↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もしも異能がディスクロージャーされたら?  作者: パラレル・ゲーマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/33

第33話 【自己申告】実は私、異能者です。なお、副業もしています。

 二〇二六年十一月十五日、日曜日。午後三時十分。

 東京都千代田区・神保町。古書店と大型書店が軒を連ねる靖国通りには、晩秋の柔らかな日差しが降り注ぎ、喫茶店から焙煎珈琲の香りが漂っていた。


 その一角にある大型書店の店内で、宮原修一(三十四歳)は、会計を済ませたばかりのビニール袋を片手に提げ、出口へ向かっていた。

 先週から続いていた八咫烏(ヤタガラス)の都内繁華街における臨時警戒待機業務が、今日の昼でようやく一段落し、久しぶりに訪れた何の予定もない日曜日の午後だった。袋の中には、本業の営業管理業務で使う最新の物流・契約法務の解説書が一冊と、先月から買おうと思って先延ばしにしていたハードカバーのミステリー小説が一冊入っている。


 そのまま地下鉄の駅へ向かおうと、同じ階の大学参考書・語学書コーナーの脇を通り抜けかけた、その時だった。


「――あっ! あの、もしかして……渋谷の時のお兄さん、ですか!?」


 棚の前でTOEICの問題集を手に取っていた一人の若い女性が、パッと顔を輝かせて修一の方を振り返った。

 肩まで伸びた艶やかな黒髪に、清潔感のある白のニットとチェックのロングスカート。

 最初の一瞬、修一は誰に声をかけられたのか分からずに足を止めたが、彼女の大きく澄んだ瞳と、よく通る明るい声の響きを聞いた瞬間、記憶の中のピースがぴたりと噛み合った。


 二週間前の土曜日――十月三十一日のハロウィンの夜。

 飛行能力者の大学生が引き起こした渋谷スクランブル交差点の群衆パニックの中で、右袖の裂けたベージュのトレンチコートを着て、転倒した見知らぬ青年の前に両手を広げて立ち塞がり、必死に声を張り上げていた、あの女子大生だ。


「ああ! ハロウィンの夜の、トレンチコートの!」

 修一も思わず相好を崩して声を上げた。

「やっぱりそうだ! わあ、こんなところでお会いするなんてびっくりです!」

 彼女は参考書を胸に抱き、小走りで修一の前まで駆け寄ると、ぺこりと深く頭を下げた。

「あの時は、本当にありがとうございました! お兄さんがすぐ警察の方を連れて助けに入ってくださって、それに最後にあんなに優しい言葉をかけてくださったおかげで、私、あの日のハロウィンが一生忘れられないすごく大事な思い出になったんです。ちゃんとお礼を言いたかったんですけど、お名前も聞けないままお別れしちゃったから……」


「いえいえ、私の方こそ、あなたとお友達が最初に踏みとどまって壁になってくれたおかげで、大事故にならずに済んだんですから。その節はお疲れ様でした」

 修一は穏やかに微笑んで答えた。あの日、殺気立った雑踏の中で見た時よりも、こうして休日の書店の明るい照明の下で見る彼女は、年相応の華やかさと愛嬌があって、まぶしいほど可愛らしく見えた。


「そういえば、まだちゃんと自己紹介もしていませんでしたよね。私、相馬玲奈(そうま・れな)って言います。都内の大学に通ってる三年生です!」

「私は宮原修一です。都内のメーカーで、ごく普通の会社員をしています」


 互いに名乗り合うと、玲奈は「宮原さん、ですね!」と嬉しそうに復唱してから、ふと小首を傾げて、純粋な好奇心を宿した目で修一を見上げた。

「……あの、宮原さん。ハロウィンの夜、スクランブル交差点で機動隊の隊長さんに何かパスみたいなものを見せて、すごくテキパキと車道の開放を指示されてましたよね? 普通の会社員とおっしゃいましたけど、あの時もお仕事か何かだったんですか?」


 核心をかすめる無邪気な質問に、修一の心臓がほんの少しだけトクンと跳ねた。

 あの夜の彼は、八咫烏の『Tier2(特殊作戦級)』民間実働請負人として、第1級緊急招集の契約下で渋谷の雑踏に立っていた。だが、もちろん一般の大学生である彼女にそんな裏の肩書きを話せるはずもない。


「……ええ、まあ。普段はオフィス機器のメーカーで事務方の仕事をしているんですが、あの日はちょっと、役所関係の特殊な安全調査の手伝いに駆り出されていまして」

「へえーっ、そうだったんですね! 道理ですごく冷静で頼りになるなって思いました!」


 玲奈は一点の疑いも持たずに感心して頷いてくれた。

 嘘をついたわけではない。契約書の上での名目は確かに『都市安全環境調査』だった。けれど、真っ直ぐな目で信頼を向けてくれる彼女に対して、自分の本当の姿を曖昧な言葉でぼかして答えたことに、修一の胸の奥にはほんのわずかな後ろめたさのようなものが残った。


「では、私はこれで。勉強頑張ってくださいね、相馬さん」

 修一が邪魔をしないように軽く会釈して歩き出そうとした、その瞬間だった。

「あ、あのっ、宮原さん! ちょっと待ってください!」


 玲奈が慌てて呼び止め、少しだけ頬を赤く染めながら、勇気を振り絞ったように両手でスマートフォンを差し出した。

「あの……もし、ご迷惑じゃなかったら、なんですけど! 今度、どこかでご一緒にお食事でもどうですか!? ハロウィンの時のお礼もちゃんとお返ししたいですし、私、宮原さんともう少しお話ししてみたくて……!」


 修一の思考が、一秒間だけ完全にフリーズした。

「…………え?」

「あっ、すみません、いきなりこんなこと言って! やっぱりお忙しいですよね、駄目ですか……?」

「い、いえ! 駄目じゃありません、もちろんです! ぜひ行きましょう!」


 三十四歳のベテラン実働請負人は、どんな凶悪な怪異と対峙した時よりも速いコンマゼロ秒の反射速度で食い気味に即答してしまい、直後に「……あ、いや、その、私もぜひお話ししたいなと」と耳まで赤くして咳払いをした。

 そのあまりにも真面目で不器用な反応を見て、玲奈が「ふふっ、よかった!」と花が咲くように笑った。


 二人はその場でメッセージアプリの連絡先を交換し、今度の土曜日――十一月二十一日の夜に、食事へ行く約束を取り付けた。

 宮原修一にとっては――それは過去十年の人生において、いかなる国家機密の開示よりも重大な「歴史的大事件」の勃発だった。


*

 午後三時四十分。神保町駅から都営地下鉄に乗り換え、練馬区の自宅マンションへと向かう帰り道。

 電車のつり革に掴まり、また駅から自宅へと続く商店街を歩きながら、修一はポケットからスマートフォンを取り出しては画面に表示された『玲奈(アイコンはカフェのラテアートの写真)』という新しい連絡先を見つめ、閉じてはまた30秒後に開くという不審極まりない動作をもう十回以上も繰り返していた。


 外から見れば、休日出勤明けの少し疲れた顔で仕事のメールでも確認している真面目な三十代サラリーマンにしか見えない。

 だが、その無表情な顔の裏側――修一の脳内会議室では、かつてない規模の大暴走が吹き荒れていた。


(――食事。今度の土曜日。二十一歳の女子大生と、二人きりで、夜の食事)

(しかも俺から無理やり誘ったんじゃない、向こうから「もう少しお話ししてみたくて」って誘ってくれたんだぞ……!? ……マジか。これ、夢じゃないよな? 一昨日の白鷺山の怪異みたいな新手の精神攻撃にでも引っかかってるんじゃないだろうな、俺!?)


