表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風嘉の白龍 〜花鳥風月奇譚・2〜  作者: 緋影 あきら
12/12

ー風嘉の白龍ー

(にぎ)やかな音楽が流れていた。

急ごしらえで作られた割にはそれなりに立派な石造りの建物の中で、これまたどこから持ち込んだものやら、(あふ)れんばかりに盛り付けられたご馳走(ちそう)と酒が所狭(ところせま)しと並んでいる。

広間のあちこちには、酒を片手に大騒ぎをする闇商人達…いや盗賊達が、楽しげに笑いながら今日の成果を自慢し合っていた。

そんな男達の周りには、やけに露出度(ろしゅつど)の高い衣装を身に(まと)った女達が、酒を()いで回ったり舞を披露(ひろう)したりして場を盛り上げている。

だが中には蒼い顔で、ガタガタと震えながら応対している者も居て、女達の全てが接客を生業(なりわい)としている訳ではなさそうだった。

そんな中、明らかに上座(かみざ)と分かる一際高く作られた場所に、一人の男が座している。

年齢は四十代後半といったところだろうか。

浅黒い肌に短く刈りそろえられた黒髪、饅頭(まんじゅう)のように丸い顔の中に、線のように細い目とずんぐりした鼻、そして分厚い口唇。

お世辞にも美男とは言い(がた)い容姿ではあったが、身に付けているものはいかにも高価で、男の身分がかなり高い事がうかがえた。

特に頭に巻く布を留める紅玉は、大人の親指の先ほどもある大きな物で、脂肪に(おお)われた太い首には三連にもなる豪奢(ごうしゃ)な金の首飾り、そしてふくふくとした両手の指には、全て大きな宝石の(はま)った指輪が輝いている。

そうして悪趣味なまでに全身を飾り立てているその男は、その脂ぎった顔にイヤラしい笑みを浮かべつつ、手近に控える女達の尻や胸に手を伸ばし、その感触を楽しんでいた。


そんな男の様子に心の中で眉を(しか)めつつも、光嚴(コウゲン)は表面上は何事もなくこう告げる。

「…殿下、私は反対でございます。殿下ほど高貴な身分の御方(おかた)が、何故あんな小娘一人に(こだわ)られるのです?しかもあれは『白龍(はくりゅう)』の妃、すでに他の男の手がついている女ですぞ?殿下のお相手を(つと)めるに、相応(ふさわ)しい女ではありませぬ」

「…そうは言うてもな、光嚴(コウゲン)。あれ程の美女はなかなかは居らぬぞ?あのすべすべとした触り心地の良さそうな真珠色(しんじゅいろ)の肌…気の強そうな金の瞳。さすがは『月鷲(ゲッシュウ)の月姫』と(うた)われた翡雀(ヒジャク)の娘よの」

そう言って『殿下』と呼ばれた上座(かみざ)の男は、今にも舌舐めずりをしそうな勢いで、下卑(げび)た笑いを浮かべる。おそらく頭の中では、鴻夏(コウカ)をどう犯すかしか考えていないのだろう。

それを苦々しく思いながらも、光嚴(コウゲン)は手にした杯を傾ける事で平静さを装う。

『…まったく、俗物(ぞくぶつ)としか言えんな。こんな男が『金獅子(きんじし)』の叔父とは…。頭の中は常に美しい女を犯す事しかないと見える』

そう毒付いてはみたものの、確かに男の言うように、鴻夏(コウカ)の美しさは(ぐん)を抜いていた。

かくいう光嚴(コウゲン)自身も初めて鴻夏(コウカ)相見(あいまみ)えた時は、その人並外れた美貌(びぼう)に圧倒され、思わず息をするのも忘れたほどである。

おそらく男なら、一度は自分の(そば)(はべ)らせたいと願うような…そんな(たぐい)の美女であった。


『しかしあれは『白龍(はくりゅう)』の女…。昨夜の宴の様子を見る限りは、その寵愛(ちょうあい)もかなり深い。下手に手を出そうものなら、こちらの命など一瞬で消し飛ぶわ』

苦々しくそう思いながらも、光嚴(コウゲン)は理性で自らの欲望を抑え込む。()にも(かく)にも鴻夏(コウカ)を諦める事が出来るだけ、光嚴(コウゲン)は大人だった。

そんな中、(やり)を手にした部下達に引っ立てられ、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)の二人が大広間に姿を現す。

暁鴉(ギョウア)は危険と判断されたのか、後ろ手に身体を縄で縛られた状態で、鴻夏(コウカ)は縛られてこそいなかったが、素早く動く事は難しそうなデザインのドレスに着替えさせられていた。

途端にその場に居た全員の視線が鴻夏(コウカ)達に集まり、遅れて来訪(らいほう)を告げる言葉が、案内役の男によって告げられる。

「ご命令通りにお連れしました」

そう言って案内役の男が(うやうや)しく頭を下げると、目に見えて上座(かみざ)の男が身を乗り出す。

その場に現れた鴻夏(コウカ)は、珍しく肩の大きく出た深みのある赤のドレスを身に(まと)い、豪奢(ごうしゃ)な金の装飾品で飾り立てられ、普段より幾分(いくぶん)大人っぽくほのかな色気すら感じさせていた。

途端にほぅっと男女問わずに感嘆(かんたん)の溜め息が漏れたが、当の本人はそれもどうでも良いとばかりに、不機嫌な顔のまま広間に足を踏み入れる。実際 (レン)がこの場に居ない今、鴻夏(コウカ)にとっては着飾(きかざ)る意味などまったくなく、暁刃(アキト)達の命さえかかっていなければ、着替えなどしたくもなかったというのが本音であった。

だが皮肉な事に、細身を生かした身体のラインを出すドレスは、思いのほか鴻夏(コウカ)によく似合っており、大振(おおぶ)りの金の首飾りを着けていても、まったく下品にはなっていない。

