32 剣と酒
午後になり、ルーチェはヴァレリオと共に辺境伯邸へ向かった。
ルーチェはガチガチに緊張し、ヴァレリオはリヴェラトーレとは面識があったが、幾分か荒れる覚悟はしていた。
何せ娘が久々の里帰りだというのに、自宅ではなくヴァレリオのところにいるのだ。親なら当然いい気はしないだろう。
少しでも場を和ませようと思ったのか、ランドルフォとレオーネも家にいた。出迎えてくれたのも執事ではなくレオーネで、軽いノリで
「やあ、お帰り。入ってよ」
と二人を客間へと案内した。
「し、失礼します」
ヴァレリオ以上にルーチェの方が他人行儀で、五年も過ごしたはずの家なのに、初めてこの屋敷に足を踏み入れた時のように玄関の広さにさえ圧倒され、誰かが少しでも強く足を床についたら、威嚇された猫のようにフーッと声を上げて今にもドアから逃げ出しそうだった。
客間には先にランドルフォがいて、ルーチェとヴァレリオ、それにレオーネも席に着いた。
あの飲み会以来、兄達には免疫がついて怖いと思うことはなかった。むしろ、もはや敬語を使わなくても話せるくらいなじんでいた筈なのに、家の雰囲気に飲まれ、ルーチェは手をしっかりと握りしめ、指の間にスカートの布を巻き込んで、しわを作っていた。
「今からそんなガチガチになっていたら勝てないよ。大物との戦いの前こそ、落ち着いて、冷静でいなきゃ」
レオーネにそう言われて、少し大きく深呼吸をしてみた。
父だ。魔物じゃない、父だ。同じ人間だ。
心の中で唱えていた言葉が勝手に音になっていたらしい。残りの三人は笑いをこらえようとしたが、こらえきれず、吹き出した。
父が入ってきても、ランドルフォはまだ少し笑いが残っていた。父の鋭い視線が飛び、にらまれたランドルフォ以上にルーチェが反応したのを見て、ランドルフォは父に密かに合図を送った。慌てて父も咳払いをして席に着いた。
「…久しぶりだな。元気にしていたか」
いつものように、穏やかな口調だったが、ルーチェの心には重く響いた。
「はい、ち、父上におかれましても、ご健勝であらせられられれ…」
ランドルフォとレオーネが思わず吹き出した。さすがにヴァレリオは笑うに笑えなかったが、父リヴェラトーレもまたどうフォローしていいのか考えあぐね、結果、なかったことにした。
「アガッツィ殿の家で世話になっていると聞いたが」
「ひ、引っ越しのお手伝いを、してます」
「手伝い?」
ただ聞き返しただけだったのだが、無理矢理働かされていると思われているのではないか、と邪推したルーチェは、
「お、お忙しそうにされていたので、私から、お手伝いを申し出ました。お、お手伝いに呼ばれた訳では…」
「判っているから。何も責め立てようと思っている訳じゃない」
親子の会話を見ていて、ランドルフォもレオーネも、ヴァレリオも、だんだんかわいそうになってきた。それはルーチェだけではない。父であるリヴェラトーレにもだ。
全く悪気なく、かみ合っていない親子の会話。
そもそもルーチェが父リヴェラトーレのことをかなり誤解しているようであることは、疑いようもなかった。
怖がり、泣きそうになりながらも、なんとか父と話をしなければ、と使命感だけでここにいる。二年前の家出事件から、初めて家に戻ったのだ。しかも、実家でなく男の家に滞在し、そこで世話になっている。父にふしだらと怒られても仕方がない。しかし、ヴァレリオの家でなければ、ルーチェはモンテヴェルディに戻れなかった。
それさえも許されないなら…
「大変失礼ながら」
突然、ヴァレリオが口を開いた。
「私は来年にはこちらの辺境騎士団でお世話になります。こちらに赴任する際には、ここにいるルーチェも同行する予定ですが、よかったら、こちらの騎士団で働くに充分か、ご確認いただけませんでしょうか。…こうやってここで話していても、恐らく何も解決しません。騎士なら、剣を交えるか、酒を交えるかが手っ取り早いと思いますが」
