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練習集

放課後、信号機の前で

作者: 天月瞳
掲載日:2026/03/28

櫻の舞い散る季節、校門を出て辺りを見渡した。

初々しい表情の新入生たちが目に入る。

一年前の自分もあんな感じだったのかなと思うと、なんだか無性に気恥ずかしくなった。


「せんぱ~い!」


背後から、聞き慣れた声が飛んできた。


振り返ると、健康的に日焼けした肌のショートヘアの少女が、大きく手を振っている。

俺と目が合うと、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「お久しぶりっす、先輩!」


「久しぶり。直接はまだ言ってなかったな、入学おめでとう、後輩」

記憶にある通りに活発な彼女の姿を見て、思わず口元が緩んだ。

少女の名前は小倉舞。中学の頃の陸上部の後輩だ。


「はいっす!先輩!」

小倉は満面の笑みを浮かべ、俺の隣に並んだ。


「先輩、一緒に帰りましょう!」


「いいけど……家、どこだ?方向違うかもしれないだろ」


俺の家は学校から徒歩十五分。

まあ、そこそこ近い。


「大丈夫っす!とりあえず行きましょ!」

勢いよく頷く小倉に、俺は苦笑する。



「そういえば、小倉はまた陸上部に入るのか?」


歩きながら、何気なく尋ねた。

小倉は中学時代、陸上部のエースだったから。


「うちっすか?まだ決めてないっす。先輩は?」


「知ってるだろ、俺はもう走ってないよ」

あの怪我のことを、改めて説明する必要はない。

日常生活に支障はないが、競技人生はそこで終わってしまったんだ。


「そっすか……じゃあ、もうちょい考えるっす」

小倉は両手を背中で組み、少し俯いた。


「……先輩いないのに、行っても意味ないもん」


その呟きは、風に紛れて消えそうなくらい小さかった。


しばらく他愛もない話をしながら、ある交差点に差し掛かった。

信号待ちをしながら、俺は尋ねた。


「俺はこの先を左だけど、小倉は?」


小倉は図星を突かれたように肩をすくめ、おずおずと人差し指を前に向けた。不満げに唇を尖らせ、一言だけ漏らす。


「……まっすぐっす」


「そっか。じゃあ信号が変わったら、小倉が渡るのを見送ってから行くよ」


「……うっす」

小倉は少し落ち込んだ様子でうつむいた。


信号が青に変わると、彼女はまた元気を取り戻した。


「じゃあまた明日っすね、先輩!」


「ああ、またな」


彼女はまっすぐ進み、俺は左へ曲がった。






あの日から。

放課後の、この信号機までの短い道のりに、一人の話し相手が増えた。



「先輩、最近勉強が難しすぎるっす……」


ポニーテールを揺らしながら、小倉がため息をつく。

以前より少し白くなった肌が、半袖の制服から陽の光をやわらかく反射していた。



「んー……これ、やるよ」

俺は少し考えてから、鞄の中から飴をいくつか取り出して差し出した。


「わ、ありがとうございます!」


小倉はぱっと顔を明るくして受け取り、その場で一つ開ける。


「……んっ、おいしい。甘い」


目を細めて笑うその表情に、つられてこちらまで気が緩む。


「ん!甘いっす〜。ありがとうございます、先輩」

機嫌を直した小倉は、今日あった面白い出来事を弾むような声で話してくれた。

そこからは、いつものように他愛もない話が続いた。


そして、交差点。


青信号。


彼女はまっすぐ。

俺は左へ。





この道を、何度一緒に歩いただろう。


冬服に身を包んだ彼女は、体の前で手を組んで歩いている。

腰まで伸びた長い髪が背中で静かに揺れ、その姿はどこかお嬢様っぽく見えた。


――少し、変わったな。


信号待ちの間、俺は小倉を見つめたまま、気づけば、目が離せなくなっていた。


「どうしたんですか、先輩?」


以前よりも、少しだけ落ち着いた声。


「そんなに見て……もしかして、見とれてます?」


彼女は首を少し傾げ、その清楚な外見には似合わない悪戯っぽい視線を投げかけてくる。


「それとも――わたしのこと、好きになっちゃいました?」


冗談めかした口調。


けれど――


「……ああ、そうだな」


気づけば、そう答えていた。


言ってから、少しだけ遅れて実感が追いつく。

軽く言うつもりなんて、なかったはずなのに。


「……え?」


小倉の動きが止まる。


数秒遅れて、顔が一気に赤く染まった。


「せ、先輩……それって……どういう……」


「そのままの意味だよ」


視線を逸らしながら答えると、沈黙が落ちる。


やがて。



小倉はうつむき、しばらく沈黙した。

そして顔を上げた時、そこには最高に輝く笑顔があった。


「もうっ……遅いっすよ!先輩」


ぎゅっと、手を掴まれる。


「もう、ずっと待ってたんすから」


いつもの調子に戻った声。

だけど、その手は少しだけ震えていた。


「もうちょっとだけ、うちに付き合ってくださいっす!」


舞は俺の手を握って、前へと踏み出した。



信号が青に変わる。


今度は――


どちらも、立ち止まらなかった。


手を繋いだまま、二人でまっすぐ、横断歩道を渡っていく。


いつもは分かれていたこの場所を、

今日は、同じ方向へ進んでいった。


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