饅頭のように丸い顔の中に、線のように細い目とずんぐりした鼻、そして分厚い口唇。
お世辞にも美男とは言い難い容姿ではあったが、身に付けているものはいかにも高価で、男の身分がかなり高い事がうかがえた。
特に頭に巻く布を留める紅玉は、大人の親指の先ほどもある大きな物で、脂肪に覆われた太い首には三連にもなる豪奢な金の首飾り、そしてふくふくとした両手の指には、全て大きな宝石の嵌った指輪が輝いている。
そうして悪趣味なまでに全身を飾り立てているその男は、その脂ぎった顔にイヤラしい笑みを浮かべつつ、手近に控える女達の尻や胸に手を伸ばし、その感触を楽しんでいた。
そんな男の様子に心の中で眉を顰めつつも、光嚴は表面上は何事もなくこう告げる。
「…殿下、私は反対でございます。殿下ほど高貴な身分の御方が、何故あんな小娘一人に拘られるのです?しかもあれは『白龍』の妃、すでに他の男の手がついている女ですぞ?殿下のお相手を務めるに、相応しい女ではありませぬ」
「…そうは言うてもな、光嚴。あれ程の美女はなかなかは居らぬぞ?あのすべすべとした触り心地の良さそうな真珠色の肌…気の強そうな金の瞳。さすがは『月鷲の月姫』と謳われた翡雀の娘よの」
そう言って『殿下』と呼ばれた上座の男は、今にも舌舐めずりをしそうな勢いで、下卑た笑いを浮かべる。おそらく頭の中では、鴻夏をどう犯すかしか考えていないのだろう。
それを苦々しく思いながらも、光嚴は手にした杯を傾ける事で平静さを装う。
『…まったく、俗物としか言えんな。こんな男が『金獅子』の叔父とは…。頭の中は常に美しい女を犯す事しかないと見える』
そう毒付いてはみたものの、確かに男の言うように、鴻夏の美しさは群を抜いていた。
かくいう光嚴自身も初めて鴻夏と相見えた時は、その人並外れた美貌に圧倒され、思わず息をするのも忘れたほどである。
おそらく男なら、一度は自分の傍に侍らせたいと願うような…そんな類の美女であった。
『しかしあれは『白龍』の女…。昨夜の宴の様子を見る限りは、その寵愛もかなり深い。下手に手を出そうものなら、こちらの命など一瞬で消し飛ぶわ』
苦々しくそう思いながらも、光嚴は理性で自らの欲望を抑え込む。兎にも角にも鴻夏を諦める事が出来るだけ、光嚴は大人だった。
そんな中、槍を手にした部下達に引っ立てられ、鴻夏と暁鴉の二人が大広間に姿を現す。
暁鴉は危険と判断されたのか、後ろ手に身体を縄で縛られた状態で、鴻夏は縛られてこそいなかったが、素早く動く事は難しそうなデザインのドレスに着替えさせられていた。
途端にその場に居た全員の視線が鴻夏達に集まり、遅れて来訪を告げる言葉が、案内役の男によって告げられる。
「ご命令通りにお連れしました」
そう言って案内役の男が恭しく頭を下げると、目に見えて上座の男が身を乗り出す。
その場に現れた鴻夏は、珍しく肩の大きく出た深みのある赤のドレスを身に纏い、豪奢な金の装飾品で飾り立てられ、普段より幾分大人っぽくほのかな色気すら感じさせていた。
途端にほぅっと男女問わずに感嘆の溜め息が漏れたが、当の本人はそれもどうでも良いとばかりに、不機嫌な顔のまま広間に足を踏み入れる。実際 璉がこの場に居ない今、鴻夏にとっては着飾る意味などまったくなく、暁刃達の命さえかかっていなければ、着替えなどしたくもなかったというのが本音であった。
だが皮肉な事に、細身を生かした身体のラインを出すドレスは、思いのほか鴻夏によく似合っており、大振りの金の首飾りを着けていても、まったく下品にはなっていない。
そのためこのドレスを選んだセンスだけは、褒めてやってもいいかなと思いながら、暁鴉は無言で鴻夏の後ろに続いた。
すると上座に座す男は、その余りある欲望を隠そうともせず、舐めるような視線を鴻夏に送ってくる。そして上から下までじっくりと眺め回すと、男は満足げにニタリと笑った。
それを感じ鴻夏の全身が嫌悪感で総毛立つ。上座まであと少しというところであったが、鴻夏は思わず足を止め、そのままキッと相手を睨み返した。すると上座の男は、それすらも嬉しいとばかりにこう語る。
「おうおう、怒り顔も美しいのう。早うこちらに来い。我が可愛がってやろうほどに」
そう言いながら、男は周囲に侍らせていた女達を押し退け、鴻夏を上座へと誘う。
すると鴻夏は露骨に嫌そうな顔を見せたが、男の方は気にした風もなくこう告げた。
