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レッドサンブラックムーン -機密解除された第二次大戦における<異世界からの干渉>および<魔獣との戦闘>に関する記録と証言について-  作者: 弐進座
死戦の地中海(Bloody Mediterranean)

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旅立ち:2

【ピレウス港 <宵月>】


 深夜<宵月>の艦内、エンジンの低いうなりだけが微かに響いていた。


 興津大尉の個室は狭く、机には戦況図や電測データのメモが散乱し、ベッド脇には今後の行動計画書が置かれている。


 薄暗い電灯の下、ちょうど興津は航海日誌を付け終わったところだった。指でペンを軽く叩いていた。彼の上官、儀堂がバルカン半島への特命任務で艦を離れることが決まり、艦長代理として留守を預かることになった。その重責が彼の肩に重くのしかかっている。


 全く経験がなかったわけではない。これまでも儀堂が不在の折、<宵月>の指揮を代行してきた。戦闘指揮の経験もある。副長として兵との信頼も築いてきたつもりだ。ネシスほどでないにしろ、儀堂を支えてきた自負はある。


「いずれはと思っていたが、こんなかたちで巡ってくるとは……」


 興津は小さく呟き、視線を落とした。そのときだった。ドアが控えめにノックされ、興津は顔を上げた。


「私だ。ローンさ。副長(ナンバーワン)、入ってもいいかな?


 ローンの落ち着いた声が漏れ、ドアが静かに開いた。右手に細長い瓶を持っていた。もう片方にはグラスがふたつ。


「アテネで良いワインが手に入ってね。一人で空けるにはもったいないと思い、持ってきた。どうかな?」


 興津は立ち上がり、声を低めて言った。


「ローン大尉、私はまだ職務中です」


「おや、そうだったかな。でも一杯くらいはいいだろう? 君と酒を酌み交わすのも、これが最後になるかもしれない」


「……どういう意味ですか?」


「他意はないさ。我々は終りのない戦争のただなかにいる。それだけのことだ。で、どうかな?」


 ボトルを掲げられ、興津は諦めたように座り直した。数分後、芳醇な液体が満たされたグラスが二つ、机の上に置かれる。


「我らの無事と勝利のために」


「ええ、乾杯」


 硬い音が響き、喉を潤す。鼻腔に地中海産ワインの香りが満たされ、胃がわずかに熱を帯びた。


「ナンバーワン、気のせいかな。君は少しナーバスに見える」


 ローンが言われ、興津は一瞥すると手に持ったグラスに目を移した。自分の顔が歪んで反射されている。


「ときどき思うのですが、英国人なのにあなたは率直だ」


「ハハ、酷い偏見だ。時と場合を選んでいるのさ。不要なユーモアは人を不快にさせる。それで、実際のところどうなんだい?」


 興津は大きくため息をついた。


「癪ですが、おおむねあなたの言う通りだ。バルカン半島の任務、儀堂少佐が艦を離れるのは仕方がない。私は魔導のことなんてわからないが、あの人が行くべきだと判断したのなら、それが正しいのでしょう。私がその留守を任されるのも妥当だ。だが問題は……」


「君は儀堂少佐ではない?」


 図星だった。興津は一気にグラスを空けた。すぐに二杯目が注がれたが、断らなかった。


「ああ、そうですよ。それが問題だ。俺は少佐じゃない。あの人みたいな……戦い方はできない」


「なるほど、しかしそれの何が問題なんだ?」


 興津は裏切られたように、ローンを見た。英国人は首を傾げていた。からかっているのではなく、ただ純粋に興津の悩みが理解できないようだった。


「こう言っては何だが、儀堂司令は特殊な人だ。彼のように魔獣や怪異相手に躊躇いもなく、果断かつ執拗、果敢かつ的確に戦える軍人はそうそういないだろう。少なくとも私は見たことないね。だから、まあ、君が司令のような指揮ができなくても仕方がないことさ。気を悪くしないでくれ。だれもそんなことを求めていない」


 興津は何も言わずグラスに口をつけると、自分を落ち着かせた。別段、ローンに怒っているわけではなかった。儀堂ほど有能ではない。分かり切った事実であり、納得していた。


「ローン、違う。あなたは勘違いしている。私が問題にしているのは別のことです」


「おや? ならば何かな?」


「教えてください。<宵月>の指揮官が誰か、その名前を当てられる奴はどれほどいると思いますか」


「それは……」


 ローンは盲点に気づかされた。彼は興津を見誤っていたのだ。


「数えるほどしかいないだろうね。儀堂司令よりも<宵月>の方が強く認識されている。横須賀からシカゴ、そしてパナマ、地中海に続いて<宵月>の名は知れ渡っている。英雄の記号として」


