二百九十二話 幻のスパイク付きバックシールド
ヴァンダルーは『水と知識の女神』ペリアの防衛隊との戦いで鹵獲した、膨大な数のオリハルコン塊の一つに魔力を注いでいた。
かつては一時的に形を変えるだけで精一杯だったオリハルコンも、今では自在に形を変え、加工する事が出来るようになった。
「やはり、鉄や銅のようにはいきませんか」
だが、死鉄や冥銅のようにオリハルコンを新たな金属に変化させるのは不可能なようだ。オリハルコンよりも格段に加工し易いミスリルやアダマンタイトも同様なので、別に不思議ではないが。
「ここに至っても無理となると……やはり、師匠の技量や魔力の問題ではないのだろうね」
書類に実験結果を記入しながら、ルチリアーノがそう推測する。
「っと、言うと?」
「前にも説明したが、オリハルコンやミスリル、アダマンタイトはどれも魔導金属と評される金属だ。加工前の素材の状態から、既に魔力が宿っている。つまり、既に変化を終えているから、これ以上変わらないのではないかと、私は思っているのだよ」
「なるほど……では、彼女達に渡す変身装具には、このまま既存の金属を使いましょう。死鉄、冥銅、そして霊銀に生金で。
……奴の分も、一応仕立てておきましょう。オリジンの神が支援するそうですが、それでも負けたら困りますし」
ルチリアーノの推測に納得したヴァンダルーは、オリハルコンを置いて、用意しておいた液体金属と霊体金属、そして生体金属の加工を始める。霊銀の視認は、かつてはレギオンの協力が必要だったが、今は【魔王の魔眼】を使えば可能だ。
「……他の国なら師匠が弄っていた小さな塊を売るだけで、屋敷が家具使用人付きで買えるだろうに。うちの国の金属需要はどうなっているのだろうね?」
その様子を見て、ルチリアーノは苦笑いを浮かべる。
ヴィダル魔帝国での金属需要は、他の国と比べると異質だった。ミスリルやアダマンタイトの価値は鉄以上、黒曜鉄並で、そのもっとも安価な人造魔導金属であるはずの黒曜鉄が全く作られない。
何故なら、ヴァンダルーが鉄や銅から黒曜鉄以上の性能を持つ死鉄と冥銅を作るため、鍛冶師達は黒曜鉄を作る時間も理由もないからだ。
そしてオリハルコンでなければ対抗できない、【魔王の欠片】で作られた武具も生産されている。
更にヴィダル魔帝国の民は、皇帝への感謝と信仰を表す為に皇帝本人の粘り強い反対運動をものともせずに、皇帝の巨大神像建設を進める国民性だ。
性能が同程度なら、オリハルコン製のアーティファクトより、ヴァンダルーが精製した【魔王の欠片】から作られた武具を選ぶ者が、圧倒的に多い。
魔帝国内の変身装具への人気も、「ヴァンダルーのお手製」という理由が大きかった。……魔法少女を増やしたいザディリスが、そう煽ったのである。
「他の国の需要は、今は関係ありません。オリハルコンを輸出する訳ではありませんし」
「確かに。万が一でも加工されたら、英雄候補達や『五色の刃』の支援者の手に渡るだろうからね。
ところで、異世界でも変身装具は動くのかね? 向こうには時属性が無いそうじゃないか」
「一応、事前に試すつもりです。そもそも、これを届けられるかも実験しないといけませんし」
「霊銀と生金を使うのも、初めてではないかね? 本当に大丈夫なのだろうね?」
「サリアとリタには使いましたよ。能力値やスキルの獲得やレベルの上昇には、目に見える変化はありませんでしたが」
リビングアーマーのサリアとリタの本体である鎧部分に、霊銀と生金を使った改造が既に施されていた。しかし、その結果は『味覚がより鋭くなり、満腹感を感じるようになった』とか『睡眠をとる事が可能になった』というものだった。
「確か、その変身装具を贈る相手は、全員人間だったと思ったが……味覚や睡眠に障害でも負っているのかね?」
サリアとリタの人生が豊かになったのは喜ばしいが、今回の目的には合わないのでは? そう訝しく思っているらしい弟子に、ヴァンダルーは答えた。
「霊銀と生金を使えば、夢に持ちこめることが分かりましたからね。宇宙から地上へ直接降臨するのは、オリジンの神様から止められているので、夢経由で渡す予定です」
