照の声
小さな花瓶がポツリと立ち、カーテンから太陽の光が漏れ出る病院の一室。今日は恒例になりつつある雛のお見舞いだ。私が雛を階段から突き落として一年経つ。その間私と奈々華は1ヶ月に一回こうして彼女の病室を訪れる。釘を刺すために。
「雛。今日もごめんね。私達が居るせいなのは分かってる。だけど、私達もやめる訳にはいかないから。」
そう言って、私は二つ写真を取り出す。一つは、雷奈の練習風景の写真。これで彼女にはまず、親友が生きてる安心と、私達がその人のすぐそばに居るという事実を突きつける。そして2枚目は、吹奏楽部のクラス写真。
その写真には、笑い合って肩を組み合う雛と、赤色でぐちゃぐちゃに顔を塗りつぶした雷奈が映っている。
それを見ると、雛は顔を俯せるだけで何も言わない。
いや、言えない。それは単なる恐怖からじゃない。
心因性失声症。あの日から、雛は声を出せなくなった。
階段から落ちたショックなら、一年も続かない筈だが、まだこうして声を出せない原因は、私達がずっと圧をかけ続けているから。そして、私達が怖いから、学校にはあれから来れていない。ずっと、この病院という箱庭の中。
「行こっか。亜由美。」
「うん。奈々華。」
そう言って、私達は病室を出る。彼女が私達の約束を破っていないのは、隠しカメラと盗聴器から分かってる。今の時代、庶民でも多少の出費で人を監視するのは容易いし、筆談は出来る可能性を考慮すれば当然だろう。
学校でも、最近はずっと雛のことを考えていた。雛は今、どんな気持ちで生きているんだろう。
病院食って、なんだか味気なくて、毎日が楽しくなくなってしまうらしい。雷奈がお見舞いに来てくれた時、雛が、楽しそうにそう書いて話していたのを見ていた。
ずっと食傷気味な人生。私はそれを埋めるため、最近は色んなことをするようになった。
「あの!浅川先輩!」
「分かってる。ほら、弱点ノート。全部書いたら、どれから手をつけていいか分かんないだろうし、まずはこのとこに書かれたものからやってみて。」
「はい!本当に毎回助けてくれてありがとうございます!」
「別にいいよ。私も自分を整理したいから、もっと私を頼って。」
そういうと、後輩達はきゃーと言って友達と一緒に私の視界から外れる。こうやって人助けをするのは、罪の意識を和らげるためか、それとも、贖罪のつもりか。
辺りを見れば、もう夕暮れだ。最近、時間の流れが早い。単に日照時間の変化では無いだろう。というより、夜をよく意識してしまってる感じだ。朝がまるで、この世ではない幻で、そこに自分が生きてる自覚がない。
ただ夜になると、自分が生きているという実感が"湧いてしまう"。
犯罪者が生きているという実感が。
楽器を取る。今回はフルート。照がフルートをやると言うから、私もそれに合わせた。楽譜を見て、ゆっくり丁寧にリズムをなぞる。夜を震わせるような音を奏でると、無性に湧き上がる不安も少しはマシになる。
「あら、今日も居残り?やる気があるのは良いことだけど、休まないとダメよ?」
そう言って、照が入ってきた。彼女が朗らかに笑うと、世界が少し照らされて、自分の存在が薄らぐのがわかる。
「分かってる。というか、照こそ最近ずっと居残りじゃん。見ない日なんてないけど。」
「そうねぇ…。焦ってるのかもね。私。」
「焦ってる?あなたが?」
意外だった。照は一年の頃からずっとレギュラーで、吹部でも即戦力扱い。しかもそれでまだ伸びしろがあるものだから、それは大層優遇されていた。私はそれに不満を覚えて度々勝負を挑んでは負けていた。そんな彼女が焦ってるのは、私にとって中々興味深い話だった。
「ええ。亜由美が、なんだか最近大人びてきた感じがしてね。ほら、あなたの代名詞って分かってるって言葉じゃない。その言葉の意味は、分かってるから!って負け惜しみの意味でばっか使われてたと思うの。」
「主に照のせいでね。有益なアドバイスとは分かってるけど、どうしてもライバルに教えを乞うってのは、なんか…」
「そう言うとことか。最近やけに素直だし、分かってるっていう言葉が、なんかできる会社員みたいな感じを帯びてきてるのよね。だから、どんどんと差をつけられてる感じがするの。」
そんなに昔の私が情けない感じだったろうか。というより、それは普段通りに出来ていない証拠じゃないのか?
