1969…1994…Rising
僕はハローって言ってるのに
君はグッバイって言うんだね
ハロー ハロー
僕は行くよ
ザ•ビートルズ ハローグッバイ
今日2本目の弦が切れた。
かけだしの若いギタリストは、
ふっと指に息を吹きかけた。
無理もない話だ。
あの伝説の男マッドマンがいる。
今から彼と同じ舞台に立つのだ。
指先が震えて力が入り過ぎ。
たとえ弦を切ったとしても。
まだバックステージ。
リハでの事さ。
ギタリストは自分に言い聞かせ。
目の前のマッドマンを見る。
彼が昔PVの中で演じていた。
錬金術師だか魔術師そのもの。
黒い皮の帽子に黒のコ−ト。
彼には威厳を纏っている。
今やジョンレノンか彼かくらい。
代名詞の丸レンズのサングラス。
言われるほど醜い男ではない。
むしろハンサムと言える。
元々は錆色の髪を肩までのばしている事が多い。今はストレートの黒髪だ。
こちらが地毛だろうか。
欧米人でそれはないな。
昔見た写真はブロンド。
しかし彼は常に自分の中にある。
本来の英国紳士然とした佇まい。
そいつを撲殺して生きて来た。
一度カメラが向けられたなら。
彼は片時も瞬きすらしない。
瞳孔は開いたまま歯を剥き出しにした姿こそ。我々アメリカ国民が知る彼。年を重ねても暗黒の王子。
マッドマンそのものなのだ。
2年前の冬。
彼は自宅付近で、四輪バイクによる転倒、脛椎損傷と脳挫傷6本のあばら骨の骨折。かなり深刻な事故により。生死の境をさ迷った。
昏睡は1週間にも及んだ。
その間心停止が2回あった。折れた骨が突き破った肺には血液が流れ込み。腕の血管に流れ込んだ。
医師は壊死による切除も考えた。
かろうじて一命はとりとめたが復帰を危ぶむ声か多く囁かれた。
それが今年半ばになって突然。ここ.ニュージャージーを皮切りに、彼の名を冠したマッドフェスト。その開催が告知された。
マッドフェストとは、彼のバンドがヘッドライナーを努める野外フェス。毎年50万人以上の集客を誇る。
人気の理由は彼のカリスマ性と、
ネームバリューや集客力は勿論。
出演バンドのチョイスだろう。
プロモーターが、金目当てに寄せ集めた.、とんちんかんで一貫性のないバンドの寄せ集めではない。
インダストリアル系や、グラインドコア系のメンツの中に、スティービーワンダーや、ビリージョエルが混ざっていたりはしない。
ミュージシャンが選んだ。本当にファンが今見たい。有望な若手バンドがラインナップに名を連ねる。真のロックフェスだ。
もっとも、このフェスの開催にあたって、彼の妻でありマネージャーで所属事務所の社長。ジュライザが深く関与している。それは周知の事実だ。
彼女こそマッドマンを影で操るラスボス…業界の人間ならずともファンの間でも有名な話だ。
あのマッドマンに20年近く寄り添い。
ついには使役した女。
2年半に1枚のアルバムリリース(通常はビッグネームは2年に1枚のペースだが彼の場合はやや特殊なサイクルで活動している)
1年間に及ぶツアー。
そしてマッドフェストの開催。
「とうに50を過ぎ、ホール オブ フェイムにその手形を残し。殿堂入りも果たした。金も腐るほど稼いだ夫。まだ仕事に駆り立てる守銭奴」
ジュライザにはそんな批判もある。実際のところは分からない。
いずれにしても田舎町のクラブで明日を夢見て演奏している。そんな人間にはマッドマンもジュライザ社長も天上人に変わりはない。
そのジュライザが開演前のライブハウスの楽屋に支配人と共に入って来た。開演の3時間前だった。
楽器のチューニング。マーシャルアンプの具合をチェックしていた。彼らバンドのメンバーに向かって.。こう言い放った。
「悪いが今日の演奏は中止だ!」
その日の出演予定は3バンド。
皆が驚いて、支配人とその横に立つ高価なスーツに身を包んだ女性を見た。
錆色の髪の女は高価なスーツの下にブラウスではなくマッドマンのオフィシャルツアーTシャツを着ていた。
柔和な笑顔で微笑むその女性は笑ってしまうくらいマッドマンに似ている。
「今日のギャラは3倍!このジュライザさんが支払ってくれるそうだ!」
名前を告げらなくても彼女がマッドマンの妻ジュライザ・クロスだと皆が知っていた。
「【マッドマンズ】欠かさず見てました」
誰かが間のぬけた声で言った。
「そう?ありがとう!来年4月から第5シーズンが放送予定なの」
「おお」
周囲からため息が漏れた。
