第8話:おじい様の背中と、断ち切った鎖
この職人街に腰を据えることを決意した私は、
ギルドの受付で「ノア」とだけ署名を終えた。
その帰り道、夕陽に染まる街並みを歩きながら、
胸の奥にずっと引っかかっていた古い鎖が静かに崩れ落ちていくのを感じていた。
かつて、私の一族は「魔法伯爵」と呼ばれる伯爵家だった。
私の大好きだったおじい様は、まさに付与魔法の第一人者であり、
その圧倒的な功績から陞爵も目前だと言われていたのだ。
——けれど、あの歴史的な大災害がすべてを変えた。
押し寄せる魔物の群れから領民と兵士たちを守るため、
おじい様は自らの命を削り、城壁と全兵士の武具へ前代未聞の「超広域付与」を施した。
街と人々の命は救われた。
しかし、引き換えにおじい様は魔力が失われ、
二度と魔法を使えぬ体となって一線を退くことになったのだ。
最高の栄誉をあと一歩で逃した両親の落胆と怒りは、凄まじかった。
「なぜ余計な真似をした!」
「他人を救って我が家の繁栄を捨てるなんて、愚かの極みだ!」
両親はおじい様の「職人としての優しさと誇り」を激しく恨んだ。
そして、おじい様と同じ才能を持って生まれた私を
落ちぶれたお家を再興するための「道具」として扱い始めたのだ。
王都を逃げるように去り、たどり着いた東の領主へ、
いくばくかの金品と居住権と引き換えに『差し出される』ようにして決まったカイルとの婚約。
「お前がおじい様のせいで失われた我が家の栄誉を取り戻すんだ」という両親の呪縛。
「役に立たないと存在価値がない」と刷り込まれ続けた。
おじい様をこれ以上責めさせないため、
両親への義理を果たすためだけに、私はずっと東の領地での激務に耐え続けていた。
『エレノア、いいかい。技術は誰かを踏みにじるためでも、権力を得るためでもない。使う人の命と笑顔を守るためにあるんだよ』
病床のおじい様が、その温かい手で私の頭を撫でながら教えてくれた言葉が、胸の中で優しく響く。
……あの日々を経て、道具の声に耳を澄ませ、使う者の命に寄り添う手心を重ねてきた今の私には、はっきりと理解できた。
私の後任のマリアたちが使っているのは、強い力で強引にねじ伏せる雑な「上書きの魔法」に過ぎない。
だが、私がおじい様から受け継ぎ、この手で研ぎ澄ませてきたのは違う。
道具の記憶と使い手の意志を丁寧に編み直し、素材が持つ本来の真価を極限まで引き出す——道具と対話する「真の付与」だ。
ガルド親方の工房で一筋縄ではいかない武具たちに向き合い、
その真価を解き放った時、私の中で何かが弾けた。
胸の奥から湧き上がる澄み渡った魔力が、
指先を通して道具と完全に一つに溶け合っていく。
(ああ、そうか……これが、おじい様が辿り着いていた景色——)
力で支配するのではなく、心を通わせて高みへ導く。
国の中でもごく限られた一握りの者しか到達できないと言われる伝説の領域、「特級付与魔法師」。
かつておじい様がその身をもって証明し、私に託してくれた付与魔法の最高峰に、私は今、自らの手で足を踏み入れたのだ。
おじい様が命をかけて遺してくれたのは、虚飾の家柄や爵位などではない。
この「特級」と呼ぶにふさわしい真の技術と、
誇り高き魔法師であり職人の魂だったのだと、確かな手応えとともに胸が熱くなる。
「……おじい様。私はもう、誰かの道具にはなりません」
両親の執着も、お家再興の重荷も、カイルの身勝手な支配も。
私はすべてを東の領地に置いてきた。
そして、この職人街でガルド工房の「ノア」として生きていく。
権力のためではなく、使う人の命を守る「本物の手仕事」をするために。
私は私自身の足で、この職人の道を歩んでいくのだと、夕暮れの空に強く誓った。