そのためこのドレスを選んだセンスだけは、()めてやってもいいかなと思いながら、暁鴉(ギョウア)は無言で鴻夏(コウカ)の後ろに続いた。


すると上座(かみざ)に座す男は、その余りある欲望を隠そうともせず、舐めるような視線を鴻夏(コウカ)に送ってくる。そして上から下までじっくりと眺め回すと、男は満足げにニタリと笑った。

それを感じ鴻夏(コウカ)の全身が嫌悪感で総毛(そうけ)立つ。上座(かみざ)まであと少しというところであったが、鴻夏(コウカ)は思わず足を止め、そのままキッと相手を(にら)み返した。すると上座(かみざ)の男は、それすらも嬉しいとばかりにこう語る。

「おうおう、怒り顔も美しいのう。早うこちらに来い。我が可愛(かわい)がってやろうほどに」

そう言いながら、男は周囲に(はべ)らせていた女達を押し退け、鴻夏(コウカ)上座(かみざ)へと(いざな)う。

すると鴻夏(コウカ)露骨(ろこつ)に嫌そうな顔を見せたが、男の方は気にした風もなくこう告げた。

「早う来ぬか。我を待たせるでない」

偉そうにそう(のたま)う男に、鴻夏(コウカ)はすでに我慢も限界とばかりに反論する。

「お断りよ。私は風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)の妃です。盗賊(とうぞく)(ごと)きの相手など致しません!」

ツンと思いっきりそっぽを向きながら、鴻夏(コウカ)が不機嫌にそう答えると、それを受けて男の顔が怒りのあまりみるみる赤くなる。

そして男は、大きな身体をわなわなと震わせながら、ヒステリックにこう叫んだ。

「ぶ、無礼な…っ!高貴な身分の我を盗賊だとっ⁉︎」

「…盗賊でなくて、何だと言うの?どう見てもここに居る連中は真っ当ではないわ!」


きっぱりそう言い切ると、鴻夏(コウカ)はチラリと裏切り者の光嚴(コウゲン)へも視線を投げた。

途端にバツが悪そうに、光嚴(コウゲン)鴻夏(コウカ)から視線を外し、ギリッとその口唇を噛み締める。

それを見て、一応悪い事をしている自覚はあるのだなと思いながら、鴻夏(コウカ)はもう一度 上座(かみざ)の男を(にら)み付けた。すると男はいきなり立ち上がり、手にした(むち)を振り上げる。

「我に逆らうとは…この小生意気(こなまいき)な小娘が!そこへなおれ、(しつけ)直してくれる…っ!」

「…いけません、殿下!その女は『白龍(はくりゅう)』の妃…っ!その辺の女とは違いますぞ⁉︎」

突然の暴挙(ぼうきょ)に慌てて光嚴(コウゲン)が止めに入ったが、興奮しきった男の耳には何も届かなかった。

そして男はその勢いのまま、手にした(むち)を振り下ろす。ビクッと鴻夏(コウカ)がその身を(すく)めた瞬間、後ろに(ひか)えていた暁鴉(ギョウア)が無言で動いた。

パラリと自身を(いまし)めていた縄が一瞬で解け、暁鴉(ギョウア)鴻夏(コウカ)をその背に(かば)うように前に出る。

そして暁鴉(ギョウア)の手にはどこに隠し持っていたのか、いつの間にか短刀が握られており、そのまま向かってくる(むち)に対して一閃(いっせん)した。

するとズバッと暁鴉(ギョウア)(むち)の先を断ち切るのと同時に、どこから飛んできたのか、風を切って上座(かみざ)の男の足元に一本の(やり)が突き刺さる。

ヒィッと上座(かみざ)の男が一歩下がったところで、その場にやけに呑気(のんき)な声が響いた。

「…気に入らないからって、女にまで手をあげるなんて感心しないねぇ?だから君はモテないんだよ」

そう言いながら現れた男は、亜麻色(あまいろ)の短髪に青い瞳の小太りの男。言うまでもなくその人は、(レン)の側近の一人である(タイ) 樓爛(ロウラン)であった。



「…樓爛(ロウラン)っ⁉︎」

樓爛(ロウラン)様⁉︎」

ほぼ同時に鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)が驚きの声を上げる。

すると鴻夏(コウカ)達も入ってきた出入り口に現れた樓爛(ロウラン)が、ニッコリと笑いながらこう答えた。

「…お待たせ致しました、鴻夏(コウカ)様。ちょっと証拠を探すのに手間取りまして、参上が遅くなりました」

そう言って、にこやかに樓爛(ロウラン)が前へと進み出ると、その後ろからバラバラと沢山の兵士達が雪崩(なだ)れ込んで来る。そして広間はあっという間に、盗賊と風嘉(フウカ)兵との戦闘に突入した。

そしてそんな中、ゆっくりと樓爛(ロウラン)鴻夏(コウカ)の元までやって来る。途中向かって来る盗賊達を(なん)なく切り捨て、樓爛(ロウラン)はまるで散歩しているかのような呑気(のんき)さで鴻夏(コウカ)の前まで到達した。

「ろ…樓爛(ロウラン)、どうしてここに…?」

まだ信じられないとばかりに鴻夏(コウカ)がそう問うと、樓爛(ロウラン)はいつも通りの口調でこう答える。

「あぁ…今回の私の仕事は、闇取引ルートの解明と殲滅(せんめつ)でしてねぇ。偶然にも鴻夏(コウカ)様を捕らえた連中が、私の探していた奴等と一緒だったってわけです。いや~、焦りましたよ。お(かげ)でうちの大将、キレまくりです」

そう言って樓爛(ロウラン)がクイッと親指を向けた先には、上座(かみざ)で腰を抜かし、この世の終わりとばかりにガタガタと震え上がる小太りの男。

そしてその男の鼻先に剣の切っ先を突き付けているのは、長い亜麻色(あまいろ)の髪の中背の男。

その見覚えのある姿に、鴻夏(コウカ)は信じられない思いで声をかけた。


「れ…(レン)…⁉︎」

さして大きな声ではなかったが、それでもその声は男の耳まで届いたらしい。

すぐに亜麻色(あまいろ)の髪の男が、スゥッと鴻夏(コウカ)の方へと視線を向けると、その顔を確認した鴻夏(コウカ)の瞳からは安堵(あんど)の涙が(あふ)れ、周囲の敵からはヒィッという声にならない悲鳴が漏れた。

