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潜入

「ユキ・コーエン少尉です。マニー・バロウを連行しました」

 グレートザップ超心理学研究所の所長室のドアをノックし、ユキが室内に声をかけた。

「ご苦労様。開いてるわよ」

 すぐに返事が聞こえてきた。落ち着いた低めの声だ。

 ユキはドアを開けると、後ろ手に手錠をかけられたままのバロウの背に軽く触れ、入室を促す。

「思い切ったことをしたわね、バロウくん」

 室内の人物は、こちらに背を向けて座ったまま言葉を発した後、ゆっくりと椅子を回転させた。長めの黒髪と黒い瞳の五十代の女性。研究所の所長にして超心理学博士のバレリー・ペイジである。

 立ち上がるとユキとほぼ同じ背丈だがふっくらとした体型であり、垂れ目ぎみのせいかあまり冷酷そうな印象はない。

「も、申し訳ありません。つい出来心で……」

 そう言うバロウの正面へと歩いて行き、

「そんなに緊張しなくていいわよ。怒っていないから。バロウくんは今年三十三歳だったわね。結婚はまだだったかしら。そうね、バロウくんの研究成果があってこそ、こんなに早くナノマシンが完成したんだものね。お相手を見つける暇もなかったわよね」

 と言った。彼女の口調は、世話好きの女性が年頃の男性に世間話でもしているかのような穏やかなものだった。

「ああ、少尉さん。バロウくんの手錠を外してあげて」

 続く言葉に目を見開き、ユキは思わず聞き返した。

「よろしいのですか」

「ええ、構わないわ」

 ユキが手錠を外すと、彼はバレリーに深々とお辞儀をした。

「ありがとうございます。私は……、お許しいただけるのでしょうか」

「こちらこそごめんなさいね。あなたの功績に対して、私の評価は少々低すぎたかしら。だから、お金が欲しくて設計図を持ち出したのでしょう。それにしても考えたわね。

 機密保持のため、この研究所内からメディアを持ち出す際は正規の手続きを踏まないとブザーが鳴る。だから紙にプリントして持ち出したのよね。でもあの日、あなたのプリンター使用時間は長すぎた。もう、同じことはできないわよ」

 バレリーは、バロウが研究内容の非人道性に心を痛めていることには全く気付いていない。いや、彼女はおそらく人道面の禁忌には一切考えが及ばないのだろう。

「はい。ですが、考えてみればここで研究できるだけでも充分だったのに、いつしか初心を忘れていました。設計図を盗み出したことは後悔していますが、誰にも見せずに済んでほっとしています。もう二度としませんし、給料の増額なんて望みません。私の望みはただひとつです。もう一度、ここで研究をさせてください」

 バレリーは即答せず、バロウを見つめて微笑んだ。バロウは軍人の“気をつけ”の姿勢のまま固まり、額から頬へと流れる汗を拭おうともしない。

「いいえ、給料は前より二割増額するわ。そのかわり、二度とこんなことしないでね。ところで、ここの研究員に復帰してもらうにあたってひとつだけ条件があるの。名前を変えてもらうことになる。新しい戸籍とIDを用意したわ。面倒だけど指紋登録をやり直してね。あなたは今後ハンス・ルーデルよ。さすがに指名手配犯のマニー・バロウは雇えないもの」

「はい。私は孤児ですので、名前など何でも構いません。給料の増額ありがとうございます。今まで以上に研究に励みます」

「期待しているわ。個室は今までのところを使いなさい。部屋に変装キットを用意してあるから、所内では変装を解かないでね」

 バロウは再び深く一礼し、所員個室へつながる通路から退室した。正午直前のこの時間、その通路を使えばバロウが他の所員と鉢合わせする危険はない。

「何か変ね。バロウ……ルーデルくんってあんな体型だったかしら。わずか数日の逃亡生活で、少し痩せたのね。でも、背も伸びたような……。まさかね」

 所長室内にはバレリーとユキのふたりきりとなった。

「あら、少尉さん。まだ何か御用」

「後学のためにお伺いします。バロウにつけた新しい名前はどうやって用意したのですか。いえ、どうしても知りたいわけではありませんが」

「あなたたしかうちの人の部下として陸軍情報部で勤務なさってた方よね。情報部のほうが詳しい分野じゃないのかしら」

 極秘とされる情報部の人員構成を、ペイジ中佐は妻に教えていたのだろうか。ユキはとりあえずそのことについては気付かなかったふりをし、目を伏せてバレリーに答えた。

「なにぶん若輩で、恥ずかしながら以前の勤務先では雑用ばかりをしておりました」

「雑用だって立派な仕事よ。恥ずかしがることはないわ。……いいわ、教えましょう。私がここの所長の他、ペイジ孤児院のオーナーも兼務していることはご存知ね。孤児院は旦那の父親が創設した施設なの。震災孤児を受け入れる段階で、戸籍登録されたものの生死不明の名前がたくさん発生したのよ。中には、私たちが死亡を確認しているけれども戸籍が抹消されていないものも、ね」

