終章 世界は死神に憎悪を注ぐ
場所は『ソキライス帝国』。壮麗に佇む宮殿前の広場――ソキライス広場。
初代帝王ソキライスの像を背に、九名の人物が演説台の上に立っていた。
――理想郷『アルカディア』のシール=ヴァーリシュおよび兼平鈴仙。
――神秘の園『ソーサラーガーデン』のウィゼル=アイン。
――精霊の都『フィラス』のニルス=オーラヴ。
――安寧の揺籠『トレストフォイル』のレイディアント=フェルミル。
――不壊砦『ガーディアス』のニジニ=ロヴゴロド。
――太陽の国『ソキライス帝国』の白羽暁。
――獣狩りの騎士城『アルブレイブス』のアルフレッド=アーサー。
――新天地『ウルカ』のミョウガ=アビス。
世界の主要国家を統治する錚々たる面々が一堂に会する。
広場周辺は完全武装した数百の帝国兵が警備にあたっており、重苦しいほどの厳戒態勢が敷かれていた。
各国の重要人物が一堂に集う定例会は年に数度、世界が注目するイベントである。
その定例会からわずか数日と経たないうちに再び開かれたとあっては、人々の関心はその比ではない。
重大な発表がある。そう予告されていたならなおのこと。
国民は次々と広場に集まり、溢れ返った。広場に入れなかった者たちは屋根や塀などに上り、何が始まるのか、今か今かと待っている。
決して明るいものではないということは、物々しい雰囲気から全員が感じていた。
当然、壇上に立つシールは既に知っている。演説前に何が議論されたかも、それにより出された結論も。
知っているが故に隠し切れない不安と緊張を抱えて壇上に佇む。
こうしているのが辛い。一秒がまるで百倍にも感じる。このまま時間が停滞し、何も始まらないことを望んでしまう。もしくは今この場にテロリストが現れて、発表が中止になれば良いと、そんな不謹慎なことすら願ってしまう。
無意味な考えだ。時間は進む。滞りなく。自分ではどうすることもできない。
これから始めることも、これから始まることも、止めることはもうできない。
「シール嬢、大丈夫かね?」
「そう問われたら大丈夫と答えるしかないじゃないですか、兼平さん」
つまり大丈夫ではないということだ。
だからと言って、それを汲み取ってくれる者はここにはいない。
「どうしてこうなってしまったのでしょう」
どこでもない遠い場所を見ながら、シールはポツリと呟いた。
時は無情に進み、定刻を迎える。
赤い髪に赤い瞳。黒い着物を身に纏った一人の少女が前に出てマイクを手に取った。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。余は『魔導連合』総帥ウィゼル=アイン。これから各国を代表して、皆に告げなければならないことがある」
見た目の幼さにそぐわない厳かな声が拡散する。集まった民衆はそれだけで静寂に縛りつけられた。
「耳聡い者は既に知っておるかもしれぬが――三日前の夜、『ソーサラーガーデン』が滅んだ」
衝撃的な発表に会場がどよめいた。
神秘の園と呼ばれるその大都市は、〝神滅戦争〟終戦後に発足した千年の歴史を持つ世界屈指の魔術大国である。その最たる魔術機関『魔導連合』には有能な魔術師を多数輩出しており、世界に十二人しかいない〝第零階級魔術師〟が六人も所属。
現代では当然となっている魔力素結晶からのエネルギー生成法。物体に術式を刻印することで魔力さえあれば誰でも魔術が使用できる術式兵装の技術。
それ以外にも様々な魔術的技術を供給し、世界の生活基盤を構築したと言っても過言ではない功績を持った都市。
それが滅んだと告げられて、驚かない者はいない。
「理由は『魔導連合』で捕縛しておった一部の転生体の脱走じゃ。一部とはいえその数は百を超えておる。それらが暴動を起こしたのじゃ。都市は瞬く間に殺戮と蹂躙の嵐に飲み込まれ、多くの民の命が失われた。そしてこの嵐がいずれ地下で捕縛されておる残りの転生体までをも解き放ってしまうことは予測できた。『魔導連合』では二千体を超える転生体を捕縛しておる。それらが都市の外へ溢れるのはもはや時間の問題じゃった」
民衆が驚愕から立ち直る間も与えず、ウィゼルは続ける。
「このまま何もしなければ被害は『ソーサラーガーデン』だけで留まらぬ。世界はさらなる災禍に見舞われ、さらに多くの命が失われよう。それだけはなんとしても阻止しなければならなかった。故に余はある決断をするしかなかった」
ウィゼルは悔やむように小さな手を握り締めて顔を歪ませている。