 修一は思わず自分の左頬を指でつねった。ちゃんと痛い。現実だ。

 思い返してみれば、大学を卒業して今の会社に新卒で入社し、八咫烏の民間請負人としての裏稼業も本格的に始めてからのこの十二年間、修一の生活は文字通り「仕事と任務と確定申告」だけで塗り潰されてきた。


 平日の昼間は営業管理部の社員として真面目に働き、夜や週末になれば秘匿端末の呼び出しに応じて危険な現場へ赴き、因果律を捻じ曲げて怪異や違法能力者を片付ける。

 おかげで三十四歳にして銀行口座には一生遊んで暮らせるほどの貯蓄ができ、裏の世界では『Tier2』の実力者として一目置かれるようになったが、その代償として、女性とゆっくりデートをする時間などほとんど取れなかった。何より、「週末は何をしてるの?」「どうして急に夜中に電話で出ていくの?」と聞かれた時に、自分の能力や八咫烏の仕事を一切明かせないという「秘密の壁」があったため、数少ない交際のチャンスもすべて自然消滅させてしまい、気づけばここ十年近く、浮いた話とは完全に無縁の枯れ果てた独身生活を送ってきたのである。


(……いや、よく考えたら今までの俺の人生の方がおかしかったんだよ!)

 修一は書店の袋を握りしめ、内心で力強く拳を握った。

(俺、これでも国内では希少な『Tier2(特殊作戦級)』の能力者なんだぞ!? 昼間の会社でも係長として無遅刻無欠勤で査定Aを取って、裏でも命がけで社会を守って、税金だって毎年1円の狂いもなく納めて、年収だって同年代の十倍以上稼いでるんだ! それなのに三十四歳まで十年近く女っ気がゼロで、クリスマスの夜に一人で経費の領収書を糊付けしてた今までの方が、どう考えても理不尽だったんじゃないか!?)


 自宅マンションのエレベーターに乗り込み、誰もいない箱の中で、修一の口元がどうしても抑えきれずにニヤリと緩んだ。


「……いやあ、ヤバいな。ここ数年で、一番嬉しいかもしれん……」


 本音がぽろりと声に出る。

 しかし、部屋の玄関の鍵を開けてリビングへ入った瞬間、今度は営業管理部係長としての冷静なリスク管理能力がムクリと頭をもたげた。


「……いや、待て待て待て。落ち着け、宮原修一」

 修一はソファの前に立ち止まり、自分に水を浴びせるように首を振った。

「相手は大学三年生、二十一歳だぞ。俺は三十四歳、干支が一回り以上違うじゃないか。あちらからすれば、単にハロウィンの夜に助けてもらった『親切な年上のお兄さん』に対する礼儀として、一度お礼のご飯をご馳走したいと言っただけだ。それを勝手にデートだの春が来ただのと舞い上がって、もし下心丸出しの痛い中年男だと思われたら目も当てられんぞ……!」


 そうだ、ただのお礼の食事会だ。紳士的に、あくまで爽やかな年上の社会人として振る舞わなければならない。

 そう強く自分に言い聞かせて深く頷いた――その三秒後。

 手元のスマートフォンがピコンと鳴り、玲奈から『今日は声をかけられてすごく嬉しかったです! 今度の土曜日、今から楽しみにしていますね!』という、可愛いウサギのスタンプ付きのメッセージが届いた瞬間。


「……よし、明日の帰りに新宿の伊勢丹へ行って、一番いいジャケットとシャツを新調してこよう!!」


 三十四歳のTier2能力者は、わずか三秒で再び頭の中をお花畑に染め上げながら、検索エンジンに『都内 女子大生 初デート おしゃれ 落ち着いた店』と大真面目に打ち込み始めるのだった。


*

 翌十一月十六日、月曜日。午前七時三十分。

 いつもなら月曜日の朝というのは、週末の疲れを引きずって重たい気分で目覚まし時計を止める時間だが、今朝の修一は目覚ましが鳴る十分前にスッキリと目を覚ましていた。


 淹れたてのコーヒーを飲み、昨夜のうちに念入りにアイロンをかけておいたワイシャツに袖を通す。鏡の前でネクタイの結び目を整えながら、昨夜玲奈と交わした短いメッセージのやり取りを思い出すだけで、自然と足取りが軽くなるのを感じた。


(よし。今週は月曜から金曜まで、本業の仕事をこれまで以上に完璧かつ最速で片付けて、毎日定時で帰ろう。そして土曜日は、万が一にも八咫烏から臨時招集がかからないよう、今のうちに調整課の篠崎さんに『土曜日の夜は私用のため連絡不可』と申請を出しておこう!)


 本人としては、これ以上ないほど健全で前向きな一週間のスタートだった。

 修一は晴れやかな顔でマンションを出ると、通勤電車に揺られて都内の勤務先――社員数約四百名を擁する中堅オフィス機器メーカーの子会社『東都ビジネスソリューションズ』の本社ビルへと出社した。


 午前八時五十分。四階の営業管理部フロア。

「おはようございます、宮原係長」

「おはよう、佐伯。先週頼んでおいた月末の出荷伝票の突合データ、午前中に見るからよろしくな」

「あ、はい! もうできてます! ……なんか宮原さん、今朝はやけに顔色がいいですね? いいことでもありました?」

「ん? いや、昨日は久しぶりにゆっくり休めたからな」


 後輩の佐伯に軽く笑顔を返し、修一は自分のデスクで午前中の通常業務を猛烈なスピードで片付け始めた。契約更新の決裁を回し、取引先からの納期照会に回答し、部下の作成した見積書をチェックする。

 時計の針が午前十時二十分を指し、午前の仕事がひと段落したところで、修一は給湯室で淹れたお茶を一口飲み、デスクの引き出しの奥に入れてあった黒いスマートフォン――八咫烏の秘匿端末をそっと取り出して画面を確認した。


 画面には、第三契約管理室の宇佐美室長の名義で、今朝九時付の業務連絡メールが一通届いていた。

 件名は、『【要確認・新様式】10月31日〜11月15日実施分・特定特殊役務(臨時待機および現場支援)に関する完了報告および精算手続について』。


「……お、週末までの待機報酬の精算処理が来たか」

 修一がメールを開くと、そこには約束通りの高額な委託報酬の確定金額が記されていた。ここまではいい。

 問題は、その下にずらりと添付されていた「新しい書式のPDFファイル(計五種類)」だった。


『1. 特定特殊役務・受託業務内容確認票(公開後移行措置版)』

『2. 秘匿対象情報および一般公開情報の区分取扱確認書』

『3. 既存包括委託契約に関する記載事項変更の同意書』

『4. 源泉徴収および特殊必要経費算定に関する新ガイドライン同意書』

『5. 兼業・副業先(一般民間企業)における就業規則との整合性確認アンケート』


 メールの末尾には、宇佐美からの丁寧な追伸が添えられていた。

『宮原様。先日来の政府による当機関(八咫烏)の公式公表、ならびに国税庁・法務省との制度移行協議に伴い、従来の完全秘匿スキームから「公認特殊役務スキーム」への書類切り替えが発生しております。お手数ですが、今週中に全5種類の書類へ電子署名の上、特に【書類5】の勤務先企業との関係についてご回答をお願いいたします――』