 戸籍の不正取得や流用はもちろん犯罪行為だが、孤児の戸籍は確認手段がない分発覚しづらい。その程度の非合法活動ことは情報部も日常的に行っているため、ユキは特に驚きはしない。

 グレートザップ警備会社という名の民間警備会社。本物の軍隊のような階級名は便宜上のものである。様々な理由で軍を辞めた者を多く集めたというこの会社のオーナーもバレリーが兼任しており、世間からは『バレリー私設軍隊』と揶揄されている。そこの少尉というのが今ユキが演じている立場である。

「勉強になりました。失礼いたします」

 退室するユキをにこやかな笑顔で送り出したバレリーは、そのままの表情で自分のデスクに備え付けの受話器を耳に当てた。

「ベイリー大尉。コーエン少尉ってどんな方なの。そう。ジムに見張らせなさい。命令よ。……理由を聞くの? あたしの勘よ」

 内線電話を切ると、バレリーの笑顔の質が変わる。

「あの階級と隙のない目付きで雑用ですって。ふふ、笑わせるわね」


     *     *     *


 長身痩躯の男性が、ドアの前に立った。ここはグレートザップ超心理学研究所の所員用個室区画である。表札には“ハンス・ルーデル”と書かれている。

 ドアノブの上に指紋センサーが設置されており、彼はそこに手を置いた。

 センサー直下のディスプレイに“OPEN”と表示されたので、彼がドアノブを下げると扉が手前に開いた。

 入室して扉を閉めた直後、彼の顔の周囲の空間が、波紋の起きた水面を通して見るかのように一瞬揺れた。

「ふう、これで一時間半か。フィールドを使って光の反射面を変えられるのはよかったが、あと十分も話し込まれてたらやばかったな」

 独り言を呟く人物はバロウではない。黒目黒髪で目付きの悪い男――スレッジだ。光の反射面を変え、顔だけバロウに化けていたのである。

「さーて。ここまでは順調。しかし、実際に研究のふりをするとなると、さすがに一夜漬けの知識じゃきついぜ。初日は新人研究員のふりをして誰かに所内を案内してもらいつつ、“被験体”さんたちの観察をさせてもらうとするか」

 スレッジは部屋のクローゼットにあった白衣を羽織ると部屋を出た。

 通路を歩いていくと、ほどなくユキの後ろ姿を見つけて声をかける。

「ユキ! ……コーエン少尉」

 呼ばれ、振り向いたユキは一瞬だけ片眉を吊り上げ、努めて冷静な表情に戻した。

「ス……、ルーデルさん、何か」

「お昼、まだでしょう。ご一緒しませんか。もしお時間があれば、ですけれども」

「喜んで」

 グレートザップ超心理学研究所内には喫茶・軽食コーナーがある。警備員と所員が連れ立ってわざわざ外へ食べに行くのも不自然なので、そこに向かって歩いていった。

 ユキは小声で聞いた。

「スレッジ。どうやってあんなに完璧にバロウさんに化けたんだ」

「企業秘密だ。他の賞金稼ぎに真似されたら困るからな」

 その言葉が冗談だとわからぬユキではなかったが、くすりとも笑う素振りをみせなかった。

「それより、本名はまずいぜ。どこに耳があるかわかったもんじゃない」

 言いながらスレッジは、一瞬だけ後方に鋭い視線を飛ばした。




 喫茶・軽食コーナーの外で、青年と少年が立ち止まった。彼らの視線はスレッジとユキの背中を追っている。

 軍服を模した制服。ユキと同じデザインのそれを着ているのは、短く刈った黒髪と小さめの黒目をもつ鷲鼻の青年だ。彼が言う。

「感じたか、ボブ」

 一方、学生のような制服を着ている少年は、背丈は青年と同じ百七十五センチで、長めの黒髪と黒目、割れた大きめの顎を持つ。彼は青年の方を見ずに答えた。

「判りません、ヘルマン曹長」

 軍人のような階級名で呼ばれた青年の名はジム・ヘルマン。胸につけた身分証にグレートザップ警備会社の社名と共に氏名が表示されている。

「所員個室の方から、僕らのものとは少し違うフィールドの揺れが感じられた気がしたのですが……、気のせいだった可能性も否定できません。少なくとも、奴からは何も感じられません」