「早う来ぬか。我を待たせるでない」
偉そうにそう宣う男に、鴻夏はすでに我慢も限界とばかりに反論する。
「お断りよ。私は風嘉帝 璉瀏の妃です。盗賊如きの相手など致しません!」
ツンと思いっきりそっぽを向きながら、鴻夏が不機嫌にそう答えると、それを受けて男の顔が怒りのあまりみるみる赤くなる。
そして男は、大きな身体をわなわなと震わせながら、ヒステリックにこう叫んだ。
「ぶ、無礼な…っ!高貴な身分の我を盗賊だとっ⁉︎」
「…盗賊でなくて、何だと言うの?どう見てもここに居る連中は真っ当ではないわ!」
きっぱりそう言い切ると、鴻夏はチラリと裏切り者の光嚴へも視線を投げた。
途端にバツが悪そうに、光嚴は鴻夏から視線を外し、ギリッとその口唇を噛み締める。
それを見て、一応悪い事をしている自覚はあるのだなと思いながら、鴻夏はもう一度 上座の男を睨み付けた。すると男はいきなり立ち上がり、手にした鞭を振り上げる。
「我に逆らうとは…この小生意気な小娘が!そこへなおれ、躾直してくれる…っ!」
「…いけません、殿下!その女は『白龍』の妃…っ!その辺の女とは違いますぞ⁉︎」
突然の暴挙に慌てて光嚴が止めに入ったが、興奮しきった男の耳には何も届かなかった。
そして男はその勢いのまま、手にした鞭を振り下ろす。ビクッと鴻夏がその身を竦めた瞬間、後ろに控えていた暁鴉が無言で動いた。
パラリと自身を戒めていた縄が一瞬で解け、暁鴉は鴻夏をその背に庇うように前に出る。
そして暁鴉の手にはどこに隠し持っていたのか、いつの間にか短刀が握られており、そのまま向かってくる鞭に対して一閃した。
するとズバッと暁鴉が鞭の先を断ち切るのと同時に、どこから飛んできたのか、風を切って上座の男の足元に一本の槍が突き刺さる。
ヒィッと上座の男が一歩下がったところで、その場にやけに呑気な声が響いた。
「…気に入らないからって、女にまで手をあげるなんて感心しないねぇ?だから君はモテないんだよ」
そう言いながら現れた男は、亜麻色の短髪に青い瞳の小太りの男。言うまでもなくその人は、璉の側近の一人である邰 樓爛であった。
「…樓爛っ⁉︎」
「樓爛様⁉︎」
ほぼ同時に鴻夏と暁鴉が驚きの声を上げる。
すると鴻夏達も入ってきた出入り口に現れた樓爛が、ニッコリと笑いながらこう答えた。
「…お待たせ致しました、鴻夏様。ちょっと証拠を探すのに手間取りまして、参上が遅くなりました」
そう言って、にこやかに樓爛が前へと進み出ると、その後ろからバラバラと沢山の兵士達が雪崩れ込んで来る。そして広間はあっという間に、盗賊と風嘉兵との戦闘に突入した。
そしてそんな中、ゆっくりと樓爛が鴻夏の元までやって来る。途中向かって来る盗賊達を難なく切り捨て、樓爛はまるで散歩しているかのような呑気さで鴻夏の前まで到達した。
「ろ…樓爛、どうしてここに…?」
まだ信じられないとばかりに鴻夏がそう問うと、樓爛はいつも通りの口調でこう答える。
「あぁ…今回の私の仕事は、闇取引ルートの解明と殲滅でしてねぇ。偶然にも鴻夏様を捕らえた連中が、私の探していた奴等と一緒だったってわけです。いや~、焦りましたよ。お陰でうちの大将、キレまくりです」
そう言って樓爛がクイッと親指を向けた先には、上座で腰を抜かし、この世の終わりとばかりにガタガタと震え上がる小太りの男。
そしてその男の鼻先に剣の切っ先を突き付けているのは、長い亜麻色の髪の中背の男。
その見覚えのある姿に、鴻夏は信じられない思いで声をかけた。
「れ…璉…⁉︎」
さして大きな声ではなかったが、それでもその声は男の耳まで届いたらしい。
すぐに亜麻色の髪の男が、スゥッと鴻夏の方へと視線を向けると、その顔を確認した鴻夏の瞳からは安堵の涙が溢れ、周囲の敵からはヒィッという声にならない悲鳴が漏れた。
「は…は…『白龍』だぁ!」
「逃げろ、殺されるっ!」
ヒィィッと大きな悲鳴をあげながら、雪崩を打ったように盗賊達が我先にと逃げ始める。
その姿をトボけた様子で眺めながら、樓爛がのんびりとこう呟いた。
「おぉ、効果抜群!敵わない相手を見極めて逃げ出すのは正確だけど、ここで逃しちゃうと私の立場が危うくなるんだよねぇ…」
そこで一旦言葉を区切り、樓爛は周囲の全ての味方に聞こえるよう、声を張り上げる。
「敵が逃げるぞっ!お前達、必ず一人残らず捕まえろ!ここで一気にカタをつける!」
