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19 暴れる魔法と繕い魔法

 髪を後ろでつかめるようになると、ヴァレリオは日常的に髪を結ぶようになった。結んだ先の髪はまだ短かったが、下紐でしっかりと結んだ上から、繕い魔法の入った髪紐が固く巻かれていた。

 それ以来、小さな異変があった。

 初めは大したことではない、と思っていた。

 執務室でうっかり「副団長」と呼びかけても、いつものように睨まれなかった。

 ヴァレリオは公の場でない限り、自分を肩書きで呼ばれるのを嫌っていた。それなのに、怒りもせず、訂正もせず、「ん」としか言わなかった。視線も合わない。

 少し引っかかりながらも、気にしないようにしていたが、そのうち、機嫌が悪いのかな、と思うほどに笑顔を見せなくなっていった。

 お茶を入れても、以前なら「ああ」とか「ありがとう」とか声をかけてくれたのだが、ほぼ無言になり、気がついていないのかと思えば、そうでもない。

 自分だけではない。他の人に対しても同じだった。

 ここに来る前の、まだよく知らなかったヴァレリオの印象に近かった。遠くから見ていた、冷徹と噂される第二騎士団副団長、髪を切る前の…

 繕い魔法のレッスンも忘れたのか、二回連続で来なかった。

 第二魔法騎士団の人は、元のクールな副団長が戻ってきた、と喜んでいる者が多かった。やはり髪が切り落とされたせいで落ち着きをなくしていたのだ、と言う者もいた。

 しかし、ルーチェにはそうは思えなかった。

 違和感があるのは、つけている髪紐だ。

 繕い魔法については、例え自身が仕掛けられる魔法は弱くても、母と一緒に長年見てきた分、自信があった。


 ルーチェは、通りすがりにヴァレリオの髪を結んでいた髪紐に軽く触れた。

 つい先日、新しく手に入れたものにヴァレリオ自身が補強の繕い魔法をしたものだ。

 新しいにもかかわらず、触れるか触れないか程度の衝撃で鈍い音を立てて髪紐がちぎれ、まるで一瞬で数十年が経ったかのようにボロボロに劣化しながら床に落ちていった。

 ついさっきまで無表情だったヴァレリオが驚いたように目を見開き、自分の髪に手を伸ばした。

 すかさず、ルーチェは自分がポケットに入れていた、母の作った髪紐を取り出し、ヴァレリオに渡すと、髪紐だった破片をいくつか拾って、何も言わずにその場を去った。

 ヴァレリオは、ルーチェが静かに怒っているのを感じた。


 ヴァレリオは渡された髪紐で髪を縛り、そのまま黙々と仕事をこなした。

 ルーチェはあえて目を合わせることなく、淡々と応じていたが、さっきまでとは違い、時々気まずそうな様子を見せ、少し落ち着かないヴァレリオにほっとしていた。

 定時から二時間ほど過ぎ、グイドが先に帰ると、ヴァレリオはペンを置き、今着けている髪紐をほどいてルーチェに差し出した。

「…返す」

 しかし、ルーチェは髪紐を受け取らず、ヴァレリオを睨み付けた。

「あんなの、繕い魔法じゃないですから」

 ヴァレリオはすっと目をそらせた。少し拗ねているようにさえ見えた。

 ルーチェは、ハンカチに包んでいた髪紐の破片を取り出し、ヴァレリオに突きつけた。

「不乱、不動、平静、沈着、無心、沈勇、…心を失わせるほどの強い魔法を何重にもかけて、何やってるんですか?」

 自分の仕組んだ繕い魔法が正確に読み解かれている。その言葉に、ヴァレリオは驚いたようにルーチェを見るが、言葉が出てこない。

「今手にしている母のその髪紐には、心の平穏と無事、その祈りだけが入ってます。それでは足りないんですか?」

「…制御、できない」

 ヴァレリオが、小さな声で答えた。


 ヴァレリオの手の上に乗っている、ルーチェの母が作った繕い魔法の入った髪紐は、学生時代から魔法騎士団に入団したての頃、使っていたものの一つだ。

 王都に戻り、自分の中の魔力が時々暴れるのを感じていた。

 ヴァレリオの魔力が強いことを知った実の親は、ヴァレリオ自身が好きだった剣よりも魔法に力を注ぐよう指示した。気乗りしなかったが、言われるまま魔法を学ぶ学校に通い、人並み以上の魔法を発動できるようになった。しかし、感情が荒ぶると、自分が意図しないほどの強さで魔法が展開されることがあった。

