第三章 傍に居たくて⑥
「まさか、シャドウ?」
唖然としながらアーガムはその男の名らしきものを口にした。
「だと思ってたけど、違うの?」
「普段から影に身を潜めている男だから、私も素顔を知らないのだよ。だが状況からしてそうなのだろう。本体を捕捉することすら難しいというのに、よく倒せたものだ」
「あぁ、確かにめんどくさかったね。でもま、これ使ったからね」
「【黙する旅人】……」
ウォルシィラが掲げた漆黒の大鎌を見た輝はその『神葬霊具』の名を口にした。
「そ、『アルカディア』で輝がボクに渡したまま置いてったやつ。もしかしてそのことも忘れちゃったの? あとコイツは殺してないから。夕姫の手が汚れるからね」
ウォルシィラは輝の顔を覗き込んだ。
「で、アルフェリカは助けられたわけだけど、これからどうするつもり?」
アルフェリカを見つけ出し、彼女の命を握る首輪も外した。敵であるシャドウを鎮圧したことにより、追っ手がかかるまでは少し猶予があるだろう。余裕があるなら、せめてここに捕らえられている転生体だけでも助けることができるのではないか。
「輝、まさかと思うけど余計なことを考えてないよね?」
考え込む輝に対して、ウォルシィラは非難するように目を眇めた。
「輝、ボクたちの目的はなに?」
「アルフェリカの救出だ。けど――」
ここにいる転生体たちもアルフェリカと同じように『魔導連合』に苦しめられてきた者たちだ。助けられるなら助けたい。今ならそれができる。
「黒神殿、私も賛同しかねる。この区画に捕らえられている転生体だけでも悠に百を超えているのだ。転生体とはいえ全員が自衛できるわけではない。中には敵性を持つ者もいる。そのような者たちを連れて『ファブロス・エウケー』に撤退することは困難だ」
わかっている。ウォルシィラやアーガムが正しい。
それでも助けを求める者が目の前にいて、助けられるチャンスがあるなら、助けたいと思わずにはいられない。
「な、なあアンタたち! ここから出るんだろ!? オレたちも助けてくれ!」
会話を聞いていた近くの転生体がガラスを叩きながら縋るように輝たちに訴えた。それがきっかけとなり、他の転生体たちも次々と助けを訴える。
「私も一緒に連れてって!」「頼む! ここから出してくれ!」「もうこんなところは嫌なのっ」「助けてお願いっ」「何でもするからっ」「外に出たいよ!」「あの人に会いたいの!」「どうかお願いします!」
一帯に響き渡る悲痛な願い。それを直接聞かされて輝の心は大きく揺さ振られた。
頭ではわかっている。無理だ。
この大人数を連れて魔獣が跋扈する荒野を移動する手段はない。新しく移動手段を確保することも困難だ。仮に徒歩で荒野を移動するとして、その間の安全や食料問題はどうやって解決する。もし『魔導連合』から追っ手がかかれば確実に逃げきれない。
アルフェリカ一人を助け出すだけでも事前の準備が必要だった。それが百人を超えるとなれば、行き当たりばったりで出来ることではない。牢から助け出してもその先がないのだ。
それだけでは助けたことにならない。
「……行くぞ」
血を吐くのを堪えるように輝はそう告げた。
「ま、待ってくれ!」
背中から聞こえる声を置き去りにして走る。足を一歩前に出すだけで途轍もない労力を必要とした。助けを願う声が聞こえる度に足を止めそうになる。
どうして助けられない。
初めからアルフェリカ以外の者を助けるつもりはなかった。そのつもりでここまで来た。他の転生体を助けることは一切考慮しなかった。
アルフェリカだけを助けに来て、助けることができた。全て予定通りだろう。
他の転生体も助けるつもりで行動すれば助けられたかもしれないのに、どうしてそうしなかった。
そんな後悔に意味はないとわかっていても考えずにはいられなかった。
「おやおや、もうお帰りか? そんなに急がずとももう少しゆっくりと見学して行っても良いのだぞ?」
助けを乞う声に混ざった異質な音。得体の知れない怖気を感じた輝は思わず足を止めて、声の出所を探した。
「どこを見ておる。ここじゃここ。こーこーじゃーよ」
真下。自分の足元から聞こえてくる。
血のように赤い眼がすぐ近くから輝を見上げていた。燃えるような赤い髪を揺らし、着物を纏った幼い子供。口元を扇で隠しながらクスクスと笑っている。
その笑みに本能が警鐘を鳴らした。
反射的に飛び退いて距離を取る。どっと冷や汗が出て頬から滴り落ちた。
「そんなに固くならずとも良い。楽にせよ。なんなら手始めに自己紹介でもしておこうかの」
パチンッ。芝居がかった仕草で扇を閉じる。その所作にすら無意識に警戒してしまう。
「余はウィゼル=アイン。『魔導連合』総帥である」