リヴェラトーレはヴァレリオの顔をじっと見た。まっすぐ、そらさない目に
「よし、二人の技量のほどを見せてもらおう」
と言った。
身支度のため、久々に自分の部屋に入ったルーチェは、きれいに掃除されながらも、残してきた手紙も、刺繍も、屋敷を抜け出す時に着ていた男物の服さえもあの時のまま残されているのに驚いた。
男物の服はまだ着られる大きさで、あの頃からあまり成長していないのだと知って少しがっかりした。
編み込まれた髪をほどき、いつものように母の髪紐でひとくくりにすると、侍女に案内されるまま中庭に出た。
中庭ではヴァレリオとレオーネが一足先に剣を交えていた。
御前試合で見損ねた兄の剣さばきは、さすが辺境騎士団で小隊長をしているだけあって、ヴァレリオともほぼ互角だった。どちらかというと兄の剣の方が荒々しく、野性的だった。ヴァレリオは今は魔法を使わないよう制御しているが、これに魔法が乗れば力の差は歴然だ。
レオーネのフェイントで、ヴァレリオの髪が数本落ちた。途端にヴァレリオの目が険しくなり、激しい速攻の突きを三度向けると、レオーネの首元に剣を据えた。
「それまで」
ランドルフォの声で両者が剣を納め、礼をした。
「ひゃー、また腕を上げてるな」
レオーネが笑いながらヴァレリオの剣を受け取った。
「やっぱり髪を切られるとキレるな」
「…今日は髪じゃない。髪紐を切りそうだったからだ」
レオーネはヴァレリオの髪を束ねている髪紐をつついた。
「お、久々にこんないいの見た。いい繕い魔法が入ってるな」
「触るな。減る」
「減るかよ!」
ルーチェは自分が作った髪紐をヴァレリオが気に入り、大事にしてくれているのを見て嬉しくなった。リヴェラトーレは、ルーチェの視線と、その先のヴァレリオの髪紐を見て軽くうなずいた。
「じゃ、次はルーチェと俺だ」
上の兄、ランドルフォが剣を構えた。
ルーチェはレオーネからさっきヴァレリオが使っていた剣を受け取り、少し重すぎると思ったが、そのまま構えた。
すると、リヴェラトーレがルーチェに別の剣を差し出してきた。
抜くと、さっきの剣よりも薄手で細く、良い感じに軽量化されていた。自分のために用意していたとしか思えない。
「ありがとうございます」
素直に礼が言えた自分に驚いた。
兄に勝てるとは思わなかった。大事なことは、勝ち負けではない。いかに強者に食らいつくかだ。
受けた剣は重く、軽量化した剣で何度も受けるのは得策ではない。さらりといなして後方に身を引いた。
打ち合うよりもよける方が多く、はじめランドルフォは面白くない、と思った。しかし、よけながら仕掛けるタイミングを計り、軽やかな足運びで思わぬ方向から出てくる剣に、油断できない、と気を引き締めた。
「へえ」
見ていたレオーネが、にやりと笑った。ヴァレリオは腕を組んだまま様子を見ている。
小柄な体を活かしてより低い位置から突き上げる剣は、侮れないものがあった。初めは幾分かの手加減が必要かと思っていたが、そんなものは必要ない。
強く攻めると腕力の差が明らかだった。受けきれず重心がぶれるが、引きながらも突いてくるしぶとさに、次第にランドルフォも面白くなってきた。
跳ね回る分、ルーチェの方がスタミナ切れが早く、息も上がっていたが、すぐに体勢を立て直し、ランドルフォの隙をうかがう。
それが突然正面から剣を振りかぶり、ランドルフォがその剣を受けようとした途端、ルーチェは剣を手放した。予想していた剣の勢いがなくなり、わずかにバランスを崩したところにルーチェが素手でランドルフォの腕を掴み、ひねりながら引いた。
体がぐらつくには充分だったが、なんとか踏ん張られて倒れるまでには至らず、ぺたりと地面に座り込んだルーチェは息を荒げながら
