幕間 エメラルド視点(第一章)・下
彼の名前は、ソラというらしい。
出会って三日目の朝、ようやくお互い自己紹介した。
ニーサン、は名前ではないようだ。愛称?
自己紹介ついでに私自身が騎士であることを少し自慢しておいた。
ソラも「すごいですねえ」と褒めてくれた。
やはり褒めてもらうというのは嬉しいものだ。
気分がよくなり、食も進む。
しかもこの料理はシンプルな味付けなのに実にうまい。
いい感じだ。
しかし食べ終わった直後、空いた皿を片付けるソラの後ろ姿で気づいてしまった。
「あ、あれ?もしかして今の、お前の朝食では?」
「あ、はい。そうですね」
エメラルダ伯爵家の公女が!
騎士エメラルドが!
人様の食事を、無遠慮に食べきってしまった!?
慌てる。
なんとか挽回しなければ。
だが私は料理なんてできはしない。
ならば選べる手段は唯一つ。
私の部屋で、食事をごちそうするしかない。
そして、ソラを私の部屋に案内する。
私の部屋は当然騎士用のエリアにあり、本来ソラだけでは侵入することもできない。
あまり恩着せがましいのもあれかと何も言わなかったが、ソラはエリアが変わることにすぐ気づいた。
ずいぶん聡いやつだ。
そして部屋に到着。
そのままソラにご馳走する。
満足してくれたようでよかった。
これが、私が初めて同じ年頃の異性を自室に入れた出来事である。
その事実に気づいたのは、その夜のことだった。
少し、悶絶した。
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翌朝から戴冠式に向けたトレーニングが始まった。
ソラは体をちゃんと洗う習慣すらない下民の街で育った男だ。
いくら本人の性根はちゃんとしていても、マナーは全く知らない。
一から全てを叩き込む必要があった。
私は心を鬼にしてソラを鍛え上げた。
「動きが不自然!百回反復しろ!」
「表情が硬い!今からひたすら表情筋をいじめ抜いてやる!」
「周りが見えてない!全部最初からやり直しだ!」
ソラも私の厳しいシゴキに耐え抜いた。
全力で応えてくれた。
元々素直で真面目な性格なのだろう。
全身全霊で訓練に勤しんでくれた。
そのおかげで、わずか一週間で形になったのだ。
「うーん。まあまあ、かな?」
まあまあ
それは、ようやく表に出しても恥ずかしくない程度のレベル。
だが、これはとてもすごいことだ。
普通の貴族が幼い頃より教育を受け、日々の教育と日々の生活、その中で身につけていくマナー。
それをソラは、わずか一週間で身につけてしまったのだから。
本当はもっともっと教えたい。
そうすればソラはもっともっとすごくなれる。
完璧に近づける。
だが、それは時間が許さない。
戴冠式は、明日なのだから。
この日のために、ソラは頑張っていたのだから。
「本当はまだまだ教えたいことがあるけど、とりあえずはこんなもんかな」
だから諦める。
これで十分だと自分に言い聞かせる。
そして万感の思いを込め、ソラに告げる。
「及第点にて合格としよう!今までお疲れさまでした!」
「お疲れさまでした!」
ソラも私の思いに全力で応えてくれた。
ああ、なんてすばらしい日々だったのだろうか。
なんて楽しい日々だったのか。
充実感。
言いようもない充実感にひたっていると、ソラが変なことを聞いてくる。
「やはり皇帝陛下のマナーは、俺のなんかよりよっぽど厳しいのでしょうか?」
最近はソラも私に少し心をひらいてくれた気がする。
こうして自分から話しかけてくれる。
しかし、これは良くない。
マナーの何たるかが、わかっていない証拠だ。
「お前は何を言ってるんだ?陛下にマナーなど必要あるはずがなかろう。陛下のお考えに、一挙一投足に、我らが合わせる。それがマナーというものだ」
マナーとは、そういうものなのだ。
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戴冠式当日。
ここで私は、人生最大の衝撃を受けることとなる。
ソラと控室で別れてから、陛下の警護につく。
入口近くで、比較的ソラの近くにいた。
「あんな端っこで…?」と思うが、今更どうしようもない。
間もなく陛下が、この謁見の間に入室される。
そして、陛下が発言された。
「ニーサンは?ニーサンはどこ?」
キョロキョロと周りを見渡しながら。
ニーサン、ソラを探している。
「あ!ニーサン!こっちこっち!」
陛下がソラを発見された。
それと同時に、貴族たちが道を開ける。
ソラのために
いや、陛下のために
体を押し付け合い、必死で隙間を作り、道を作ったのだ。
「さあ、ニーサン」
陛下が、絶世の美少女が笑顔を向ける。
まるで親しい家族がそこにいるかのように。
心からの笑顔を。
見惚れてしまうほどの笑顔。
だが耳に聞こえてくる言葉が、私を現実へと引き戻す。
「皇帝陛下の、兄君?」
「陛下のご兄弟は、先帝陛下だけのはずでは?」
ニーサンとは、兄さん、のことだった?