「……………………」


 さっきまで今度の土曜日の食事を思い浮かべてニコニコしていた修一の顔から、すべての表情がスッと消え失せた。

 ――ああ。現実だ。これこそが、俺の生きている現実の世界だ。

 修一は引き出しの中で、その五種類のPDFの細かい文字をスクロールしながら、声にならない深い溜息を吐いた。


「……世界がひっくり返って、異能や八咫烏の実在が公式に公表されても、俺が書く証憑と確認書類の枚数だけは一向に減らないどころか、むしろ増えてるじゃないか……」


 とは言え、文句を言っても仕方がない。八咫烏の法務・会計部門である宇佐美たち自身が、今まさに六十四ページのガイドライン改定と全国の登録者からの問い合わせで不眠不休の作業を続けていることを、修一は誰よりもよく知っている。彼らも好きで書類を増やしているわけではないのだ。


 修一の視線が、添付されていた五つ目の書類――『【書類5】兼業・副業先(一般民間企業)における就業規則との整合性確認』という項目でピタリと止まった。


 そこには、こう書かれていた。

『※従来の秘匿案件については、指定された調査法人等を通した業務委託契約と適法な申告・納税の仕組みにより、業務内容の秘密を保護してまいりました。

 今後の制度移行に伴い、勤務先企業への兼業申請や、労務・人事部門との限定的な情報共有が必要となる場合があります。つきましては、勤務先の副業規程の状況、および上長への自主的な相談の有無をご記入ください。なお、本人の意思に反した能力の開示を求めるものではありません――』


 修一は、引き出しをそっと閉め、腕を組んで考え込んだ。

 これまで彼が受け取ってきた年間数千万円の委託報酬は、八咫烏が関わる調査法人などを経由し、確定申告と住民税の普通徴収によって適法に処理されてきた。契約内容の秘密保持については、八咫烏と国税庁の限られた担当部署が調整している。

 だが、「税務署に対して適法であること」と、「今働いているこの『東都ビジネスソリューションズ』の社内就業規則(副業は事前許可制)を守っていること」とは、厳密には別の問題だった。

 これまでは業務内容そのものが国家機密だったため、通常の副業申請で会社へ説明することができなかった。だが、政府が八咫烏の存在を公式に認め、アメリカの企業までが能力者の雇用を公表し始めた今、事情を説明できる範囲で相談もせず、未整理の状態を続ければ、後々かえって労務トラブルの火種になりかねない。


(……どうするかな。今後、制度が正式に切り替わって人事部に通知が行く前に、やっぱり一度、直属の上司である谷口課長にだけは、正直に話して相談しておいた方がいいんじゃないか……?)


 コンプライアンスと事前根回しを何より重んじるサラリーマンとしての本能が、修一の胸の中で警鐘を鳴らし始めていた。


*

 午後零時十五分。昼休み。

 修一は会社の近くの定食屋で日替わり定食を早めに済ませると、公園のベンチに座って缶コーヒーを飲みながら、秘匿端末の暗号化メッセンジャーアプリを開いた。


 そこには、過去に八咫烏の合同研修や広域任務で知り合った、修一と同世代の「兼業能力者(普段は一般企業や公務員として働きながら、裏で八咫烏の委託業務や登録更新を行っているTier4〜Tier2の仲間たち)」が十人ほど集まる非公式の雑談グループチャットがあった。

 ちょうど今日の昼休みも、そのグループチャットでは「職場へのカミングアウト(自己申告)」の話題が盛り上がっている真っ最中だった。


【暗号化チャット:『兼業組・情報交換ルーム(11名)』】


> 神崎(IT企業勤務・Tier3):『そういえばさ、先週の月曜日に八咫烏が公式発表されたあと、俺、ついにうちの会社の直属の部長に「実は俺、登録能力者です」って打ち明けたわ』


> 佐久間(建設コンサル・Tier4):『おお、マジか! ついに言ったのか! うちのグループじゃ第1号だな、部長の反応どうだった?』


> 神崎:『最初は「えっ、お前が空飛んだり火を出したりすんの!?」って椅子から転げ落ちそうなくらい驚かれたw でも、八咫烏の登録証の控えを見せて「普段のシステム開発の仕事には一切影響ありませんし、週末に時々役所の調査の手伝い(副業)で呼ばれることがあるだけです」って説明したら、最終的には拍子抜けするくらい普通だったよ』


> 佐久間:『普通って?』


> 神崎:『「そうか、テレビでやってた36人に1人ってやつか。まあ、今まで通りうちの部署の仕事に穴を開けないでやってくれれば、それでいいよ。人事への副業届だけ出しておいてくれ」ってさ』


> 水野(メーカー研究職・Tier3):『うちも金曜日に、研究所の所長と直属の課長にだけ報告したよ。八咫烏の登録者向け非公開通知で「能力の具体的な内容や階位は、必要もないのに開示するな」って言われてるし、こっちからは詳しく話さなかった。課長も会社向けのプライバシー通達を読んでたみたいで、「能力の詳細は聞かないでおくからね」って言ってくれて助かったわ』


> 佐久間:『へえー、どこも案外すんなり受け入れてくれるもんなんだな。まあ会社によって温度差はあるんだろうけど、副業や緊急招集で有給取る関係があるなら、直属の上司にだけ先に言っておくのはアリかもな』


> 神崎:『もちろん、副業もしてなくて業務に関係ないなら、無理に言わずに今まで通り黙ってるのも100%本人の自由だけどな。宮原さんはどうすんの?』


 画面を眺めていた修一は、『俺も副業の手続きの関係があるから、今日の午後あたり、直属の課長にだけ相談してみようかと思ってる』と短く返信を打った。

 自分のように十年以上「絶対に誰にも知られてはならない」と徹底して生きてきた人間にとって、こうして昼休みに同業者たちが「上司に言ったら普通だったよ」と気軽に報告し合っている光景自体が、まだどこか信じられないような新しい時代の空気だった。


 修一は念のため、八咫烏の登録者専用ポータルサイトに掲載されている『職場等における自主的な自己開示に関する実務上の注意事項』のページを開いて読み返した。


・第一に、能力者が自身の能力の有無を職場等に開示するか否かは原則として本人の意思に委ねられる。雇用主による開示の強要や、申告しないことを理由にした不利益な取り扱いは認められない。

・第二に、自主的に開示を行う場合であっても、一度口にした情報は本人の意図を超えて社内に広がるリスクがあることを十分に考慮し、伝える相手(直属の上長や人事責任者など)と情報の範囲を明確に限定すること。

・第三に、「能力者である事実」や「八咫烏の委託業務(公的特殊役務)に従事している事実」を伝える場合であっても、自身の具体的な『能力の名称・原理』『非公開の階位(Tier)』『過去の個別任務の内容』までを合わせて明かす必要は一切なく、また機密保持上、それらの詳細は引き続き伏せなければならない。


「……うん、これなら筋が通っている」

 修一は画面を閉じて頷いた。一度言ってしまえば「やっぱり今の話は忘れてください」と記憶を消すわけにはいかないが、伝える相手を信頼できる直属の上司――谷口課長一人に絞り、内容も「能力者であること」と「副業の手続きの確認」だけに限定すれば、リスクは最小限に抑えられる。


 ――と、そこまで論理的に整理したところで。

 修一の脳裏に、ふと昨日の午後、神保町の書店で笑顔で手を振ってくれた相馬玲奈の顔が浮かんだ。


(……そういえば、会社の上司への申告はそれでいいとして……玲奈ちゃんには、いつか自分が能力者だってことを話すべきなんだろうか?)