「ふむ。奴は一度設計図を盗み出した男だ。それでも所長は信用しているようだが、私としてはどうにも信用する気になれない」

「…………」

 ジムの言葉を独り言と受け取ったのか、ボブは無言で聞いている。

「奴もだが、コーエン少尉からも目を離すな」

「はい」

 彼らは以後は沈黙し、スレッジたちが入っていったカフェを見つめ続けた。やがて彼らが食事を終えて出てきた時、ジムたちの姿はそこになかった。


     *     *     *


 エアバイクのキャノピーは着脱可能で、【ポメラニアン】搭載の二台のバイクもバロウが乗っていたバイクも共に、今はキャノピーなしの状態である。

 風を感じつつ、ゆっくりと飛ぶゲイリーのバイクのメーターパネルに着信を示すランプが灯った。発信先は【ポメラニアン】と表示されている。ゲイリーは慎重にボリュームを絞ってから“VOICE ONLY”のボタンを押す。案の定、イヤホンを通してミリィのいつもの元気な声が鼓膜を叩き、彼はあわててさらにボリュームを絞った。

『ごめんゲイリー。ちょっと寄り道してくれない? 南二番ストリートあたりで降りて、地上を走って欲しいんだけど。道順は僕が誘導するからさ』

「了解。全然気付いてないんだが、もしかして俺、尾行されてるのか」

 わずかな間があった。

『あはは、ゲイリーってば自意識過剰だよぉ。出たついでに買い物頼みたいんだってば。買い物リストはカナから聞いてね。後でカナと変わるから。ところでさ、今日のネオジップってちょっと低気圧ぎみなんだよね』

「…………」

 少女のマシンガントークを止めようと口を開いたゲイリーだが、はっと目を見開くと口を閉じて続きを聞いた。

『今キャノピーないでしょ。エアバイクじゃ傘さすわけにもいかないし、買い物の途中で雨降ってきたら、どっかで雨宿りしててもいいよ。どうせ今すぐ戻ってきても急ぐ用事もないしさ』

「雨宿り……。新婚の女房を放っといて、俺ひとりで遊んでろってか。俺は邪魔者か」

『うはは、拗ねない、拗ねない。たまにはいいじゃない、独身気分も』

(やはり、盗聴対策か……?)

 ゲイリーは会話しながらミリィの言葉の裏側を考えた。

 傘とは、“電波の傘”――ミリィが得意とする特殊スキル、電子機器による探知不能ポイント――のことだろうか。そうであれば、『エアバイクじゃ傘さすわけにもいかない』というのは『空中に“電波の傘”を作り出すことはできない』という意味にとれる。その解釈が正しければ、ゲイリーが尾行されているのはほぼ間違いない。

「太陽が出てるぜ。たしかに雲は動いてるけど、雨なんか降るのかね」

『うん、そうそう。まあ降らないに越したことないんだけどさ。買い物よろしくね』

 ゲイリーは確信した。ミリィの言う“買い物”とは、陽動のことだ。ゲイリーが囮となって尾行者を引き付け時間を稼ぎ、その間にミリィのハッキングによって尾行者の正体を探ろうというわけだ。

 自分を尾行している輩は十中八九バレリーの手の者に違いない。バロウをすぐに警察に引き渡さなかったので、バレリーとしては賞金稼ぎである自分たちが何をどこまで知っているか気になっているのだろう。

 その想像が合っているなら、いきなり攻撃される心配はあるまい。でも、だからと言ってわざわざ【ポメラニアン】まで案内する気はない。

 地上に降りたゲイリーに、ミリィからの指示が飛ぶ。

『一ブロック先、左折』

『二ブロック先、右折。十秒以内にね』

『次、右折』

『一ブロック先、左折。六秒で』

 言われるままに運転していたが、次第に追いつかなくなってきた。ゲイリーはたまらず抗議する。

「待ってくれミリィ。公道はサーキットじゃないし、俺はスレッジじゃないんだ。タイム制限を緩めてくれ。そもそも何のためのタイム制限か知らんが」

『……そっか、ごめん、わかった。次、左折ね。ゆっくりでいいよ』

 しばらく間があった。

『ごめーん、そこにあったお店潰れてるね。二ブロック先、左折して』

 曲がったところでミリィから新たな指示がきた。

『ホントごめん。目的の物が全部揃うお店探すから。八十メートル直進したら停まってて』

 そのまま通信機からは何の呼び掛けもなく時間が過ぎて行く。

 ひょっとして尾行うんぬんというのは全て自分の妄想ではなかろうか。買い物はカムフラージュではなく本当に頼まれているのではなかろうか、などと益体もないことを考えつつ、ゲイリーは待ち続けた。