つまりソラは、陛下の、兄君?
今までの自分の言動、振る舞い、それらがまるで走馬灯のように頭を駆け巡る。
あとのことは、ほとんど記憶がない。
動かないソラの背中を押して、陛下の御前へ連れて行った。
ソラと再会できて本当に嬉しそうな陛下。
そして続行される戴冠式。
最後に行われた、ソラの挨拶。
そこでソラがとった美しい挨拶。
そのときだけ、一瞬だけ、意識が戻り、嬉しくて小さくガッツポーズをとってしまった。
陛下がソラと親しい関係だと知った今では、それが無意味なことだったとはわかっている。
実際陛下は「やめてください」とおっしゃっていた。
だが同時に「私のためにそんな練習してくれたんですね。嬉しいな」ともおっしゃった。
「良かったな、ソラ。認めていただけて」
それだけ思って、また私の意識は飛んでしまった。
その後、ソラが正式に”皇帝の兄”となったことも。
大公家、それに続いて全貴族がソラへと忠誠を誓うことも。
父上がソラに忠誠を誓う姿も。
まるで別の世界の出来事のように、別人の体を介して体験しているような感覚で、眺めていたのだった。
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どこをどうやってそこにたどり着いたかは記憶がない。
だが事実として、ソラ、いや殿下と私は同じ部屋にいた。
「今夜は親しいお前がお世話をしろ。明日はしかるべき人物をよこす」
そう指示を受けたことは覚えていた。
殿下が夕食もとっておられないという言伝も。
ベッドで寝ている殿下。
ときたま汗を拭きながら、布団を直して差し上げながら、夜は更けていく。
殿下が目覚められたときが、私の人生が終わるときなのはわかっている。
時間を見つけて遺書を記し、人を呼んで自室に運んでもらった。
これで、私の準備は整った。
改めて、殿下の寝顔を見る。
最初の朝に見た寝顔と、何も変わらない。
何も変わらないように見えるが、実は何もかもが違っていた。
下民の街から来た少年。
だがその正体は、皇帝陛下の兄君だった。
どうして隠していたんだろう?
私を騙して、遊んでいたんだろうか?
あの充実感は、私だけが感じていたんだろうか?
誰も見ていないから、寝ている殿下しか近くにいないから
私は幾年ぶりかに、涙を流した。
嗚咽を漏らしながら、涙が枯れるほど、泣いてしまった。
そして今、目の前では逆に殿下が涙を流されていた。
まるで子供のように。
大事なものを取り上げられてしまった子供のように。
「で、殿下!?」
思わず慌ててしまう。
断罪されることも、処分されることも、弄ばれることも
あらゆることを確保していたつもりだったが、これは想定外だった。
いったいなんで泣かれているのか?
何が悲しいのか?
全く理解ができなかった。
一瞬躊躇するが、ハンカチを出して涙を拭く。
失礼のないように優しく。
私の使い古しのハンカチで申し訳ないと思いながら。
「もう大丈夫。ありがとう」
やはり子供のようだった。
突然泣くが、泣き止むときもすぐ。
可愛らしいものだ。
「びっくりしたぞ…。いったいどうしたんだ?…って、あ!」
口調が戻ってしまっていた!