 ハロウィンの夜の渋谷で、修一は一切の異能を使わず、ただの「内閣官房の連絡要員(または通りすがりの冷静な会社員)」として警察と連携して彼女たちを助けた。昨日の再会でも「普通の会社員で、ちょっと特殊な仕事の手伝いをしていた」としか言っていない。

 だから今の玲奈は、修一のことを「優しくて頼りになる、普通の年上のサラリーマン」だと思っている。


(もし、いつか彼女ともっと親しくなって……実は俺は普通の会社員じゃなくて、渋谷のビルを吹き飛ばした連中と同じ『Tier2』の異能者で、裏で何年も危険な戦いの仕事をしてきました、なんて打ち明けたら、彼女はどう思うだろう?)

(あの日、渋谷の交差点で怖い思いをした彼女に、『なんだ、宮原さんもあっち側の怖い力を持った人だったんですね』って、怯えられて距離を置かれたりしないか……?)


 ベンチの上で、三十四歳の男が真剣に眉をひそめて悩み込む。

 しかし五秒後、修一はハッと我に返り、自分の額をペチンと平手で叩いた。


「……いや、待て。俺は今、何を勝手に『将来彼女と深く付き合って結婚を前提に秘密を打ち明ける時』みたいなシミュレーションをしてるんだ! まだ今度の土曜日に一回お礼のご飯を食べに行くだけだろうが、気が早いにもほどがあるぞ俺!!」


 一人で赤面して咳払いをし、修一はベンチから立ち上がった。

「……よし。色恋沙汰の妄想は一旦忘れろ。まずは純粋な社内コンプライアンスと労務手続きの問題として、谷口課長にだけ話をしよう。それなら仕事の相談なんだから、変な感情は入らないはずだ」


 そう心に決めて、修一は缶コーヒーを飲み干し、オフィスビルへと戻っていった。


*

 午後二時三十分。営業管理部フロアの脇にある、四人用の小さな社内ミーティングルーム(小会議室)。

 昼過ぎに修一から「課長、業務の件とは別に、私個人のことで十五分ほどお時間をいただいてご相談したいことがあるのですが」と申し出を受けた谷口課長(五十歳・温厚だが現場叩き上げのしっかりした上司)は、少し不思議そうな、いや、かなり警戒したような顔でコーヒーの紙コップを持って入ってきた。


「――なんだ宮原、改まって二人きりで個人的な相談って。お前、そういう切り出し方をされると、管理職としては一番心臓に悪いんだぞ」

 谷口課長は向かいの椅子に腰を下ろすなり、声を潜めて身を乗り出した。

「……まさかとは思うが、他社から引き抜きでもあって『転職して辞めます』なんて話じゃないだろうな? 言っとくが、うちの営業管理部はお前がいないと来期のシステム移行も大口契約の更新も回らんのだぞ、頼むから辞めるなんて言うなよ?」


「あ、違います違います! 転職や退職の話では一切ありませんので、そこはご安心ください!」

 修一が慌てて両手を振って否定すると、谷口課長は「ふうーっ、脅かすなよ、寿命が縮まったじゃないか」と大げさに胸を撫で下ろした。


「退職じゃないなら、どんな話でも聞くぞ。なんだ、結婚でも決まったか?」

「いえ、残念ながらそちらでもありません」


 修一は背筋を伸ばし、膝の上に両手を置いて、一度だけ静かに息を吸い込んだ。

 そして、向かいに座る上司の目を真っ直ぐに見て、落ち着いた声で切り出した。


「――谷口課長。実は私、異能者なんです」


 小会議室の空調の低い唸り音だけが、やけに大きく響いた。

 コーヒーの紙コップを口へ運びかけていた谷口課長の右手が、空中でピタリと止まった。


 一秒。二秒。三秒。

 谷口課長は、目を丸くして修一の真面目な顔をじっと見つめ、それからゆっくりと紙コップをテーブルの上に置いた。


「…………えーと、宮原。いま『異能者』って言ったか? ここ二週間、テレビや新聞で毎日大騒ぎになってる、あの三十六人に一人の『特殊能力者』のことか?」

「はい。そうです。政府の専門機関(八咫烏)にも、ずっと以前から正式に登録されております」


「…………本当か?」

「はい、本当です。冗談でこのようなことは申し上げません」


 谷口課長は、自分の部下としてもう八年近く毎日顔を合わせてきた修一の顔を、まるで初めて見る珍しい動物でも観察するかのようにまじまじと見つめた。

「……マジかあ……。いや、テレビで三百四十二万人いるって言ってたから、うちの会社にも誰かしらいるんだろうなとは思ってたが、まさか一番身近で一番真面目な宮原がそうだとは……で、ちなみにそれって、一体どんな能力――」


 と言いかけた瞬間、谷口課長は「――あっ!!」と自分で自分の口を両手で塞ぎ、顔を真っ赤にして慌てふためいた。

「い、いや、すまん宮原!! 今の質問はナシだ、撤回する! 人事部から来たコンプライアンス通達にも『本人の意思に反して能力の有無や内容を聞き出すな』って書いてあった! 篠原にも前に注意されたんだったな! 答えなくていいからな!」


 頭を抱えて焦る上司の姿に、修一は思わず少しだけ口元を緩めた。

「いえ、課長が悪気なく驚かれたのは当然ですから、気にしていませんよ。ただ、先方の機関との守秘義務や安全上の規定もございまして、能力の具体的な内容につきましては、やはり少々お話ししづらい部分がございますので、伏せさせていただければ助かります」

「あ、ああ、そうか! うん、もちろんそれでいい、無理には一切聞かんぞ!」


 谷口課長はホッとしたように頷き、それから改めて感心したように腕を組んで言った。

「……しかし、本当に驚いたな。毎日隣で一緒に伝票や契約書を見てたが、お前がそんな特別な力を持ってるなんて、これっぽっちも分からなかったぞ」

「普段の生活や会社の業務では一切使っておりませんし、今までは絶対に外へ漏らさないのが国の決まりでしたからね」

「そうだよな。……いやあ、言いにくいことだったろうに、直属の上司の俺を信頼して打ち明けてくれてありがとうな、宮原」


 予想していた以上に温かく、真っ当な上司の反応に、修一は心から安堵して頭を下げた。

 谷口課長は、管理職としての実務的な確認をいくつか続けた。

「念のため確認しておくが、お前がその能力を持っていることで、普段のうちの会社の業務において、何か特別な配慮や制限が必要なことはあるのか?」

「いいえ、特にございません」

「能力が原因で急に体調を崩したり、通院が必要になったりといった健康上の問題は?」

「そちらも現時点では全く問題ありません。健康診断の数値もすべてA判定です」

「そうか。なら、うちの部署での仕事に関しては、これまで通り普通にやってもらえばいいってことだな」

「はい、基本的にはその通りです」


 よし、これで無事に終わった――と、谷口課長がにこやかにコーヒーを一口飲んで立ち上がりかけた、その時だった。

 修一はまだ椅子から立たず、少しだけ言葉を選ぶようにして、本日の「本当の本題(第二弾)」を切り出した。


*

「……それと課長。実は今日お時間をいただいたのは、私が異能者であるというご報告に加えて、もう一つ、労務上の手続きについてご相談したいことがあったからなんです」

「ん? なんだ、まだ何かあるのか?」


 修一は背筋を正して言った。

「はい。私、登録された異能者として、以前から外部の公的専門機関――先日の政府会見で公表された『八咫烏』から、個人事業主のような形で『業務委託(副業)』を請け負っているんです」