世界の壁を強引に破壊するのも、緊急時以外しない予定だ。……何度も破壊したら、雨宮家が空間的な特異点になってしまうかもしれない。
しかし、ヴァンダルーは多忙だった。筋術習得の為の修行、ガルトランドのトンネル工事や融和政策、パウヴィナ達と一緒に第一子への絵本の読み聞かせ……幾つかは使い魔王を使って同時進行で行っているが、このまま変身装具作りに没頭する訳にはいかない。
「あ、そろそろダンスのレッスンの時間ですね。じゃあ、作業は分身に引き継がせるので後はよろしくお願いします」
名誉伯爵位を受け取ったダルシアは、社交界に参加する権利を得ている。そして、公爵から是非参加して欲しいと頼まれていた。
ヴァンダルーがダンスのレッスンを受けているのは、その時付き添うためである。ちなみに、緊張はしていない。王侯貴族が着飾って集まり、美食を堪能する豪華絢爛なパーティーは、贅沢コンプレックスを抱えるヴァンダルーにとって、夢見た催し物だからだ。
ヴィダル魔帝国にも舞踏会はあるが……パーティーというよりも祭という感じになってしまうし、武道大会の方が圧倒的に多く開かれている。
それに――
「俺とティアマトの子のお披露目と、巨大像の完成式典が迫っている事を考えれば、大した事ではありません」
「師匠……未だに神像とは認めていないのかね。
それはともかく、前も言ったがダンスよりも精神修行の方が良いと思うよ。ご母堂に色目を向けた貴族の血で、会場が真っ赤に染まる予感しかしないのだが」
その付き添いの結果、惨劇が起こるのではないかと心配しているルチリアーノはそう言うが、ヴァンダルーは首を左右に振った。
「ルチリアーノ、あなたは自分の師を何だと思っているのですか。そんな事はしません」
彼はダルシアが王侯貴族から見ても美しく、魅力的である事を理解している。だから社交の場に出た彼女が貴族から注目を集め、褒められたり口説かれたり、ダンスに誘われても気にしない。
そうした事は、社交界ではマナーの一環であると理解しているからだ。寧ろ、ヴァンダルーが怒りを覚えるとしたら、ダルシアが社交界で無視されるような場合だろう。
ただ、世の中馬鹿はどこにでもいるものだ。
「……マナー違反を犯すような手合いなら、どうかね?」
「程度によりますが、その場での対応はホストである公爵の仕事でしょう」
「……師匠、パーティーに行く時は土産に追加のクリームを渡すのを忘れないようにしたまえよ」
ルチリアーノは会場に集まる貴族達ではなく、アルクレム公爵とその部下達に心から同情した。
「ルチリアーノも、ドルステロのライフデッド化を頑張ってくださいね。次の戦いには参加して貰う予定ですし」
だが、そう言われた途端、「他人に同情している場合ではない」と気分を切り替えた。
《【舞踏】スキルを獲得しました!》
秋。村では収穫を祝って祭が催される。
そして王侯貴族達は社交界が開かれ、幾つものパーティーがこれから催される事になる。
アルクレム公爵領のパーティーは、例年よりも賑わっていた。パーティーの豪華さは、例年と同じ。大貴族の跡取りのお披露目や、婚約発表等の特別なイベントがある訳でもない。
だと言うのに例年よりも多くの貴族が出席していたのは、タッカード・アルクレム公爵が主導して行おうとしている制度改革……アルダ神殿贔屓の貴族にとっては歴史に残る大暴挙、ヴィダ信者の貴族にとっても衝撃的な大革命によるものだ。
アルクレム公爵領内のあらゆるヴィダの新種族の自治区を廃止し、移住と職業の自由を……各ギルドへの加入はまだ不可能だが……認める。
更に、それまで人型の魔物として扱われていたグールを、法で守られた人間の一種として扱う事。
この二つは貴族達に大きな衝撃をもって受け止められた。
故に公爵と直接会ってその真意を確かめたい者や、公爵領の中枢では何が起きているのか確かめずにはいられない地方領主やその名代が集まっているのだ。
「諸君、まだ新年を迎えるには早いが、今年は我がアルクレム公爵領にとって試練の年であったのは疑いようもない。我が末の妹、ユリアーナの死、そして『山の神』ボルガドンの神殿『荒野の聖地』の崩壊と、悪神の復活。最悪の場合、このアルクレムは滅びていただろう。
