アストンから刑務所へ
起訴状によると窃盗。
【不法侵入し25ポンド相当の金品を盗んだ】とある。
アストンの裏町にある店に一晩のうちに2回押し込みに入った。
1回目は懐中電灯を忘れて手探り。
盗んだのは子供のおむつが4枚。
パブで売りさばくつもりだったが、これでは話にならない。
2回目は25インチのテレビ。
これは死ぬほど重たくて…担いで金網を越えようとしたら。
テレビが頭の上から降って来た。
巨体なテレビに押し潰されて。
「俺はなんてマヌケなんだろう」
心からそう思った。
俺ぐらいの年の輩はみんなワルに憧れる。
アストンでは皆そうなんだ。
駐車場に停めてある車の中を荒らしたり。ガソリンを盗んだりパーキング・メーターを壊し。小銭をせしめたりした。
俺は15になると学校を追い出された。
札付きのワルだったわけじゃなくてさ。
筋金入りのバカだったんだ。
学校を出たから家に金を入れなきゃと思って。塗装の仕事に就いた。
塗料やシンナーをあれこれ混ぜたりする仕事をしてると。
たちまちラリってトリップしてしまい。1日でクビになった。
15でパブをうろついて酒の味を覚え。16の誕生日にはアル中になっていた。
マッカーソン・スタウトのビール1パイントなら5秒で飲み干せた。
依存症の気質は親父の遺伝じゃない。
親父は立派な男だった。
ナイトシフトの工場勤務を65で早期退職になるまで勤めた。
俺が知る限り1日も休まなかった。
時々腕や足に包帯を巻いている事もあったが。病院には行かなかった。
退職した後の庭いじりに1年を費やしたが。庭を仕上げると.この世を去った。
俺が盗みに入った翌朝。警察が、店に大量に残された指紋を頼りに、俺の家に来た。
翌週。俺は裁判所で判事に4万ポンドの損害賠償を言い渡された。
4万ポンドなんて…当時の俺には、途方もない金額だった。
親父に相談するか、銀行でも襲うしか工面するあてはない。
俺は親父に相談した。
「俺がまっとうに働いた金を、なんで?こそ泥で捕まったお前に、用立てなきゃならんのだ!」
「でも父さん」
「刑務所に入って学び直せ。ピータークロス」
話はそれで終わり。
親父はいつも俺に言った。
「高い教育は受けられなくても、良いマナーは身につけられるはずだ」
親父はその通り生きてきた。
近隣の人にはとにかく親切。
年寄りがいれば席を譲った。
俺はそうしなかった。どころか酒代欲しさにあちこちで盗みを働いた。挙げ句刑務所送りになった。
ウィンソン・グリーン刑務所。
1849年に建てられた。ヴィクトリア時代の古い刑務所だ。
当時から囚人は元より看守の評判も最悪だった。
イギリス中の刑務所で勤務した経験のあるそこの看守が
「ここくらい、暴力的で、恐ろしい無法地帯は無いぜ」
俺に教えてくれた。
「Dブロックの連中はきっとお前を気に入るだろうよ!」
「シャワーを楽しみにしてな。可愛い子ちゃんよ!」
俺のポケットを空にして、財布やタバコをビニール袋に詰めながら。
看守は俺の耳元で囁いた。
「お前みたいに…女みたいな長い髪をしてるのは特にだ!」
ロッカーが昔刑務所に入った時の、武勇伝なんてしたいんじゃない。
俺は死ぬほど、びびっていたんだ。
入る前も.これから入る時もだ。
「後生だから金を用立ててくれ!」
親父にそう頼んだ。
「刑務所に入れば、お前も.ものの道理が分かるかも知れないな」
その一点張りだった。
「髪を切る鋏を貸してくれ!」
看守に懇願した。
シャワーを浴びる時も、尻は壁にぴったりくっつけたまんまだった。
まずは自分の穴の純潔を守る。
そのことが何より専決だった。