 兎を仕留めるのに、猪でも丸焦げになりそうな魔法が飛び出す。

 髪は伸ばすつもりはなかったが、無精で勝手に伸びてしまった髪を適当な髪紐でくくっていた。

 長期の休みに伯母を訪ねてモンテヴェルディに行った時、近くに住んでいた繕い魔法の師匠に魔法の制御法を相談すると、繕い魔法の入った紐で髪を縛ることをアドバイスされ、師匠の作った髪紐を一本もらった。髪を結ぶと心を落ち着けることが出来、魔力の乱れが安定していった。

 それだけでずいぶん安心して魔法を使うことができるようになった。モンテヴェルディに行く機会があれば、街で繕い魔法が入った髪紐を購入し、長くモンテヴェルディに足を向けられない時は、友人であるレオーネに頼んで送ってもらった。


 魔法も剣も使えることから、魔法騎士団に入る事を望まれ、それに従った。本当は騎士団でも魔法騎士団でもどちらでも良かった。

 丁度その頃、兄に嫡男となる男の子が生まれたことで、ヴァレリオの父はヴァレリオを家の予備という立ち位置から解放してもいい、と言った。ただし、それには条件があった。

 魔法騎士団でそれなりの実力を見せたら…例えば、小隊長になれたなら。

 ヴァレリオは自分の願いを叶えるために本気になった。

 魔法騎士団では、剣よりも魔法の行使を期待された。剣を補助する魔法で戦うヴァレリオのやり方では、小隊長になるにはあまりに時間がかかる。

 やむを得ず、魔法を直接対象に仕掛ける攻撃魔法に切り替えた。自分の制御できるギリギリの魔法で魔物を押さえつけるたびに、周りの期待が膨らんでいく。もっとできるだろう、とより厳しい場面に連れ出され、それを繰り返しているうちに髪を結んでも力が抑えられなくなってきた。


「どんどん制御できなくなっていく…。暴れるんだ、魔力が」

 自分の魔力のせいだけではない。以前のような強く安定した力を持つ髪紐が手に入らなくなっていたこともある。魔力を自分の制御範囲に押さえつけるためには、もっと、心を押さえつけ、荒ぶる力を使いこなさなければ。

 手に入れた力の足りない髪紐に、昔モンテヴェルディにいた頃習った繕い魔法を自分で足してみた。

 思った以上に効果があった。

「髪を縛ればある程度魔力の乱れも押さえられる。暴れる魔法を押さえつけて動かすには無心になるしかない。恐れず、奢らず、術式を間違えず、冷静に、動じず、自分の力をねじ込む。…討伐で求められるのはそういう魔法だ」

 ヴァレリオの狙い以上に自身の評価は上がり、二年目には小隊長に、三年目には隊長に、五年を待たず副団長になった。異例の昇格だった。それに引き換えるように、誰もが冷静と評価するほどに、日常で心が動かなくなった。


 髪を切られ、髪紐の力がなくなったとき、怒りという感情はこんなものだったかと、自分でも驚くほど熱く感じだ。

 団長が不在の時に参加した討伐で、風梟を仕留めるために放った技で200m先まで木々が倒れた。髪を中途半端にしか縛れなかったことが影響したのか、魔力を束ねきれず、一点に集中させるはずの魔法がわずかにぶれてしまった。心の中の不安も魔法制御の不安定さを助長したに違いない。

 伸びた髪を強い魔法で束ねなければ、求められる自分にはなれない。そう信じ、迷わなかった。


「繕い魔法は、助けの魔法です。祈りを補助することはできても、強い魔法で心を縛ることには向かない。だからこうなるんです」

 指先で拾い上げたちぎれた髪紐が、破片になり、塵になっていく。

 強い憤りを秘めていた目が、少し潤んで、漏れ出た言葉はそれまでの怒りとは一転していた。

「よかった…」

 その言葉を、ヴァレリオは聞き間違いかと思った。

「繕い魔法で、糸で良かった。人にこんな魔法を直接かけていたら、きっと、心が壊れてた」

 ルーチェがあえてゆっくりと呼吸をし、自分を落ち着かせようとしながらも目からあふれた一筋の涙を、ヴァレリオは指でそっと拭い取った。

「なんでおまえが泣くんだ」

「…いつものヴァレに戻ったから、ちょっと、ほっとしただけ」

 本当は、ヴァレリオの心が壊れていくところを思い描いて、怖くなっていた。しかしルーチェはそのことを言葉にしなかった。

「…どうしてもそうしなければいけないなら、必要な時だけにして。あんな繕い魔法をずっと身につけるなんて、絶対良くない。糸が代わりに朽ちてくれるうちはまだいい。魔法が勝てば、道具に心を乗っ取られて、戻って来られなくなってしまう」