こうして諸君らと会えたのも、我が公爵領の英雄『崩山の騎士』ゴルディと、新たな英雄『勝利の聖母』ダルシア・ザッカート名誉伯爵、そして民の尽力によるものだ。彼の冥福と、新たな英雄の今後の活躍を皆で祈ろう。乾杯!」
タッカードに合わせて集まった貴族達がグラスを揚げ、「乾杯」と唱和する。しかし、彼の求め通り祈っている者は少数派のようだった。
特に、元々反公爵派だった貴族や、今回の大改革で反対派に転じた貴族達はタッカードやその周りの人物を観察し、情報収集を行っている。
反公爵派の貴族の中心人物、セオドア・ポッサ侯爵もその一人だった。婚約者探しという名目で連れて来た次男と次女を会場に放ち、他の貴族家の子弟子女からの情報収集をさせ、自身は同じ派閥の貴族達と会話している演技をしながら、分析を続けている。
今年は、確かにアルクレム公爵領全体にとって試練の年だった。正確に評するなら、オルバウム選王国全体にとっての試練の年になるはずだった。
ユリアーナ・アルクレムの死は些細な問題だが、モークシーの町を襲ったダンジョンの暴走、そして『荒野の聖地』を壊滅させ復活した悪神(実際は邪悪神だが、表向き復活したのは悪神フォルザジバルだという事になっている)。
もし対処が遅れてダンジョンから溢れた魔物や悪神が野放しになったら、被害はモークシーの町やアルクレムだけに留まらない。この場に集まった貴族とその領地も無事では済まなかっただろう。最悪の場合は全滅。幸運にも直接襲われなかったとしても、交易都市や首都の壊滅は経済的に大きな打撃となる。
特に悪神は、人間達が地図に引いた境界線など無視して、他の公爵領でも破壊の限りを尽くす可能性が高かった。
まさしく、選王国全体にとって試練の年となっただろう。
それを防いでくれた当事者たちには、セオドアも感謝の念を抱いていた。
(去年見た時よりも顔色も肌艶も良い。それに、明らかに頭髪の量が増えている。健康不良を誤魔化す為、腕の良いカツラ職人を雇い、顔色を魔術で誤魔化しているのか?
だとすれば、年末のパーティーか、選王領で開かれる新年を祝うパーティーで跡取りに家督を譲る事を発表するはずだが……挙動からはそこまで深刻には見えないが、無理をしているのか?)
そう分析したセオドアは、暫く政治的な攻勢は控えるべきかと思案した。誰もが認める功績を挙げた者の敵は、悪評を受けやすい。それが心労で弱っている者なら、尚更だ。
強欲、冷酷、残酷、悪徳。そうした悪評は、たとえそれが実際そうであったとしても受けるべきではない。何をするにも疑われ、痛みの有無にかかわらず腹を探られる。その上、擦り寄って来る者達の多くは同じく悪評を受けている者達。
外から見れば諸悪の根源のように見えるのだろう。そうなれば全てに支障をきたす。
(何事も、程々で済ませなければ。反公爵派と言っても、私は公爵を倒したい訳ではないのだからな)
セオドアは四十代前半で痩せ型、酷薄そうな顔つきで、いかにも悪徳貴族らしい容姿の男だ。だが、そう見えるのは外見だけで本当に悪徳貴族である訳ではない。
清廉潔白ではないし、私腹もそこそこ肥やしている。しかし、山賊や違法奴隷を扱う奴隷商人や麻薬売買に便宜を計り賄賂を受け取ってはいない。
反公爵派とは言っても、それは政治的な立ち位置のため。タッカード・アルクレムがアルダ融和派に傾倒したため、反発している反アルダ融和派の神殿勢力との繋がりや、派閥の頂点として君臨する事で得られる利益を目的としたものだ。本気でアルクレム公爵家に反発している訳ではない。侯爵とは言え、アルクレム公爵の家臣である事は変わらないので、本気で反発……反乱を起こしたらポッサ侯爵家が潰されてしまう。
寧ろ、セオドアはタッカードの健康を願っている。当主の急死による家督相続は、治世が乱れる大きな要因だ。アルクレム公爵領が乱れては、反公爵派等と言っている場合でなくなってしまう。
(そう言えば、先程の声には張りがあった。もしや、公爵は本当に健康で、私が勘ぐっているだけなのか?)