「そうでしょう。だから、これからも<宵月>は英雄でなければならない。誰が指揮を執るかの問題じゃない。この艦は過酷な戦場で英雄的な戦い方を求められる」


 二杯目のグラスが空になった。三杯目を自分で注ぐ。


「<宵月>でなく、並みの駆逐艦なら俺も気軽に指揮を引き継げました。たとえ次の戦場で戦死しても、それは仕方がないことだ。艦と運命を共にしても、今のご時世ではよくある話だ(・・・・・・)。しかし<宵月>は違う! この艦は……沈めては駄目だ。沈むことが許されない艦なのです! あなたにもわかるでしょう!」


 声を荒げ、興津はローンを睨みつけた。英国人は目を逸らすことなく正面から受け止めた。


「ああ、わかるさ。なるほど、私は誤解していたようだ。すまない。君がそこまで考えていたとは……」


 ローンは全く無自覚に興津に対する自己評価を暴露していた。この青年士官が国際世論まで視野を広げられるほど有能だと、彼は思っていなかったのだ。しかし、それは全くの誤りだった。


 興津はローンの隠された認識に気が付いていたが、自嘲とともに酒で流すことにした。率直さは英国人らしからぬと言ったが、デリカシーの程度は実に英国人らしかった。


「俺だって英字新聞くらいは読みますよ。この世界が<宵月>(俺たち)をどう見ているかなんて、とっくに知っています。みんな、夢を見ている。このクソッたれな魔獣まみれの世界で唯一の輝ける希望の星……それが沈んだらどうなります?」


 ローンはすぐに答えなかった。やはり興津は少しナーバスになりすぎているように見えた。


 確かに<宵月>に向けられた世論の期待は大きかったが、興津が全て背負う必要はなかった。加えて<宵月>のような記号は世の常でもあった。大衆は縋れるものに縋り、英雄にまつりあげる。当事者の意思に関わらず。


「なあ、君は自分の能力を疑っているのか?」


 不意に問われ、興津は言葉に詰まった。


「儀堂少佐ほどではないにしろ、無能とは思いたくないですね」


 苦笑しつつローンは肯いた。


「ああ、私もそう思う。君はオフィサーの中でも優秀な部類だ。王立海軍(ロイヤルネイヴィー)でも十分にやっていけるだろう」


「それはどうも」


 気のない返事で興津はワインを飲んだ。


「ならば<宵月>の兵士は?」


「それは……十分にやってくれていますよ」


「君の上官はどうだ? ああ儀堂少佐じゃない。彼は自明だからな。もっと上だ。六反田閣下も含む海軍上層部はどうだろうか」


「完全ではないでしょうが、判断に矛盾を感じたことはありません」


 官僚的な言い回しで興津は肯定した。酔っているが理性までは手放していない。


「ブラヴォー! ならば君の問題は解決している!」


 言葉を失う興津の前でボトルに手が伸ばされる。ようやく二杯目をグラスに注ぎながら、ローンの劇は続いた。


「君は有能で、兵士も上等、そして上層部は万全だ。この上で何を憂うることがある。最高(ベスト)でなくても最善(ベター)を尽くして<宵月>が沈んだのなら……断言しよう、それは神の差配だ。誰のせいでもない」


「それは……あまりにも無責任で投げやりに聞こえますよ」


 絞り出すように興津は言った。ローンは平然と肯定した。


「ああそうさ。求められていない義務に責任は生じない。君は自分の責務にのみ集中すべきだ。だいたい興津、君は傲慢だぞ。ひとりで世界を背負うなよ。そんなこと、あの儀堂少佐でもしなかっただろうさ。思い出してみろ。彼が戦場でそんなことを考えていたか」


「それは……」


 彼は戦場の儀堂を思い起こした。恐らく、あの人は勝利と生存しか求めていない。


「ま、今日のところはよく眠るといい。ボトルは置いていくよ。ビネガーにならない内に空けてくれ」


 ローンはグラスを手に、扉へ向かった。その途中でふと振り向く。


「ああ、何かあれば連絡をくれ。私にできることがあれば協力しよう」


「……ありがとうございます」


 毒気を抜かれたように興津は肯いた。


「では」


 扉が閉まり、ワインボトルだけが残された。興津は静かに四杯目を注いだ。わずかに零れ、酔いを自覚した。


◇========◇

月一で不定期連載中。

(のつもりでしたが、だいぶ前回より間が空いてしまいました。申し訳ないです)

ここまでご拝読有り難うございます。

弐進座


◇追伸◇

書籍化したく考えております。

実現のために応援いただけますと幸いです。

(弐進座と作品の寿命が延びます)

最新情報は弐進座のtwitter(@BinaryTheater)にてご確認ください。

よろしくお願いいたします。

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