 昔、幼いヴァレリオに繕い魔法を教えてくれた師匠の言葉が重なった。

  強すぎる魔法は、繕い魔法に向かない

  魔道具にするには、糸は弱いもの

  人の心と同じくらいに

「呼んでも答えてくれない。あんなの、…ヴァレじゃない」

 ここでは誰もが、あの自分らしくない自分を「さすが副団長だ」と評するのに、会って数ヶ月しか経たないルーチェが本当の自分を見抜いている。

 自分のために涙を流すルーチェに、拭っても拭っても流れてくる涙に、ヴァレリオは降参した。ルーチェの頭を引き寄せ、自分の胸に押し当てて涙を隠すと、

「…わかった。もう泣くな」

とつぶやいた。

 

 とは言え、今の自分では、髪を縛らずに魔法を使うことはできない。いつ何時討伐の命令が下るかも判らないのだ。今後も討伐時には魔法を調整するために強い繕い魔法の入った髪紐を使わざるを得ないが、普段はもう少し控え目な繕い魔法が込められた髪紐を使い、緩やかに魔法を押さえることにした。

「まずは自分の魔法の限界を知って、きちんと操作できるようにならないと」

と言う、ルーチェのあまりに正論な言葉にはこくりと頷くしかなかった。まだ魔法を学び始めた頃に言われて以来の言葉だ。繕い魔法に頼って心を落ち着けることはできても、年とともに強くなる魔力を前に、魔力自体の制御力はなかなか育たず、自分の力に振り回されていたのは見透かされていたとおりだ。

「魔力が強いのも大変なのね」

「そうだな。でもまあ、辺境領に行けば鍛錬には事欠かないか」

 さらりと告げられた言葉に、ルーチェは驚いて顔を上げた。

「辺境…? 魔法騎士団、やめる、の?」

「…モンテヴェルディの伯母の家を継ぐことになった。ずっと希望していたんだ。まあ、一年くらい後かな…。貴族でもないし、領地がある訳でもないから、西の辺境騎士団で働くことになってる。あそこなら、ここよりも周りを気にせず魔法を使える機会が増えるだろうし、実戦で教えてくれる人もいるしな」

 故郷の名にルーチェが固まっているのに気付いたが、そのまま言葉を続けた。

「幼い頃に住んでいた所だから、帰る位の気持ちだ。…おまえもモンテヴェルディに帰る気になったなら、…実家が気まずいなら、部屋くらい貸すぞ」

 その言葉に、さっきとは違う衝撃を覚えた。


 モンテヴェルディに、帰る…。領主の館以外の所でも、戻れる?


 自分が戻る家が辺境伯の屋敷でなくてもいいのなら、帰れるものなら帰りたかった。

 モンテヴェルディが嫌いなわけじゃない。むしろ、大好きな場所だ。

 できるなら、母と暮らしたあの街で、繕い物をしてでも、騎士になってでも暮らすことができるなら、どんなにいいだろう。

 そんなこと、実現できないと決めつけていた。

 十六になる時、辺境騎士団の試験を受けることだって考えた。しかし、父のお膝元で試験を受けたところで、落ちるにしろ受かるにしろ、父が決めたとおりになるしかない。自分の実力など判定材料にならないことなど判っていた。兄達がいる宿舎に自分が入れてもらえる訳もない。

 だから諦めて、故郷から離れた王都の騎士団を受けたのだ。でも、故郷を離れてみても、今の暮らしが気に入っているわけでもない。兄から決められた三年という期限に、意地を張って残っているようなものだ。その後だって、どこか遠くに逃げることしか考えていなかった。

「その気になったら、いつでも言えよ。今はそういう選択肢もあるってことを覚えておけばいい」

 その言葉に、何だか憑き物が落ちたように、心が軽くなった。

 現実的には難しくても、そんな選択肢もあるんだと思えるだけで、心の中の妙なプレッシャーから解き放たれたような気がした。


 モンテヴェルディに帰る。


 それこそが、自分の本当の願いだった。


 帰りたい。


 故郷の地を踏む自分を想像した時、その横にヴァレリオが並ぶ姿が思い浮かんで、ルーチェは心臓が騒がしく音を立てるのに戸惑った。


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