 谷口課長の動きが、再び止まった。

「……外部の業務委託? 八咫烏から?」

「はい。書類上の名目は『特定特殊役務(特殊環境の安全調査および危機管理支援)』といった形になるのですが、要するに、一般の警察や行政では対応が難しい超常事案が発生した際や、警戒が必要な際に、民間の協力要員として現場の支援や処理を請け負う仕事を、入社以来ずっと続けてまいりました」


「……………………」

 谷口課長は、目を白黒させながら頭の中で何かを必死に計算し始めた。

「……おい、ちょっと待てよ、宮原」

「はい」

「お前、うちの会社では正社員のフルタイム勤務だよな?」

「はい、月曜から金曜の朝九時から夕方五時半まで勤務しております」

「毎日一度も遅刻せずに出勤して、営業管理部の係長として他の誰よりも正確に仕事をこなして、時には残業もしてるよな?」

「はい」

「……じゃあ、お前はその『八咫烏の危機管理の仕事』とやらを、一体いつの時間にやってるんだ!?」


「主に、平日の深夜や、土日祝日の週末ですね」

 修一は何でもないことのように淡々と答えた。

「……あと、どうしても平日の昼間に緊急の案件や地方への出張が入った場合は、事前に業務を調整した上で、半休や有給休暇を使わせていただくこともありました」

「…………」

「まあ、これでも能力者ですので、体力や睡眠時間に関しては普通の人間より多少無理が利くといいますか、効率よく回復できるんですよ」


「いや、『多少無理が利くんですよ』って、そういう問題なのか!?」

 谷口課長は思わず声を張り上げ、それから本気で心配そうに眉をひそめて修一の顔を覗き込んだ。

「……おい宮原、お前、本当に身体は大丈夫なのか? いくら能力があるからって、昼間は会社で働いて、夜中や土日に国の危機管理の仕事なんかしてたら、いつか過労で倒れるんじゃないのか?」

「ご心配ありがとうございます。ですが、向こうの仕事は毎日必ずあるわけではなく、月に数回程度の稼働や待機が中心ですので、休養は十分に取れています」

「本業の勤務時間中に、その外の仕事の作業を持ち込んだりはしていないな?」

「はい。休憩時間に連絡を確認する程度で、委託業務そのものは完全に切り分けております。もちろん、当社の営業秘密や顧客情報を外部へ持ち出したことも一切ございません」


「……そうか。まあ、お前の日頃の仕事ぶりを見れば、本業をおろそかにしていないことくらい俺が一番よく分かっているがな」

 谷口課長はそこで一度納得したように頷いたが、すぐにまた首をひねり、どうしても理解できないといった顔で尋ねた。


「……なあ、宮原。上司として念のため聞くぞ」

「はい」

「お前、うちの会社の給料に、そんなに不満があるのか?」

「いえ、ありませんよ。係長として十分な基本給と賞与をいただいております」

「……じゃあ、親御さんの借金があるとか、生活が苦しくてどうしても副業でお金を稼がなきゃいけない事情でもあるのか?」

「いえ、そのような事情も一切ありません。むしろ貯蓄はかなり余裕があります」

「……じゃあ、八咫烏とかいう怖い組織から『働かないと処罰するぞ』って脅されて無理やり働かされてるのか!?」

「まさか。完全に自由意思による業務委託契約ですので、断ろうと思えばいつでも断れます」


「…………」

「…………」


 谷口課長は、五秒間ほど無言で修一の顔を見つめ、それから両手を広げて叫んだ。


「――じゃあ、なんでお前はそんなに働いてるんだよ!?」


 真正面からそう聞かれた修一は、きょとんとして目を瞬かせ、自分の顎に手を当てて二秒ほど真剣に考え込んだ。

 修一は少しだけ困ったように首を傾げ、素直に答えた。


「……言われてみれば、なんででしょうね?」

「俺に聞くなよ!! お前自身の人生だろうが!!」


 谷口課長の鋭いツッコミが小会議室に響いた。

「まあいい、お前が根っからのワーカホリック(仕事人間)だってことはよく分かった……。それで、その副業の労務上の相談っていうのは何だ? 副業の収入の確定申告とかは、ちゃんとしてるんだろうな?」


「はい、もちろんです。税金につきましては、毎年一円の漏れもなく適法に申告・納税しております」

「そうか、それならよかった。一番怖いのは無申告で税務署に踏み込まれることだからな」

「ただですね、課長。これまでは業務内容が国家機密だったため、八咫烏の関係する調査法人を通じて委託報酬を受け取り、確定申告をして、住民税も給与分とは別に自分で納めていたんです。契約内容の秘密保持については、八咫烏と国税庁の限られた担当部署が調整してくれていまして」


 谷口課長の動きが、三たびピタリと止まった。

「……おい、宮原」

「はい」

「お前、今さらっと『八咫烏と国税庁の担当部署が、お前の副業の秘密保持を調整してる』って言ったか?」

「……はい、申しました」

「…………」

「…………」

「……ちょっと待ってくれ、一介の営業管理課長である俺の理解のキャパシティを完全に超えてきたぞ」


 谷口課長はこめかみを押さえて天井を仰いだが、修一が説明を続けると、持ち前の真面目さでなんとか問題の核心を把握してくれた。

「要するにだ。今までは仕事そのものが国家機密で、会社に中身を説明できず、副業の事前許可申請も出せなかった。

だが、今回政府が八咫烏を公式に認めて、今後は公的な特殊業務としての扱いが整理される見込みになった。だから今のうちに会社の副業規程との整合性を、俺と人事部に相談しておきたい――こういうことだな?」


「はい! まさにその通りです、課長。ご理解が早くて助かります」

「いや、話は分かったが、こればっかりは俺一人の裁量で『よし許可する』とハンコを押せるレベルの話じゃないぞ……。通常のアルバイトや無許可副業と同列に扱っていいはずがないしな。人事部長と、必要なら法務・経理の責任者にも確認を取る必要がある」

「ええ、それで構いません。よろしくお願いいたします」


 谷口課長は、「これまで国との守秘義務があったなら、事情は確認しなきゃならんな。自分から相談してくれたのは助かったよ」と言い、事実関係を人事へ確かめることにした。


*

 ひとまず懸案だった副業の申告までが無事に通り、修一がホッとしたところで。

 谷口課長は椅子の背もたれに深くもたれかかり、ぬるくなったコーヒーを一口飲んで、ふと純粋な疑問を口にした。


「……しかし、本当に驚いたなあ。うちの宮原が能力者で、しかも八咫烏の仕事までしてたとは。……うちの営業管理部では、間違いなくお前が初めての自己申告だが、なあ宮原」

