襲撃
翌日の昼。スレッジは、予定通り研究所の外の喫茶店でランチを摂った後、エアバイクを飛ばしていた。
「なんか生き返るというか。もう、何週間も乗ってなかったような気がするぜ」
ユキに会えなかったことがやや気がかりだ。もっとも、ついさっきバロウと喫茶店で交替した後、彼のジャケット――今はスレッジが着ている――のポケットにあったメモにより、彼女からの定時連絡が途絶えていないことを知ったわけではあるのだが。
定時連絡の内容が“被験体”の自殺とその隠蔽についての報告だったため、ユキも関係者として事後処理の手伝いをさせられたのであろうことは簡単に想像がつく。そしてそれこそがユキと会えなかった理由だろう。そこまで考えてからようやく自殺者のことに思いを巡らせたスレッジは、せっかくの開放感が萎えていくのをどうすることもできなかった。
考えても仕方のないことは早々に意識の外に追い出し、気分を変えるために別のことを考えてみる。
「しっかし、通信機の故障だなんて久しぶりだな。ここ半年調子良かったのに」
ここ半年……そう、マークが通信機の整備を担当するようになってからは、スレッジ達の使う通信機は故障しなくなったのだ。そうは言っても、壊れない機械はない。
スレッジは雑音を立てるだけの通信機を軽く睨み付けると、ケータイを入れておいたはずのバロウの上着を探った。すると、最初に確認したのとは逆側のポケットにもメモが入っていることに気付いた。
見覚えのある筆跡だ。記憶を探るまでもなく脳裏に浮かぶのは、ナノマシンの設計図。そこに書き加えられたメモと同じ筆跡、つまりバロウが書いたものだ。
「『【ポメラニアン】の位置情報を把握され、監視されている模様。尾行にご用心を』か。俺たちとバロウとの関係、まだ疑われたままなんだな。想定内だと言いたいところだが、気に入らねえ」
バロウはうまくやるだろうか、との不安はすぐに打ち消す。彼にとって研究所は勝手知ったる場所なのだ。加えて、バロウがそうしたのと同様に、スレッジも彼と交換したジャケットのポケットに考え付く限りの注意点を書いたメモを入れておいた。当面は大丈夫だろう。そう思い込むしかない。
「ゆっくりしてる時間はないよな」
スレッジが手に入れたコントローラはクローン用のものひとつだけ。初回の潜入でわかったのは、肝心の“被験体”たちのコントローラをこっそり破壊するのはほぼ不可能だということ。これを踏まえ、新たな作戦をデジルたちと相談しなければならない。
彼は今朝からついさっきまでのことを思い返しつつエアバイクを飛ばし続けた。
* * *
明日の期限に向け、デイビッドは早朝から荒々しい足音をたてて走り回っていた。
部屋から出てきたスレッジに気付き、挨拶さえ省略して声をかけてきた。
「さぞかし滑稽な男に見えていることだろうね」
「おはよう、デイビッド。少なくともマイペースな研究者には見えないね。君はとても勤勉だ」
ぼさぼさ髪を振り乱して一生懸命走っている割に大して速くはないデイビッドを、スレッジは悠然と追いかけエレベーターホールへ向かう。
地下五階に着き、デイビッドから頼まれた作業のうちわかる範囲のことをこなしていると、
(マスター、あたしの起動工程に無駄な作業が含まれています)
またあの声が聞こえてきた。クローンの八十六番だ。
(お前、本当にクローンなのか? シリンダーから出たことのないお前に自分の起動工程がわかるのか)
(わかります。この中であたしだけが異星人を親とする個体ですから)
(!)