「はっ!」
力強くそう答えると、風嘉軍の兵士達が逃げ出した盗賊達をバタバタと追いかけて行く。
それを視界の隅で捉えながら、樓爛はのんびりと剣を肩に置きつつ上座へと声を掛けた。
「…璉、怒るのはわかるけどさ。それ一応、月鷲の皇族だからね。さすがに切っちゃうのはマズいんじゃない?」
「…」
「おーい、璉!ちょっと聞いてる?」
そう重ねて声をかけると、璉がこれ以上ないほど冷ややかに、樓爛の方を顧みる。
全身に光り輝くような白金のオーラを纏い、圧倒的な存在感でその場に立つ璉は、まさしく『白龍』と呼ぶに相応しい気品と迫力に満ち溢れていた。そして璉の珍しい翆の瞳が、怒りとともに金彩を帯び妖しく輝く。
そのたったひと睨みで、その場全ての者達を凍り付かせた璉は、無言のまま再び自らの前でへたり込む男へと視線を戻した。
その今にも相手を殺しかねない危うい姿に、思わずゾクゾクッと悪寒が背筋を走り抜けたが、それでも樓爛は必死で璉を説得する。
「…ダメだよ、璉?それはマズい…!」
そう樓爛が呟いた時、その場に急に不似合いなほど楽しげな声が響いた。
「いや…いいぞ、璉?どうせ月鷲に連れ帰ったところで、その男の死刑は揺らがん。お前が殺りたいなら、ここで殺してしまえ!」
そう言いながら現れたのは、浅黒い肌に豪奢な金髪の見た目も鮮やかな一人の男。
『月鷲の金獅子』の異名をとる、現 月鷲帝の濤 鴎悧であった。
そのとんでもない発言に、璉に切っ先を突き付けられている男が悲鳴交じりにこう叫ぶ。
「お…鴎悧っ⁉︎お前は叔父である我を見捨てるというのか⁉︎」
非難がましくそう騒ぎ立てる男に、鴎悧帝はチラリと視線を向けると、すぐに口の端を歪めながらこう答える。
「叔父…ね。まぁ確かに血は繋がっているようだが、そもそも俺は無能な男が嫌いでね。しかも分不相応にも皇帝の座を狙おうとする馬鹿を、助けてやるほど寛容でもないのさ」
「お…鴎悧…っ」
そう呻いて、小太りの男は黙り込む。
その頃になってようやく味方に助け出され、広間へと駆けつけた暁刃達は、一歩足を踏み入れた途端、璉の放つ凄まじい気に圧倒され、その場から動けなくなってしまった。
知らず冷や汗を流しつつ、そのまま声もなく見続けていると、ふいに璉が鴎悧帝へと視線を向ける。そしてその翠の瞳が鴎悧帝の姿を捉え、初めて璉が静かに口を開いた。
「…鴎悧。この男、本当に殺しても構わないのですか?」
「ああ、構わん。月鷲帝たる俺が許す。好きにしていいぞ」
ニヤリと笑いながら、鴎悧帝が頷く。
ヒッと喉の奥で悲鳴をあげながら、小太りの男がジリッと後退るのを眺めながら、鴎悧帝は更に付け足すようにこう言った。
「俺にとっては、何の価値もない男だ。こうして害になった覚えこそあれ、役に立った事など一度もない」
「…一応、貴方の叔父だと主張しているようですが…?」
重ねて璉がそう問うと、鴎悧帝は何でもない事のようにこう答える。
「まぁ…な。一応俺の親父である、先々帝の異母弟ではあるな…。まぁだからといって、大した問題でもない。好きにしろ」
ヒィィッと今にも失神しそうな声で、小太りの男が喚き立てる。するとそれを冷ややかに眺めていた璉が、ふいにスッと剣を引いた。
それを見て、鴎悧帝が意外そうな顔をする。
「…なんだ、殺らんのか?」
「ええ…殺しませんよ。私が今ここで殺してしまったら、簡単に楽になってしまいます。…それじゃ何の意味もない」
まるで悪魔のように冷たく微笑みながら、璉がチラリと鴎悧帝へと視線を戻す。
そして続けて語られた言葉に、その場に居た全員が凍り付いた。
「…楽に死なせてなどやりません。この男はこのまま月鷲に戻り、大勢の人々の前で死刑に処されるべきです。そして刑が執行されるまでの間、金も地位も無くし、ただの罪人として牢に繋がれ、母国の人々に蔑まれながら死への恐怖に怯え続けるがいい。この男にはその方がお似合いでしょう」
そう語ると璉はもう用は済んだとばかりに、そのまま男に背を向けた。
そして上座からゆったりと降りて来る璉を見ながら、さすがの鴎悧帝も冷や汗を流す。
「…怖い男だな、璉。お前を本気で怒らすと、死より怖ろしい目に遭いそうだ」
恐怖のあまり放心状態となった叔父を、部下達に捕らえさせながら鴎悧帝がそう皮肉る。
するとそれを受けて璉は、チラリと鴎悧帝へと視線をやりながらこう答えた。
