幕間 ザッハ視点
まるで下界に舞い降りた天使のよう。
いや、天使そのもの。
それが、俺が初めてカレンを見たときの印象だ。
それから、俺の瞳にはずっとカレンが焼き付いていた。
カレンの母親は美人だった。
ただそれは下民の中での話というだけであり、娘であるカレンとは比べようもない。
月とスッポンというやつだ。
だがまあ、スラムでは血のつながらない親子なんていくらでもいる。
むしろ父親で子供が自分のだと確信できるやつなんていないかもしれない。
母親で血がつながらないのは珍しいが、まあ、いないことはない。
実の子供を失って頭がおかしくなって拾い子を育てるってのはたまに見る。
カレンもそんな口だろう。
そんな母親はたいがい子供を異常なほど過保護になるものだが、カレンの母親は例外だった。
カレンにはまるで興味がなく、自分はひたすらクスリに溺れていた。
どこから金が出るのかと思ったが、まあ、あれだけの器量ならいくらでも稼ぎようはある。
気にしても仕方がない。
それに俺にとっては上得意先を手に入れ、しかも売るたびにカレンに会えるという一石二鳥の話。
問題があるはずがない。
カレンは大きくなったら俺の嫁にしてやろう。
そう思っていたある日、世界は激変した。
流行り病がスラムを襲ったのだ。
この病にかかると、まず発疹がでる。
だがスラムの環境で発疹など珍しいものではない。
誰もが気にせず放置した。
そして次に咳がでる。
ただの風邪と同じだ。
だがこの咳が恐ろしい。
延々と止まらず、寝ることすらできなくなる。
眠らずに生きられる人間なんて俺は見たことがない。
実際、この病にかかった人間は次々と死んでいった。
スラムはパニックになりかかっていた。
だが俺は冷静だった。
なぜなら、流行病にかかった人間の共通点を俺は知っていた。
それは、全員が俺の常連。
つまりクスリの常習者。
クスリは売り物であって遊ぶものではない。
だから俺はクスリをやらない。
だから俺は病にかからない。
だから俺は死なない。
狼狽える馬鹿どもを俺は見下していた。
俺は全てを見抜いていたから
俺はこの流行病など恐れる必要がないから
まるで万能の神になったような気分で、俺はスラムを闊歩していた。
そういえばカレンの母親も上客だった。
そろそろ死んでいるだろうか?
カレンは無表情なくせに、自分を放置する母親はなぜか慕っていた。
母親が死んできっと悲しんでいるだろう。
俺が助けて、そのまま嫁にもらってやろう。
ちょっと予定が早まったがかまいはしない。
優秀な俺には、カレンのような女がふさわしい。
カレンをどうかわいがってやろうかとほくそ笑みながらカレンの家につく。
意外なことにカレンの母親はまだ生きていた。
あれほどのクスリの常習者のくせに息があるとはこいつぐらいだろう。
しぶといやつだ。
寝込む母親をカレンは必死で看病していた。
蚊の鳴くような声で「大丈夫だよ」「ずっと一緒だよ」などと言っている。
この病で助かるやつなんていないのに、こいつも馬鹿だな。
だから俺が助けてやろう。
そう思ってカレンの腕を掴む。
「行くぞ、カレン」
「どこに?」
「このスラムの外だよ。これからは俺と一緒に暮らすんだ」
「お母さんは?お母さんは助かるの?」
こんな状態でも母親のことばっかか。
頭の悪さにイライラし、思い切り言葉を叩きつける。
「ばーか!この病で生き残れるやつなんていねえよ!全員死ぬ!お前の母親も死ぬ!だがお前だけは俺が助けてやるんだ。ありがたく思えよ?」
だから俺に一生尽くせ
最後にそう言うはずだったのに、その言葉が俺の口から出ることはなかった。
突然の衝撃波で体が吹っ飛ばされたから。
体が壁に叩きつけられる。
貧弱な壁にはヒビが入り、俺の体にも激痛が走る。
何が起きたかはわからなかった。
ただなぜか目の前の少女からオーラのようなものが出ていた。
「お母さんは死なない。お母さんは死なない。お母さんは死なない。」
ブツブツとそんなことを呟きながら、カレンはオーラを出していた。
そして俺は察した。
こいつが俺を吹き飛ばしたのだと。
だがわけがわからない。
なんでカレンは俺を吹っ飛ばせるのだ?
カレンはいったい何者なんだ?
突然言いようもない恐怖が俺を襲ってきた。
「馬鹿野郎!母親と一緒に死にてえんだったら、そのまま死んじまえ!」
恐怖を振り払うようにそう叫び、俺はカレンの家を飛び出した。
そしてそのままスラムも飛び出し
流浪の旅が始まったのだ。
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クスリというものはどこにでも需要がある。
俺は野生に群生しているクスリの材料になる植物を見分ける特技があった。
もちろん精製だってできるし、上質のモノを見分けることもできる。
どこのスラムでも重宝され、食っていくには困らなかった。
だがそれは敵も多く生む。
少し稼いだらそれでおしまい。
すぐに逃げるように次のスラムへ移動した。
新しいスラムに行くたび、俺の目はなぜかカレンを探していた。
カレンもあのスラムを出て、どこかで流浪の日々を過ごしているんじゃないか。
そして再び俺と出会えるんじゃないか。
そんなことを考えながら、スラムを転々としていた。
敵を作らないようにするため、いつの間にか俺の表情は笑顔がデフォルトになっていた。
そして難しいことは考えず、気楽に生きる。
この世にいるのは俺とカレンとそれ以外。
必要だったら仲良くするし、必要だったらそのまま切り捨てる。
そんな生活を過ごしていた。
今回訪れたスラムは、クスリが全然蔓延していなかった。
新規市場の開拓ができると喜んだが、それはぬか喜びだった。
なにせ市場を仕切っているオババがクスリを嫌っているのだ。
そりゃクスリが広まらないわけだ。
どこか付け入るスキはないかと街を巡った。
その中でギースという男と出会った。
自分を親方と呼びたがせるケチな男で、仕事の内容もケチなものだった。
もっと儲けたければもっと危険な橋を渡ればいいのに、そんなことをする度胸もなかった。
小僧一人を手下にほどほどの仕事をこなす、その程度の男。
当然、クスリに手を出す度胸もない。
つまらない男だ。
その男が聞けたのもつまらない話だけだった。
「俺が使ってやってる小僧がなあ、少々頭がまわるからか色々考えすぎるんだよ。まあ、頭がまわるから使いやすいってとこもあるんだが」
「へー。そうなんですねえ」
こんなやつに使われてるのはどんな馬鹿なんだろう?