『お疲れさま、ゲイリー。今“電波の傘”の中にいるそうよ』

 やがて、ゲイリーにとって最も耳慣れた声がイヤホンから聞こえてきた。

『盗聴の危険は考えなくていいって。だから符牒じゃなくて、普通の会話で大丈夫よ。ミリィとマーク、今端末にかじりついてるわ。うわー、この目で見ても信じらんない。さすが双子というか、ふたりともすっごい打鍵速度。……あ、待って』

 通信機の向こうで、カナとミリィが二言三言言葉を交わしている。

『いま尾行者わかったって。やっぱり研究所ね。ただし正規のスタッフってわけじゃなさそうだけど』

「了解だ、カナ。そっちは大丈夫なのか。いま俺に出来ること、何かないか」

『ひとまず腹拵えしていらっしゃいな。一時間くらい時間潰してから戻ってきてね』

「……わかった」

 ゲイリーは半ば本気で疎外感を感じつつ、頭の片隅では単身研究所に乗り込んだスレッジが気になって仕方がなかった。ユキが味方とは言え行動を共に出来るわけではなく、スレッジが研究所内にいる限り、迂闊にこちらから連絡を入れる訳にもいかないのだ。

 たしかに、スレッジにはフィールド能力がある。だが、研究所内には何人のフィールド能力者がいるかわかったものではないので、決して有利な状況とは言い難い。いや、はっきり言って彼一人のフィールド能力だけでは何ほどのアドバンテージでもないだろう。

「こそこそ探りを入れるなんて柄じゃなさそうだからな。あまり無茶するなよ、スレッジ」

 今ゲイリーに出来る事と言えば、無事を祈ることだけだった。


     *     *     *


 一心不乱に端末を操作するミリィの耳に、マークの声が届いた。彼にしては珍しく、その声には焦りが色濃く含まれている。

「まずい、ミリィ。敵の方がうわ手だ。僕らはゲイリーに陽動を務めてもらったつもりだったけど、そのゲイリーへの尾行こそが奴らの陽動だったんだ。研究所の連中に【ポメラニアン】の位置を特定されたよ」

 弟の天才ぶりを知るミリィとしては、彼の告白に心底驚いてしまった。思わず口に手を当てて呟くように言う。

「そんな……。マークのガードが破られるなんて」

 そんなミリィにすまなさそうな表情を見せ、マークが言った。

「今の僕の手、普通の人間なみにしか動かないからね。いや、それで充分なんだけど、以前の手は二倍ないし三倍の速度で動かせたから、つい自信過剰になっていたんだ。……いや、言い訳だね、ごめん。あいつらのハッキングに負けたよ」

「大したことじゃねえよ。こっちにゃフィールド能力者が三人もいるじゃねえか」

 大きめの声で楽観的に言ったのはデジルだ。彼は赤毛の双子に近付くと、彼らの横でゲイリーとの通信を終えたばかりのカナの肩を抱く。

「あー。デジル、セクハラだぁ」

 なぜか嬉しそうに声をあげるミリィに、デジルは余裕の笑みと共に反論した。

「ばか言え。俺たちゃ家族だ」

 その言葉に、今度はカナが嬉しそうに応じた。彼女はデジルの腰に手を回しながら言う。

「まあ、デジルパパ。ゲイリーのこと、一生雇ってくれるのね」

「うぐ……。そうきたか。だがカナ、ちょっと待て。年齢的にパパはねえだろ。せめて兄貴と言ってくれ」

「うはは。よかったねー、カナ。これでゲイリーの終身雇用決定だねっ」

 ミリィに言われ、デジルは救いを求める目をマークに向けた。

「おいマーク。お前も何か言ってくれ」

「はい。えーと……。ごめんなさい、何言えばいいかわからないです、デジル父さん」

「うぐぐ…………」

「あと、カナのパパでも不自然じゃないですよ」

「……ほほう。お前も言うようになったな」

 それは、これまで冗談ひとつ言わなかったマークの殻が破れた瞬間だった。ミリィとカナが笑い出すと、デジルも腹を抱えて笑った。皆につられ、マークも笑った。別に気の利いた冗談だったわけではない。その自覚はあるが、一度笑い出すと止まらない。マークは大笑いしてしまった。

(こんなに笑ったのって、何年ぶりだろう)

