1969…1994…RisingⅡ
彼の目の前にあるマイクスタンド。
今度ははっきりとその声を拾った。
「Hello,Stupid!(よお!馬鹿野郎ども!)」
いつもと変わらぬ彼。
観客への挨拶だった。
彼の声は常に人を魅了する。
話し声と歌声に差異は無い。
20年以上この世界で歌い続けて来たが。目立った歌唱の向上もなく。衰えもしない。
最初から今日までずっと同じ。
ミッドレンジ。
宙を舞う風船のようだとか。
風に揺らめく焔とも評される。
その彼が観客に語りかける。
「お前らのかわゆい豚」
『マッドマンだ!』
大歓声に包まれる客席。
皆信じらないと言った面持ちで。
その場から一斉に立ち上がる。
「椅子なんて!俺のライブに必要ない。蹴り出せ!…と言いたいとこだが…まあ座ってくれ」
穏やかな声に促され。
客たちは席に座る。
「まことに勝手ながら…今夜この箱は俺が使わせてもらう!俺が嫌いなやつは、耳を塞いで入り口まで行って金を受け取り、出て行ってくれ。残るやつは携帯の電源を切れ。「今マッドマンと一緒に居るんだ」なんてツイートしたら…今夜が台無しになっちまう…だろ?」
彼は既に歌っていた。
バンドも彼の語りに合わせ音を鳴らす。
「サラボーンみたいだろ?」
客席に向かってウィンクする。
サラボーンのスイングするジャズが会場に流れる。
「俺の好みは【A列車で行こう】じゃなく【Train kept a rorin】だがな。知ってるかい?ヤードバーズの曲だ。俺も昔Ballet Trainって曲を書いたんだ!」
Btrainのリフが鳴り響く。
客席は大歓声に包まれる。
「昔、夢の天使が俺のバンドにはいた」
「Btrainを歌ってくれマッドマン!」
「あいつは本当に天使みたいなやつだった」
「俺は神経症男を歌ってくれ!」
「俺の人生を変えた曲なんだ!」
マッドマンに観客の声は聞こえていないようだ。
「俺は今夜引退する」
引退宣言も撤回も5回目。
さすがに反応は薄い。
それより曲を…という観客の声が、次第に会場を包み込む。
「怪我の治療中」
マッドマンはコートのポケットから本を一冊取り出した。
「家族が俺に絵本をプレゼントしてくれた」
「マッドマンそれより曲を!」
「アリエスターを聞かせてくれ!」
「俺には、昔の記憶があんまりない。大概、酔っ払ってるかラリってるからな。酔っ払うと、家族に昔の話をするらしいが.それも記憶に無い。病院で、寝たきりのまま誕生日を迎えた、こんな俺に家族がくれた手作りの絵本だ」
「絵本なんてどうでもいいぜ」
興奮した客達がステージに詰めかけた。通常のライブならいるはず。彼を守るためのセキュリティのバリケードも今夜は無い。
「今から絵本を読む!」
押し寄せる観客の波は止まらない。
「これが…5歳になる双子の娘ちゃんが描いてくれた俺の顔だ!」
「マッドマンズで見たことあるぜ!」
「可愛い子たちだ!」
前列の観客の男がそう言った。
隣にいたジュライザは頷いた。
「すでに商標登録済みよ!」
「節をつけて…歌えるところは歌ってみるさ。即興でな!」
満足気に微笑みながら。ポケットからスミス&ウエッソンを取り出し。銃口を自らのこめかみに当てた。
「さっさと席に着きやがれ…Ass Hole!」
安全装置は外されていた。
観客たちはすっかり忘れていた。
今や全米のお茶の間の人気者となったマッドマン。
しかし彼はコメディアンでもタレントでもない。
彼は昔から行く先々で伝説を作って来た。
その場に居合わせた者は必ずと言っていいが彼の被害者だ。
「マッドマン完全復活」
「今日で引退する」
「そしてお前らに絵本を読んでやろう」
混沌と混乱。これがマッドマンの本来の姿であった。
「昔々、俺はあんまり覚えてないが…娘や息子たちが俺に話してくれた…昔の話だ」
語るように。
歌うように。
マッドマンは物語を始めた。
パタン。
彼は絵本を閉じた。
銃口は彼のこめかみに。
押し付けられたままだ。