「はい?」

「お前から見て、うちの会社(東都ビジネスソリューションズ)の中に、お前以外にも『異能者』って、いるのか?」


 その質問に、修一は少しだけ考え込んだ。

 この会社の全社員数は、契約社員や派遣スタッフを含めて約四百名。

 政府が公表した日本国内の覚醒済み能力者の推計割合は「約三十六人に一人(2.78%)」である。もちろん地域や業種によって偏りはあるため、単純な割り算だけでこの会社に何人いると確定できるわけではないが、確率論から言えば、四百人規模の会社であれば社内に十人前後の能力者が働いていても何ら不思議はない。


 そして修一には、統計の数字とは別に、もう一つだけ心当たりがあった。

 彼は言葉を慎重に選びながら、口を開いた。


「……おそらく、私以外にもいると思います」

「……えっ!? いるのか!?」


 谷口課長がガバッと身を乗り出した。

 修一は誤解を招かないよう、まず自分の能力の限界(できないこと)について明確に釘を刺した。


「ただ課長、最初にハッキリと断っておきますが、私は他人の能力を探知する『感知特化型』の能力者ではありませんし、普段歩いているだけで相手の頭の上に『この人は能力者です』というラベルが見えるような力は一切持っておりません。ですから、社内のどの部署の誰が能力者なのか、名前も人数も私は全く把握していません」

「……あ、ああ、そうなのか。お前ならスカウターみたいに誰が能力者か全部わかるのかと思ったぞ」

「いいえ、普段は全く分かりません。ですが……過去数年間のうちに二度ほど、この本社ビルのフロアのどこかで、誰かがごく微弱な異能を瞬間的に行使した際に出る特有の『空間の揺らぎ(反応)』のようなものを、肌で感じたことがありまして」


「…………」

「異能というのは、実際に発動された瞬間であれば、条件によっては私でも『あ、いま近くのどこかで誰かが力を使ったな』と気づくことがあるんです。もちろん、壁やフロアを隔てていましたから、それが誰のものだったかまでは分かりませんし、私も詮索はしませんでしたが……少なくとも、この社内に私以外の能力者が存在すること自体は、ほぼ間違いないと思います」


 修一の説明を聞いた谷口課長の顔が、みるみるうちに険しく、そして困り果てたような表情へと変わっていった。


「……宮原」

「はい」

「今の『社内にもう何人か能力者がいる』って話、俺、聞かなかったことにしていいか?」

「…………」

「いや、だってな! 『うちの会社のどこかに、他にも超能力者が隠れてますよ』なんて言われたって、一介の課長である俺は一体どうすりゃいいんだよ!?」


 頭を抱える上司に向かって、修一は静かに、しかしきっぱりと答えた。

「……課長。それにつきましては、『何もしない方がいい』と思います」

「……え? 何もしなくていいのか?」

「はい。会社や上司の側から『誰が能力者なんだ』と探し回ったり、聞き取り調査をしたりするのはまずいです。以前、同じ部署の篠原が指摘していたように、本人の意思に反する詮索や開示の強要は認められません。

私のように副業や業務上の都合で相談したい人間がいれば、本人から申し出てくるのを待つのがいいと思います。それまでは、これまで通り一人の社員として接するべきでしょう」


「そ、そうか! そうだよな、俺の方から探したり気を使ったりする必要はないんだよな!」

 谷口課長はパッと顔を明るくして頷いたが、そこでまた腕を組んで「……いや、待てよ」と考え込んだ。


「でもな、宮原。今の俺は、たまたま相手が気心の知れたお前だったし、お前が制度のことを全部整理して説明してくれたから『よし人事と相談しよう』で済んだけどさ。

もし仮に、社内にいる他の十人くらいの能力者の連中が、来週あたりから『実は私も能力者でして……』『副業でこういうことをしてまして……』『体調の配慮をお願いしたくて……』って、製造部や開発部や総務部のそれぞれの課長のところへ、バラバラに自己申告し始めたらどうなると思う?」


「……どうなる、とは?」

「うちの会社には十個以上の部署があって、それぞれ課長や部長が違うんだぞ。中にはコンプライアンスの通達をろくに読んでない昭和気質の課長だっているし、パニックになって『えっ、お前どんな魔法使えるんだ、ちょっとここで見せてみろよ!』って地雷を踏み抜く上司や、逆に腫れ物に触るみたいに扱っちゃう上司が絶対に出てくるぞ!」


 修一は、ハッとして頷いた。

 先週の八咫烏の公表会見でも、霧島統括は相談窓口の一本化について説明していた。この会社でも、各部署がばらばらに対応すれば似た混乱が起きるだろう。


 そこで、営業管理部の優秀な係長である宮原修一は、会社の秩序と他の能力者社員の安全を思って、実にスマートで合理的な「改善提案」を口にした。


「……課長のおっしゃる通りです。各部署の課長が個別に手探りで対応するのは、リスクが高すぎますね。

それでしたら、人事部の中に一つだけ、『異能関連・社員相談窓口』のような専門の受付先を一本化して設けた方がいいかもしれません」


「……専門の相談窓口?」

「はい。全社で調査をするのではなく、『能力に関して会社に相談や届出をしたいと本人が希望する場合に限り、直属の上司を通さなくても、直接その専門窓口へ秘密厳守で相談できる仕組み』を作るんです。

そこでは能力の具体的な中身まで詮索せず、勤務上の配慮が必要かどうかや、私のような公的副業の申請手続きだけを確認するようにして、専門的な判断が必要な場合は外部の八咫烏の総合相談窓口へ繋ぐようにすれば、現場の課長さんたちも迷わずに済むと思います」


 それを聞いた谷口課長は、「おお……!」と目を丸くし、手元の手帳を開いて猛烈な勢いでメモを取り始めた。

「な、なるほど……! 『希望者だけが使える秘密厳守の一本化窓口』か! それならコンプラ違反にもならないし、他の部署の課長連中も変なトラブルを抱え込まずに済むな! さすが宮原、お前は本当に制度設計の頭が切れるなあ!」


 手帳に『★異能関連・社員相談窓口の設置検討(人事部へ提案)』と大きく書き込む課長を見て、修一も満足そうに小さく頷いた。

(うん。これなら、社内にいる他の能力者の人たちも安心して相談できるだろうし、俺の副業手続きのルートも綺麗に整う。なかなか建設的でいい話ができたな)


 面談の最後に、谷口課長が手帳から顔を上げて真剣な口調で確認した。

「よし、じゃあこの後すぐに俺から人事部長に掛け合ってみる。……ただ宮原、その前に一つだけ確認させてくれ」

「はい」

「今日お前が俺に打ち明けてくれた『宮原が異能者であり、八咫烏の外部委託業務をしている』っていう個人情報、人事部の誰まで話していい?」


 修一は少し考えて、「ああ、そこは課長のご判断にお任せしますよ」と軽く答えた。

 すると谷口課長が、即座に渋い顔をしてツッコミを入れた。

「……おい、それが一番困るんだよ!」

「え?」

「お前な、たった一分前に自分で『能力者の個人情報は本人の同意が最優先で、慎重に扱わなきゃいけない』って俺に講義したばっかりだろうが! その当事者本人が『課長に丸投げでお任せします』なんて言ったら、俺が人事部のどこまで喋っていいかコンプラ的に判断できなくなるだろ!」

