01話 日常
「ソラ!おめえは俺が言ったことすら満足にできねえのか!?」
嘘である。
俺は親方の言ったことを忠実に守った。
親方の言ったことを一言一句間違えず実行した結果が、この有様なのだ。
つまり親方の指示自体が、間違っていたのである。
でもそんなことを口にしてもどうにもならない。
むしろ反論するなと殴られる恐れすらある。
だから俺はひたすら謝るのだ。
「すいませんすいません」
一切反論せず、ただひたすら謝罪を口にする。
その姿を見て親方も溜飲が下がったのか、多少口調が柔らかくなった。
「まったくよう。今回は俺がとりなしてやったから最後は何とかなったものの…。最初のままだったら大損こくとこだったって、わかってんだろうな?」
嘘である。
むしろ俺が最後自主的に対応を追加しただけである。
それで大損が微益に変化したのだ。
親方は何もしちゃいない。
想定よりも儲けが少なかったことの怒りを、ただ俺にぶつけているだけである。
だがこの親方、別に馬鹿ではない。
だから今回のことが本当は自分のミスであることも理解しているだろう。
だが自分のミスを認めてしまったら、なめられる。
まして俺のおかげでそのミスが挽回されたのだと認めようものなら…。
自分の立場が脅かされる。
そう、考えているのだ。
別に珍しいことではない。
下民の社会では当然だ。
俺たち下民は人の形をした獣。
言葉を解する獣なのだ。
常に弱肉強食で、なめられることは時に死に直結する。
だからこの親方の行動は、別に悪気があってのことではないのだ。
下民で親方という立場に成り上がった者ならば、ある意味当然の行動なのだ。
もちろん、腹が立つことには変わりないが。
だが、それでも
「俺が拾ってやらなきゃおめえみてえなガキ、野垂れ死ぬしかねえんだぞ?俺に感謝して、これからはより一層励むんだな」
事実である。
俺は孤児院が潰されてから、妹と一緒に野垂れ死にしかけていた。
空き家を見つけて忍び込み、なんとか風雨はしのげるようになった。
だが、先立つものがなかった。
そんなときに拾ってくれたのが、この親方だ。
とは言っても別に慈善事業などではない。
むしろそんなものとは最も縁遠い行動だ。
子供は大人と違って反論しない。反論できない。
だから従順で、扱いやすいから。
そして俺のように家族がいる者は、必死で働く。
それこそ文字通り、命がけで。
ときには、本当に死人が出るほどに。
倒れていった仲間のことが一瞬頭をよぎるが、すぐに消え去る。
そんなことをいちいち気に留めていては、この世界で生き残ることなどできはしないのだから。
だが拾われたことは事実だ。
目障りだと殺される場合もあるなか、仕事を与えて金をくれるのだからありがたい話だ。
もちろん、感謝したことなど一度もないが。
怒りのおさまった親方は愚痴のような自慢話のような愚にもつかないことを話し続けている。
愚痴はだいたい決まったパターン。
聞き飽きている。
自慢話にいたっては本当に全く同じ話を何十回も聞かされてきている。
ほぼ暗唱できるほどに。
もはや完全に耳がスルーしている。
いつ終わるのかと思っていると、突然日が遮られた。
雨でも降るのかと空を見上げる。
すると、違った。
そこにあったのは雲ではない。
雲のようなあいまいなものではなく、もっとはっきりとした質量をもつ存在。
それは、帝城
この世界を支配し、君臨する魔法使い
その頂点
皇帝が住まう城
空に浮かび、俺たち下民を見下ろす
天空の城だ。
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この世界で「人」と呼ばれる者達は、主に三つに分類される。
一つ目、下民
俺や親方たち。
人の形をした、言葉を解する獣だ。
住む場所は俺たちが今住んでいるようなスラム。もしくは、臣民の街での下働き。
後者のほうがはるかに生活の水準は良い。
前者には自由がある?
とんでもない。
自由と野放しは、全く別ものだ。
とてつもなく運が良いと、臣民になれることもある。らしい。
二つ目、臣民
ここでようやく獣から脱出だ。
魔法使いの庇護下で生きられる、言葉を解する家畜へレベルアップ。
きれいな街に住み、家族や仲間たちと笑って暮らすことができる。
下民を召使いや奴隷として扱い、その生活水準を維持しているのだ。
貴族に仕える、特別な存在も稀にいるという。
三つ目、貴族
この世界に君臨し統治する存在、魔法使い。
魔法が使えない臣民や下民とは生物としての格が違う。
万物の霊長である、真に人たる存在。
同じ姿かたちをしていても、全く別の生き物だ。
臣民と下民の生殺与奪権を持つ、絶対者達。
その貴族の頂点に立つのが、皇帝
その皇帝が鎮座する場所こそ、帝城。
魔力によって浮遊する城。
ただそこにあるだけで、皇帝の絶大な魔力の証明となる。
そこに住まうは文字通りの雲上人。
地面に這いつくばる俺たち下民とは、何もかもが違いすぎる。
もはや、比べることすらバカバカしくなるほどに。
「ちっ。せっかくのいい天気が台無しじゃねえか…」
声の方へ振り向くと、そこには真っ青になりながら口を抑えている親方がいた。
帝城への批判
それは皇帝陛下への批判に等しい
万物の霊長たる人と呼ばれる
貴族ですら処罰されるであろう、不敬な振る舞い
下民がそれを口にしたなどと万一にも知られたら
死すら褒美と思える、そんな目に合わされることは間違いないだろう。
「そ、ソラ。お、俺の方なんか見て。ど、どうかしたのか?」
ここで俺が「不敬行為!!」と叫べばどうなるだろうか。
親方とはこれ以後永遠に会うこともなくなるだろう。
それも悪くないとは思ったが
「え?いや、別に?」
俺は、しらばっくれた。