 マークの不安が氷解していく。家族。まるで初めて聞いたかのような暖かい言葉。心地よい響き。マークはその言葉を胸に刻み、その響きをじっくりと噛みしめた。


     *     *     *


 グレートザップ超心理学研究所は地上三階、地下三階。しかしカムフラージュされた通路があり、地下三階よりも下にビジターIDでは降りることのできないフロアがある。実際には地下六階、いや、噂によると地下七階まであり、地下四階以降ひとつ階を降りるごとに入室許可される所員IDが減っていくのだ。

「実際には正規所員IDであっても最初の数ヶ月は地下四階までしか降りられないんです。その後研究内容に応じてIDが更新されるんですが、ルーデルさんはバロウくんの後任ということなので、最初から地下六階まで降りられるIDが発行されたようですね」

 俺の名は“ハンス・ルーデル”。忘れないよう何度か頭の中で繰り返していたスレッジは、バロウの同僚だったという目の前の研究員の言葉に生返事で応じた。眼鏡をかけ、多めの黒髪をろくに手入れしていないのかぼさぼさにした男だ。

「バロウくん、結構優秀だったのになんであんなバカなことしたのかな。……あ、失礼。私、この装置の説明ってしましたっけ」

「はい、一通り。でもすみませんが私、物覚えが悪いんでもう一度お願いできますか。ああ、時間があればで結構ですけれども」

「ええ、いいですよ。この装置のこの部分がですね――」

 人の良さそうな笑顔で熱心に説明してくれる研究員に適当に相槌を打ちながら、スレッジは相手に嫌悪感を覚えていた。

(バカなことだと、この野郎。結局、バレリーもこいつも同じ種類の奴らってことか)

 研究員仲間ならバロウが金銭目的で資料を持ち逃げしたわけではないことを知っているはずだ。だがもしそうとは知らず、金銭目的だと思っているのなら、それはそれで腹立たしい。

「では、ルーデルさん。次がいよいよ最下階、地下六階ですよ。噂では地下七階もあるって話ですけど、私は一種の都市伝説だと思っています。えへへ」

(何がえへへだ気持ち悪いんだよ)

 スレッジは、こちらに背を向ける研究員の首を、思わず後ろから絞めてやろうかと思った。それを我慢するのに結構な意志の力を必要とした。

 壁にカムフラージュされた通路をぬけ、そこに隠されていたエレベータに乗る。乗るとすぐに機械音声が聞こえた。

「ID確認。デイビッド・ジョンソン研究員。ハンス・ルーデル研究員。地下六階ヘ降リマス」

 エレベータが停止し、扉が開く。暗めの照明に浮かび上がる室内の光景に、スレッジは思わず声を漏らした。

「な――!」

 エレベータのない壁面を三方とも全て覆い尽くす大きなシリンダーの数々。その数、三桁に達するかと思われる。何らかの溶液に満たされたシリンダーの内側にいるのは、紛れもなく人間である。長めの黒髪が海藻のようにゆらゆら揺れ、直立した姿勢で目を閉じている。

 シリンダーひとつにつきひとりずつ入っているが、半分は少年、残り半分は少女であり、口に酸素マスク状の器具をとりつけられている他は一切の衣類を身に着けていない。おそらく酸素を供給していると思われる管が酸素マスクからシリンダーの外へと延びている。

 特筆すべきは、みな同じ体型、同じ顔だという点だ。まず間違いなく、クローンである。

 どこか得意げに、ジョンソンが眼鏡をかけ直す。するとレンズが暗い照明を反射し、顔面に不気味な陰影を作り出した。

「初めて入室される方は、みなさん一様に驚かれます」


 スレッジは、昨夜バロウから聞いた言葉を思い出した。彼はこう言っていた。

「私が脱走を決めた最大の理由が地下六階にあります。スレッジさんもきっと驚かれると思いますが、変に予備知識持ってて冷静にしていたら怪しまれると思うので、それだけはご自身の目でお確かめください」


(なるほど、そういうことか……)

 ジョンソンが説明し始めた。

「落ち着かれましたか、ルーデルさん。さきほど“第二世代”の説明はしましたね。しかし、ネオジップ中探しても第二世代の子供はほとんどいません。それに、孤児の場合は両親のいずれかが本当に第一世代なのかどうか確認できるケースは稀です。おそらく、現在“被験体”として訓練を受けている子供たち以外の第二世代を研究所の外から集めてくることはもう不可能でしょう。そこで――」

 スレッジが残りの言葉を引き継ぐ。

「第一世代を探し出し、人工受精を行った」

「その通り。研究員の中に第一世代の男女がいたので、彼らの精子と卵子を提供してもらったのです。そして、最新の成長促進技術と睡眠学習技術により、肉体年齢および相応の知識レベルまで引き上げた上で“被験体”としてシリンダーから取り出します」