私が意識してないところは、おそらくどんどん変わっていっているのだろう。改めて、今の私を整理してみる。
何故最近素直になれたのか、大人びてきた感じがするのか。
「…失敗した後のことを、最近よく考えるようになってきたの。そうなると、もう前みたいに意地張ってる場合でも無いし、きっと、私は人生で一生後悔する。
その意識から、かな。」
「…そう。」
照はポツリと、悲しげに呟いた。あなた的には、昔の私の方が好きなのだろう。しかも、なんだか大人びた雰囲気を作る動機が好意的なものでないなら尚更。
彼女が、フルートを手に取る。練習するにしても、時間的にラスト一回がギリだ。
…分かってる。最後くらい、一緒にやろう。
息を吹き込み、指を動かす。
最初はゆっくりしたメロディで、照とも寸分の狂いなし。徐々にテンポアップしていって、手を早く動かさねばならず、必要な肺活量も、入学当初では全く足りなかっただろう。早いテンポでも焦らず、ただひたすら楽譜に従う。
だんだんと、テンポが落ちて、ゆっくり目のメロディに着地する。
美しい起承転結。この演奏はいつの時も、一つのリズムがある。始まりも、終わりも、ずっとそのリズムが着いてきてくれている。作曲者にとって、ずっと着いてきてくれたかけがえのないものがあると、この曲が言っている気がする。作曲者に、ちゃんと伝わっていると言ってあげたい。そして、お疲れ様と労いたい。
この曲の終わりには、静かに、そのリズムが消えるから。
分かってる。この演奏が終わるからこのリズムが消えるんじゃない。このリズムが消えるから、この演奏が終わるのだ。
「あなたの勝ちよ。亜由美。」
「…は?」
不意にそう言った照に、ついつい威圧的に返してしまう。
「何言ってるの?別にあなたはミスをしてない。私も特段ミスはしなかったけど、あなたに勝ったなんて自覚は無い。適当におだてるためだけに褒めてるなら許さない。」
「違うわよ。私は本心で言ってるの。私にも、この曲の事は分かるわ。序盤だけね。
終盤になるにつれ、だんだんとこの曲は狂っていく。
そして最後には大事なリズムを失って迷子になる。
私には、大切な人のことを想うことはできても、失ったりすることに想いを馳せることはできない。
あなたには既に、それが見えてる気がするの。
ねえ、亜由美。好きな人っている?」
…私の好きな人。辛い時、ずっとそばにいてくれる。
どんな時も一緒と言ってくれた人。
「…うん。いるよ。」
「そう。なら、大切にしなさい。もし出来るなら、自分も含めて。私はまた、あなたに勝てるように頑張るから。」
そう言って、私の肩を叩く。照の顔は負けたとは思えない程晴れ晴れな顔をしていて、その笑顔のままこう言った。
「応援してる!私の知らないとこで、勝手に負けたら許さないから!また一緒に演奏しましょ!」
彼女の笑顔はまるで太陽で、日中生きられない私に日の光を当ててくれたようだった。
その言葉を貰った後、私は帰り支度をして家に帰った。
家には既に奈々華が居た。
「おかえり。どうだった?今日の部活。」
「ぼちぼち。まあ、多少良いことはあったけど。」
「えっ!?何それ!聞かせて聞かせて!」
奈々華が身を乗り出して私に詰め寄る。そう言えば奈々華にこういう肯定的な話をするのは久しぶりだったかもしれない。それが珍しく感じたのだろう。彼女の目はキラキラ光っていて、私の返答を待っていた。
「今日初めて、照に勝った。正直実感湧かないし、あいつが勝手に降参しただけ。でも、ちょっと嬉しかった。それだけ。」
「それだけって、わざわざキリッとしなくても良いってばー!そっかぁ…遂に勝てたんだね!ずぅーと目標だったもんね!よーし!今日は宴じゃー!!」
奈々華は平然を装う私をぶち壊して、私以上に喜びを身に宿してくれた。そんな彼女の姿は尊くて、やっぱり私は…
「奈々華。」
「ん?どうし…」
…初めてのものは、どうしたってドキドキする。慣れって言うのは、良くも悪くもそのドキドキを奪ってしまうし、初体験が快く無いものであれば、それは今後から期待できないものになってしまう。下をまさぐられ、胸を触られ、私の色々な初めては残念ながらドキドキしないものばかりだったけど、
私の愛を受け取ってくれたあなたには、すごくドキドキしてる。
「…いきなり…何して…」