「…今回の件、私は貴方にも怒っているんですけどね、鴎悧…?」
「ほぅ、俺が何かしたかな?」
白々しくそうとぼける鴎悧帝に、璉は怒りもせず静かにこう告げる。
「大事な私の妻と国民を危険に晒しました。この借りは必ず返させてもらいます」
「ふん、ではどうする?とりあえず俺を殺してみるか?」
次々と引っ立てられていく盗賊達を眺めながら、鴎悧帝が挑戦的にそう返す。
すると璉は予想外に穏やかに微笑むと、少し意地悪い口調でこう答えた。
「まさか…そんな馬鹿な真似はしませんよ?私はこれでも結構、貴方の事を気に入ってるんです。だから今回の件は、少々の意趣返しで勘弁してあげますよ…」
そう静かに告げると、璉はそれで話は終わったとばかりに、鴎悧帝の横を通り過ぎた。
そして璉は、その場にヘタり込んでしまった鴻夏へと近付き、ゆったりとその手を取る。
「…よく頑張りましたね、鴻夏。怪我はありませんか?」
ふわりといつもの優しい笑顔を見せられ、鴻夏の緊張が一瞬で解ける。無意識に溢れ出る涙で視界が遮られたが、それでも鴻夏は迷わず目の前の男の胸へと飛び込んだ。
「…璉…っ!璉!」
震える声でそう言うのが、精一杯だった。
璉がそこに居るのを確認するように、鴻夏は璉の首に手を回し、その身体に取り縋る。
それをしっかりと抱き締め返しながら、璉は安心させるかのように、鴻夏の頭を撫でた。
それを感じ、鴻夏は更に涙が溢れてしまう。
ようやく璉の元に戻れたという安心感から、鴻夏は子供のように泣きじゃくった。
正直 璉の顔を見るまで、死ぬほど怖かった。
いつ殺されてもおかしくない状況で、自分の肩に暁刃達の命がかかっているという重責。
そして皆を護るためにした投降という決断。
もしかして自分は間違った判断をしたのではないだろうか、この後どうすればいいのだろうかと常に大きな不安を抱えていた。
だがそれを誰にも悟られないよう、精一杯見栄を張りながら、鴻夏なりに必死で生き残る術を考えた。誰も助けてくれない、自分でやるしかないという、経験した事もない状況。
そしてそんな中、鴻夏は璉がいつも一人で、このように戦っていたのかと理解したのだ。
おそらくそれは…為政者のみが持つ不安。
数多くの人々を護ろうとする者のみがわかる、辛くて厳しい茨の道。
誰にも感謝されなくても、当然だと言われても、文句一つ言わずに与え続ける無償の愛。
だからこそ璉は誰よりも強くて美しいのだ。
怖ろしいと言われる一面も、全てが大切な者達を護るために身に付けた優しい刃。
だから鴻夏は目一杯、璉に抱きつきながら心からの感謝の意を述べる。
「璉…璉、ありがとう。きっと助けに来てくれると信じてたわ…!」
そう告げると璉は優しく抱き返しながらも、小さな声でこう返す。
「無事で…良かったです…。鴻夏が連れ去られたと聞いた時は、本当に生きた心地がしませんでした。…もう二度と、こんな事は無しでお願いします」
そう言ってしっかりと抱き合う皇帝夫妻を、風嘉の査察団の面々が暖かく見守る。
そして璉の側近である樓爛は、一人深い深い溜め息をつきながら、陰でこう独り言た。
「…あー…心臓に悪い。今回ばかりはさすがの私も命の危険を感じたよ…」
そうボヤく樓爛の脳裏を過るのは、鴎悧帝を引き連れて戻ってきた時の璉の姿。
いつも良く言えば冷静沈着、悪く言えば何事にも無関心のあの璉が、鴻夏が連れ去られたと聞いた途端、まるで人が違ったように怒り心頭で戻ってきたのだ。
そしてその後は、作戦も何もあったもんではなく、いきなり璉が敵陣に突入してしまい、その後を慌てて樓爛達が追うという…まさに行き当たりばったりの経験をしたのだ。
璉とは長い付き合いになるが、後にも先にもあんな彼を見たのは初めてである。
「いやはや、まさかあの璉がねぇ…。こりゃ鴻夏様を見くびってたな…」
「ハハ…お頭でも読み違える事があるんですかい?そりゃあ愉快だな」
ふと気付くと武装商人時代からの部下達が、樓爛の周りを取り囲んで、ガハハと豪快に笑っていた。それに対し樓爛は、自らの額に手を当てながら困ったようにこうボヤく。
「…言ってろ。私だって万能じゃないんだ。気が付かない事もあるし、読み違える事だってあるさ」
そうは言ってはみたものの、樓爛にしてみれば今回の事はまったくの予想外、完全にしてやられたとしか言えなかった。