 無言でジョンソンの説明を聞くスレッジは、自分でも不思議なほど何も感じていない。シリンダーを見た瞬間のインパクトこそ強かったが、一時的に感情が麻痺しているのだ。

「ここにいる百体は二年半ほど前から培養を開始したクローンの第一号個体群です。すでに、男女あわせて九体、ほぼ一割の個体がフィールド能力を備えていることを確認できています」

「つまり、この個体群の脳には既にナノマシンが埋め込まれていると」

 ジョンソンは眼鏡を押し上げ、やや訝る視線をスレッジに向けた。

「おや。ナノマシンの件、もうお話しましたっけ」

 しまった――。スレッジは冷や汗をかき、無意識に自分の白衣の内側に手を突っ込んだ。その手が紙に当たったので、スレッジは咄嗟に取り出した。

「今朝、所長が見せてくださったのですよ。前任者が持ち出したものを。今どき紙にプリントしたものを持ち歩くなんて変わっていますが、部屋でじっくり読むには適していますね」

「ああ、なるほど。勉強熱心ですね、ルーデルさん。頼もしいことです」

 ジョンソンは感心した様子で手を叩く。

 ほっとした瞬間、麻痺していた感情が動き出した。スレッジの内側で室内の光景に対する憤りが膨らんでいく。

「ジョンソンさんに案内していただけるまでの間、暇でしたから」

 自制心が追いつかない。スレッジの声は我知らず低く暗いものとなってしまった。

「ところで」

 ジョンソンの雰囲気が少し変わった。声のトーンが若干フランクな感じに変わったのだ。スレッジは彼に訝る視線を向けた。

「きみの専攻分野を聞いていなかったね、ハンス。ああ、年齢は三十三だと聞いているよ。私も同じなんだ。私のことはデイビッドと呼んでくれ」

「思念力学だよ、デイビッド。前任者と同じ専攻なので採用してもらえたんだ。だけど、ここの研究は難しそうで、私には荷が重いよ」

「困ったことがあれば私に相談してくれ。力になるよ」

 どうやらデイビッド・ジョンソンはスレッジの声の調子を聞き、怒りではなく不安だと感じたようだ。スレッジは調子を合わせることにした。

「ありがたい。好意に甘えさせてもらうよ、デイビッド」

 デイビッドは笑顔を向け、握手を求めてきた。スレッジがその手を握り返すと、デイビッドは空いた左手でスレッジの肩を親しげに叩いた。

(ふむ。研究者同士という関係においてはごく普通の善良な人間と思えなくもないな)

 スレッジは、この研究者に対する第一印象がほんのわずかに好転し、嫌悪感が緩和されたような気がした。だからと言っても理解はできない。倫理観がスレッジとは著しく違うのだ。その意味においてバロウは優秀な研究者とは言えないのかもしれない。

(だが俺はバロウのほうが百倍好感が持てるぜ)




 一通り案内してもらうと夕方になった。デイビッドと共に一階の喫茶コーナーに入ったスレッジは、再び自分の背に張り付く視線を感じていた。

(なんてわかりやすい……。賞金稼ぎに対する尾行とは思えないぜ。尾行者は俺のことをバロウだと信じているようだな)

 バロウは一度は書類を持って逃げた男である。もとより手放しで信じてもらえると思う方が間違っている。この尾行は、あくまでもバロウへの監視だと考えておいてよさそうだ。

 さしあたって、スレッジが“ハンス・ルーデル”として参加すべき急ぎの研究プロジェクトはない。

(しばらくのんびりと被験体の観察だけをさせてもらうぜ)

 【ポメラニアン】と連絡がとれないのは不便だが、できないことを気にしていても仕方がない。地下六階で見た物は忘れられないが、スレッジはそれを無理矢理意識の片隅に追いやった。

「現在訓練中の被験体について聞いていいかな、デイビッド」

 デイビッドは「おいハンス。何でも聞いてくれと言ったはずだぞ」と前置きすると説明してくれた。

 二十人の被験体のうち七人にフィールド能力の発現が見られ、それぞれ種類の違う特殊能力を扱えるという。性別の内訳は少年五人と少女二人。

「そしてもうひとり。彼らの訓練を担当する若い教官のひとりが第二世代でね。本人の同意のもとで彼にもナノマシンを埋め込んだところ、フィールド能力が発現したのだよ」

「それぞれの特殊能力は?」

「それは私の専門分野じゃないからね。バロウくんの分野だったから、きみが引き継ぐことになるはずだよ。私がこの目で見たのは、分身能力と、透明化能力さ。詳細はバロウくんのレポートを参照してくれ。あれを見るまでは、私は思念力学って分野をバカにしていたんだ。いや、すまん。今となっては考えを改めているよ」

