鉄の男と海月
ディストーションとか、リバーブなんて言葉くらいは知ってるさ。
でもトニーはギークに言ったんだ。
「リズムはビルに任せろ」
「俺のギターに鑢をかけてくれ!」
ギークはそれで全てを理解した。
ネックを短く持って。
極限まで音を歪ませ。
トニーのギターに音を重ねる。
全弦3音の連鎖だ。
「ビル、アドリブで構わない」
「好きなタイミングで入ってくれ」
「カウントはいらない」
大音量のパワーコード。
トニーが掻き鳴らす。
それが合図だ。
「マッド歌詞は頭に入ってるな?」
「合図したら入って来い!」
言われなくてもそうするぜ!
鎖を引き摺るような。
超重量級のリフ。
聞く者の臓腑を抉る。
普通のギタリストならば。サビやソロまでバッキングで楽をする部分。
トニーはリフを畳み掛ける。
深く深く重くさらに重く。
沈み込むように。
同じ弔鐘のリフ。
それを何度も繰り返す。
ビルクレイは、ジャズがバックグラウンドにあるドラマーだ。
けして、トニーとギークの重力の底を思わせる低音と、音数で張り合ったりはしない。
ビルのドラムは空間を作り出す。
俺の声と、トニーのギターと、ギークのベース。それぞれの音が棲む場所を、ビルのドラムが創る。
音の隙間とリズムチェンジ。
更なる重量感を演出するんだ。
ビルにしかないドラミング。
それは独特の倦怠感だ。
それが何処から来るものなのか。
俺には知る由もないが。
このバンドのサウンドに、特有の空気を作り出している。間違いなく!
リズムチェンジ。
トニーがギークに目で合図を送る。
ギークは一瞬戸惑うが。
トニーの口元を読む。
「疾れ」
恐怖感を伴うランニングベース。
ビルのドラムがそれに加わる。
「エクリプス」
それは生涯無敗。
英国伝説の名馬。
それでもトニーのギター。
終止徹底して駆けない。
指を失った時。
彼が手にしたもの。
絶望だけではない。
世の華々しいギタリストたち。
彼らとの競い合いを捨て。
単調でも一聴したら忘れない。
彼らしい考え抜かれたリフ。
いつもトニーは考えている。
それは誰にも発想出来ない。
リフパターンの応酬だった。
転調。そして最後にためにためた。重厚で劇的なリフを弾き始める。
最初は生きるために手にした。
溶接機の小さな火花だった。
固い鉄の塊が溶鉱炉の中で溶けて、地表に溢れ出す灼熱の流体。
全てを呑み込むかのように。
まじで…まじで!建物の壁が!
ぶっ壊れるかと思ったぜ!
こんな恐ろしい音を出すバンド。
俺は今まで見た事がない。
トニーの考えている事なんて。
およそ俺達には分からない。
それが分かった時に皆驚くんだ。
今度は俺達だけじゃなくて。
世界中の人間が驚くはずだ。
俺達はついにやったんだ。
俺達にしか創る事が出来ない音。
唯一無二のバンド。
ついになれたんだ。
トニーは俺に言った。
「マッド、何も作る必要はない」
「ブルースもロックも関係ない」
「これは、お前の声が歌う事だけ、ただそれだけをイメージして、書かれた曲だから!」
トニーは、何故あの時乗りかけたバンから戻って、俺とバンドを組む気になったのか、話してくれた。
「俺にとって人生で最悪な事。それは指を失った事だ。再起を誓って、入ったバンドも駄目になった。そして『今度こそ!』そう思って叩いたドアの向こうに、お前が立っていたんだ」
「それは」
「まじで最悪!そう思ったよ。お前の悪〜い評判は、昔からよく耳にしていたからな」
殆んどが疑いがなく事実だ。
「でも、俺達は学生時代言葉を交わした事もなかった。あの時、俺は初めてお前の声を聞いたんだ」
「ユニークな声だと思ったよ」
「トニー指をどうしたんだ!」
俺はあの時彼に向かって。
そう叫んだ。
「ここまで来たんだ…試してみるのも悪くはないか。そう思ったんだ!」
俺の家は、アストンの中でも。取り分け貧しい暮らしをしていたと思う。
遊園地とかデパートみたいな場所。家族で出かけた事は一度もなかった。
だからトニーの話を聞いても。
俺は想像するしかない。
「子供の頃家族でロンドンに行った。その時テムズ川のすぐ近くにある、アクアリュウムに行ったんだ」
世界中の珍しい魚たちがいて。巨大な水槽の中を優雅に泳いでいた。
その中でもトニー少年の目を惹いたのは。海月だった。
「美しかったな」
俺は泳ぐ海月を見たことかない。
「すごく神秘的に思えたんだ」
「水槽の中には、何万トンという海水で満たされているのに…あの海月だけは、水の重さや圧力なんて関係なく、漂っていたんだ!」
トニーと最初リハーサルをした時。俺の横でギターを弾きながら。
そんなことを思ったらしい。
「海月みたいに空間を漂う声だ」
「海月みたいな声って…一体どんな声だよ!?」
「すっかり海月に魅せられてしまったんだ!」
なんかうっとりしてる。
海月好きだから俺を選んだ!?
「そんな俺を見て母が言ったんだ」
「海月には凄い毒があるのよ」
「お前の声にも中毒性があるよ。マッド。もしかしたら、体に溜まったマリファナとか気化してるのかな?」
トニーは俺をからかうように笑う。
子供の頃はそんな笑顔だったのか。
「それを最初に見つけて、常習になったのは、俺が最初だって…忘れないでくれよ、マッド!」
「ギークにも以前言われた」
「あいつもジャンキーか!お前の声は、どんなにヘビィな音にもけして潰されない。お前の声があると、俺達の重さは逆に際立つ…そうだな、海月で悪ければお前の声は…」
トニーは少し考えて。
俺の目を見て言った。
「唯一無二の悪魔声だ!」
普段からトニーワイズマン。
そんな事を考えているらしい。