何故なら誰にも関心を持たないと思っていたあの『白龍』が、たった一人の少女の為に、まさに我を忘れて動いたのである。
そして今回の事をきっかけに、樓爛は鴻夏の中に、もう一つの可能性を見出していた。
樓爛自身は遠目に見ただけだが、血気盛んな若者達を気迫だけで従わせたあの気配。
『…確信はないが、鴻夏様も璉と同じく歴史に名を残す者なのかもしれない。あれは間違いなく、璉と同じ王者の気配だった…』
まるで朱金の焔のようなオーラを揺らめかせ、一瞬で周りを従わせたあの気配。
冴え冴えとした白金のオーラを漂わせる璉が『白龍』ならば、焔ような朱金のオーラを纏う鴻夏は『紅凰』とでもいうべきか…。
「…まさしくなるべくして風嘉の皇后となられたか…。まぁその辺の見極めは、私の範疇じゃないね。とりあえず報告だけして、後は黎鵞あたりにでも任せよう」
そう言って樓爛は自分なりに結論を出すと、やけに楽しげに微笑んだ。
今まで何事にも無関心でしかなかったあの璉が、たった一人の少女に振り回されているという事実が、可笑しくて仕方がない。
そしてその少女自身も、只者ではない可能性が出て来て、樓爛としてはこれからの風嘉がどうなっていくのかが楽しみであった。
そして彼は誰に言うでもなく独り言る。
「…ま、退屈だけはしなさそうだね。これで儲けもあれば、言う事なしかな?」
樓爛らしくそう締め括ると、彼は気持ちを切り替え、その場から動こうとしない皇帝夫妻に対して明るくこう声を掛ける。
「さぁさイチャつくのはそのくらいにして、とっとと砦に戻りますよ~?もう一泊野宿だなんて、私は絶対に嫌ですからね!」
その樓爛の言い草に、その場にドッと笑いが巻き起こった。
捕らえた盗賊達を月鷲側に引き渡し、光嚴を含め、風嘉に属する者のみを連れ帰った璉達は、砦の者達から盛大な謝罪を受けていた。
その中でも砦の最高責任者であり、光嚴の実弟でもある夜刃将軍は、事の仔細を聞くなり額を石畳の床に擦り付け、ひたすら謝罪の言葉を繰り返していた。
本来ならば不正を取り締まるべき立場にあるはずの実兄が、よもや自ら望んで他国の手先となり、息子達をも巻き込んで私腹を肥やしていたとは…情けないにも程がある。
そしてそんな兄を信じ切り、疑う事すらしなかった自分にも、彼は怒りを感じていた。
そのため夜刃将軍は、謝罪と共に自らも責任を取るため、将軍職を降りる事を申し出る。
いくら知らなかったとは言え、身内が祖国を裏切る行為をしたのだから、自分の申し出は至極当然なものだと思っていた。
しかし彼の予想に反し、璉はこう述べる。
「…貴方が責任を取る必要はありませんよ、夜刃。光嚴の罪は光嚴一人のもの。例え身内でも、他の者が負う必要はありません」
「し…しかし『白龍』、それでは他に示しが尽きませぬ!」
生真面目にそう言い募る夜刃将軍に、璉は静かにこう答える。
「もちろん多少の処罰はさせてもらいます。でも辞める事は許しません。貴方以上にこの南方領を愛し、護れる者は居りませんから」
「し…しかし…」
思わず言い澱む夜刃将軍に、璉はそのまま有無を言わせぬ口調でこう告げる。
「…ただし二度と同じ事が起こらないよう、南方領にはいくつかの条件を呑んでいただきます」
「条件…?」
不安そうに聞き返す夜刃将軍に、璉は淡々と条件を口にする。
「まずこの機に、中央から派遣する長官を受け入れていただきます。そもそも横領の段階で気付けなかったのは、監視すべき長官が居なかったからです。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、この点は譲れません」
あまりにも痛いところを突かれ、夜刃将軍は反論も出来ずにうな垂れる。
今まで璉以外の長官は認めないと、中央からの長官の派遣を拒否し続けてきたが、今回の自分達の失態により、ついに受け入れを断れない状況となってしまった。
その事が悔しくて、夜刃将軍は側で見ている者がわかるほど、ガックリと肩を落とす。
しかしいくら可哀想に見えても、南方領を身内のみで統治する事は絶対に認められない。
今回は何とか事無きを得たが、二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのだ。
そして璉は畳み掛けるように、更にいくつかの厳しい条件をあげていく。その内容を聞くにつれ、彼の表情はどんどん曇っていった。