「しかしポッサ侯爵、アルクレム公爵には困ったものですな。新たな英雄にかぶれたのか、下品な見世物を公共の場で開かせるだけではなく、自ら公爵領の秩序を乱すとは」
「ダークエルフに名誉伯爵位を授けるだけでも前代未聞だと言うのに、自治区の解放とは。最初に聞いた時は耳を疑いましたぞ」
「来年には空にはハーピィーが、地上ではケンタウロスが走り回る事になりますな。伝書鳩や馬車馬の代わりに使う分には有用かもしれませんが、奴らが調子に乗れば目障りな事になりますな」
アルクレム公爵領には、北部の岩山にハーピィーの自治区が、そして岩山のふもとには小さいがケンタウロスの自治区が存在する。ケンタウロスは自治区全体でも千人も居ないので影響は少ないだろうが、ハーピィーは数万人規模なので、自治区が解放されれば何が起きるか分からない。
「調子に乗るとは? まだ商業ギルドを始めとした各ギルドへの加入は出来ないのでしょう?」
各ギルドは政府から独立した存在だ。勿論完全に権力と無縁ではいられないが、建前だけという訳でもない。そのため、アルクレム公爵が出来るのは改革の働きかけまでで、その後は各ギルドが判断する事になる。
ただ、アルクレム公爵領内で変わった法制度を無視し続ける事は出来ないので、グールの討伐依頼を廃棄した冒険者ギルドのように、徐々に制度を変革していく事になるだろう。
だが、それはまだ先の話。早くても数年後以降のはずだ。
「分かりませんか? ハーピィーやケンタウロスの自治区は解放され、今はアルクレム公爵の直轄領となったため、公爵家が統治しなければなりません。しかし、代官を送り込んで治めるのは難しい土地柄。
そのため、公爵はハーピィーやケンタウロスの長に貴族位を与え領主とするつもりではないかと、私は睨んでおります」
「そ、そんな馬鹿な!? 尊き青い血に、鳥や馬の血を混ぜるなど、正気ではないっ」
「公爵は社交界に鳥獣を招くつもりなのか!?」
目を剥いて、しかし小声で騒ぐ取り巻き達を「器用だな」と思いつつ、セオドアは口を開いた。
「……ハーピィーやケンタウロスの貴族誕生か。結構な事ではないか」
「ポッサ侯爵っ!?」
セオドアがそう口を挟むと、取り巻き達は驚いたような顔をして振り返った。
「寧ろ、公爵家の直轄領のままの方が不都合でしょう。公爵家の力が大きくなりすぎる」
「ですが、ケンタウロスはまだしも、ハーピィーの自治区だった場所は岩山で、利益は殆ど上がっていないはずです。力が大きくなるとは、思えないのですが?」
反公爵派貴族の中には、アルダ教の熱心な信者もいる。そうした貴族は熱心過ぎて、ヴィダの新種族を侮る傾向が強い。
だが、ポッサ侯爵はヴィダの新種族を、今は侮ってはいなかった。アルクレム公爵の改革を聞き、その意味と狙いを調べる内に、警戒に値すると考えるようになっていた。
「ケンタウロスの機動力と耐久力は優秀な乗用馬を上回り、また、槍や弓が達者だと聞いております。優秀な騎兵となるだろう。
ハーピィーの飛行能力も素晴らしい。嵐でなければ、どんな早馬よりも早く情報を伝える事が出来るでしょう。また、戦となれば一対一では竜騎士に敵わないだろうが、彼女達の内戦えるのは数千羽……いや、数千人を超える。総力戦を行えば、百騎未満の竜騎士とどちらが勝つか、考えるまでもない」