「……あ、確かにそうですね。失礼いたしました」

「謝らなくていいから、ちゃんとお前自身の口で開示範囲を指定してくれ!」


 二人は顔を見合わせて苦笑いし、最終的に修一が「では、人事部長と、直接労務・法務の手続きを担当される実務担当者の方までに限定してください。お伝えいただく内容も、私が登録能力者である事実と、八咫烏の外部業務を請け負っている事実までとし、能力の詳細や具体的な報酬額については、必要な手続きの段階で私から個別に書類を提出する形にしていただければと思います」と明確にラインを引き、谷口課長がそれをメモして合意した。もちろん、『Tier2』という階位については最後まで一言も触れなかった。


 小会議室を出る際、谷口課長はドアノブに手をかけ、修一の肩をポンと優しく叩いた。

「……宮原。今まで国との約束でいろんな事情を抱えながら、うちの部署の仕事を一度も穴を開けずに支えてくれてたんだな。今日、俺に自分から話してくれて本当にありがとうな」

「……恐れ入ります、課長」

「俺としては、お前がどんな凄い能力を持っていようが、今まで通りうちの営業管理部の頼りになる宮原係長でいてくれればそれでいい。ただ、くれぐれも身体の無理だけはするなよ」

「はい。気をつけます」


 温かな上司の言葉に、修一は晴れやかな気持ちで一礼し、自分のデスクへと戻っていった。


*

 同日、午後四時ちょうど。五階・人事部長室。

 谷口課長は、事前アポイントを取って人事部長の深町(五十代後半)と向かい合い、修一から許可された範囲の事実関係を慎重に報告していた。


「――なるほど。営業管理部のあの宮原係長が、登録能力者だったのかね」

 話を聞いた人事部長は、驚きつつも、どこか深く納得したように頷いた。

「しかも、入社以来ずっと、政府の『八咫烏』から特殊環境調査や危機管理の外部業務を請け負っており、報酬は調査法人経由で申告し、秘匿に関する税務当局との調整もあった、と……」

「はい。本人は至って真面目でして、今回政府が八咫烏を公式公表したことで制度が変わる可能性があるため、会社の副業許可規程との整合性をどうすればよいか、今のうちに正式に相談したいと申し出てきたのです」


 人事部長は眼鏡を外し、腕を組んで大きく息を吐いた。

「……谷口君。実はな、宮原君のその申し出、人事部としてはまさに『渡りに船』というか、頭を抱えていたところに飛び込んできた救いの神かもしれん」

「……え? どういうことですか、部長?」


 人事部長は声を潜め、デスクの引き出しから数枚のプリントアウトを取り出して見せた。

「先々週、政府が国内に三百四十二万人の能力者がいると発表して以来、実は人事部の目安箱や匿名メール窓口に、社内の複数の社員から『自分は能力者なのだが、今後会社に申告すべきか』『八咫烏関係の副業や招集がある場合の有給や労務扱いはどうなるのか』『上司に知られたくないが配慮の相談はできるか』といった匿名の問い合わせが、すでに四件も届いておるのだよ」

「よ、四件もですか!? やっぱり宮原の言った通り、社内にも他に何人かいたんですね!」

「うむ。四百人の社員がいれば、確率的にも十人前後はいる計算になる。だが、こちらから犯人探しのように調査するわけにはいかんし、かといって現場の課長連中に丸投げすれば必ずハラスメントや情報漏洩のトラブルが起きる。どうしたものかと、今日一日ずっと労務担当と頭を悩ませていたところなのだ」


 そこで谷口課長は、先ほど小会議室で修一が提案してくれた「アイディア」を思い出し、手帳を開いて人事部長に伝えた。

「部長! 実はその件につきまして、さっき宮原自身がこんな提案をしてくれたんです。『本人が希望する場合に限り、直属の上司を通さずに直接人事部へ秘密厳守で相談できる【異能関連・社員相談窓口】を一本化して新設し、労務配慮や副業手続きだけを確認して、専門的な問題は八咫烏の公式窓口へ繋ぐ仕組みを作ってはどうか』と!」


 人事部長の目が、カッと見開かれた。

「……それだ!! さすがは営業管理部のエース、宮原君だ! それこそ今、我が社に最も必要な仕組みそのものじゃないか!」

「やはりそう思われますか!」

「うむ、すぐにでも立ち上げよう! ……ただな、谷口君」


 人事部長はそこで、少し困ったように顎に手を当てた。

「その『異能関連相談窓口』を人事部内に作るとしてもだ。うちのこれまでの人事部員たちは、通常の労働基準法や社会保険の手続きには詳しいが、『異能者の登録制度』や『八咫烏の委託契約の仕組み』『どこまでが機密でどこからが会社で処理すべき書類なのか』といった超常関連の実務知識など、1ミリも持っておらんのだよ」

「……あー、確かにそうですね。私も今日宮原から『八咫烏と税務当局による非公開業務の調整』なんて話を聞いて、ちんぷんかんぷんでしたから」

「そうだろう? もし他の能力者社員が勇気を出して窓口に相談に来た時に、対応する担当者が異能の仕組みを全く知らない素人だったら、適切なアドバイスもできないし、うっかり聞いてはいけない機密を聞いてしまう恐れもある。

……できれば窓口の立ち上げに、八咫烏の実務と社内の業務フローの両方が分かる、口の堅い社員が一人いてくれるとありがたいのだが……」


「…………」

「…………」


 人事部長室の空気が、ピタリと止まった。

 人事部長と谷口課長は、無言のまま、ゆっくりとお互いの顔を見合わせた。


 人事部長が、まるでお釈迦様が蓮の花を見つけたかのような、晴れやかで慈愛に満ちた笑顔を浮かべて言った。


「……谷口課長」

「……はい、部長」

「今のお話の条件を100パーセントすべて満たしている、奇跡のように適任の社員が、まさに君の部署に一人いるじゃないか」

「……まあ、確かに、彼以外に地球上に適任者はいない気はいたしますが……」


 さらに人事部長は、自分のデスクの端にあった一通のグループ社内通達――今朝、親会社である『東都精密機器ホールディングス(従業員一万二千人)』のグループ人事本部から傘下の子会社各社へ送られてきたばかりの照会文書を手に取り、目を輝かせた。

 件名は、『【緊急照会】グループ各社における異能関連従業員相談体制の整備およびモデルケースの構築について』。


「しかもな、谷口君、これを見てくれ。実はこの問題はうち一社だけの話ではなくて、親会社のホールディングス全体でも、グループ一万二千人の社員向けの相談体制をどう作るか、今まさに模索しているところなのだよ」

「親会社でもですか……!」

「うむ。もし、まずうちの会社で宮原君を中心にその『異能関連相談窓口』の運用モデルとマニュアルを綺麗に作り上げることができれば、来月には親会社や他のグループ各社へも『東都ビジネスソリューションズ方式』として横展開できるかもしれん!」


 谷口課長は、話が予想以上に大きくなったことに戸惑いながらも、「……分かりました。明日、私の口から宮原に打診してみます」と答えた。


*

 そんな人事部長室での密談など知る由もない、同日午後七時。

 定時少し過ぎに気持ちよく会社を退社し、練馬行きの電車に揺られていた宮原修一は、長年の胸のつかえが下りたような爽快感に包まれていた。


(よし。谷口課長は本当に話の分かるいい上司だったし、副業の件もこれで正式な社内確認ルートに乗った。社内の他の能力者の件も、変な犯人探しをさせずに『人事の窓口を作ればいい』と誘導できたし、今日のうちに手を打っておいて大正解だったな)


 自分がどれほど完璧にリスクをコントロールしたかについて満足げに頷いていると、ポケットの中の私用スマートフォンが震えた。

 画面を見ると、相馬玲奈からの新しいメッセージだった。


『宮原さん、お仕事お疲れ様です! 今週の土曜日のお店なんですけど、神保町か銀座あたりで、和食とイタリアンだったらどっちがお好きですか? もし苦手な食べ物とかがあったら教えてくださいね!』


 電車の窓ガラスに映る自分の顔がだらしなく緩みそうになるのを、修一は必死に奥歯を噛みしめて堪えた。

(……ああ、いいなあ。こういう、領収書とも因果律改変とも無縁の、『和食とイタリアンどっちが好きですか』っていう普通のやり取り……何年ぶりだろうな、本当に……!)