 その後、デイビッドはひとりで喋りまくり、気がつくと話題は将来の研究テーマへと移っていた。こちらに意見を求めることなく、自らの考えを滔々と語り続ける。学問、ことに思念力学などという得体の知れないものなど全くわからないスレッジにとって、意見を求められないのは有難いことではあるのだが。

(よく喋る野郎だぜ)

 スレッジは思わず船を漕ぎそうになりながらも眠気を噛み殺し、熱弁を振るうデイビッドに適当に相槌を打つ。デイビッドが気にしないのをいいことに時折コーヒーを啜りつつ、スレッジは今夜だけでもぐっすり寝ておこうと思った。


     *     *     *


 すでに夜だが、新婚のゲイリーとカナのカーター夫婦は【ポメラニアン】に乗ったまま帰宅しようとしない。双子のポー姉弟とデジル、それにバロウの六人が【ポメラニアン】の中で夕食を共にすることになり、今夜の機内はいつになく賑やかだ。

「ぷっ。くくく」

 ミリィが食事を中断し、我慢の限界といった体で笑いを漏らす。

「なんだよミリィ、気持ち悪りぃな」

「ごめんデジル。だってマニーがさ」

 いきなり名前を出されたバロウが狼狽える。

「わ、私、何か失礼なことをしているのでしょうか」

「ごめんごめん、違うよ」

 ミリィはそう言いながら、とうとう大笑いしてしまう。

「だってさ。顔だけスレッジそっくりの特殊メイクなんだもん。なんかちょっとちんちくりんになったスレッジが、とっても礼儀正しく上品なテーブルマナーで食事してるみたいでおかしくって」

「はあ……。すみません」

 あやまるバロウにカナが言った。

「あやまることないわよ、バロウさん。失礼なこと言ってるのはミリィなのよ。……こらミリィ」

 しかしカナも、ミリィを窘めるように言った後「ごめんなさい」と言いながらくすくす笑い出してしまう。

「ちんちくりん……」

 その単語を繰り返した途端完全にツボにはまったようで、腹を抱えてゲイリーの肩によりかかったカナは、しばらくテーブルの正面に身体を向けることができずにいる。

 デジルがゲイリーを褒めた。

「まあ、そんだけそっくりってことだ。凄えじゃねえか、ゲイリー。お前さん、映画業界でも食っていけそうだぜ」

 結局、あの後ゲイリーは買い物を頼まれたのだが、その中に特殊メイク用の材料も含まれていた。バロウへの特殊メイクはゲイリーが施したのだ。しかし、いつもはデジルに言い返すことのないゲイリーが、珍しく反論した。

「最初の就職先は映画業界だった。だが、あそこは俺の性に合わない」

「そうか。そいつは悪いことを言ったな」

「いや、いいんだ。今の今まで昔のことを言わなかった俺が悪い。しかし、ちんちくりん……」

 ゲイリーにまで笑いが感染した。バロウはがっくりと項垂れたが、やがてあきらめたように食事を再開した。

「すまんすまん、バロウ。今回はその変装マスクをあんたの顔に馴染ませるのが目的だからな。食事が終わったら外してくれ」

 ゲイリーはあわててバロウにあやまった。ゲイリーによる特殊メイクは、顔に塗りたくるタイプのものではなく、着脱可能なマスクのようなタイプのものだったのである。


 食後、バロウによる説明は【ポメラニアン】のクルーに衝撃をもたらした。

「百体ものクローン。うち九体にフィールド能力かよ」

 衝撃の内容を繰り返すデジルに、バロウが頷いた。

「で、現在訓練中の“被験体”は二十人。うち七人が能力者で、“被験体”の教官にもひとり能力者がいるってのか」

 デジルが言うと、顎の下で両拳を握り締めて聞いていたミリィが心配そうな声を出す。

「そんなにいたらいくらスレッジでもやばすぎるよ。なんとかして予定より早く呼び戻そうよ」


     *     *     *


 潜入はスレッジ自身が強硬に主張した作戦である。彼曰く、ナノマシンのコントローラが研究所の内側にある限り、研究所の外側で“被験体”と対峙したら生きたまま彼らの身柄を確保するのが難しいため、できるだけそれを防ぎたいというのだ。

「ペイジ博士の息のかかった者がいる限り、研究所の施設を使って“被験体”の脳内からナノマシンを除去することは難しいでしょう。であれば、コントローラの機能を停止させるか、少なくとも“被験体”の生命を奪う機能だけでも無効化しておかなければなりません」