「…長官だけでなく、同時にその補佐を担う官僚も複数受け入れてもらいます。あと光嚴が国に与えた損害については、何年かかっても南方領が責任を持って全額支払う事。闇取引に加担してしまった者達については、罪に問う事はしませんが、全員交代で中央へ留学し、砦の役に立つ知識を身に付けていただきます。そして光嚴はこのまま中央へ連行し、取り調べ及び処罰はすべて中央で行います。よろしいですね?」
一気に語り終えると、璉は静かに夜刃将軍を見つめ返した。光嚴以外に罪を問う気はないが、特別容赦をするつもりもないらしい。
穏やかながらもそれ以外の選択肢は認めないとする璉の態度に、夜刃将軍は深い溜め息をつきながらも、渋々了承するしかなかった。
しかしその時 夜刃将軍の後ろから、控えめながらも意を決したような声が響いたのだ。
「あの…っ、畏れながら『白龍』にお願いがございます!」
そう声をかけてきたのは、夜刃将軍の息子である暁刃だった。ずっと彼なりに立場をわきまえ、璉と父親とのやり取りを跪いた状態で黙って聞いていたのだが、自分達の処分が確定した途端、彼はすぐさま口を開いた。
そして璉が暁刃へと無言で視線を向けると、彼は興奮のあまり頰を紅潮させながら、強い意志を感じさせる瞳で璉を見返したのだ。
そんな両者をハラハラと見つめながら、鴻夏は何も言えずにその場に立ち尽くす。
暁刃が璉に一体何を願うのか…鴻夏はまったく想像もつかなかったのだが、そんな彼女の耳に暁刃の信じられない言葉が響いてきた。
「…この度の不祥事を受け、我が南方領でも新しい長官を迎え入れるべきとの事は、重々承知しております。しかしこの地は長きに渡り、『白龍』のみを長官としてきた土地…。失礼ながら生半可な御方では、その後は引き継げないものと推察致します…」
そこで一旦言葉を区切り、暁刃はスッと視線を鴻夏へと向けると、誰よりも心酔し切った目で力強くこう宣ったのだ。
「そこで是非、そこにいらっしゃるお妃様に南方領の長官に就任頂きたく、無礼を承知でお願い申し上げます…!」
シン…と一瞬でその場が凍り付いた。
璉は僅かにその瞳を見開き、夜刃将軍は自らの息子の爆弾発言に、何も言えずに慄いた。
そして名指しされた鴻夏はというと、衝撃のあまり何を言われたのかも理解出来ず、ただただ茫然とその場に立ち尽くす。
頭の中を暁刃の台詞が、意味なくグルグルと回っていた。驚きでほとんど働かなくなった頭で、鴻夏はボンヤリと反芻する。
『今…暁刃殿は何と仰られた…?確か南方領の長官がどうとか…?』
相変わらず思考が停止している鴻夏に対し、璉の方はすぐに驚きから立ち直ると、実に冷静に暁刃にこう問い返す。
「鴻夏をこの南方領の長官に…ですか。鴻夏はこの風嘉の皇后で、私と共に中央に在るべき存在ですが…?」
「はい、もちろん承知致しております。だから名目上だけで良いのです。確か北方領の方は、皇太子である泰瀏皇子が長官に就任されたと聞き及んでおります。同じように我が南方領も、名目上だけでもお妃様を長官とさせて頂きたいのです」
熱心にそう語る暁刃に、璉が小首を傾げる。
何故 暁刃が急に鴻夏を南方領の長官に…と言い出したのか、その理由がわからなかった。
するとその考えを察した暁刃が、補足するようにこう語る。
「…お妃様は自らの危険も顧みず、私達の事を必死で護ってくださいました。私達が一人も欠ける事なく、無事砦まで戻って来られたのは、すべてお妃様のお陰です。だからこそそんなお妃様になら、私は『白龍』の代わりを務められると確信したのです」
そう力強く宣言した暁刃の言葉に、次々と砦の若者達の口から賛同の声が上がる。
そしてそれはいつしか砦全体の声となって、割れんばかりの大歓声となっていた。
「お妃様を我等が長官に…!」
「我等に皇后の祝福を!」
「我が南方領は、『白龍』以外は皇后にしかお仕えしませぬぞ…!」
璉に向かって砦中の人々が、鴻夏を長官にとの声を上げてくる。
それを受けて璉は少し考え込むようにその瞳を伏せたが、すぐに決心がついたのか、その美しい翠の瞳で真っ直ぐに鴻夏を見つめた。
そしてまだ状況が理解できない鴻夏に対し、璉の口から確認の言葉が溢れ落ちる。
「…鴻夏。聞いての通り、皆が貴女を長官にと望んでいます。この南方領の長官、引き受けていただけますか?」
「れ…璉…。でも私は役立たずの妃で、そんな長官なんて務められるような者では…」
