episode8「灯守ノア」
『セリア 長期不在/投与履歴欠損』
『ノア 灯守/直接管理』
クロムが教会から持ち出した帳簿の一頁。
セリアはそこに書かれた文字を、何度も見つめていた。
「……直接管理って、なに。」
「分からない。」
クロムが答える。
「投与っていうのも気になるよね。」
アーニャが紙を覗き込む。
「さっきの『増量』とかもそうだけど……教会、何か薬でも使ってるのかな。」
「…………。」
セリアは黙ったまま、遠くに見える教会を振り返った。
暗闇の中。
鐘楼の影だけが、街の上に大きく伸びている。
「……私、戻る。」
「え?」
「ノアのところ。」
セリアはもう歩き出していた。
「やっぱりこのまま帰れない。」
「セリアン、待って!」
アーニャが慌てて追いかける。
クロムも帳簿の頁を折り畳み、二人の後を歩いた。
「ノア本人に聞くの?」
「うん。」
「教えてくれるかな。」
「分かんない。」
セリアは歩く速度を緩めなかった。
「でも……ノアが何かされてるなら、知らないまま帰るなんて無理なの....。」
⸻
三人が再び教会へ戻ると。
入口には、先ほどの世話役たちが立っていた。
そして、その少し後ろに。
ノアがいた。
「ノア!」
セリアが駆け寄る。
ノアがゆっくりと顔を上げた。
「……お姉ちゃん。」
「ねえ、ノア。一緒に帰ろう。」
「え?」
「今日はもう仕事しなくていいよ。私の家に来て。」
「…………。」
「ピコもいるし。狭いけど、ちゃんと寝るところもあるから。」
ノアはしばらくセリアを見つめていた。
そして。
静かに首を振った。
「帰れない。」
「どうして?」
「私は灯守だから。」
「灯守って、そんなに大事なの?」
アーニャが首を傾げる。
ノアは教会の上にある鐘楼を見上げた。
「毎日、炎を確認する。」
「炎?」
「昼になったら灯りをつける。夜になる前に鐘を鳴らす。」
セリアが続ける。
「この街、砂の下にあるから太陽が見えないでしょ?」
「うん。」
「だから、教会の炎と鐘で一日の時間を決めてるの。」
「なるほど……。」
アーニャが頷く。
「じゃあノアちゃんが鐘を鳴らさないと、みんな今が昼なのか夜なのか分かんなくなるんだ。」
「そう。」
ノアが答える。
「昔、この街に来た人たちは、みんな逃げてきた人だったんだって。」
セリアが教会を見上げる。
「最初は時間もバラバラで、眠る時間も働く時間もみんな違ってた。でも、この街で一緒に暮らすようになってから、鐘で時間を合わせるようになったの。」
「へえ……。」
アーニャは少し感心したようにノアを見る。
「ノアちゃん、めちゃくちゃ大事な仕事してるじゃん!」
「うん。」
ノアは少しも嬉しそうにはしなかった。
セリアはそんな妹を見つめる。
「でも、今日は鐘も鳴らせなかったんでしょ?」
「…………。」
「倒れてたし。」
「もう大丈夫。」
「大丈夫じゃないよ。」
セリアの声が少し強くなる。
「私、心配なんだよ。」
「心配しなくていい。」
「するよ。」
「しなくていい。」
「する。」
セリアは即答した。
ノアは一瞬だけ目を伏せる。
けれど、すぐにいつもの無表情に戻った。
「ここが私の仕事だから。」
「仕事なんて、誰か代わってもらえばいいじゃん。」
「だめ。」
「どうして?」
「私が灯守だから。」
また同じ言葉。
まるで。
それ以外の答えを知らないみたいに。
クロムは黙ったまま、ノアを見ていた。
その時。
教会の中から、微かな匂いが流れてきた。
甘いような。
苦いような。
少し鼻の奥に残る匂い。
「……この匂い。」
クロムが呟く。
「匂い?」
アーニャが鼻を動かす。
「アーニャ何も分かんない。」
「薬っぽい。」
その言葉に。
ノアの指が、ほんの少しだけ動いた。
「薬?」
セリアが教会の中を見る。
「教会って薬も作ってるの?」
「…………。」
ノアは答えない。
代わりに、後ろに立っていた世話役の一人が口を開いた。
「住民の健康を整えるためのものです。」
「健康?」
「眠れない者。」
「落ち着かない者。」
「過去を思い出し、苦しむ者。」
