放課後、信号機の前で
櫻の舞い散る季節、校門を出て辺りを見渡した。
初々しい表情の新入生たちが目に入る。
一年前の自分もあんな感じだったのかなと思うと、なんだか無性に気恥ずかしくなった。
「せんぱ~い!」
背後から、聞き慣れた声が飛んできた。
振り返ると、健康的に日焼けした肌のショートヘアの少女が、大きく手を振っている。
俺と目が合うと、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「お久しぶりっす、先輩!」
「久しぶり。直接はまだ言ってなかったな、入学おめでとう、後輩」
記憶にある通りに活発な彼女の姿を見て、思わず口元が緩んだ。
少女の名前は小倉舞。中学の頃の陸上部の後輩だ。
「はいっす!先輩!」
小倉は満面の笑みを浮かべ、俺の隣に並んだ。
「先輩、一緒に帰りましょう!」
「いいけど……家、どこだ?方向違うかもしれないだろ」
俺の家は学校から徒歩十五分。
まあ、そこそこ近い。
「大丈夫っす!とりあえず行きましょ!」
勢いよく頷く小倉に、俺は苦笑する。
「そういえば、小倉はまた陸上部に入るのか?」
歩きながら、何気なく尋ねた。
小倉は中学時代、陸上部のエースだったから。
「うちっすか?まだ決めてないっす。先輩は?」
「知ってるだろ、俺はもう走ってないよ」
あの怪我のことを、改めて説明する必要はない。
日常生活に支障はないが、競技人生はそこで終わってしまったんだ。
「そっすか……じゃあ、もうちょい考えるっす」
小倉は両手を背中で組み、少し俯いた。
「……先輩いないのに、行っても意味ないもん」
その呟きは、風に紛れて消えそうなくらい小さかった。
しばらく他愛もない話をしながら、ある交差点に差し掛かった。
信号待ちをしながら、俺は尋ねた。
「俺はこの先を左だけど、小倉は?」
小倉は図星を突かれたように肩をすくめ、おずおずと人差し指を前に向けた。不満げに唇を尖らせ、一言だけ漏らす。
「……まっすぐっす」
「そっか。じゃあ信号が変わったら、小倉が渡るのを見送ってから行くよ」
「……うっす」
小倉は少し落ち込んだ様子でうつむいた。
信号が青に変わると、彼女はまた元気を取り戻した。
「じゃあまた明日っすね、先輩!」
「ああ、またな」
彼女はまっすぐ進み、俺は左へ曲がった。
あの日から。
放課後の、この信号機までの短い道のりに、一人の話し相手が増えた。
「先輩、最近勉強が難しすぎるっす……」
ポニーテールを揺らしながら、小倉がため息をつく。
以前より少し白くなった肌が、半袖の制服から陽の光をやわらかく反射していた。
「んー……これ、やるよ」
俺は少し考えてから、鞄の中から飴をいくつか取り出して差し出した。
「わ、ありがとうございます!」
小倉はぱっと顔を明るくして受け取り、その場で一つ開ける。
「……んっ、おいしい。甘い」
目を細めて笑うその表情に、つられてこちらまで気が緩む。
「ん!甘いっす〜。ありがとうございます、先輩」
機嫌を直した小倉は、今日あった面白い出来事を弾むような声で話してくれた。
そこからは、いつものように他愛もない話が続いた。
そして、交差点。
青信号。
彼女はまっすぐ。
俺は左へ。
この道を、何度一緒に歩いただろう。
冬服に身を包んだ彼女は、体の前で手を組んで歩いている。
腰まで伸びた長い髪が背中で静かに揺れ、その姿はどこかお嬢様っぽく見えた。
――少し、変わったな。
信号待ちの間、俺は小倉を見つめたまま、気づけば、目が離せなくなっていた。
「どうしたんですか、先輩?」
以前よりも、少しだけ落ち着いた声。
「そんなに見て……もしかして、見とれてます?」
彼女は首を少し傾げ、その清楚な外見には似合わない悪戯っぽい視線を投げかけてくる。
「それとも――わたしのこと、好きになっちゃいました?」
冗談めかした口調。
けれど――
「……ああ、そうだな」
気づけば、そう答えていた。
言ってから、少しだけ遅れて実感が追いつく。
軽く言うつもりなんて、なかったはずなのに。
「……え?」
小倉の動きが止まる。
数秒遅れて、顔が一気に赤く染まった。
「せ、先輩……それって……どういう……」
「そのままの意味だよ」
視線を逸らしながら答えると、沈黙が落ちる。
やがて。
小倉はうつむき、しばらく沈黙した。
そして顔を上げた時、そこには最高に輝く笑顔があった。
「もうっ……遅いっすよ!先輩」
ぎゅっと、手を掴まれる。
「もう、ずっと待ってたんすから」
いつもの調子に戻った声。
だけど、その手は少しだけ震えていた。
「もうちょっとだけ、うちに付き合ってくださいっす!」
舞は俺の手を握って、前へと踏み出した。
信号が青に変わる。
今度は――
どちらも、立ち止まらなかった。
手を繋いだまま、二人でまっすぐ、横断歩道を渡っていく。
いつもは分かれていたこの場所を、
今日は、同じ方向へ進んでいった。




