06話 下民と臣民
その夜、俺はすぐに寝てしまった。
自覚はなくても疲れていたのだろう。
食事をとりシャワーを浴びてベッドに入ると、泥のように眠ってしまったのだ。
目が覚めたのは日が昇ってから。
いつもならとっくに起きて働いている時間。
「遅刻!?」と思って飛び起きるが、すぐに気づく。
いつもと違う布団に。
そして何より、いつも見る寝顔が隣にいないことに。
「そうか。俺、帝城にいるんだ…」
ベッドを出て窓の外を見ると、そこは雲の上。
だんだんと記憶がよみがえってくる。
実感はいまだにわかないが。
顔を洗う。
水汲みに行かなくても自由に水が使える便利さには何度やっても違和感がある。
喜びではなく違和感。
魔法の力というものは恐ろしい。
手持ち無沙汰に過ごしていると、昼近くになってしまった。
さすがに腹が減ったので食事でもつくろうかと思うと、ドアからノックの音が。
「失礼いたします。シーツの交換に参りました」
ドアを開け、数人の男女が入ってくる。
なんとなく察する。
彼らは臣民だ。
魔法使い、貴族に仕える臣民達だ。
下民は臣民の前で勝手に口を開いてはならない。
そのルールに従い、黙っている。
貴族の前で口を開いて今更だが、貴族なんて生まれて初めて見たのだから許して欲しい。
臣民の方がよっぽど日常的だ。
彼らは日常的に俺たち下民を支配し、酷使しているのだから。
臣民達はまるで俺がいないかのように動きはじめた。
俺を視界に入れるのすら拒むように、黙々と働く。
下民など見たくもないということかな?
だが、それが誤解ということはすぐわかる。
一人の男が俺を視界に入れてしまった。
すぐに目をそらすが、驚愕の顔で今度は凝視してくる。
「おい、あの格好…」
俺を指差しながら隣の女に話しかける。
女は「何やってんの!?」と叱り飛ばし、一瞬だけ俺に視線を送る。
そして、男の同じ顔になった。
「あ、あれ?もしかして、下民…?」
俺の格好はスラムにいたときと変わらない。
擦り切れ、つぎはぎだらけの衣類。
きれいな着替えが準備されていたが、触っただけで上等とわかる品。
袖を通すどころか触るのも恐れ多くて元の服を着ている。
下働きである彼ら彼女らよりもはるかに劣る格好。
この姿を見れば誰でも察するだろう。
俺が、下民であることを。
「なんで下民がこの部屋にいて、俺達がこいつらのために働かなきゃいけないんだよ…」
男は不満そうにつぶやき、持っていた雑巾を俺に投げてきた。
びちゃっ
汚い音をたてて、俺の顔に雑巾がぶつかる。
雑巾とは言いつつも俺の服よりも上等かもしれないな。
そんなことを思う。
他の臣民は男の行動に慌てていたが、俺が反抗しないことに安心して一息つく。
そして、男と同じ顔つきになった。
それからのことは細かく言及することもないだろう。
臣民が下民にいつもすること
下民が臣民にいつもされること
俺は、それをされただけ
ただ、それだけだ。
---
「何をしている」
夜までに終わればいいなと思っていたが、終わりは意外と早く訪れた。
この声は先程の少女騎士。
彼女が見回りに来たらしい。
「何をしている、と私は質問しているのだぞ?」
俺の代わりにベッドで寝ていた男が平伏している。
さきほどまで俺を足蹴にしていた女が平伏している。
他の臣民達も、全員が同じ格好をしている。
そしてその中の一人の頭が、まるでボールのように蹴り飛ばされた。
壁に叩きつけられ、泡を吹いている。
他の者達は目に見えるほど震え、ガチガチと歯が鳴る音まで聞こえてくる。
「もう一度だけ聞いてやる。何をしていた?」
怒りのこもった声
言わねば命がないと悟ったか、臣民が口を開く。
「お、畏れ多くも下民がこの帝城の客間に、魔法使い様のお部屋にいましたので…」
「げ、下民にふさわしい扱いをと…」
彼らの言うことはもっともだ。
俺のような下民がいていいような部屋ではない。
それに彼らが俺にしたことは臣民が下民にする行いとしては優しい方だろう。
「生意気」というだけで殺されても、俺たち下民は文句を言えないのだから。
そんなことは、スラムではありふれた日常だ。
だが、その答えは少女騎士のお気には召さなかったらしい。