それが苦渋の決断であったのだと、誰もが彼女の心情を察した。
「大規模破壊術式――【極小黒点】。その名の通り、これは極めて小さいブラックホールを生成し、全てを飲み込む魔術じゃ。術式の詳細はこの場では省くが、これにより暴動を起こした転生体を処理した。――都市もろとも」
壇上にその時の映像が映し出された。
『ソーサラーガーデン』の時計塔から一瞬、黒い球体が膨れ上がり、光の柱が上がったかと思うと、地上にも関わらず津波が放射状に発生した。
都市は跡形もなく消失し、後に残されているのはひっくり返された大地だけ。
あまりの光景に、誰もが言葉を失った。
「すべての転生体を処理し、世界を災いが広がることだけは阻止できた。しかしそのための犠牲はあまりにも大きい。犠牲になった者たちに比べれば、避難させられた民はほんの一握り。すべては余の力が及ばなかったばかりに……余の決断が犠牲にしてしまった者たちに、なんと申し開きをすれば良いか……」
声を震わせ、涙さえ滲ませる。
幼き少女が自責に堪える姿に、民衆は憐れみ、同情し、涙を流す者もいる。
ウィゼルは目尻に湛えた水を拭い、確かな意志が込められた目を民衆に向けた。
「じゃがこれは不幸な事故などでは断じてない。これは人災である」
再びの衝撃。
千年の歴史を持つ都市が滅んだというだけでも世界を震撼させるに充分だというのに、それが人の手で引き起こされたと言うのだ。
そしてそれを引き起こした人物の姿が映し出された。
シールはその映像を見ることができなかった。逃げるように顔を背け、目を閉じた。
そうするしかなかったのだ。
「そう、皆の記憶にもまだ新しい『黄金郷の惨劇』を引き起こした新生国家『ファブロス・エウケー』を謳う凶王――黒神輝じゃ」
目を閉じただけでは耳に届く声までは遮れない。
もう後戻りはできない。もう覆すことはできない。もう変えることはできない。
「無論、証拠もある」
さらに映されたのは『ソーサラーガーデン』での彼の行動。
検査員を惑わしての不正な入国。研究員を操っての『魔導連合』機密エリアへの侵入。警備員への暴力行為。輝の魔術による転生体を無力化するための術式兵装の破戒。
そしてそれを機に牢を破壊して地上へ向かう転生体たち。
その一部始終が。
「あとは先ほど話した通り、苦肉の策として【極小黒点】で収拾を図った。しかし黒神輝は『トリトニス』でその姿が目撃されておる。どうやったのか彼奴は術式の影響範囲から逃れ、いまも健在というわけじゃ」
民衆の憎悪と怒りが、中空に映し出された彼に集まった。
『アルカディア事件』に始まり、『黄金郷の惨劇』、さらには『ソーサラーガーデン』までをも滅びに追いやった張本人。
人類の敵である神を宿す転生体なんぞのために数多の人の命を奪った大罪人。
世界がそう認識した。
ウィゼルは一歩下がり、歩み出てきたニジニと交代する。
「一年も経たぬうちに二つの国家が滅亡した。この事態を看過することはできない。故に我々は此処に『八カ国同盟』を宣言し、『ファブロス・エウケー』を敵性国家と認定。世界の安寧のために『ファブロス・エウケー』の解体を遂行する!」
言葉通り、それは『ファブロス・エウケー』が世界の敵として定められたことを意味し。
「『ファブロス・エウケー』への要求は三つ。一つ目は『ファブロス・エウケー』の領土及び自治権の『八カ国同盟』への譲渡。二つ目は首脳陣の身柄引き渡し。そして三つ目は――凶王、黒神輝の処刑」
理想郷はかつての仲間に刃を向けなければならない。
「これら要求に応じない場合、『八カ国同盟』はこれを武力により遂行する!」
すなわち戦争。世界を敵に回し、たった一つの国家が抗うことなどできるはずもない。
「要求に応じるなら『ファブロス・エウケー』国民の生活と安全の保障を約束する。『ソーサラーガーデン』のことに関与していないと確認できた首脳陣も同様だ。無用な血が流れることを我々は望まない」
しかし必要ならばそれも止むなし。言葉にせずとも振る舞いがその意志を示している。
「七十二時間以内に声明がなければ要求を拒否したものとみなす。どうか賢明な判断がされることを我々は望む」
輝はきっと受け入れてしまう。己の命だけで済むのなら、自分を犠牲にしてしまうだろう。
それは駄目だ。絶対に駄目だ。
彼を失えば理想郷は本当の理想郷になることができなくなる。
どうにかしなければならない。なんとかしなければならない。
だって|『ティル・ナ・ノーグ』《私たち》は――
「輝のために在るのですから」