 修一は『どちらも好きですが、玲奈さんが気になっているイタリアンのお店があればぜひそこに行きましょう。苦手なものは特にありませんよ』と丁寧に返信を送り、スマートフォンを胸ポケットにしまった。


「……よし。会社の懸案も片付いたことだし、今週は金曜日まで絶対に余計な仕事を増やさず、平穏無事に定時退社を死守しよう」


 月曜日の夜の星空を見上げながら、修一は固く、本気でそう誓ったのだった。


*

 そして迎えた翌日――十一月十七日、火曜日。午前十時三十分。

 営業管理部のフロアでは、修一がいつものようにパソコンの画面を二つ並べ、月末に向けた大口取引先の契約更新データの確認と、来月の出荷スケジュールの調整を淡々とこなしていた。

 異能の世界の喧騒などどこ吹く風、いつも通りの平穏で規則正しい火曜日の午前中だった。


 そこへ、上階の会議から戻ってきた谷口課長が、手元のバインダーを抱えて修一のデスクの横へとやってきた。

「――おーい、宮原。今、五分ほどちょっといいか?」

「はい、課長。何でしょうか?」

「昨日の件で、人事部長から早くも正式な回答が来た。またあっちの小会議室で話そう」


 修一は「分かりました」と立ち上がり、昨日と同じ小会議室へと入った。

(おお、昨日の夕方に話したばかりなのに、もう人事部からの回答が出たのか。うちの会社にしては意思決定が早いな、ありがたい)


 ドアを閉めて向かい合って座ると、谷口課長はまず、修一を安心させるように笑顔で頷いた。

「まず一つ目、お前の『八咫烏の外部委託業務(副業)』の件だ。人事部長と法務で確認して、これまでの守秘義務の事情も踏まえ、通常の無申請副業として機械的に扱わず、当面の業務継続は暫定的に認めることになった。正式な兼業許可については、八咫烏とも確認しながら新しい申請書式で進めるそうだ」

「ありがとうございます! それなら八咫烏への確認書類にも、会社と相談済みで暫定承認をいただいたと正確に記載できます」

「うむ。具体的な申請書類のフォーマットは人事と法務で今作っているから、でき次第お前に渡すそうだ。もちろん、その過程でお前の能力の詳細を詮索したり、人事の担当者以外に情報を漏らすようなことも絶対にしない、と部長が約束してくれたぞ」


「……本当にありがとうございます、課長。これで正式な手続きへ進めます」

 修一は深く頭を下げ、心から安堵の息を吐いた。ここまでは、まさに100点満点の結果だった。


 すると谷口課長は、少しだけ視線を逸らし、バインダーの2枚目の紙をめくりながら言葉を継いだ。

「……それとだな、宮原。昨日お前が提案してくれた、社内の他の能力者たちが自主的に相談できる『異能関連・社員相談窓口』の件なんだが」

「ああ、はい。人事部の一本化窓口の件ですね」

「そう、それだ。昨日さっそく人事部長に伝えたところ、部長も大賛成でな! 実は人事部にもすでに匿名で何件か相談が来ていたらしく、来週から人事部直轄で正式にその『異能関連相談窓口』を設置する方向で動くことになったぞ!」


「おお、それはよかったですね!」

 修一は、自分の出したアイディアが会社に採用されたことを、一点の曇りもなく素直に喜んだ。

「いやあ、やっぱり人事部でも必要だと考えておられたんですね。専用の窓口が一つできれば、社内の他の能力者の方も安心して相談できるでしょうし、何より各部署の課長さんたちが手探りで悩まなくて済みますからね。すごくいいことだと思いますよ」

「……まあ、そうだな」

「スピード感があって素晴らしい判断だと思います」

「……うん」


 ニコニコと他人事のように人事部の英断を褒め称えている修一を前にして、谷口課長は、なんとも言えない申し訳なさそうな顔をして、ポリポリと自分の頬をかいた。


「……それでな、宮原」

「はい?」

「その窓口を来週から作るのはいいんだが、人事部長が言うにはだな。『うちの人事部員は普通の労務には詳しいが、異能関連の専門的な話や、八咫烏の契約・書類の仕組みが分かる人間が一人もおらん』と」

「……ああ、まあ、それは確かにそうでしょうね。ついこの間まで秘密だった世界ですから」

「うむ。だから窓口の立ち上げと実務には、八咫烏との連絡方法や能力者側の事情、税務・法務の特殊な扱いが最初から分かっていて、なおかつ普通の社内業務やコンプライアンスも熟知していて、相談に来た社員の秘密を絶対に守れる、信頼できる社員が必要なんだそうだ」


 修一は腕を組み、真面目な顔でうんうんと頷いた。

(……なるほど。しかし、そんな都合のいいスペックを持った人材、うちみたいな四百人規模の会社の中になかなかいるもんじゃないだろうな。外部からコンサルでも雇うのかな?)


 谷口課長は、目を泳がせながら続けた。

「……それで、人事部長がな」

「はい」

「新しく外部から専任の人間を採用するわけにもいかんので、当面は、今の『営業管理部の係長の仕事』をそのまま続けながら、人事部付の兼務という形で、その異能関連相談窓口の立ち上げと初期対応を担当してもらう形が一番いいんじゃないか、と」


「なるほど、社内兼務ですか。確かにそれなら人件費も増えませんし、合理的ですね」

 修一はまだ気づかず、感心したように尋ねた。

「……ちなみに課長、人事部ではその兼務の担当者って、どなたにお願いされる予定なんですか?」


「……………………」

「…………あの、課長?」


 谷口課長は、三秒間ほど無言で修一の目を見つめ、それから腹を括ったように一度だけ小さく、深いため息を吐いた。


「……宮原」

「はい?」

「その新しい相談窓口の初代担当者、暫定的に『お前』にお願いしたいそうだ。正式な兼務の辞令は、来週の火曜日に出す予定らしい」


 小会議室の時計の秒針が、カチ、カチ、カチ、と三回鳴った。

 宮原修一の端正な顔が、笑顔のままピタリと固まり、その口から、魂の抜けたような声が漏れた。


「……………………」

「……………………」

「…………は?」

最後までお付き合いいただき感謝します。


もし「続きが読みたい」と思われた方は、ページ下部よりブックマークと評価をお願いします。


YouTubeチャンネルを開設しました!

自作小説の朗読動画を投稿しています。

再生リストから第1話から通して聞けるので、作業用・睡眠用にもどうぞ!

よかったら、下のリンクから聴いてみてください!

https://www.youtube.com/channel/UCR6rofll_pfDqf9vi3I7nkw

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。