半信半疑のまま心で呼びかけてみたスレッジに対し、間髪容れずに答えが返ってきた。そしてその内容は、彼を束の間凍結させるに十分だった。
(時間がなくて詳しく説明できませんので、今は起動工程の短縮化の方法だけをお伝えします)
そう前置きしたクローンは、言語ではなくイメージの状態でスレッジの脳に送り込んできた。
圧倒的な情報量に目眩を覚え、スレッジは頭を抱えた。すんでのところで声を出さずにこらえる。
「ハンス? おいハンスどうした!」
同僚の様子がおかしいことに気付き、デイビッドが駆け寄ってきた。
体調に問題がないことを伝えるかわりにスレッジは彼の肩を掴み、一気にまくしたてる。
「デイビッド! 起動工程のプログラム、いくつかサブルーチンの重複があるぞ。それと、こことここの処理は無意味だ。ここのモジュールはエラーを起こす。あとは……」
「まてまて、ひとつずつ言ってくれ」
端末を指差しつつ一通りの説明を受けたデイビッドは、しばらく自分の端末で作業しはじめた。
一方、クローンから受け取ったイメージを全て伝え終わったスレッジには他にできることがない。手持ち無沙汰のまま、適当に仕事をしているフリを続けた。
正午の直前になり、スレッジは用意しておいた言葉をデイビッドに告げる。
「こっちの作業は予定より少しだけ遅れ気味だが、午後には挽回してみせるよ。外出許可もらってることだし、昼は気分転換に外に食べに行ってくる」
「おいおいハンス、遅れ気味だなんてとんでもない。今朝きみがくれた指示だけでもおっそろしく時間短縮できるぞ。遅れ気味なのはむしろ私のほうさ。昼もここでサンドイッチつまみながら作業を続けるから、きみはゆっくりしてきてくれ」
作業の手を止めないどころかこちらを見もせずに言ってくるデイビッドに了解の意を伝え、スレッジは研究所を出た。
研究所の外で春の陽気を全身に浴びたスレッジは、思い切り伸びをした。
「全く信じられないね、研究者って人種は。こんないい季節に、まる二十四時間以上も太陽の光を浴びないで平気だなんて。クレイジーだ」
振り返る素振りさえ見せずに歩いて行くが、スレッジにはわかっている。ほとんど視線ひとつ動かさず、気配だけで尾行者たちをしっかりと確認した。彼にぴったりと張り付く尾行者の視線は、例の二人組だ。片方はジム・ヘルマン曹長。もうひとりはあごの割れた少年のボブ。
(素人だな。尾行ってのは互いに他人を装った三人以上のチームで分担して、交互に対象を追うのがセオリーだぜ)
余裕の笑みを噛み殺すスレッジだったが、
「接触テレパスのボブと、能力不明のヘルマン曹長か。そういや、能力を検索してる途中で寝ちまったんだったな……、接触テレパスってどんな能力だっけ。ま、いいか」
と呟くあたり、スパイとしては素人以下である。
目的の喫茶店でランチを摂った後、研究所へと歩いていくスレッジ。そして、その様子をこっそりと見送るサングラスの人物は……、こちらもスレッジ。
実は、この喫茶店のトイレでふたりは互いの服を交換したのである。
(マスク一枚で俺そっくりになっちまうとは。さすがに気持ち悪いぜ)
ゲイリーの“隠し芸”に感心したスレッジではあるが、自分そっくりの顔をしたバロウを見るのはなんとも妙な気分だった。
(そういう俺も、一昨日はバロウの顔をしてたんだった。人のことは言えないか)
十分にタイミングを遅らせて喫茶店を出たスレッジは、バロウが乗ってきたエアバイクへと向かう。
そのときだった。
「あ、すいません」
後方のかなり離れたところから声が聞こえてきた。バロウの声だ。
スレッジは迂闊に振り返ったりはせず、首だけを軽く動かして眼の端で様子をうかがった。
「あの野郎……」
ボブだ。彼がわざとバロウにぶつかったようだ。
誰が見てもまっすぐ歩いていたバロウには非がないのだが、彼はボブに律儀に頭を下げ、研究所へと歩いていく。
エアバイクにまたがったスレッジは、地図を広げ、目的地を確認するポーズをとりながら、眼の端で尾行者たちを観察し続ける。
やがてボブはヘルマン曹長のそばにいき、何事か耳打ちした。ヘルマン曹長は軽くうなずき、かなり距離をおいてから研究所へと歩いていく。
バロウとぶつかったのはボブ。彼の能力は接触テレパシー。
(まてよ。接触だと?)