マッドマンズとは数年前MTVの1コーナーとしてスタートし一躍全米で人気番組となった。
自宅のあらゆる場所に監視カメラを設置しマッドマン家の生活を録画したものをテレビ放映するという趣旨の番組だ。
日本にもこれと似た内容の番組があるが何と言ってもロックの歴史に残る狂人と呼ばれた男の日常である。
全米のお茶の間に届けらる映像は。
酒を飲み過ぎて妻に説教されるマッドマン。
ヘロヘロにラリって子供たちに。
「お前たち真面目にやれ!」
厳しく説教するマッドマン。
薬とアルコールが欲しくて堪らないので。外出しようとする夫の服を全部隠してしまう妻。ジュライザ。
仕方なく妻のワンピースに金髪の鬘で脱走するマッドマン。
女装で泥酔した揚げ句理髪店に入り
「どのような髪型に?」
店主に聞かれた彼は。
「任せる」
そう言って昏睡した。
妻のワンピースに七三頭で帰宅。
そんな日常が綴られていた。
1990年代中半米国のロック界に起きた1番の事件と言えばグランジ・オルタナティブの台頭に他ならない。
グランジとは醜いものや汚いものを意味する言葉である。
終始パジャマ姿で過ごすカートコバーン率いるNervanaの【Smel like a teen sperit】がビルボードのチャートを駆け上がると音楽事情は一変した。
それまでメインストリームだった華やかなアリーナロックは一掃された。
汚い洋服を着て眉間に皺を寄せ,
絶望的な歌詞を唸り捲る。
彼らは大人からは嫌われた,が。
若者には熱狂的に支持された。
ダウン・チューニングされたギター。彼らは皆一様にソロを弾かなかった。
この頃からギターはバンドの花形ではなくなった。
彼らは口を揃えて言うのだ。
「必死こいて弾きまくるギターなんてダサい。ソロなんてやめてくれ気持ち悪い。俺らの流儀に反する」
皆はそれをクールだと思った。しかし実際は青田買いされた若いバンドばかりで「やつら弾きたくてもビッグなソロなんて弾けないのさ」
当時マッドマンはマスコミのインタビューに答えている。
「もっとも…確か最初に俺のいたバンドもソロは殆どなかったけどな!」
マッドマンのバンドには昔からブロンドで若く才能溢れるギタリストが在籍して来た。
アルバムを出す毎に「次はどんなギタリストが彼のバンドに入るのか」
それはロックファンの大きな関心事でありニュースにもなった。
彼は新人のギタリストに好きなように曲を書かせ。好き放題ライブでギターを弾かせる事で有名だった。
全米はおろか、世界中の若く無名のギタリストたちが、彼のバンドに加入出来る事を夢見ていた。
ギターサウンドのクォリティに拘りを持つ。マッドマンの作品もグランジの逆風を受けるのは明白だった。
しかしマッドマンのアルバムは時流の流れの中でも変わらず売れ続け。ツアーも好調だった。
彼の音楽は時代におもねる事はなかったが。ジュライザには確信があった。
答えは彼が昔在籍していたN.I.Dというバンドにあった。
「どうゆう事だ。甥っ子が出るステージだからって言うから遥々来たのに」
支配人は観客に
「すみません。料金はお返ししますよ!」
その一点張りだった。
「どこの何てバンドが出るのか…せめて教えてくれよ!?」
「それはちょっと…」
ライブハウスのステージには普段めったに下ろされる事はない代物。緞帳で遮られていた。
教会の鐘が鳴り響く。
ふいに客電が落ちる。
緞帳の中から流れてくる。
誰もが1度は耳にした記憶。
ギターのパワーコード。
鎖を引き摺るようなギターのリフ。ネックを抑えたベースライン。ジャズを連想させる。手数の多いドラムの音が重なる。
【Nativeti In The Dark】
僅か1日。それも自主製作で製作されたアルバムが世界のロックシーンを震撼させた。
彼らのデビュー作の一曲目に収録されたナンバーだ。
誰が演奏しているというのだろう?
まさか彼らが…こんな場末のライブハウスに現れるはずがない。
観客の視線はステージに注がれた。
超重量級のギターリフが止み残響の中で幕は降りた。
簡素な机と椅子があるだけのステージ。
電気スタンドの明かりの下一輪刺しの薔薇の花。
ジャックダニエルのボトルは既に半分空いていたし。空になって捻り潰したバドワイザーの残骸が数本。
「薔薇が一輪あるのが救いだ」
バーミンガムの魔術師。
マッドマンはそこにいた。
会場の観客のどよめき。
彼の声は書き消された。