そう言って鴻夏が小さく頭を振りながら答えると、璉は穏やかに微笑みつつこう答える。
「いいえ…貴女は役立たずなどではありませんよ?貴女はちゃんと私の代わりに、砦の者達を護ってくれました。だからこそ皆は貴女を長官にと望んでいるのです」
そう語りながら璉はゆったりと鴻夏へと近付き、そっとその手を取ると、静かな口調で再びこう告げる。
「…引き受けていただけませんか、鴻夏?私からもお願いします」
「で…でも…」
そう言われてもまだ迷っている鴻夏に対し、今度は暁刃が力強く声を上げる。
「お願いします、お妃様!我等は『紅凰』である貴女様にお仕えしたいのです!」
「え…?『紅凰』って…?」
耳慣れない単語に思わず鴻夏が聞き返すと、暁刃はうっとりと夢見るようにこう答える。
「…お妃様の事です。私達を護るため、敵への投降を呼びかけられたお妃様は、朱金の焔のようなオーラを纏っておられました。そしてその御姿は、伝説の鳳凰のように華麗で、私は魂が震えるほどの感銘を受けました…」
そこで一旦言葉を区切り、暁刃は觜絡を始めとした自分の仲間達へも視線を向け、そして彼等にも同意を求めるようにこう続ける。
「一般的に皇帝を『龍』で表すように、皇后は『鳳凰』に準えられると申します。あの時のお妃様は、まさしく地上に降り立った鳳凰のように、強く気高く美しく凛としておられました。朱金の焔を纏う鳳凰、『紅凰』とも呼ぶべき貴女様の御姿に、私は心からお仕えしたいと思ったのです…」
そう告げる暁刃の声を後押しするように、更に砦の若者達の言葉が続く。
「わ、私も感動しました!さすがは『白龍』の選ばれた御方だと…っ」
「是非お仕えさせてください!」
「お願い致します!」
次々と上がる声に鴻夏が戸惑っていると、璉が穏やかな声でこう問いかけてくる。
「…鴻夏。どうやら貴女は私の知らないところで、すでにこれだけの信奉者を集めていたようですよ…。彼等の切実なお願いを聞いてあげないのですか…?」
「で…でも私は、『紅凰』なんてそんな大それた者じゃ…。そ、それにあの時は必死だっただけで、特に何もしてないわ…っ」
慌てて否定する鴻夏に対し、璉は優しく微笑みながらこう告げる。
「それでも彼等はあの時、貴女という存在に救われたのです。希望も持てない状況の中、周りに光をもたらせる者はそうは居ません」
「…璉…」
「私も貴女ならばきっと、この南方領を治めていけると信じています。だから彼等の想いを受け取って頂けませんか…?」
重ねてそう請われ、鴻夏は悩みながら無言で周囲を見回した。すると南方領の人々が、皆一様にキラキラとした瞳で、期待に胸を膨らませながら鴻夏の事を見つめている。
それを感じ鴻夏は初めて、自分がこの南方領の人々に必要とされているのだと理解した。
『私は…璉のように戦って人々を護る事も、他国とうまく交渉する事も出来ない。それでも…そんな私でも本当にいいのかしら…?』
自信は全くなかった。けれど純粋に、自分を求めてくれる人々に応えたいとも思った。
そしてじわじわと、彼等の想いに応えたいという気持ちが、鴻夏の心を占めていく。
気がつくと鴻夏は璉にこう問いかけていた。
「…璉…。本当に私に務まると思う…?」
「ええ、鴻夏なら出来ますよ。大丈夫、もっと自信を持ってください」
迷わずそう言ってくれた璉に対し、鴻夏は思わず安堵の笑みを浮かべる。
そしてすぐにその表情を改めると、鴻夏は風嘉帝である夫に対し最上級の礼を取り、続けてはっきりとした声でこう答えたのだ。
「…未熟な身ではごさいますが、拝命謹んでお受け致します…」
そんな鴻夏の答えに、一斉にワァッと周囲の人々の口から歓喜の声が漏れる。
そしてその声は、すぐに鴻夏自身を讃える声へと変わっていった。
「おお、ありがたい…っ!」
「我等が『紅凰』に祝福を!」
「さすがは『白龍』が選ばれた御方よ。誰よりも慈悲深く、そしてお美しい…!」
「やれ、めでたい!南方領は『白龍』に引き続き、『紅凰』の祝福も得たぞ!」
口々にそう言い募りながら、人々はまるで祭りの最高潮の時のように喜びに酔いしれる。
それを眺めながら、璉は鴻夏にだけ聞こえる声でそっと耳元でこう囁く。
「引き受けてくれてありがとうございます、鴻夏。きっと貴女なら、誰よりもこの土地を愛し活かしてくださると信じてます」
「…璉…」