「は…は…『白龍(はくりゅう)』だぁ!」

「逃げろ、殺されるっ!」

ヒィィッと大きな悲鳴をあげながら、雪崩(なだれ)を打ったように盗賊達が我先(われさき)にと逃げ始める。

その姿をトボけた様子で眺めながら、樓爛(ロウラン)がのんびりとこう呟いた。

「おぉ、効果抜群!(かな)わない相手を見極めて逃げ出すのは正確だけど、ここで逃しちゃうと私の立場が危うくなるんだよねぇ…」

そこで一旦言葉を区切り、樓爛(ロウラン)は周囲の全ての味方に聞こえるよう、声を張り上げる。

「敵が逃げるぞっ!お前達、必ず一人残らず捕まえろ!ここで一気にカタをつける!」

「はっ!」

力強くそう答えると、風嘉(フウカ)軍の兵士達が逃げ出した盗賊達をバタバタと追いかけて行く。

それを視界の(すみ)(とら)えながら、樓爛(ロウラン)はのんびりと剣を肩に置きつつ上座(かみざ)へと声を掛けた。

「…(レン)、怒るのはわかるけどさ。それ一応、月鷲(ゲッシュウ)皇族(おうぞく)だからね。さすがに切っちゃうのはマズいんじゃない?」

「…」

「おーい、(レン)!ちょっと聞いてる?」


そう(かさ)ねて声をかけると、(レン)がこれ以上ないほど冷ややかに、樓爛(ロウラン)の方を(かえり)みる。

全身に光り輝くような白金のオーラを(まと)い、圧倒的な存在感でその場に立つ(レン)は、まさしく『白龍(はくりゅう)』と呼ぶに相応(ふさわ)しい気品と迫力に満ち(あふ)れていた。そして(レン)の珍しい(みどり)の瞳が、怒りとともに金彩(きんさい)()(あや)しく輝く。

そのたったひと(にら)みで、その場全ての者達を凍り付かせた(レン)は、無言のまま再び自らの前でへたり込む男へと視線を戻した。

その今にも相手を殺しかねない(あや)うい姿に、思わずゾクゾクッと悪寒が背筋を走り抜けたが、それでも樓爛(ロウラン)は必死で(レン)を説得する。

「…ダメだよ、(レン)?それはマズい…!」

そう樓爛(ロウラン)が呟いた時、その場に急に不似合いなほど楽しげな声が響いた。

「いや…いいぞ、(レン)?どうせ月鷲(ゲッシュウ)に連れ帰ったところで、その男の死刑は揺らがん。お前が()りたいなら、ここで(ころ)してしまえ!」

そう言いながら現れたのは、浅黒い肌に豪奢(ごうしゃ)な金髪の見た目も(あざ)やかな一人の男。

月鷲(ゲッシュウ)金獅子(きんじし)』の異名をとる、現 月鷲(ゲッシュウ)帝の(トウ) 鴎悧(オウリ)であった。

そのとんでもない発言に、(レン)に切っ先を突き付けられている男が悲鳴(ひめい)交じりにこう叫ぶ。

「お…鴎悧(オウリ)っ⁉︎お前は叔父である我を見捨てるというのか⁉︎」

非難がましくそう騒ぎ立てる男に、鴎悧(オウリ)帝はチラリと視線を向けると、すぐに口の(はし)(ゆが)めながらこう答える。


「叔父…ね。まぁ確かに血は(つな)がっているようだが、そもそも俺は無能(むのう)な男が嫌いでね。しかも分不相応(ぶんふそうおう)にも皇帝の座を狙おうとする馬鹿(ばか)を、助けてやるほど寛容(かんよう)でもないのさ」

「お…鴎悧(オウリ)…っ」

そう(うめ)いて、小太りの男は黙り込む。

その頃になってようやく味方に助け出され、広間へと駆けつけた暁刃(アキト)達は、一歩足を踏み入れた途端、(レン)の放つ(すさ)まじい気に圧倒され、その場から動けなくなってしまった。

知らず冷や汗を流しつつ、そのまま声もなく見続けていると、ふいに(レン)鴎悧(オウリ)帝へと視線を向ける。そしてその(みどり)の瞳が鴎悧(オウリ)帝の姿を(とら)え、初めて(レン)が静かに口を開いた。

「…鴎悧(オウリ)。この男、本当に殺しても構わないのですか?」

「ああ、構わん。月鷲(ゲッシュウ)帝たる俺が許す。好きにしていいぞ」

ニヤリと笑いながら、鴎悧(オウリ)帝が(うなず)く。

ヒッと喉の奥で悲鳴をあげながら、小太りの男がジリッと後退(あとずさ)るのを眺めながら、鴎悧(オウリ)帝は更に付け足すようにこう言った。

「俺にとっては、何の価値もない男だ。こうして害になった覚えこそあれ、役に立った事など一度もない」

「…一応、貴方の叔父だと主張しているようですが…?」

重ねて(レン)がそう問うと、鴎悧(オウリ)帝は何でもない事のようにこう答える。

「まぁ…な。一応俺の親父である、先々帝の異母弟(おとうと)ではあるな…。まぁだからといって、大した問題でもない。好きにしろ」


ヒィィッと今にも失神しそうな声で、小太りの男が(わめ)き立てる。するとそれを冷ややかに眺めていた(レン)が、ふいにスッと剣を引いた。

それを見て、鴎悧(オウリ)帝が意外そうな顔をする。

「…なんだ、()らんのか?」

「ええ…(ころ)しませんよ。私が今ここで(ころ)してしまったら、簡単に楽になってしまいます。…それじゃ何の意味もない」

まるで悪魔のように冷たく微笑みながら、(レン)がチラリと鴎悧(オウリ)帝へと視線を戻す。

そして続けて語られた言葉に、その場に居た全員が凍り付いた。

「…楽に死なせてなどやりません。この男はこのまま月鷲(ゲッシュウ)に戻り、大勢の人々の前で死刑に(しょ)されるべきです。そして刑が執行(しっこう)されるまでの間、金も地位も無くし、ただの罪人として牢に(つな)がれ、母国の人々に(さげす)まれながら死への恐怖に(おび)え続けるがいい。この男にはその方がお似合いでしょう」