その単語から連想するべき能力に、何故今まで思い至らなかったのか。不吉な予感に冷や汗が流れた。
バイクを発進させる気になれず、目の端でバロウと尾行者たちを追い続ける。
ところが、尾行者の片方であるボブがとった行動は、スレッジの予想の範囲から完全に外れたものだった。
「……?」
ボブは少しヘルマン曹長から遅れぎみに歩いていたかと思うと立ち止まった。そして、彼はまっすぐにスレッジのほうに振り向き、お辞儀をしてみせたのだ。
かなり離れているが、他の通行人の位置関係から見てスレッジ以外の誰かへのパフォーマンスとは考えにくい。
どう反応すべきか決めかねて固まっているスレッジを気にする風でもなく、彼はヘルマン曹長とバロウを追って研究所へと歩いていく。
最初から気付かれていたのだろうか——スレッジは冷水を浴びせられたような気分になった。
接触テレパシーという能力は、その言葉通り『触るだけで相手の心を読みとる能力』だろう、ということに今更ながら想像がついた。だがもし、それだけではなく相手の心の深い部分まで覗けてしまうのだとしたら。バロウと協力関係にある自分たちの小細工など、全て筒抜けなのだとしたら。
スレッジはバイクから降りると、身体ごと研究所の方へ振り向いた。
バロウも尾行者たちも、何事もなかったかのように歩き去って行く。
それにしてもお辞儀とは。いったい何の意味があるのだろう。
「他の連中はともかく、フィールド能力者のうち少なくともボブだけは、俺たちに敵対するつもりがないという意思表示……だったりして」
呟いた直後に首を振った。それはあまりにも希望的観測というものだ。だいたい、ボブがスレッジにお辞儀をしたと決まったわけでもない。
しかし、このままバロウを行かせて良いものか。彼をみすみす見殺しにする結果になりはしないか。
スレッジは立ち尽くしたまま、なかなかバイクのエンジンをかける気になれなかった。
「迷ったときほど、予定外の行動をとると自らの首を絞める結果につながるものだ」
デジルは常々その言葉を口にする。
もとよりスービィからの依頼を受けた時点で、多少のリスクは承知の上だ。
「バロウ。あんただって自分の意志で俺たちに協力しているんだ。うまくやれ」
そう呟いて自らを無理矢理納得させた。ようやくエンジンをかけた時、尾行者たちの姿は彼の視界から完全に消えていた。
* * *
通信機の呼び出し音が、スレッジを回想から現実へと引き戻す。
「なんだ、壊れていなかったのか」
しかし、発信者の表示が違う。スレッジは訝りつつ応答した。
「珍しいな、スービィ。俺に直接連絡とは」
『スレッジ、詳しい話は後だ。とにかく【ポメラニアン】に急げ』
通信機の向こうから聞こえてきたのは確かにスービィの声だ。だが、いつもの情報屋の話し方とは全く違う。その声には隠しきれない緊張と焦燥が含まれているのだ。
「一体どうした」
『わからん。【ポメラニアン】の周囲だけ、未知の技術でジャミングがかけられている。ケータイも暗号通信も通じない。コンタクト不能だ』
「襲撃か!」
『そう考えるべきかもしれんな。充分に用心して接近しろ』
(ミリィ!)