もし元自治区が公爵直轄のままなら、ケンタウロスとハーピィーは公爵家の領民になってしまう。そうなれば二つの種族の力は、公爵家が独占してしまうかもしれない。
「それは、確かに……」
そう納得する取り巻きの貴族。しかし、セオドアが危機感を覚えていたのはケンタウロスとハーピィーの軍事利用だけではない。それは、経済効果だ。
「これはこれは、セオドア・ポッサ侯爵。ごきげんよう」
思考に没頭しかけたセオドアに近づき、声をかけて来たのは、ダルシアとヴァンダルーにアルクレム公爵領で最初に接触した貴族、アイザック・モークシー伯爵だった。
「モークシー伯爵か、どうしたのかね?」
「勿論挨拶回りですよ。これでも交易都市の領主なので」
アイザック・モークシー伯爵は反公爵派ではない、いわゆる普通の貴族だ。そのため、セオドアとは距離を取り、会話をする事は少なかった。
それが積極的に自分から声をかけて来るのは、妙だとセオドアには感じられた。特に、アルクレム公爵の乾杯の言葉で、モークシー伯爵は注目されている。そんな中積極的に反公爵派のセオドアに話しかければ、彼も反公爵派になったのだと思われても仕方がない。
しかし、それでも領地であるモークシーの町が大きな被害を受けていれば、復興の為の援助を募るために派閥に関係なく声をかけても不自然ではない。
だが、モークシーの町は被害を受けるどころか、押し寄せてきた魔物を倒した事で貴重な素材が市場に流れ、更に新たに出現したB級ダンジョン『ガレス古戦場』と取り巻きの一人が『下品な見世物』と評したショーのお蔭で冒険者や旅人が集まり、空前の好景気に沸いているはず。
それとも、モークシーの町で宗教的な問題が起きていて、アルダ神殿と繋がりを持つセオドアを頼って来たのだろうか?
「私の事よりも、皆さんが注目しているあの方々に注目を向けてはいかがですかな?」
だが、伯爵はそう言って自分ではなく会場で大勢の貴族に囲まれている人物を目で指した。
そこに居るのは、ダルシア・ザッカート名誉伯爵だ。彼女を見た瞬間、セオドアは息を飲んだ。
彼女が美しかったからではない。彼女の着ているドレスが、見事だったからだ。
(何だ、あのドレスは!? あの生地は絹……いや、ただの絹ではない! それに仕立ても……初めて見る型だ。あれもダークエルフの秘伝だとでもいうのか!?)
「では、私も彼女に挨拶をしなければなりませんので、これで」
息を飲んだセオドアが何か言う前に、モークシー伯爵もダルシアの元に向かって歩き出した。
「は、伯爵も色香に惑わされたようですな」
「やれやれ、年甲斐もない」
自身の取り巻き達の言葉を聞き流しながら、セオドアはモークシー伯爵の後ろ姿を目で追い……そして気がついた。
ダルシアの周囲に集まっているのは、殆どが四十代以上の貴族で、その全員が豊かな頭髪と良い艶の肌をしている。セオドアの記憶では、彼ら全員が去年は頭髪に不自由していた……中には頭頂部が完全に禿げていた者もいたというのに。
(まさか……やはり彼女なのか!? あの頭髪がカツラでないとするなら……ダルシア・ザッカートは、既にこのアルクレム公爵領を裏から牛耳っているのか!?)
かつてない危機感に、セオドアは背筋が凍るような寒気を覚えた。頭髪はどうでもいいが、反アルダ融和派と繋がっている自分は、そしてポッサ侯爵家がこのままではどうなるか、想像してしまったのだ。
(な、何としてもあちら側に行かなくては! でなければ……我が家は破滅する!)