そう語ると(レン)はもう用は済んだとばかりに、そのまま男に背を向けた。

そして上座(かみざ)からゆったりと降りて来る(レン)を見ながら、さすがの鴎悧(オウリ)帝も冷や汗を流す。

「…怖い男だな、(レン)。お前を本気で怒らすと、死より怖ろしい目に()いそうだ」

恐怖のあまり放心状態となった叔父を、部下達に捕らえさせながら鴎悧(オウリ)帝がそう皮肉る。

するとそれを受けて(レン)は、チラリと鴎悧(オウリ)帝へと視線をやりながらこう答えた。

「…今回の件、私は貴方にも怒っているんですけどね、鴎悧(オウリ)…?」

「ほぅ、俺が何かしたかな?」

白々しくそうとぼける鴎悧(オウリ)帝に、(レン)は怒りもせず静かにこう告げる。

「大事な私の妻と国民を危険に(さら)しました。この借りは必ず返させてもらいます」

「ふん、ではどうする?とりあえず俺を(ころ)してみるか?」


次々と引っ立てられていく盗賊達を眺めながら、鴎悧(オウリ)帝が挑戦的にそう返す。

すると(レン)は予想外に穏やかに微笑むと、少し意地悪い口調でこう答えた。

「まさか…そんな馬鹿な真似はしませんよ?私はこれでも結構、貴方の事を気に入ってるんです。だから今回の件は、少々の意趣(いしゅ)(かえ)しで勘弁してあげますよ…」

そう静かに告げると、(レン)はそれで話は終わったとばかりに、鴎悧(オウリ)帝の横を通り過ぎた。

そして(レン)は、その場にヘタり込んでしまった鴻夏(コウカ)へと近付き、ゆったりとその手を取る。

「…よく頑張りましたね、鴻夏(コウカ)。怪我はありませんか?」

ふわりといつもの優しい笑顔を見せられ、鴻夏(コウカ)の緊張が一瞬で()ける。無意識に(あふ)れ出る涙で視界が(さえぎ)られたが、それでも鴻夏(コウカ)は迷わず目の前の男の胸へと飛び込んだ。

「…(レン)…っ!(レン)!」

震える声でそう言うのが、精一杯だった。

(レン)がそこに居るのを確認するように、鴻夏(コウカ)(レン)の首に手を回し、その身体に取り(すが)る。

それをしっかりと抱き締め返しながら、(レン)は安心させるかのように、鴻夏(コウカ)の頭を撫でた。

それを感じ、鴻夏(コウカ)は更に涙が(あふ)れてしまう。

ようやく(レン)の元に戻れたという安心感から、鴻夏(コウカ)は子供のように泣きじゃくった。


正直 (レン)の顔を見るまで、死ぬほど怖かった。

いつ(ころ)されてもおかしくない状況で、自分の肩に暁刃(アキト)達の命がかかっているという重責。

そして皆を護るためにした投降という決断。

もしかして自分は間違った判断をしたのではないだろうか、この後どうすればいいのだろうかと常に大きな不安を抱えていた。

だがそれを誰にも悟られないよう、精一杯見栄を張りながら、鴻夏(コウカ)なりに必死で生き残る(すべ)を考えた。誰も助けてくれない、自分でやるしかないという、経験した事もない状況。

そしてそんな中、鴻夏(コウカ)(レン)がいつも一人で、このように戦っていたのかと理解したのだ。

おそらくそれは…為政者(いせいしゃ)のみが持つ不安。

数多くの人々を護ろうとする者のみがわかる、辛くて厳しい(いばら)の道。

誰にも感謝されなくても、当然だと言われても、文句一つ言わずに与え続ける無償の愛。

だからこそ(レン)は誰よりも強くて美しいのだ。

怖ろしいと言われる一面も、全てが大切な者達を護るために身に付けた優しい刃。

だから鴻夏(コウカ)は目一杯、(レン)に抱きつきながら心からの感謝の意を述べる。

(レン)(レン)、ありがとう。きっと助けに来てくれると信じてたわ…!」

そう告げると(レン)は優しく抱き返しながらも、小さな声でこう返す。

「無事で…良かったです…。鴻夏(コウカ)が連れ去られたと聞いた時は、本当に生きた心地がしませんでした。…もう二度と、こんな事は無しでお願いします」


そう言ってしっかりと抱き合う皇帝夫妻を、風嘉(フウカ)の査察団の面々が暖かく見守る。

そして(レン)の側近である樓爛(ロウラン)は、一人深い深い溜め息をつきながら、(かげ)でこう(ひと)(ごち)た。

「…あー…心臓に悪い。今回ばかりはさすがの私も命の危険を感じたよ…」

そうボヤく樓爛(ロウラン)の脳裏を(よぎ)るのは、鴎悧(オウリ)帝を引き連れて戻ってきた時の(レン)の姿。

いつも良く言えば冷静沈着(れいせいちんちゃく)、悪く言えば何事にも無関心のあの(レン)が、鴻夏(コウカ)が連れ去られたと聞いた途端、まるで人が違ったように怒り心頭(しんとう)で戻ってきたのだ。

そしてその後は、作戦も何もあったもんではなく、いきなり(レン)が敵陣に突入してしまい、その後を慌てて樓爛(ロウラン)達が追うという…まさに行き当たりばったりの経験をしたのだ。