フルスロットル。
スピードメーターが一気に限界まで跳ね上がっていく。やがてエアバイクごと淡い燐光に包まれたが、今のスレッジにはそのことに気づく余裕もない。
針が振り切れ、さらに加速していく。無自覚なフィールド能力の発現。彼は一陣の疾風と化した。
* * *
バレリーがその電話を受けたのは、スレッジと交替したバロウが研究所に戻る少し前のことだった。昼食から戻ったバレリーが席に着くなり、所長室の電話が鳴ったのだ。かけてきたのはデイビッドだった。
「ジョンソンくん、どうしたの。この時間に連絡ってことは、何か問題でも」
その逆だった。新しい同僚研究員のアイデアが素晴らしく、期限に間に合いそうだという。
「ふふ、見込み通りね。夕方、きりがついたらもう一度報告してちょうだい」
電話を切ったバレリーはほくそ笑んだ。
「やるわね、バロウくん。前より給料上げてあげたんだから、まさか私の期待を裏切るようなことはしないだろうと思っていたけど期待以上ね」
受話器を置いた途端、再び鳴る。それ自体は特に珍しいことではないが、受話器をとったバレリーは相手の声に軽く驚いた。
「あら、ジム? ベイリー大尉の代理かしら。定時連絡には早いようだけど」
しばらく相手の言葉を聞いていたバレリーは、薄く笑う。接触テレパシー能力を持つボブにバロウの尾行をさせ、本人かどうか確認したというのだ。
「そう、ベイリー大尉も用心深いことね。さすがは元軍人というべきかしら。でも、バロウくん本人だったというわけね、ご苦労さま」
続くジム・ヘルマン曹長の言葉に、バレリーは笑みを消し、わずかに眉を吊り上げる。
「無断外出? ……“被験体”が二名も。どういうことかしら。ベイリー大尉は知っているの」
どうやらベイリー大尉の命令による作戦行動であるらしい。
「ふん、やってくれるわね。この私に報告もなく。それにしても品がないことね、“後腐れを絶つための襲撃”だなんて。まるでマフィアの発想じゃないの」
続くヘルマン曹長の説明に、バレリーは大きくため息をついた。
以前デジルチームに捕まったチンピラが刑期を終えて釈放されており、ベイリー大尉はその身柄を確保しているというのだ。
「で、そのチンピラは賞金稼ぎたちに恨みを持っているのかしら? え、そうじゃない?」
バレリーは溜息をついた。ただ罪をかぶせるためだけの捨て駒として、以前デジルたちが捕まえたチンピラを利用するというのだ。
「まあいいわ、その作戦は黙認しましょう。ベイリー大尉……。なんて短絡的な発想の持ち主なのかしら。エサ次第ではもう少し使える男だと思っていたのに、とんでもない勘違いだったようね」
少し考える仕草をした後、バレリーは告げた。
「ジム。あなた今日付で中尉よ。そう、二階級特進。コーエン少尉は体調不良ってことにして少し休ませておけばいいわ。
ああ、そういえば今、ベイリー大尉のそばにはランディがついているわね」
バレリーは相手の言葉にうなずいた。ランディは催眠暗示能力を持つ“被験体”だ。
「そうよ。今日を最後に、ベイリー大尉には自由意志を捨てていただくわ」
しばらく笑みを消していたバレリーの口端が、受話器を置くのと同時に吊り上がった。
* * *
郊外の森林地帯上空四十メートル。そこに【ポメラニアン】が浮いている。船底から木々の上端まで、およそ十五メートルというところ。
こんな寂しい場所に輸送機一隻だけぽつんと浮いていれば嫌でも目立つ。しかし、研究所の連中に位置を特定された以上、どこに移動しても同じだ。そして未知の技術によるジャミングで外部との通信が途絶している。デジルとしても、何者かによる襲撃を警戒しているようだ。
多分デジルは万一の襲撃に備え、無関係な者に迷惑をかけないようにわざと寂しい場所に移動したのだろう。