「ファーストキス。奈々華で良かった。」
奈々華は今、完全に固まっていて、よろよろとベットに座り込んでしまう。私はそんな彼女を押し倒して、再び唇を重ねる。
「はっ…む…っん。はぁ…もっと…」
「あゆっ…っん!?はぅ…あっ…」
下唇を優しく噛んだり、唇を滑らして、また重ねてを繰り返す。ぴちゃっと淫らな液体が弾ける音が何度かして、私は彼女を貪り尽くす。
ガッチリと手を押さえて、私が出来る限り密着した体制でいようと身を捩って、完全に奈々華と体を重ねて数十分。ずっとキスをしていたからか、頭に酸素が無くなってきて、少しフラフラする。その隙を彼女は見逃さなかった。
「っぷは!ストップ!一旦ストップ!」
ガバッと私を押し除けて、彼女は押し倒された姿勢を戻す。頬は真っ赤に染まっていて、それは恥ずかしいというのみならず、ずっと私が密着した状態であった証拠だ。
「急に…どうしたってのよ?いきなり私のファーストキス奪いやがって…」
「ごめん…ただ、言われたの。照に。好きな人は大事にしろって…。私、あなたのことが大事に出来てるか不安で、なんなら負荷ばっかかけてるんじゃ無いかって。でも、いきなりなんて、アイツと何も変わらないよね。
ごめんなさい。」
朧げになりそうな意識の中、私は確かにそう答えた。
言葉ではなんとでも言ってくれるが、いつの日か、本当に追い込まれたら、私を捨てるんじゃ無いか。そんな奈々華に対する冒涜を、考えたことが無いかと言われれば嘘になる。我ながら最低だ。でも、そうした考えがよぎると、もしかしたら私も彼女にそう思われてる気ばかりした。だから焦った。私はちゃんと、奈々華が大切だとアピールしようと。
私の想いを伝え切る。奈々華がどんな顔をしていたかは分からなかった。私はぼやけた視界の中、せめて聴覚だけはと耳を澄ませていて、そんな耳は奈々華のか細く、ちょっとだけ怒気を纏った声を拾った。
「捨てるわけないでしょ…ばか。」
そして、私の背中が毛布に余すことなく密着する。
今度は彼女が上になって、私に仕返しという名の信頼を私にぶつけた。
「…っふ、れろっ…ちゅっ…ちゅぱっ…」
接物は先程より勢いを増し、舌も絡ませ合うようなものに変わっていった。彼女はどんどん、私の奥のものに奈々華の存在を刻んでいって、彼女が私の体に触れるたび、その場所から波紋のように快感が走る。
「っん…あっ!っふぅ…っんむ…」
まるで神経を指で弄られるような感覚。油断すれば一瞬で意識が飛びそうな感覚を、キスに集中することで必死に堪えた。そして彼女の繊細な指は、顎から首へ、そして胸を通過しておへそのところ。少しそこをなぞってから、私の性器に到達する。
ちょっと触られるだけで体が跳ねる。私に訪れたのは、果てしない快感。そして…
「…怖い。怖いよぉ…奈々華…」
「…ごめんね。とりあえず今は、口だけで。」
そう言って、彼女は私の下から手を離し、代わりに頬に手を当てる。お互いの体を擦り付けながら、舌が絡まる速度はどんどん増していく。唇を離して、またくっつける。その間の熱い吐息を交換し合って、私達は自分の体にお互いを刻み込む。口の中の唾液はぐちゃぐちゃにとろけ合って、もうどちらのものと表現するのも憚られる。
チカチカ。目が回る。波が押し寄せる。お腹辺りに、込み上げてくる。
ああ…気持ちいい。奈々華…奈々華…!奈々華!!
「奈々華っ…私っ…もうっ…」
「うん…いいよ。全部私に…ぶつけて。」
ッ…〜〜〜〜〜〜〜!!
はあ…はあ…うっ…はあ…。
さっきの波は、もう私から消え去っていて、代わりにそれは私の下着に形としてしっかり残っていた。
「…ベトベトする。」
「じゃ…お風呂でも入ろっか。そんで今日は、お泊まりにでもしよ。」
そうは言いつつも、私も奈々華も、もう起き上がる体力は無い。お互い向かい合って、どんどんと微睡の中に誘われる。
そうだ…眠る前に、最後に…これだけ…。
「奈々華。こんな私を好きになってくれて…ありがとう。ずっと一緒に居てくれるって言ってくれて…ありがとう。」
「それは…私も同じ。ずっと、庇ってくれてたんだよね。アイツのセクハラから。…ごめんね。ずっと、助けれなくて…」
「ううん…もう大丈夫。それで…一つ、お願いがあるの…。
ずっと一緒に居てくれるなら、地獄まで着いてきてくれるなら…
私と一緒に…死んで欲しい…」