(レン)とは長い付き合いになるが、後にも先にもあんな彼を見たのは初めてである。

「いやはや、まさかあの(レン)がねぇ…。こりゃ鴻夏(コウカ)様を見くびってたな…」

「ハハ…お(かしら)でも読み違える事があるんですかい?そりゃあ愉快(ゆかい)だな」

ふと気付くと武装商人時代からの部下達が、樓爛(ロウラン)の周りを取り囲んで、ガハハと豪快(ごうかい)に笑っていた。それに対し樓爛(ロウラン)は、自らの額に手を当てながら困ったようにこうボヤく。

「…言ってろ。私だって万能じゃないんだ。気が付かない事もあるし、読み違える事だってあるさ」

そうは言ってはみたものの、樓爛(ロウラン)にしてみれば今回の事はまったくの予想外、完全にしてやられたとしか言えなかった。

何故なら誰にも関心を持たないと思っていたあの『白龍(はくりゅう)』が、たった一人の少女の為に、まさに我を忘れて動いたのである。


そして今回の事をきっかけに、樓爛(ロウラン)鴻夏(コウカ)の中に、もう一つの可能性を見出していた。

樓爛(ロウラン)自身は遠目に見ただけだが、血気(けっき)(さか)んな若者達を気迫だけで従わせたあの気配。

『…確信はないが、鴻夏(コウカ)様も(レン)と同じく歴史に名を残す者なのかもしれない。あれは間違いなく、(レン)と同じ王者の気配だった…』

まるで朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラを揺らめかせ、一瞬で周りを従わせたあの気配。

()()えとした白金(はっきん)のオーラを(ただよ)わせる(レン)が『白龍(はくりゅう)』ならば、(ほのお)ような朱金(しゅきん)のオーラを(まと)鴻夏(コウカ)は『紅凰(こうおう)』とでもいうべきか…。

「…まさしくなるべくして風嘉(フウカ)の皇后となられたか…。まぁその辺の見極(みきわ)めは、私の範疇(はんちゅう)じゃないね。とりあえず報告だけして、後は黎鵞(レイガ)あたりにでも任せよう」

そう言って樓爛(ロウラン)は自分なりに結論を出すと、やけに楽しげに微笑んだ。

今まで何事にも無関心でしかなかったあの(レン)が、たった一人の少女に振り回されているという事実が、可笑(おか)しくて仕方がない。

そしてその少女自身も、只者(ただもの)ではない可能性が出て来て、樓爛(ロウラン)としてはこれからの風嘉(フウカ)がどうなっていくのかが楽しみであった。

そして彼は誰に言うでもなく(ひと)(ごち)る。

「…ま、退屈だけはしなさそうだね。これで(もう)けもあれば、言う事なしかな?」

樓爛(ロウラン)らしくそう()(くく)ると、彼は気持ちを切り替え、その場から動こうとしない皇帝夫妻に対して明るくこう声を掛ける。

「さぁさイチャつくのはそのくらいにして、とっとと砦に戻りますよ~?もう一泊野宿だなんて、私は絶対に嫌ですからね!」

その樓爛(ロウラン)の言い草に、その場にドッと笑いが巻き起こった。




捕らえた盗賊達を月鷲(ゲッシュウ)側に引き渡し、光嚴(コウゲン)を含め、風嘉(フウカ)に属する者のみを連れ帰った(レン)達は、砦の者達から盛大な謝罪を受けていた。

その中でも砦の最高責任者であり、光嚴(コウゲン)の実弟でもある夜刃(ヤト)将軍は、(こと)仔細(しさい)を聞くなり(ひたい)石畳(いしだたみ)の床に(こす)り付け、ひたすら謝罪の言葉を繰り返していた。

本来ならば不正を取り締まるべき立場にあるはずの実兄が、よもや自ら望んで他国の手先となり、息子達をも巻き込んで私腹を肥やしていたとは…情けないにも程がある。

そしてそんな兄を信じ切り、疑う事すらしなかった自分にも、彼は怒りを感じていた。

そのため夜刃(ヤト)将軍は、謝罪と共に自らも責任を取るため、将軍職を降りる事を申し出る。

いくら知らなかったとは言え、身内が祖国を裏切る行為をしたのだから、自分の申し出は至極(しごく)当然(とうぜん)なものだと思っていた。

しかし彼の予想に反し、(レン)はこう述べる。

「…貴方が責任を取る必要はありませんよ、夜刃(ヤト)光嚴(コウゲン)の罪は光嚴(コウゲン)一人のもの。例え身内でも、他の者が負う必要はありません」

「し…しかし『白龍(はくりゅう)』、それでは他に示しが尽きませぬ!」

生真面目(きまじめ)にそう言い(つの)夜刃(ヤト)将軍に、(レン)は静かにこう答える。

「もちろん多少の処罰はさせてもらいます。でも辞める事は許しません。貴方以上にこの南方領を愛し、護れる者は居りませんから」

「し…しかし…」

思わず言い(よど)夜刃(ヤト)将軍に、(レン)はそのまま有無を言わせぬ口調でこう告げる。


「…ただし二度と同じ事が起こらないよう、南方領にはいくつかの条件を()んでいただきます」

「条件…?」

不安そうに聞き返す夜刃(ヤト)将軍に、(レン)は淡々と条件を口にする。

「まずこの機に、中央から派遣する長官を受け入れていただきます。そもそも横領(おうりょう)の段階で気付けなかったのは、監視すべき長官が居なかったからです。二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、この点は譲れません」