ようやく【ポメラニアン】の目の前に到着したスレッジだったが、思わぬ障害に邪魔をされていた。
「なんだよ、この半透明の膜は……」
巨大な膜が【ポメラニアン】を包み込んでいる。スレッジはすでに二度、バイクごと突入を試みた。だが、結果はいずれも膜に沿って移動するのみだったのだ。
この場所に到着してから約五分。その間、宅配会社のエアバイクが一台だけ、スレッジの横を通り過ぎていった。目的地へのショートカットのつもりなのだろう。宅配屋は、半透明の膜には何の興味も示さなかった。
「無関心? いや、膜など見えていないのかも知れないな」
スレッジが望まずして手に入れたフィールド能力。第二世代の一部のみに発現するというその能力は、基本的には何らかの機械装置の助けを借りることで使えるようになる。
なお、フィールド能力者はそれぞれ固有の特殊能力を使えることが多いらしく、スレッジは透視能力を使うことができる。
「俺に見えているものが他の人にも見えているとは限らないわけか。それなら、もしかしたら」
フィールドを分厚くして身に纏えば、膜の中に飛び込めるかもしれない。そう思いついた瞬間には、スレッジはそれを実行に移していた。
加速したエアバイクが膜に衝突する。
空中に静止したかに見えるエアバイク。しかし、エアバイクと膜の接触面がスパークを放つ。
やがてゆっくりと吸い込まれるように、エアバイクが膜の内側へと潜り込んでゆく。
まるで雲の中を進んでいるかのようだ。雷雲に飛び込んだらちょうどこんな感じなんだろうか――などと考えつつ、スレッジは目を凝らす。
暗灰色の視界はスレッジの透視能力をもってしても晴れることはなく、スレッジはエアバイクを徐行させるしかなかった。そばにあるはずの【ポメラニアン】が見えない以上、スピードを出すわけにはいかない。
「外側から見ている分には半透明だったのにな」
それにしても距離感がおかしい。【ポメラニアン】を包む半透明の膜は、船体から十メートルと離れていなかったように思える。いくら徐行しているとは言え、膜に飛び込んでから二十メートル近く前進しているはずだ。
――――っ!
直感が告げる。左へ。
スレッジはエアバイクを真横にスライドさせる。通常のエアバイクにはありえない、フィールド能力による機動だ。
ほぼ同時に、目映い閃光が視界を灼く。
二秒、三秒――。一瞬と表現するには長い時間、周囲の濃霧が乳白色に染まる。
「どこから撃ってきやがった」
位置が特定できない。さっきまでスレッジがいた場所で、今なおスパークが弾けている。
高圧電流が空気を焼く音があちこちから聞こえてきた。他の場所でもスパークが弾け出したのだ。
やがて、目の前のスパークが薄れ、黒っぽい塊が等身大の人型に凝集し始める。周囲を見回すと、スレッジの位置から見える範囲だけでも三箇所ほどで同様の凝集現象が起きている。
「な! こ、こいつは――」
見覚えがある。【パペット】だ。真っ黒な【パペット】――改良型か。
しかし、こんなハイテクロボットは一体運用するだけでも途轍もない金がかかるはず。仮にバレリーが開発したものだとして、彼女が襲撃を指示したにせよ、いち研究所が賞金稼ぎを潰すために複数投入するなど不自然ではなかろうか。
スレッジの疑問をよそに【パペット】たちが動き出す。彼に一番近い位置の奴が口にあたる部分を光らせる。
「うおっ」
スレッジが真下に避けると、頭上を一本の光条が薙いだ。
「あの攻撃、なんだかフィールド能力を使っても受け止められる気がしないぜ」
続けざまに襲い掛かる光条を垂直上昇や水平移動といったエアバイクにあるまじき挙動で避け続ける。
「……半年前、てめえらのプロトタイプには世話になったが――」
襲ってきた以上、迎え撃つ!