別の世話役たちが、淡々と続ける。
「必要な者には、教会から薬が渡されます。」
「へえ……。」
アーニャが呟く。
「病院みたいなこともしてるんだ。」
セリアは少し考えてから頷いた。
「そういえば、昔ここに住んでた時も、眠れない人とかが薬をもらいに来てたかも。」
「セリアンも飲んでたの?」
「私はほとんど飲んでないよ。」
「そうなの?」
「うん。あんまり必要なかったから。」
「じゃあ帳簿の『投与履歴欠損』って、それのことかな。」
「たぶん……。」
クロムは教会の奥を見る。
カチ。
カチ。
カチ。
地下から。
あの機械音が、今も鳴り続けている。
「最近、ずっとあの音してるの?」
クロムがノアに聞いた。
「…………。」
「今日だけ?」
「……最近。」
ノアが小さく答えた。
「最近?」
セリアが振り返る。
「私、教会の近くにはよく来るけど、こんな音聞いたことなかった。」
「夜はもっと動く。」
「何を作ってるの?」
「薬。」
ノアはそれだけ答えた。
「そんなにたくさん?」
「…………。」
ノアは答えなかった。
クロムは目を細める。
この星には。
機械がほとんどない。
なのに。
教会の地下だけでは。
今も休むことなく何かが作られ続けている。
「ノア。」
セリアがもう一度、妹の手を握った。
「やっぱり帰ろう。」
「帰れない。」
「どうしてそんなにここにいなきゃいけないの?」
「灯守だから。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「でも……。」
セリアの声が震える。
「昔は、もっといっぱい笑ってたじゃん。」
ノアがわずかに目を動かした。
「お姉ちゃんとくだらないことで喧嘩したり、泣いたり、笑ったりしたじゃん。」
「…………。」
「今のノア、なんか……。」
言葉に詰まる。
セリアは妹の手を強く握った。
「遠くにいるみたい。」
ノアはしばらく何も言わなかった。
そして。
ほんの少しだけ。
目を伏せる。
「……ごめんね。」
セリアが息を止めた。
それは今日初めて。
ノアから聞いた。
少しだけ感情のある声だった。
「ノア……。」
けれどすぐに。
教会の世話役が口を開いた。
「灯守は準備の時間です。」
「……うん。」
ノアはセリアの手を離した。
「ノア!」
「おやすみ、お姉ちゃん。」
「……おやすみ。」
ノアは教会の中へ戻っていく。
その後ろ姿を。
セリアはずっと見ていた。
扉が閉まる。
ゴトン。
真っ暗な街に。
また機械音だけが残った。
⸻
教会の中。
ノアは一人、長い廊下を歩いていた。
カチ。
カチ。
カチ。
地下から響く音。
その音を聞きながら、小さな部屋へ入る。
机の上には。
一杯の水と。
小さな白い錠剤。
ノアは椅子に座った。
それを見つめる。
「体調を整える薬。」
毎日。
仕事の前に飲む。
昔からそう言われてきた。
飲めば落ち着く。
怖い夢を見なくなる。
思い出して、苦しくなることもなくなる。
ノアは錠剤を手に取った。
しばらく見つめる。
そして。
飲み込んだ。
⸻
深夜。
誰もいなくなった廊下を。
ノアは一人で歩いていた。
教会の奥。
普段は誰も使わない、小さな物置。
棚をずらす。
その裏に。
小さな扉が隠されていた。
カチャ。
鍵を差し込む。
扉を開く。
中には。
古びた布。
壊れた小物。
そして。
一つのペンダントが置かれていた。
ノアはそれを手に取る。
古い。
傷だらけのペンダント。
中には、小さな写真。
まだ幼いセリアとノア。
そして。
二人の間で笑っている、一人の女性。
「……お母さん。」
ノアの指が、写真に触れる。
その時。
袖が少しだけずれた。
細い手首。
そこには。
古いものから新しいものまで。
いくつもの小さな跡が残っていた。
採血。
注射。
投薬。
何度も。
何度も繰り返された跡。
ノアは無言で袖を戻す。
そして。
ペンダントを強く握った。
ブクマ、コメント一言でももらえると、クロムもアーニャもよろこびます♡
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