あまりにも痛いところを突かれ、夜刃(ヤト)将軍は反論も出来ずにうな()れる。

今まで(レン)以外の長官は認めないと、中央からの長官の派遣を拒否し続けてきたが、今回の自分達の失態により、ついに受け入れを断れない状況となってしまった。

その事が悔しくて、夜刃(ヤト)将軍は側で見ている者がわかるほど、ガックリと肩を落とす。

しかしいくら可哀想に見えても、南方領を身内のみで統治する事は絶対に認められない。

今回は何とか事無きを得たが、二度と同じ過ちを繰り返すわけにはいかないのだ。

そして(レン)(たた)み掛けるように、更にいくつかの厳しい条件をあげていく。その内容を聞くにつれ、彼の表情はどんどん(くも)っていった。

「…長官だけでなく、同時にその補佐を担う官僚も複数受け入れてもらいます。あと光嚴(コウゲン)が国に与えた損害については、何年かかっても南方領が責任を持って全額支払う事。闇取引に加担(かたん)してしまった者達については、罪に問う事はしませんが、全員交代で中央へ留学し、砦の役に立つ知識を身に付けていただきます。そして光嚴(コウゲン)はこのまま中央へ連行し、取り調べ及び処罰はすべて中央で行います。よろしいですね?」


一気に語り終えると、(レン)は静かに夜刃(ヤト)将軍を見つめ返した。光嚴(コウゲン)以外に罪を問う気はないが、特別容赦をするつもりもないらしい。

穏やかながらもそれ以外の選択肢は認めないとする(レン)の態度に、夜刃(ヤト)将軍は深い溜め息をつきながらも、渋々了承するしかなかった。

しかしその時 夜刃(ヤト)将軍の後ろから、控えめながらも意を決したような声が響いたのだ。

「あの…っ、(おそ)れながら『白龍(はくりゅう)』にお願いがございます!」

そう声をかけてきたのは、夜刃(ヤト)将軍の息子である暁刃(アキト)だった。ずっと彼なりに立場をわきまえ、(レン)と父親とのやり取りを(ひざまず)いた状態で黙って聞いていたのだが、自分達の処分が確定した途端、彼はすぐさま口を開いた。

そして(レン)暁刃(アキト)へと無言で視線を向けると、彼は興奮のあまり頰を紅潮させながら、強い意志を感じさせる瞳で(レン)を見返したのだ。

そんな両者をハラハラと見つめながら、鴻夏(コウカ)は何も言えずにその場に立ち尽くす。

暁刃(アキト)(レン)に一体何を願うのか…鴻夏(コウカ)はまったく想像もつかなかったのだが、そんな彼女の耳に暁刃(アキト)の信じられない言葉が響いてきた。

「…この度の不祥事(ふしょうじ)を受け、我が南方領でも新しい長官を迎え入れるべきとの事は、重々承知しております。しかしこの地は長きに渡り、『白龍(はくりゅう)』のみを長官としてきた土地…。失礼ながら生半可(なまはんか)御方(おかた)では、その後は引き継げないものと推察致します…」

そこで一旦言葉を区切り、暁刃(アキト)はスッと視線を鴻夏(コウカ)へと向けると、誰よりも心酔(しんすい)し切った目で力強くこう(のたま)ったのだ。

「そこで是非、そこにいらっしゃるお妃様に南方領の長官に就任頂きたく、無礼を承知でお願い申し上げます…!」


シン…と一瞬でその場が凍り付いた。

(レン)(わず)かにその瞳を見開き、夜刃(ヤト)将軍は自らの息子の爆弾発言に、何も言えずに(おのの)いた。

そして名指しされた鴻夏(コウカ)はというと、衝撃のあまり何を言われたのかも理解出来ず、ただただ茫然(ぼうぜん)とその場に立ち尽くす。

頭の中を暁刃(アキト)の台詞が、意味なくグルグルと回っていた。驚きでほとんど働かなくなった頭で、鴻夏(コウカ)はボンヤリと反芻(はんすう)する。

『今…暁刃(アキト)殿は何と(おっしゃ)られた…?確か南方領の長官がどうとか…?』

相変わらず思考が停止している鴻夏(コウカ)に対し、(レン)の方はすぐに驚きから立ち直ると、実に冷静に暁刃(アキト)にこう問い返す。

鴻夏(コウカ)をこの南方領の長官に…ですか。鴻夏(コウカ)はこの風嘉(フウカ)の皇后で、私と共に中央に在るべき存在ですが…?」

「はい、もちろん承知致しております。だから名目上(めいもくじょう)だけで良いのです。確か北方領の方は、皇太子である泰瀏(タイリュウ)皇子(おうじ)が長官に就任されたと聞き及んでおります。同じように我が南方領も、名目上(めいもくじょう)だけでもお妃様を長官とさせて頂きたいのです」

熱心にそう語る暁刃(アキト)に、(レン)が小首を傾げる。

何故 暁刃(アキト)が急に鴻夏(コウカ)を南方領の長官に…と言い出したのか、その理由がわからなかった。

するとその考えを察した暁刃(アキト)が、補足するようにこう語る。

「…お妃様は自らの危険も(かえり)みず、私達の事を必死で護ってくださいました。私達が一人も欠ける事なく、無事砦まで戻って来られたのは、すべてお妃様のお陰です。だからこそそんなお妃様になら、私は『白龍(はくりゅう)』の代わりを務められると確信したのです」