セオドア・ポッサ侯爵を遠目に見ながら、タッカード・アルクレムは彼が内心で何を考えているのか、見透かしていた。
(本来なら、彼もここまで分かり易い男ではないのだが……まあ、仕方ないだろう)
反公爵派のトップではあるが、反対勢力を一纏めにして馬鹿過ぎる事をしないよう歯止めになってくれる、下手な味方より有能な男なので、是非こちら側に来て欲しい。
そのためにモークシー伯爵に動いてもらったので、期待したいところだ。
政治とは、時に有能な敵よりも無能な味方の方が恐ろしいものなのだから。
(皆、儂が何故この改革をしたか、興味を持っているようだな。大方、儂がダルシア様の色香に惑わされたとか、軍事力や経済効果目的だとか、考えているのだろう)
色香に惑わされた以外は、かなり良い推測だと公爵は思った。実際、彼自身も期待している。
経済効果は……ケンタウロスの数は数百人と少ないが、彼等が人間の行商人と組めばその経済効果は計り知れない。勿論、その分馬の調教師や行商人の護衛の仕事を受けていた冒険者ギルドや傭兵ギルドには、損失になるだろう。
しかし、ケンタウロスも泊まれるよう街道沿いの村や町の宿は改築をするため、大工は仕事が増え、木こりは材木の需要が増える。
そしてケンタウロスは、農村でも雇われるかもしれない。人間と同等の知能と、平均的な農耕馬を上回る馬力を併せ持つ種族なのだから。
しかも、村全体で共有したとしても一年中世話しなければならない家畜と違って、ケンタウロスは畑を耕す時や新たに開墾する時だけ雇えば良いのだから、負担も少なくて済むだろう。
ケンタウロス側は家畜代わりに雇われるのを嫌がるかもしれないが……自治区から解放された彼らも、変化を強いられる。変わらなければならないのは人間だけではないのだ。ケンタウロスから、誇りではなく仕事と報酬を求める者も出るようになるはずだ。
ハーピィー達はケンタウロスよりも影響は大きい。アルクレム公爵領のハーピィー達は、山間部に住んでいる一族であるためダチョウのように発達した下半身を持つ地上種は殆どいないが、飛行能力の高い個体が多い。
そのため伝令に向くが……それよりも、彼女達は人間が命がけで登らなければ到達できない高い岩山や、その向こうにある海に飛んで行き、希少な薬草や海産物を手に入れる事が出来る。
そしてハーピィー達の力量によっては、岩山や大陸北部の海にだけ生息する魔物の素材も、取引する事が可能だ。
ハーピィー一人が一度に運べる量は少ないが、中に入れた物品の重さを軽量化する事が出来るマジックアイテムを預ければいい。
そうして稼いだ分、ハーピィー達が使う金も多くなるはずだ。それまで限られた商人からしか購入する事が出来なかった、自治区では作る事が出来ない実用品や嗜好品や装飾品を、自由に買う事が出来るのだ。
両種族の解放がもたらす利益は計り知れない。
これらの利益は、頭が良ければ以前から想定する事が出来た。なのに、何故それをしなかったのかと言えば差別意識や慣習、そしてヴィダ信仰が認められているオルバウム選王国であっても根強いアルダ教の影響によるものだ。
そして、人間以外の種族が権力を持つ事を嫌う中央の意向があるからだ。
それらに逆らって実行する事は、どの公爵領でも不可能だと思われた。
(それなのに実行するからには、神殿や中央の大貴族の妨害を跳ね除けられる後ろ盾を儂が手に入れたからだと考えているだろう。
だが、自力では気がつけまい。想像を絶する程頼もしい、スパイク付きの後ろ盾だとは!)
ヴァンダルー・ザッカートが後ろにいる。そう思うだけで神殿や中央の貴族など、怖くともなんともない。甘噛みをしてくる子犬のようなもので、いっそ憐れみすら覚える。
改革に反対する者達がアルクレム公爵領へ人と物が流れないようにして、経済的に封鎖しようと試みる。
民の不満を煽り、公爵やその関係者の暗殺、そして反乱を企てるよう促す。
オルバウム選王国全体の敵として、アルクレム公爵領に軍を差し向けられる。
そうした危険が現実になったとしても、ヴァンダルー・ザッカートが後ろにいれば恐れる必要はない。
彼が治める帝国は大きく、資金も潤沢。経済的な援助も約束してくれている。暗殺や反乱が起こる前に、扇動者は顔の皮を残して消される。そして軍が差し向けられたとしても、すぐさま踏み潰すだろう。
そうした保証以外にも、彼が「友好の証しに」と渡してくれるVクリームも大きい。頭に塗れば毛髪が蘇り、肌に塗れば弛みや皺が消え、十代のような瑞々しい肌が戻る。他にも関節痛や重篤な皮膚病、火傷さえ塗れば快方に向かうという、驚くべき声も聞いている。
ヴァンダルー・ザッカートの力と脅威を信じない者でも、このVクリームの効能は塗れば分かるので、改革に賛同する仲間を得るのに役立っている。
……勿論、自分でも使っているが。
「アルクレム公爵、ただ今戻りました。ポッサ侯爵は喰いついたようです」
「ご苦労。ポッサ侯爵は頼もしい同志となるだろう。彼を破滅させ、君を侯爵へ昇爵させる事にならなくて良かった」
「おや、出世のチャンスをふいにしてしまいましたかな?」
「はっはっはっは、冗談だとも、モークシー『公爵』殿」
戻ってきたモークシー伯爵に冗談を言うアルクレム公爵。しかし、彼はヴァンダルーからの好感度では、自分よりもモークシー伯爵の方が高いのではないかと推測している。
もし自分がヴァンダルーに協力しなかったら、自分は排除されモークシー伯爵が公爵にされていたのではないかと。
だからこそ、アルクレム公爵はこの改革をヴァンダルーに指示される前に提案した。
(この改革は、何としても進めなければならん!)