「この客間はその者のために準備されたもの。そして私はその者を、陛下のおっしゃる”また後で”まで庇護する義務がある。よくもその義務を、私に与えられた聖旨を、貴様ら臣民ごときが愚弄してくれたな?」
憤怒
その言葉がこれほどふさわしい姿は初めて見た。
怒りが空気を介して伝搬してくるようだ。
実際に魔法か何かで知らせていたのだろう。
兵士たちが入ってきて、臣民達は連れて行かれる。
「お許しください!どうかお許しください!」
「命だけは、命だけはお助けを!!」
「なんで!?なんでなの!」
「下民を、下民らしく扱っただけなのに!」
ある者は泣き叫び、ある者は声が枯れるほど泣き叫びなら連行されていく。
泡を吹いていた臣民は引きずられて。
彼らがどこに行ってどんな目に合うのかはわからない。
ただそれが先程までの俺が受けていた行為よりもひどいことは、間違いなさそうだ。
---
代わりの臣民が呼ばれ、荒らされた部屋の清掃が行われた。
見事な手際で、部屋はあっという間に来たとき同様にきれいな姿となる。
少女騎士が口を開いのは、彼らが部屋を出ていった直後だった。
「…すまなかったな」
心底申し訳無さそうに、謝罪の言葉を述べる。
「朝に一度来たのだが、お前があまりにぐっすり眠っているので引き返したのだ。もう少し寝かせてやろうと思って。でもその間に、まさかこんなことになっているとは…。本当に、すまなかった…」
騎士。それは貴族の階級の一つ。
下民の上に立つ臣民。
臣民の上に立つ魔法使い。
貴族とは、その魔法使いの中で更に特別な存在。
そんな騎士様に謝罪をされている。
許す許さないではなく、ひたすら困惑してしまう。
そもそも俺は下民として当然の扱いをされただけ。
もっとひどい目にあわされたことだって、いくらでもあるのだ。
あまりに気落ちしているので申し訳なく、こちらも口を開く。
昨日許可をもらったのだから、きっともういいだろう。
「気にしないでください。俺は、大丈夫ですから」
「そうか…」
咎められることもなく
そして元気づけることもできず
会話はそれだけで終わってしまった。
沈黙が部屋に満ちる。
空気が重い。
どうしようかと思っていると、少女騎士はなにかに気づいたようだ。
「お前、怪我してるのか?」
確かに怪我をしている。
元々傷はあったが、先程も色々新しい傷ができてしまった。
「よし、私が治してやろう」
言うが早いが少女騎士は呪文を詠唱する。
すると温かい光に体が覆われた。
そして次の瞬間、全ての傷が治っていた。
これが、噂に聞く治癒魔法
その威力に言葉も出ない。
「うん!完璧だな」
少女騎士は満足そうだ。
だが、今度は変な顔になる。
「お前、臭くないか?」
そんなことはないと信じたい。
昨夜などシャワーを浴びさせてもらったのだ。
水をかぶるなんて一週間ぶり。
少なくとも今の俺はきれいはなず。
「ちゃんとシャンプーで髪洗ったか?石鹸はどれくらい使ってる?」
シャンプーってなんだ?
石鹸は知っている。
とんでもない高級品で、俺たち下民には一生縁がないものだ。
不思議そうな顔をしていると、明らかに眉間にシワが寄り始めた。
「お前、シャンプーとかリンスとか、もしかして使ったことない人間?」
「は、はい…」
正直に返事をすると、今度は盛大に溜息をつかれた。
「そりゃ、臭うわけだ…。わかった。来い」
そう言って俺は無理やり風呂場に連れて行かれる。
そして当たり前のように服は剥ぎ取られる。
下民の俺が騎士様に抵抗することなどできるはずもなく、全てはなされるがままだ。
「私には弟がいてな。たまに風呂に入れてやってたんだ。だから、慣れたもんだぞ」
そう言いながら全身を泡だらけにされた。
目も痛いし泡がふわふわで怖い。
生きた心地がしなかった。
風呂から出ると温風で髪を乾かしてもらう。
さっきまでは弟と言うより犬を洗う感じだったが、髪を乾かす手はとても優しかった。
準備された立派な着替えを着るのも手伝ってもらう。
ボタンがたくさんあってたいへんだ。
全てが終わってから鏡に映るその姿は、まるで別人のようだった。
「これでよし!」
このときになってようやく、この少女騎士の顔に笑顔が戻る。
そして不思議と、俺の気持ちも晴れやかになった。
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