そう力強く宣言した暁刃(アキト)の言葉に、次々と砦の若者達の口から賛同の声が上がる。

そしてそれはいつしか砦全体の声となって、割れんばかりの大歓声となっていた。

「お妃様を我等が長官に…!」

「我等に皇后の祝福を!」

「我が南方領は、『白龍(はくりゅう)』以外は皇后にしかお仕えしませぬぞ…!」

(レン)に向かって砦中の人々が、鴻夏(コウカ)を長官にとの声を上げてくる。

それを受けて(レン)は少し考え込むようにその瞳を()せたが、すぐに決心がついたのか、その美しい(みどり)の瞳で真っ直ぐに鴻夏(コウカ)を見つめた。

そしてまだ状況が理解できない鴻夏(コウカ)に対し、(レン)の口から確認の言葉が(こぼ)れ落ちる。

「…鴻夏(コウカ)。聞いての通り、皆が貴女を長官にと望んでいます。この南方領の長官、引き受けていただけますか?」

「れ…(レン)…。でも私は役立たずの妃で、そんな長官なんて務められるような者では…」

そう言って鴻夏(コウカ)が小さく(かぶり)を振りながら答えると、(レン)は穏やかに微笑みつつこう答える。

「いいえ…貴女は役立たずなどではありませんよ?貴女はちゃんと私の代わりに、砦の者達を護ってくれました。だからこそ皆は貴女を長官にと望んでいるのです」

そう語りながら(レン)はゆったりと鴻夏(コウカ)へと近付き、そっとその手を取ると、静かな口調で再びこう告げる。


「…引き受けていただけませんか、鴻夏(コウカ)?私からもお願いします」

「で…でも…」

そう言われてもまだ迷っている鴻夏(コウカ)に対し、今度は暁刃(アキト)が力強く声を上げる。

「お願いします、お妃様!我等は『紅凰(こうおう)』である貴女様にお仕えしたいのです!」

「え…?『紅凰(こうおう)』って…?」

耳慣れない単語に思わず鴻夏(コウカ)が聞き返すと、暁刃(アキト)はうっとりと夢見るようにこう答える。

「…お妃様の事です。私達を護るため、敵への投降を呼びかけられたお妃様は、朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラを(まと)っておられました。そしてその御姿(おすがた)は、伝説の鳳凰(ほうおう)のように華麗(かれい)で、私は魂が震えるほどの感銘(かんめい)を受けました…」

そこで一旦言葉を区切り、暁刃(アキト)觜絡(シラク)を始めとした自分の仲間達へも視線を向け、そして彼等にも同意を求めるようにこう続ける。

「一般的に皇帝を『(りゅう)』で表すように、皇后は『鳳凰(ほうおう)』に(なぞ)えられると申します。あの時のお妃様は、まさしく地上に降り立った鳳凰(ほうおう)のように、強く気高く美しく(りん)としておられました。朱金(しゅきん)(ほのお)(まと)鳳凰(ほうおう)、『紅凰(こうおう)』とも呼ぶべき貴女様の御姿(おすがた)に、私は心からお仕えしたいと思ったのです…」

そう告げる暁刃(アキト)の声を後押しするように、更に砦の若者達の言葉が続く。

「わ、私も感動しました!さすがは『白龍(はくりゅう)』の選ばれた御方(おかた)だと…っ」

「是非お仕えさせてください!」

「お願い致します!」


次々と上がる声に鴻夏(コウカ)が戸惑っていると、(レン)が穏やかな声でこう問いかけてくる。

「…鴻夏(コウカ)。どうやら貴女は私の知らないところで、すでにこれだけの信奉者を集めていたようですよ…。彼等の切実なお願いを聞いてあげないのですか…?」

「で…でも私は、『紅凰(こうおう)』なんてそんな大それた者じゃ…。そ、それにあの時は必死だっただけで、特に何もしてないわ…っ」

慌てて否定する鴻夏(コウカ)に対し、(レン)は優しく微笑みながらこう告げる。

「それでも彼等はあの時、貴女という存在に救われたのです。希望も持てない状況の中、周りに光をもたらせる者はそうは居ません」

「…(レン)…」

「私も貴女ならばきっと、この南方領を治めていけると信じています。だから彼等の想いを受け取って頂けませんか…?」

(かさ)ねてそう()われ、鴻夏(コウカ)は悩みながら無言で周囲を見回した。すると南方領の人々が、皆一様にキラキラとした瞳で、期待に胸を(ふく)らませながら鴻夏(コウカ)の事を見つめている。

それを感じ鴻夏(コウカ)は初めて、自分がこの南方領の人々に必要とされているのだと理解した。

『私は…(レン)のように戦って人々を護る事も、他国とうまく交渉する事も出来ない。それでも…そんな私でも本当にいいのかしら…?』


自信は全くなかった。けれど純粋に、自分を求めてくれる人々に応えたいとも思った。

そしてじわじわと、彼等の想いに応えたいという気持ちが、鴻夏(コウカ)の心を占めていく。

気がつくと鴻夏(コウカ)(レン)にこう問いかけていた。

「…(レン)…。本当に私に務まると思う…?」

「ええ、鴻夏(コウカ)なら出来ますよ。大丈夫、もっと自信を持ってください」

迷わずそう言ってくれた(レン)に対し、鴻夏(コウカ)は思わず安堵(あんど)の笑みを浮かべる。

そしてすぐにその表情を改めると、鴻夏(コウカ)風嘉(フウカ)帝である夫に対し最上級の礼を取り、続けてはっきりとした声でこう答えたのだ。

「…未熟(みじゅく)な身ではごさいますが、拝命(はいめい)(つつし)んでお受け致します…」

そんな鴻夏(コウカ)の答えに、一斉にワァッと周囲の人々の口から歓喜の声が漏れる。

そしてその声は、すぐに鴻夏(コウカ)自身を(たた)える声へと変わっていった。

「おお、ありがたい…っ!」

「我等が『紅凰(こうおう)』に祝福を!」

「さすがは『白龍(はくりゅう)』が選ばれた御方(おかた)よ。誰よりも慈悲深く、そしてお美しい…!」

「やれ、めでたい!南方領は『白龍(はくりゅう)』に引き続き、『紅凰(こうおう)』の祝福も得たぞ!」

口々にそう言い(つの)りながら、人々はまるで祭りの最高潮の時のように喜びに酔いしれる。

それを眺めながら、(レン)鴻夏(コウカ)にだけ聞こえる声でそっと耳元でこう(ささや)く。


「引き受けてくれてありがとうございます、鴻夏(コウカ)。きっと貴女なら、誰よりもこの土地を愛し活かしてくださると信じてます」

「…(レン)…」

ニッコリと微笑むと、(レン)はそれ以上は何も言わなかった。けれどそこに秘められた想いを受け、鴻夏(コウカ)は彼に宣言する。

「…(レン)、私はまだ至らない所だらけだけど、これだけは約束出来るわ。私はこの南方領を誰よりも愛し、護ってみせます。だってこの土地は、貴方の大切な始まりの場所だから」