スレッジはバイクの電源を切った。すると、【パペット】は周囲をきょろきょろ見回す。
「……」
その様子を見たスレッジは、自分の右腕部分だけ、纏っていたフィールドを消す。すると、【パペット】の顔がスレッジの腕を凝視するかのように止まる。
「熱源探知……か」
素早くフィールドを纏い直し、スレッジは【パペット】の背後へと移動する。
「おおおっ」
【パペット】の頭を掴み、お辞儀でもさせるかのように前方に九十度、いや百八十度近く折り曲げる。
その瞬間、【パペット】は口からビームを発射した。
轟音と共に爆煙の花が咲く。等身大ロボット一体にしては大輪の花だ。
爆煙の中心を突き抜け、スレッジのバイクが移動する。通った軌跡に黒煙がたなびいた。
「うわ」
真正面に【ポメラニアン】の舷側だ。
スレッジはエアバイクをスライドさせ、タイヤを舷側にぶつける形で難を避けた。そのまま舷側を走る。
「ミリィ……。無事かミリィ!」
すぐに確かめたいが、何体いるかわからない【パペット】どもを蹴散らすのが先だ。
何かが聞こえる。
スレッジはぎょっとして振り向いた。
「きゃあああ!」
女の悲鳴。空中だ。
ミリィ――。カナ――。いや、声が違う。
スレッジが目を凝らすと、エアバイクが見えてきた。
スレッジの目が慣れたのか、周囲の霧状の物質が薄くなったのか。いずれにせよ、スレッジにとっては見渡せる範囲がずいぶん広がった。
「悲鳴の主だな。怪我してるのか」
スレッジの視線の先、ホバリング中のエアバイクに乗った女の背が見える。漆黒の長髪は肩胛骨を隠すほどだ。彼女は垂らした右腕を左手で押さえている。
膜の内側に飛び込めているからにはフィールド能力者であろう。加えて【ポメラニアン】に用があるのなら、それは“被験体”の中の誰かだと見て間違いない。
バロウのレポートにあった“被験体”のうち、少女はふたり。いずれも長髪なので、ぱっと見の特徴だけではどちらの少女なのかわからない。その距離――約二十メートル。
おかしい。
【ポメラニアン】の全長は三十メートル。それを包む半透明の膜は、目測だが五十メートルもなかったはずだ。実際、スレッジは突入前に膜の周囲を二周も回っている。
つまり、【ポメラニアン】の舷側から二十メートルも離れていれば、そこは膜の外であるはずなのだ。
まさか――
「空間がゆがんでいる……」
スレッジは声に出してみて、はっとした。ケータイも暗号通信も通じないのは単なる電波妨害などではないのかもしれない。膜の内外で空間の位相が違うのだとしたら。
「たしか昔――震災前まで大真面目に研究していると言われていた、外宇宙へ行くための超光速航法があったっけ。何と言ったかな」
自在空航法。自在空力学という、理論だけで実証されていない――スレッジが知る限り量子力学の権威には一蹴されてしまう眉唾物の――学説である。提唱した学者の名前は知らない。
しかし、震災直前には意外なほど多くの学者が、“自在空と呼ばれる空間が通常の空間に隣接するかのように存在する”という学説を支持し始めていた。もし、自在空にアクセスする方法を手に入れたならば、いずれ人類が光の速度を超えて宇宙を旅することも夢ではなくなるだろうとさえ言われていたのだ。もっとも、震災後は自在空の話題が学界を賑わすことなく忘れ去られた感さえあるのだが。
「もしかして、ここがその自在空……。まさかバレリーの奴、そこまで研究が進んでいるというのか」
唖然としたスレッジだが、どこか納得がいかない。
「だとすればそれだけで一生遊んで暮らせるほどの大金持ちだぜ。しがない賞金稼ぎにこだわる理由がわからねえ」
考え事をしていると、今度は男の声が聞こえてきた。
「クレア! いるんだろ、返事をしてくれ」
怪我をしている女の名前だろうか。スレッジがさらに目を凝らすと、彼女の五メートルほど上にもエアバイクが見えてきた。そいつが声の主だろう。それほどそばにいるのに、彼にはクレアの姿が見えないようだ。
スレッジはバロウのレポートを思い出す。クレアというと透明人間だ。
(今叫んだ奴は、どうやらマークを撃った奴っぽいな)
スレッジの位置から男の横顔が見える。ジャック――分身能力をもつ少年だ。