「…そ、そうか!そうだよな!今日は色々あったが、ご苦労だったな!明日から少し休みをやるよ。今日の手間賃も、少し弾んでおくぞ!」
親方はさきほどの青い顔が嘘のように笑顔になる。
そして俺の手に今日の報酬を無理やり握らせ、逃げるように去っていった。
まさに逃げていったのだろう。
手に握らされたのは銅貨。
今までに見たことなど数回しかない、本物の銅貨だ。
これは口止め料に他ならない。
やはり親方は馬鹿ではない。
俺がこれを期待してしらばっくれたことをよく理解している。
親方が死んでも俺に得はなにもない。
こちらの方が、よっぽどありがたい。
暗くなった空を見上げる。
お日様の光を遮る帝城。
親方が口にしたことは下民なら誰でも思うことだ。
だが今日だけはこの帝城に感謝をしよう。
「今日は久々に、ご馳走だな」
銅貨を握りしめる。
そしてサラの笑顔
俺のたった一人の家族の顔を思い浮かべ、市場へと足を向けた。
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買い物も終わり、市場の出口近く。
早く家に帰らねばと足早にかけていくと、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「ソラじゃん。そんな急いで、どうしたんだ?」
今から俺には大事なやることがある。
聞こえない振りをして走り去っていきたいところだが、この声ではそうはいかない。
「久しぶりだな、ザッハ」
ザッハ
同年代でそれなりに長い付き合いだ。
友人と呼べる存在がいるとしたら、おそらく一番に思い浮かぶのはこいつだろう。
「お互い暇じゃねえからな。今夜安心して寝るためには一日中必死で働かなきゃ飢え死にしちまう。こうやってすれ違いでもしなけりゃ、次に会うときはあの世だったかもな?」
「言えてるな」
こうやってすれ違い、たまに仕事で関わり、交流してきた仲だ。
一緒に遊んだ記憶などはない。
遊ぶなど、下民には過ぎた娯楽なのだ。
孤児院時代は、夢のように幸福な一時だったにすぎない。
「俺は市場でひと仕事終えたとこだが…。ソラ、お前はなんだ、買い物か?」
ザッハが怪訝そうな顔で俺が持つ荷物を見る。
それも当然だろう。
俺だってザッハがこんな荷物を持っていたら同じ目で見てしまう。
俺たちのようなガキが市場で買い物するなど、年越しぐらいなのだから。
「まあな。今日はちょっと、実入りがよくてな」
当然親方の失言のことは口にできず、言葉を濁す。
「お前の親方がねえ…。珍しいことがあるもんだ」
だがザッハもそれ以上は追求していない。
ここでは誰もが腹に一物を抱えている。
そこは追求しないのが、スラムのマナーだ。
守れないやつは、たいてい早死する。
「なかなかの品揃えなところを見ると、オババの店だな?ぼったくられたろうに…。お疲れさん」
「まあ、な…」
嫌なことを思い出させてくれる。
オババとは市場で最も品揃えの良い店の主のことだ。
下民で老人と呼ばれるほど長生きできる例は多くない。
その稀有な例の一人というだけで、いかに恐ろしい存在かがわかるだろう。
本当ならオババから買いたくなかったが、今回はせっかくの日。
どうしても肉が欲しくて、でも今日はオババの店にしか肉がなく、行かざるを得なかったのである。
本当ならもっと安く買えただろうに、完全に懐具合を見抜かれていた。
なんとか値切ったが、それでもいつもの相場から考えればとんでもない額だった。
それでも、まずは買えただけでも十分と考えるべきだろう。
金にはがめついが商売にだけは正直なのがオババだ。
他の店だったら大金を持ってるとわかったら、その瞬間に店員が強盗に早変わりする場合だってある。
これ以上、求めてはいけない。
弱肉強食
それが、このスラムの掟。
文明などという言葉から程遠い、言葉を話す野獣たちが住まう場所。
そこで取引などというものができただけ、まだマシなのだ。
「妹がいるんだっけか?今夜は二人でパーティーってとこだな。ま、楽しみな」
さっき嫌なことを思い出させてくれた口で、今度は祝福してくる。
ニカッとした笑みは、本当に爽やかだ。
ずるい男である。
「もちろん。ありがとな」
だから俺もただその一言だけを返す。
「じゃあまたな」と別れの言葉を口にする。
そして今度こそ市場を離れる。
さあ急がないと。
サラが待ってる、我が家へ。
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「サラ、喜んでくれるかな」
俺の妹、サラ
サラの顔が頭に思い浮かぶ。
オババのせいで量はあまり買えなかったが、質と種類は十分だ。
なにせ、肉だってあるのだ。
サラは少食だが、それでも育ち盛りには変わりない。
肉なんて見たら、きっと大喜びに違いない。
サラの笑顔だけが、今の俺にとっての生きる糧と言ってもいいだろう。
俺が死んだらサラが生きていけない。
俺がサラを守ってやらなくちゃいけない。
だから俺は、こんなクソのような世界を生き抜いているのだ。
サラのために。
サラが明日も笑えるために。
家が見えてくる。
家と呼ぶのもおこがましい、風雨をなんとかしのげる廃屋。
だが、あそここそ我が家だ。
俺と、俺の家族が住む家。
「ただいま!」
一日何事もなかったかのように、幸せな一日だったかのように元気に挨拶をする。
その声に、小さいだけど元気で心のこもった声が返ってくる。
「おかえりなさい、兄さん!」
前髪で顔がよく見えないが、満面の笑みだということが伝わってくる。
この世界でたった一人の俺の家族
俺の妹
サラだ
時間軸はプロローグよりも前となります。
すでに何人かの方にはブックマークもいただけてるようで、ありがとうございます。