そう言って静かな決意を胸に、(レン)を見返す鴻夏(コウカ)にはわかっていた。

(レン)が今でも『白龍(はくりゅう)』と呼ばれ、この南方領の人々に慕われるのは、彼が誰よりもこの土地を愛し、護ってきたからに他ならない。

そしてそれほどまでに大切に想っている場所を、(レン)は自分を信じて(たく)してくれたのだ。

その事実が何よりも嬉しく、誇らしい。

だからこそ鴻夏(コウカ)は誰よりも強く思った。

(レン)が大切にしているこの場所を、自分は必ず護りきる。誰にも何にも(おか)させはしないと。

そしてその強い決意が、再び鴻夏(コウカ)の姿を輝かせる。(レン)と南方領の人々の前で、まるで朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラを揺らめかせ、(りん)としてその場に立つ鴻夏(コウカ)は、暁刃(アキト)達が言うように『紅凰(こうおう)』と呼ぶのに相応(ふさわ)しい姿であった。

それを眩しそうに見つめながら、(レン)は密かにこう思う。


『ようやく目覚め始めましたか…。あの日、私を一瞬で捕らえた『紅凰(こうおう)』が…』

そう思う(レン)の記憶に蘇るのは、花胤(カイン)後宮(こうきゅう)でまだ幼い鴻夏(コウカ)と初めて出会った時の事。

あの時、意味なく他の異母兄妹達に取り囲まれ(いじ)められていた鴻夏(コウカ)を、(レン)は最初助けるつもりなど微塵(みじん)もなかった。自身も経験してきた事だが、よくある身分差による(いじ)めかと、正直さして感慨(かんがい)も持たなかったのだ。

ところがその場を去ろうとした時、(レン)は偶然にも見てしまった。

ほんの一瞬ではあったが、鴻夏(コウカ)がその圧倒的な気迫で他の異母兄妹達を制する瞬間を。

その魂をも揺さぶるような美しい姿に、(レン)は一瞬で捕らわれてしまったのだ。

そして決して何者にも何事にも捕らわれない、捕らわれた事もない自分が、初めて考えるよりも先に行動していた。

こんな奇跡は、鴻夏(コウカ)以外には起こり得ない。

後にも先にも仕事でもない事柄(ことがら)に、自ら進んで関わったのは、あれが初めてである。

そして今、またもや鴻夏(コウカ)(レン)を動かした。

まるで運命の糸が二人を結び付けるかのように、『紅凰(こうおう)』の呼び掛けに『白龍(はくりゅう)』が動く。

近隣諸国から最も恐れられる『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』こと風嘉(フウカ)帝、(ソウ) 璉瀏(レンリュウ)を動かせる唯一の人間。

この事件を機に、鴻夏(コウカ)はすべての人々にそう認識されたのだった。





こうして『花胤(カイン)()の姫』と呼ばれた鴻夏(コウカ)姫は、新たに『風嘉(フウカ)紅凰(こうおう)』の名を冠し、夫である璉瀏(レンリュウ)帝と共に歴史にその名を残していく事となる。『白龍(はくりゅう)』と『紅凰(こうおう)』が揃い、ますます発展していく風嘉(フウカ)に対し、急激に滅びへの階段を転がり落ちていく国もあった。

この時、鴻夏(コウカ)達はまだ知らなかったが、遠く離れた鴻夏(コウカ)の母国 花胤(カイン)では、『花胤(カイン)黒亀(こっき)』と呼ばれた鴻夏(コウカ)の父、偉大なる黒鵡(コクム)帝が息子である第ニ皇子の魏溱(ギシン)に討たれていた。

花胤(カイン)黒鵡(コクム)は御年四十七歳。

特にこれといった大きな功績もなかったが、その優れた政治手腕により、長きに渡り花胤(カイン)を平和に統治してきた賢帝である。

ところが今、その均衡は突然破られたのだ。

狂ったように実父の首を掲げ、高らかに笑い続ける異母兄 魏溱(ギシン)に、凛鵜(リンウ)は冷ややかな視線を向ける。別室では、異母兄である皇太子もすでに魏溱(ギシン)の手によって殺されており、宮廷に仕える宦官(かんがん)女官(にょかん)らが、震えながら蒼ざめた顔で魏溱(ギシン)を見つめていた。

そして誰もが予想だにしなかった簒奪劇(さんだつげき)に、言葉もなく立ち尽くす中、突然スッと凛鵜(リンウ)が一歩前へと出てその場に(ひざまず)く。

そして美しすぎる異母弟へと目を向けた魏溱(ギシン)に対し、凛鵜(リンウ)は静かな口調でこう宣言した。

「…新皇帝 魏溱(ギシン)様に忠誠を」

「…り、凛鵜(リンウ)皇子(おうじ)…っ⁉︎」

ザワッと周囲に衝撃の波が走る。

だが確かに皇帝、皇太子が亡き今、次の花胤(カイン)帝は、魏溱(ギシン)凛鵜(リンウ)のどちらかだけであった。そして凛鵜(リンウ)がいち早く魏溱(ギシン)を支持すると示した事により、納得がいかないながらも、その場に居る者達は次々と膝を折り、魏溱(ギシン)へと最上級の礼を取る。

「…新皇帝陛下へ忠誠を…」

ザッと何百人もの宮中の人間達が、簒奪者(さんだつしゃ)である魏溱(ギシン)に向かって(ひざまず)いた。

それを勝ち誇ったように眺めながら、実父と異母兄の血に(まみ)れた魏溱(ギシン)がニヤリと笑う。

それを冷静に見て取りながら、『花胤(カイン)(いん)皇子(おうじ)』こと凛鵜(リンウ)皇子(おうじ)は、誰もが震え上がる中、密かに(そで)の陰で優雅に微笑んだのだった。

鳥漣の狂帝〜花鳥風月奇譚・3〜 へ続きます

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