「ま、参りました」
と言って笑った。
ランドルフォはルーチェの手を取り、立たせると、
「手の位置が違う」
そう言ってさっきの自分の体勢をルーチェに再現させると、
「今のでは逆手だ。ここをつかんで、…引く」
と、腕の持ち方を変えただけでいとも簡単にルーチェを転がして見せた。そして、代わって自分に同じ技を数回仕掛けさせると、ルーチェにも兄を転がすことができるようになった。
土を払いながら、
「まあ、悪くない手だが、初回だけだぞ、だまされるのは。剣を手放せば、それだけ不利になる」
そう言ってランドルフォはルーチェの剣を拾って渡した。
「ありがとうございます」
笑顔で答えたルーチェは、
「今の技を教えてくれた人に興味があったら、紹介しますよ。…とっても強くて素敵な女性です」
と耳打ちした。
ランドルフォはすました顔を見せながらも、
「…後で頼む」
と答えた。
招待された夕食の後、とっておきの酒を持ってランドルフォが娯楽室にやってきた。
通例なら婦女子は遠慮するところだが、今回はルーチェを交えて飲むのが目的だ。
ルーチェはあまり酒は飲まなかったが、先の王都での飲み会で、飲めば兄達が饒舌になることを知っていた。自分もそうなれればいいのだが。
すぐにレオーネも軽食を片手に現れた。
「俺の妹はなかなかやるなあ。うちでもあそこまでやる子、なかなかいないよな」
レオーネの意見にランドルフォは
「筋力がもうちょっと欲しいけどな。…どう思う?」
とヴァレリオの意見を求めた。
「剣を手放すのは、なしだな」
ヴァレリオがルーチェを見ながら、少し不満そうに言った。
「うちでもいつも言っている。少しでも生き残れることを考えろ、と。相手の体が崩れたところで、押さえつけられる力もない。起き上がって切られたら終わりだ」
ルーチェはどうしても勝てない相手だと思い、先日アルバに習ったばかりの技を試すことで逆転を狙ったのだが、結果的に失敗し、認めてもらえなかったのが少し不満だった。しかし、
「…たく、見ていて危なっかしくて仕方がない」
と言って軽く頭を小突かれたのがなんだかこそばゆくて、少し拗ねたままちびちびと高価らしいお酒を舐めた。薄められてはいたが、琥珀色の液体は苦くておいしいとは思えなかった。
すると、手にしていたグラスを取られて、代わりに果実酒を持たされた。口当たりがよくて、甘く、これなら飲めそうだった。
「何でうちの団の試験、受けなかったんだ?」
レオーネの問いに、ルーチェは素直に答えた。
「…受かると、思えなかったから。父上が、許してくれると思わなかったし、受けても落とされると思った」
「うーん、あの時は、そうだよなあ。ルーチェが教場に通ってたなんて、誰も知らなかったしなあ…」
しかしランドルフォの意見は違った。
「むしろ、あの時に受験していたら、おまえが何をやりたがってるのか父上も判っただろう。俺達もだが、父上も、ルーチェも、みんな遠慮しすぎてた。ルーチェが何を考えて、何をしたがってるのか、判ろうとしてなかったし、判ってもらおうともしてなかったんじゃないか? おまえが思っているほど、父上は無理解な人じゃない」
「でも…。繕い魔法もできないって知って、父上はひどくがっかりしてた。きっと父上は、お母さんの代わりを探していたんだと思う。でも、私は期待外れで、…令嬢としてもぱっとしないし、作法も全然なってないし。養ってもらっているお礼はしたかったけど、知らない人と結婚して、偽物なのをごまかしてずっと貴族のふりをして生きていくなんて、この家のためになるって思っても、どうしても、どうしてもできなかった。一人で生きていくのに私にできるのは剣か繕い物しかなくて、でも領主である父上に背いてここで生きていくなんて…」