 昨日、バロウはそう説明した。

 それに対し、スレッジは「いくら壊しても、直されたんじゃどうしようもないだろう」と言った。

「コントローラの点検は一日一度。点検の直後に壊してやれば、最短でも二十四時間の猶予ができます。ただし、もし何らかの理由でコントローラを操作する事態が起こればその時点で故障に気付かれてしまいますが」

 何らかの理由と言っても、考えられるのは“被験体”が命令違反を犯し、それを制圧しなければならない事態くらいだろう。そして現状、積極的に命令違反を犯す“被験体”は皆無に等しいため、その確率はかなり低い。

 ところで、仮に二十四時間の猶予を手に入れたとして、その間にナノマシンを除去する手だてはあるのだろうか。スレッジがそれを質問すると、バロウは自信なさげに答えた。

「マークさんは半年前のアースシェイカー騒ぎの際、アースシェイカーが格納されていた倉庫を破壊したそうですね。おそらく、マークさんの特殊能力は念動力です。そして、スレッジさんの特殊能力は透視。おふたりが同調することで、ナノマシンを取り出すことが可能でしょう。今ここにナノマシンの実物は用意できませんが、簡単なモデルなら用意できます。本番前に、それを使って練習してみましょう」

 それまで黙って聞いていたデジルが口を挟んだ。

「おいスレッジ。まさか初回の潜入で全部片付けようとか思ってねえだろうな。まずは調査だけだぞ」

 スパイ経験も思念力学の知識もないスレッジにとって、二日や三日の潜入でこれらの目的を果たすことは不可能に近い。したがって今回の潜入は、“被験体”たちの様子を探り、最低限彼らの顔と名前だけでも覚えておくことが主目的なのである。


     *     *     *


 ユキから【ポメラニアン】に報告があった。

 それによると、スレッジが外出制限を受けた様子はない。当初の予定通り、スレッジは明後日の昼に昼食を採るため外出する。そこで一旦スレッジと、彼に変装したバロウを入れ替えるのだ。

「大丈夫だ、ミリィ。スレッジの野郎、あれでなかなか器用なんだぜ」

 デジルが請け合ったが、ミリィは不安そうな表情のまま「うん」と呟くように答えるのが精一杯だった。

 彼らの横では、マークが何やらバロウに手渡している。

「バロウさん、これをはめて、ここに手を置いてください」

 言われるままに透明な手袋をはめたバロウが平べったい装置の上に手を置いた。装置の下部に接続された小さなディスプレイに“ERROR”と表示される。

「あれ、だめだな。じゃ、こっちのをはめてもう一度手を置いてください」

 新たな手袋を嵌めたバロウが手を置くと、今度は“OPEN”と表示された。

「オーケイ。じゃ、後は多少乱雑にポケットに突っ込んでも大丈夫なように改良しておきます。研究所内であなたの部屋に入る時は、手袋の使用をお忘れなく」

「ありがとう、覚えておきます」


 その後バロウは、各“被験体”が持つ特殊能力を説明した。

「透明人間になれる少女に分身できる少年だと。気味が悪いが、ひとまずおいといて……。接触テレパスと来たか。身体に触るだけで素性を知られる危険があると言うのか。スレッジもユキも、そいつに触られたり、握手なんかしたらやばいじゃねえか」

「はい。ただ、その能力を持つ少年、ボブというんですが、彼の特殊能力は他の“被験体”に比べて不安定でして、誰かに触った時、必ず能力が発動するとは限らないんです。これまでの実験において発動率は良くて三割。ただし、能力が発動した際、相手の情報を読みとる正確性は九割五分」

 デジルが唸る。

「全然安心できねえな」

「研究者が“被験体”に直接接触する機会はほぼありません。それこそ、ナノマシンを埋め込む時くらいしか。しかも、その作業担当者は私以外の研究員です」

「でも、命令さえあれば“被験体”の方から研究者に近付くことはあり得るよね」

 ミリィの指摘にバロウは押し黙ってしまった。そこにマークが口を挟む。

「“被験体”の特殊能力の情報、スレッジも知ってるんですよね」

「ええ、今頃は多分私の研究レポートに目を通している頃かと」

「なら心配要りませんよ。スレッジを信じましょう」

 そう言ってマークは微笑んだ。


     *     *     *


 同じ頃、はたしてスレッジは自室でバロウの研究レポートをチェックしていた。

「なんだよ、“接触テレパス”って。能力の解説まできちんと書いとけよな」

 しばらく端末を操作していたスレッジは、能力の解説が記述されたページを見つけたのだが、船を漕ぎ始めた彼の目はいくら文字をなぞっても意味を理解することはなく、そのまま眠りに落ちてしまった。

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