そんな俺の疑問は、その日のうちに解決する。
そいつは道端でうずくまっていた。
「お前、そんなとこで何してんだよ?」
俺はこういう人間に声をかけるのを習慣化している。
理由は簡単。
声をかけて返事がなければ死んでるか気を失っているか。
身ぐるみを剥がしてやればいい。
返事があればそれはそれで問題ない。
慰めてやってそのままクスリを売りつける。
そうすれば新しい上客の誕生だ。
ただ今はクスリをさばくことはできない。
だがこういう習慣は続けることが大事。
今回もきちんと声をかけた。
そして心に入り込むため、つまらない話を聞いてやった。
話を聞いているうちにこいつがギースのところの小僧だと察した。
実につまらないことで悩んでいる、本物の馬鹿だった。
昔幸せだった?
そんなことは忘れてしまえ。
重要なのは今だ。
今を生きろ。
犯罪に手を染めている可能性?
このスラムに法などない。
だからそもそも犯罪などは存在しないのだ。
そんなことで悩むなどこいつは本当のアホだ。
このスラムではそこらのガキ共がついさっきまで大人をなぶり殺しにして金を奪っていた可能性もあるのだ。
犯罪だなんだと悩むほうがおかしい。
自分が今を生きる事、それに全てを捧げるべきなのだ。
そいつは妹のことも悩んでいた。
妹を昼間放置して寂しい思いをさせていると。
でも妹を守るために必死で働いていると言っていた。
すぐに悟った。
これは嘘だと。
昼間に妹を放置する?
ありえない。
間違いなくこいつは昼間、妹に客をとらせている。
そしてそれに罪悪感を覚えている。
たまにいるのだ。
自分の妹にウリをさせ、それに罪悪感を覚える馬鹿が。
どうせクズなのだから心までクズになればいいのに、善人のフリをしようとする。
虫唾が走る。
話を全部聞き終わる。
こいつはクズのくせしてクズになりきる度胸もなく、自分が罪を犯さないかと無駄なことで悩む真性の馬鹿。
仕事はできるかもしれない。
だがそれだけ。
このスラムで最も愚かな男。
その名は、ソラ。
「お前、よくそんな色んなこと考えて生きてられてんなあ。俺だったらとっくの昔に頭がおかしくなっちまってるよ」
こいつのようなくだらない考えを持つ人間がいるなど本当に信じられなかった。
あくびをするように人を殺せないと、スラムではやっていけない。
ただの荷物運びを「犯罪かもしれない」というだけで悩んでいるようでは、普通はとても生きていけない。
よく生きてこれたと逆に感心するぐらいだ。
ソラとの会話を適当にこなし、適当に「もっと気楽にいこうぜ?気楽によ」と言ってやった。
こんな言葉にこいつは感心したようだ。
本当に馬鹿だな。
ソラとの出会いはそれで終わった。
これで終わりのはずだったのに、不思議と何度もソラとは遭遇した。
そのたびにソラは嬉しそうな顔をして、その顔を見るたびに俺はイライラした。
こいつと妹は血がつながっていない。
なのにこいつのそばには今も妹がいる。
だが俺の隣にカレンはいない。
それが無性に腹が立ち、最後はギースに売り飛ばしてやった。
どうか俺がお前を売ったことに気づいてくれよと願いながら。
ソラの馬鹿面が絶望に歪むのを想像すると、少しだけ溜飲が下がった。
ソラを売った小銭を手に俺はスラムを出た。
そしてカレンの面影を追うように、故郷へと帰ってきたのだ。
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久しぶりのソラはずいぶん成長していた。
体つきが別人のように違っており、俺達が集団で襲ってもかなわないと思わせるほどだった。
頭の回転は以前通り。
俺の前だと馬鹿だったのに、仕事は卒なくこなす優秀さはそのままだ。
街の監視役の男をまんまと手玉に取っている。
俺がいなけりゃ危ないとこだった。
ソラがカレンを気にしていることに嫌悪感や怒りがごちゃまぜになった感情が湧き上がってくる。
カレンの容姿の噂を聞いて、わざわざここまでやってきたのか?
こいつは妹だけで飽き足らず、カレンまで毒牙にかけようというのか?
カレンの情報を少しだけ引き出し、興奮して注意散漫になったところを後ろから思い切り殴りつける。
心の奥底にたまった負の感情、それら全てをこめて叩きつける。
実に気持ちの良い瞬間だった。
数時間後に訪れる絶望も知らず、俺は、最高の気分に浸っていた。
本編の予定でしたが、ザッハ視点は今を逃すと書けなさそうなので幕間になりました。
次回は本編になります。