ニッコリと微笑むと、璉はそれ以上は何も言わなかった。けれどそこに秘められた想いを受け、鴻夏は彼に宣言する。
「…璉、私はまだ至らない所だらけだけど、これだけは約束出来るわ。私はこの南方領を誰よりも愛し、護ってみせます。だってこの土地は、貴方の大切な始まりの場所だから」
そう言って静かな決意を胸に、璉を見返す鴻夏にはわかっていた。
璉が今でも『白龍』と呼ばれ、この南方領の人々に慕われるのは、彼が誰よりもこの土地を愛し、護ってきたからに他ならない。
そしてそれほどまでに大切に想っている場所を、璉は自分を信じて託してくれたのだ。
その事実が何よりも嬉しく、誇らしい。
だからこそ鴻夏は誰よりも強く思った。
璉が大切にしているこの場所を、自分は必ず護りきる。誰にも何にも侵させはしないと。
そしてその強い決意が、再び鴻夏の姿を輝かせる。璉と南方領の人々の前で、まるで朱金の焔のようなオーラを揺らめかせ、凛としてその場に立つ鴻夏は、暁刃達が言うように『紅凰』と呼ぶのに相応しい姿であった。
それを眩しそうに見つめながら、璉は密かにこう思う。
『ようやく目覚め始めましたか…。あの日、私を一瞬で捕らえた『紅凰』が…』
そう思う璉の記憶に蘇るのは、花胤の後宮でまだ幼い鴻夏と初めて出会った時の事。
あの時、意味なく他の異母兄妹達に取り囲まれ虐められていた鴻夏を、璉は最初助けるつもりなど微塵もなかった。自身も経験してきた事だが、よくある身分差による虐めかと、正直さして感慨も持たなかったのだ。
ところがその場を去ろうとした時、璉は偶然にも見てしまった。
ほんの一瞬ではあったが、鴻夏がその圧倒的な気迫で他の異母兄妹達を制する瞬間を。
その魂をも揺さぶるような美しい姿に、璉は一瞬で捕らわれてしまったのだ。
そして決して何者にも何事にも捕らわれない、捕らわれた事もない自分が、初めて考えるよりも先に行動していた。
こんな奇跡は、鴻夏以外には起こり得ない。
後にも先にも仕事でもない事柄に、自ら進んで関わったのは、あれが初めてである。
そして今、またもや鴻夏は璉を動かした。
まるで運命の糸が二人を結び付けるかのように、『紅凰』の呼び掛けに『白龍』が動く。
近隣諸国から最も恐れられる『風嘉の白龍』こと風嘉帝、緫 璉瀏を動かせる唯一の人間。
この事件を機に、鴻夏はすべての人々にそう認識されたのだった。
こうして『花胤の陽の姫』と呼ばれた鴻夏姫は、新たに『風嘉の紅凰』の名を冠し、夫である璉瀏帝と共に歴史にその名を残していく事となる。『白龍』と『紅凰』が揃い、ますます発展していく風嘉に対し、急激に滅びへの階段を転がり落ちていく国もあった。
この時、鴻夏達はまだ知らなかったが、遠く離れた鴻夏の母国 花胤では、『花胤の黒亀』と呼ばれた鴻夏の父、偉大なる黒鵡帝が息子である第ニ皇子の魏溱に討たれていた。
花胤帝 黒鵡は御年四十七歳。
特にこれといった大きな功績もなかったが、その優れた政治手腕により、長きに渡り花胤を平和に統治してきた賢帝である。
ところが今、その均衡は突然破られたのだ。
狂ったように実父の首を掲げ、高らかに笑い続ける異母兄 魏溱に、凛鵜は冷ややかな視線を向ける。別室では、異母兄である皇太子もすでに魏溱の手によって殺されており、宮廷に仕える宦官や女官らが、震えながら蒼ざめた顔で魏溱を見つめていた。
そして誰もが予想だにしなかった簒奪劇に、言葉もなく立ち尽くす中、突然スッと凛鵜が一歩前へと出てその場に跪く。
そして美しすぎる異母弟へと目を向けた魏溱に対し、凛鵜は静かな口調でこう宣言した。
「…新皇帝 魏溱様に忠誠を」
「…り、凛鵜皇子…っ⁉︎」
ザワッと周囲に衝撃の波が走る。
だが確かに皇帝、皇太子が亡き今、次の花胤帝は、魏溱か凛鵜のどちらかだけであった。そして凛鵜がいち早く魏溱を支持すると示した事により、納得がいかないながらも、その場に居る者達は次々と膝を折り、魏溱へと最上級の礼を取る。
「…新皇帝陛下へ忠誠を…」
ザッと何百人もの宮中の人間達が、簒奪者である魏溱に向かって跪いた。
それを勝ち誇ったように眺めながら、実父と異母兄の血に塗れた魏溱がニヤリと笑う。
それを冷静に見て取りながら、『花胤の陰の皇子』こと凛鵜皇子は、誰もが震え上がる中、密かに袖の陰で優雅に微笑んだのだった。
鳥漣の狂帝〜花鳥風月奇譚・3〜 へ続きます