あの様子なら、エアバイクのエンジンを切ったまま近付き、五メートル以上離れていればこちらの存在を気取られる心配はなさそうだ。スレッジはフィールド能力を使い、バイクごと静かに移動した。
突如、スレッジの視界に三体の【パペット】が飛び込む。まさに“湧いて出た”とでも表現したくなるような唐突さだ。
「気をつけてジャック! そこらに変な黒いロボットがいるかも」
偶然とは言え絶妙なタイミングでクレアが叫ぶ。
(なんだと? 黒い【パペット】どもはあいつらの仲間じゃないってのか)
その【パペット】たちは、ジャックとクレアを取り囲むようにして空中に浮いている。
「ああ、黒い奴なら俺もさっき見た。どうしたクレア、どこかやられたのか」
ゆっくりと下りてきたジャックは、三メートルの距離になってようやくクレアを視認できたようだ。
しかしその瞬間、三体の【パペット】の口が光る。
「まずい!」
スレッジは素早くエアバイクの電源を入れながら「ジャック、クレア! 真下に避けろ!」と叫んだ。
突然名前を呼び掛けられた少年たちは、考えるよりも先に指示に従った。
「うおおお」
スレッジは【パペット】の背後からエアバイクごと体当たりした。
突然現れた熱源反応に振り向いた【パペット】の腹部に、スレッジのエアバイクが突き刺さるかのように激突。
弾き飛ばされた【パペット】は、別の【パペット】に背中からぶつかり、仰け反った姿勢で空中を滑っていく。
残る一体が吐き出したビームがスレッジに迫る。
間一髪、真下に避けたスレッジは、その場に留まるジャックたちに呼び掛けた。
「お前たちの向かって左やや後ろ、二十メートル直進した場所に【ポメラニアン】がある。しばらくそこに避難してろ」
「あ、あんたは――」
四メートルほどの距離に近付くと、スレッジの顔を確認したジャックが慌てた声を出す。彼は腰のホルスターから光線銃を抜こうとしたが、クレアが左手を伸ばして制してきた。
「やめましょう、ジャック。あたしたち、彼に助けられたのよ」
スレッジが光線銃を撃つ。
その一瞬だけ乳白色に染まる霧の中、黒色の人型が浮かび上がる。腕に命中したようだ。【パペット】の右肘のあたりが火花を散らしている。
「少なくとも三体はいる。お前らには奴らの姿が見えないんだろ。協力しろとは言わん。俺が引き付けておくからとっとと避難しやがれ」
「……恩に着る。クレア、こっちに飛び乗れ」
ジャックがクレアのエアバイクぎりぎりまで寄せると、クレアが彼のエアバイクに飛び乗った。
「危ない!」
「きゃああっ」
クレアが飛び降りた瞬間、彼女のエアバイクが爆発炎上した。そちらに回り込んでいた【パペット】がビームを発射してきたのだ。
轟音に耳を塞ぎたくなる衝動を堪え、クレアを支えたジャックは目を疑った。
爆発したエアバイクの熱も破片も爆煙さえも、ジャックたちを取り巻くように半球状に広がっている。そして、一定の距離を置いたまま決して彼らに近づいてはこない。
「なんだ、これは」
まるで、見えない壁ができているような感じだ。その壁がバリアとなり、自分たちを守ってくれている。だが、一体誰が……?
ジャックとクレアは驚愕の視線をスレッジに向ける。
「話は後だ。とりあえず今だけでも信用してくれ。俺はお前らを助けたいんだ。だから【ポメラニアン】へ行け」
飛び去るジャックを見送らず、スレッジは一体の【パペット】に突撃した。
今度は体当たりしない。その寸前に進路を変え、他の二体の【パペット】を挑発するようにそれぞれの目前を通過する。
「てめえらの相手は俺だ。ついて来やがれ」
スレッジを無視し、ジャックを追いかけようとした一体が背から火花を散らした。スレッジの狙撃が命中したのだ。
「思った通り、背に空中を移動するためのスラスターがついていたな。奴はしばらく動けねえだろ」
案に相違して、背から火花を散らす【パペット】がスレッジ目掛けて空中を滑るように移動してくる。
「なんだよ、スラスターは飾りなのかよ。……っと」
背後に忍び寄っていた【パペット】が至近距離からビームを撃ってくる気配に気づき、スレッジは右へ高速移動した。
しかし、その挙動を読んでいたのか、三体目の【パペット】が移動先にビームを撃ってきた。絶妙な時間差攻撃だ。
「なにいっ――」
――避けきれない!
周囲を乳白色に染め上げ、巨大な爆煙の花が咲く。