ヴァンダルー・ザッカートと彼が治める魔帝国は、後ろ盾としては最高だ。だが、スパイクがついている。
それは動きが遅ければ……役に立たないと判断されたら、背中からアルクレム公爵家を貫くだろう。
「冗談が過ぎますぞ。しかし、良かったのですか? お仲間やユリアーナ嬢を招かなくて。我々が彼女等を蔑ろにしていると思われるのでは?」
「それは儂も考えたが……ザッカート殿から『今はまだ早いでしょう』と言われてな」
会場の警備や給仕を、ケンタウロスやハーピィーに依頼するなどして、会場にヴィダの新種族を増やし、ヴァンダルーの仲間がいても目立たない状況を作るなど、色々考えたが、ヴァンダルーにそこまでしなくてもいいと諌められた。
それで改めて、彼は自分達の事情も考慮してくれる存在なのだと思い、アルクレム公爵は安堵した。だが、同時にスパイクを意識させられた。モークシー伯爵も同感らしく、顔色を悪くしている。
「……今はまだ早い、ですか」
「そうだ。その時を迎えるために、急がなければならん」
まずは、ハーピィーとケンタウロスの長老を貴族にしなければならない。どんな妨害を受けても。
一方その頃、スパイクつきの公爵の後ろ盾、ヴァンダルーはダルシアとダンスを踊り、会場に用意された美食を楽しんでいた。
美食の味は自分達が作った料理よりも格段に落ちるが、『外食』というのは雰囲気込みで楽しむものだ。……それに、他人が作ってくれた料理を食べるのは楽でいい。
「ヴァンダルーが仕立ててくれたこのドレス、すごい評判よ。生地をどこで手に入れたか教えてほしいって、何度も言われちゃったわ」
「着ているのが母さんだからです。お蔭で、蜜絹の宣伝にもなりました」
これなら蜜絹……ゲヘナビー達が作るはちみつ色の絹は、上流階級を中心に流行するだろう。アルクレム公爵領都との密貿易は順調だ。
(俺が促す前に、自分から改革を発案して実行してくれていますから、サービスしないといけませんからね)
アルクレム公爵達が感じている盾に生えたスパイクは、実は幻なのだが……それに当人達が気づく事は当面はないだろう。
「次は、私と踊ってはいただけませんか、ダルシア殿!」
「あら、私でいいの、セルジオさん?」
「もちろんですとも!」
「で、では、その次はっ、是非私と踊って頂きたい!」
「ラルメイアさんは……少し、休んだ方がいいんじゃないかしら?」
ヴァンダルーから、ダルシアに近づく狼藉者を排除する事が期待されていたアルクレム公爵の指示により、『アルクレム五騎士』のセルジオとラルメイアは彼女のダンスの相手を代わる代わる務めていた。こうして独身の貴族やその子弟が近づく事を防いでいるのだ。
「ではヴァンダルー殿は、私と踊りましょうか。背丈も合いますし」
「お手柔らかにお願いします」
その間、ヴァンダルーはバルディリアと踊っていた。こちらも、増長した貴族の子弟や、逆に彼に娘や妹を近づけようとする貴族の接触を防ぐためだ。
彼等の尽力によって、パーティーはトラブルもなく進行し、後の惨劇も起きなかった。
ちなみに、『アルクレム五騎士』最後の一人ブラバティーユは、二人からやや離れた所でいわゆる馬鹿貴族の動きを見張っていた為、何も食べる事は出来なかったそうな。
《【舞踏】スキルのレベルが上がりました!》
次話は11月26日に投稿する予定です。




