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あすなろの木  作者: 六野みさお


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9/9

排泄の自立

凛の視点では、壮士・文弥・芹奈あたりは「普通の子」である。保人は少し優秀との評判であるが、凛から見ると「優秀である」ということが素晴らしいことであるとはどうしても思えない。いくら周りから褒められたところで、それが本当のことであるとは限らないからだ。一方で壮士としては凛を非常に優秀であると考えているのだが、凛は正直自分が優秀であることに興味はないし、むしろそれに対して罪悪感すらあるのである。


「攻めないこと。背伸びせず、それでいて大きな失敗をしないこと。先生の指示に素直すぎるほどに従うこと。周りに合わせること」

「ねぇ、急にどうしたの、凛ちゃん」


芹奈が困惑して凛を見ている。それもそのはず、ここはサービスエリアの女子トイレである。菫・凛・芹奈・小夜は連れ立って同じ個室に入っている。これは単純に回転率を上げるための幼児特有の戦略だが、実際は他にも目的がある。


「でも、小夜ちゃんしっかりしているし、オムツ履いてるとは思わなかったよ。現にぜんぜんお漏らししてないし」

「えー、でも私早生まれだし、やっぱり心配だったから。列に並んだあたりから、実はちょっと危なかったかも」


そう、自動的に排泄の自立が確認される機会なのである。


「やればできるなら、パンツで過ごせばいいじゃん。その方がお姉さんに見えるよ」

「そんなことないよ、お漏らししちゃう方がもっと恥ずかしいよ。……でも、ここから『こどもの家』まではそんなに時間かからないみたいだから、ここでパンツに履き替えようと思って持ってきたんだけど。ちなみに夜はまだ毎日おねしょしてるから、寝る前にもう一回オムツ履くんだけど」


菫の指摘を小夜は軽くかわしていく。凛は臨機応変な小夜に感心しつつ、とはいえ小夜の排泄は年齢以上に自立していそうだと感じている。実は菫と芹奈が女子トイレに入った瞬間に揃って前を押さえていたことも凛はしっかり見ている。なんなら芹奈は秋の遠足では漏らしていたし、菫についてはバスに乗る前にトイレに行っていなかったことを凛は見ている。しかし残念ながら、凛はここでの問題について考えを巡らせることがこの時点ではできなかった。これは凛があくまで極端な基準でしか物事を見られなかったことに由来している。それでも凛の環境を考えればそのような視野狭窄は仕方ないことである。ただ、そこのわずかな揺れを巧妙に突こうとする動きについてはすでに凛にはヒントが与えられていたから、凛は後にここでの無策を後悔することになる。


そうはいっても、この場面ではこの班の女子の面々には何も起こらなかった。「芹奈ちゃん、でもやっぱりトイレの行列長かったよね?」「ねー! バスの後ろの席だったからかな。運悪いよね!」と話している小夜と芹奈を横目に見つつ、凛は律儀にこちらを待っていた男子たちに手を振る。下車直前に自分がパンツであることを明言しつつやや切羽詰まっていたようだった保人も、ズボンが変わっていないことから無事であったと凛は確信する。ちなみに凛はもう替えのズボンやパンツを所持していないが、これはそれらを「持っていない」ことがむしろ自信の表れになるからである。ただ、これらの「自信」は使い方を間違えると、ある恐るべき論法によってすべてをひっくり返される危険性を帯びている。


一方で、壮士はちょうど鉢合わせた祐飛と話している。「そういや、亜美はトイレってどうしてるの?」との壮士の問いに、祐飛は「何もわからないらしいぜ。でもそれは全然我慢できないってだけで、驚いたね、腕の力をうまく使って自分でオムツを替えてたよ」と応じている。さらに祐飛は子どもたちに向かって「漏らしちゃった奴は多目的トイレに行くんだぞ! そこに先生がいるからな!」と指示を飛ばしている。このあたりの突発的な指導力が祐飛の良さである。


そのとき文弥は、たまたま遠足のしおりに目を落としていた。


「えーと……『みんなで協力して、遠足を最後まで楽しみましょう』か。何か変だな」

「どうしたんだ文弥、そんなのいつも書かれてることじゃないか。しばらく前から、文弥は平仮名は読めるんじゃなかったのか?」


怪訝な顔をした壮士に、文弥は首をひねった。


「いや、なんだかまるで『遠足を最後まで楽しめない人』がいるような書き方じゃないか。だって、帰りのバスのときに悲しい気持ちになっている遠足なんて僕は嫌だよ」


壮士は「まさかな、でもこれは『他の子たちに迷惑をかけるなよ』くらいのことじゃないか? 文弥が他の子に何か嫌がらせをして、その子が悲しい気持ちで家に帰るようなことがないようにしようってことだろ」と解説しながらも、どこか引っ掛かりを感じていた。さらにはその前の行に書かれてあった「みんなと幼稚園に帰るまでが遠足です」もそうであった。壮士は単純に「家に帰るまでが遠足」という格言ではないことを不思議に思っただけではあったが、実際のところ、彼らの違和感にもまた意味がある。わざわざ「幼稚園に帰るまで」を「遠足」という流れの中に規定しているのである。まるで「無事に遠足を終え、またみんなとバスに乗って幼稚園に帰ってくること」が当然のことではないかのような書き方だったのである。そして、壮士の班の誰もまだ気づいていないが、実は園児たちを乗せたバスの後ろから、二台の車が追走してきている。

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