もうすぐ二年になろうとするあの日の決意を思い出し、そして今改めて故郷の地を踏んで、ルーチェは戻ると決めた自分に自信をなくしていた。
「…やっぱりだめなのかな。私、モンテヴェルディに戻っちゃ、だめ?」
じっとグラスを見つめ、手にしていた果実酒を一気に飲み干すと、続けてすぐそばにあった、さっき少し舐めただけの酒にも手を伸ばし、大きく一口、喉に流し込んだ。
「ちょ、ちょっと待て、ルーチェ」
「急にそんなに飲んだら…」
慌てる兄達を横目に、ヴァレリオは冷めた目でルーチェを見ていた。
「戻るって決めたんだろ? 今さらひるんだって、遅いからな」
酒の苦さにうえーっと顔をしかめるルーチェの隣に座ると、ヴァレリオはまだ酒の残るグラスを取り上げて、一気に空にした。
「おまえがしたいようにしたらいい。…辺境騎士団に入りたいのか、聞いてなかったな。騎士団に入りたいなら、ちゃんと合格して入ればいい。繕い魔法をしたいなら、それでもいい。ここに戻るのは決まってるんだ。ここに戻って、何をしたいのか、ちゃんと考えろ。モンテヴェルディに戻るのは、終わりじゃない。始まりだ」
「ヴァレ…」
酒のせいもあり、目をとろんとさせたルーチェは、少し潤んだ目でじっとヴァレリオを見つめ、
「どうしよう…。ヴァレ、かっこよすぎ」
とつぶやいた。その言葉にランドルフォは咳き込み、レオーネはにたあっと笑って、酒のつまみとばかり、うんうんと頷きながら話を聞いていた。
「私、ヴァレに会えてよかった…。父上がヴァレに意地悪したら、ヴァレを守るね。もしここから追い出されたら、一緒にどこかに行こう。一緒に冒険者になって旅しようか。ヴァレのために繕い魔法の刺繍、いっぱいしてあげる。他は、…他は何にもできないけど、ずっと大事にするから」
「あん? …おまえ、酔ってるだろう」
「うん。…大事だから、守ってあげる」
「守ってやるのはこっちだ。ちゃんと連れて帰るから、心配すんな。俺と一緒に帰るんだろ?」
ヴァレリオがルーチェにくれる言葉は、ルーチェが欲しい言葉、そのものだ。
「うん。…うん…。帰る…」
ルーチェはヴァレリオの腕に手をやると、額を押しつけ、祈るように瞳を閉じた。
「一緒に…」
そのまま動かなくなったと思ったら、ヴァレリオにもたれ、寝息を立てていた。
いつの間にか部屋にいたリヴェラトーレは、
「寝てしまったか…。また一緒に飲む機会をなくしたなあ」
と、娘を見て残念そうにつぶやいたが、
「まあ、戻ってくるなら、いつでも飲めるか」
と言って笑って席に着き、久々に戻ってきた娘の寝顔を肴に、男四人で酒を交わした。
王都に戻る前日、いとまを伝えに来たルーチェに、リヴェラトーレは繕い魔法のことでルーチェを傷つけていたことを詫びた。できないのか、と言ってしまったが、その力を求めて引き取ったのではないこと、そして繕い魔法ができるようになっていることにルーチェの努力を褒めた。
見合いの話も、そういう生き方がある、と言いたかっただけで、嫁にやる気はなかったことを伝えた。
また、ルーチェには辺境騎士団に入るだけの力があるから、入りたければ入団を認めると言うと、ルーチェはもう少し考える、と答えた。
そして、今でも嫁にやるのはしのびないが、ヴァレリオとのことはルーチェに任せる、反対はしないと言われ、ルーチェはそれが何より一番嬉しかった。
「モンテヴェルディに、帰ってもいいですか?」
恐る恐る聞くと、父は笑顔で
「もちろんだ。歓迎するよ。…ただし、時々ここにも顔を見せて欲しい。おまえの家なのだから」
と答えた。
「…私の部屋を、残しておいてくれて、ありがとう。…お父さん」
ルーチェは恥ずかしそうにそう言うと、目を合わせないまま辺境伯邸を出た。
迎えに来ていたヴァレリオと一緒に去って行く後ろ姿を見ながら、リヴェラトーレは娘を得るというのはさみしいものだ、と思わずにはいられなかった。