また失礼な言動を!
慌てて訂正しようとするが、先んじられてしまう。
「いや、むしろそのままの口調で。俺の方も、その、敬語はやめるからさ。お互いタメ口でいこう」
「いや、しかし…」
”皇帝の兄”とは、皇帝陛下と同等、もしくはそれに準ずる存在。
すなわち、私ごときでは本来口をきくことすら畏れ多い存在。
それをタメ口などとは…。
そんな躊躇する私へ、止めの一撃。
「皇帝の兄のお願い、聞いてもらえないのかな?」
これぞまさに前門の虎、後門の狼
敬語を使わなければ不敬にあたり、敬語を使ったら命令違反になる。
いったい私はどうすればいいんだ!?
なんと言えばいいのか全く思い浮かばない。
「うー」「あー」「えー」なんて一生懸命発言しようとするが、続く言葉が出てこない。
私はこんなに馬鹿だったのか!?
そんな悩む私を見て、あろうことか笑うやつがいるではないか。
「人が真剣に悩んでるのを笑うんじゃない!失礼だぞ!?」
笑いすぎて少し涙をためながら
さっきと同じ涙なのに、さっきと全然違う涙をためながら
「いや、ごめん。おもしろいというより、嬉しくてさ」
そんなことを言ってくる。
嬉しかったのか。
なら、仕方ないな。
「そうなのか?嬉しかったのか。それなら、まあ、許してやろう」
仕方ないから、許してやった。
するとなぜか笑いがこみ上げてくる。
二人揃って、笑いあった。
静寂に包まれた深夜の帝城
なのにこの部屋だけ、笑い声であふれていた。
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それから、ソラの話を聞いた。
陛下とは血の繋がりのない兄妹であること。
一緒に暮らし、支え合ってスラムで生き抜いてきたこと。
下民だからと、帝城での生活と帝城で生きる人間全てに気後れしていたこと。
戴冠式のことは何も知らされておらず、ソラ自身が衝撃を受けていたこと。
そして、私との日々がソラにとってもとても大事だったということも。
にもかかわらず私が突然態度を変えて、とてもとても悲しくなってしまったことも。
ソラは全部、話してくれた。
「ソラも困っていたんだな。さらに困らせてしまって、すまなかった」
私のことを信じていてくれ、私との関係を大事に思ってくれていたのに、結果的には裏切ってしまった。
本当に申し訳ない。
「いや、困っていたのはお互い様だよ。こちらこそごめん」
だがソラもすぐに謝り返してくれる。
やはりこいつは素直ないいやつだ。
だから私も素直に返すことができる。
「てっきり”皇帝の兄”のお披露目会が戴冠式の一部として決まっていたのかと思ったぞ。私が知らされてなかっただけで、陛下の兄君にとんでもないことをしでかしてしまったと、生きた心地がしなかった…」
本当に驚いた。
だが実はソラも驚いていた。
まさに、お互い様だったのだ。
ソラは今も自分の立場に不満そうだが、陛下の命令である以上は絶対だ。
もはやソラが”皇帝の兄”であることは、揺るぎない事実。
それが、陛下のご意思なのだから。
決まったことは置いといて、これで一安心である。
まずはそれを喜ぼう。
「いやー、でも本当によかった。戴冠式の後にこの部屋に行くよう指示を受けたが、てっきりこの一週間の復讐のために、お前のおもちゃにされて来いという指示かと思ったからな。あとで部屋に準備しといた遺書、処分しとかないと」
私のこの発言を聞いて、ソラはずいぶん心外そうな顔になった。
だが仕方ない。
それほどまでの事態であったのだから、それほどまでの覚悟が必要だったのだ。
話せばソラはわかってくれた。
話をして、わかりあえる。
どこをどうとってもこのソラは、話に聞いていた下民とは全然違う。
私達と同じ、人間だ。
学院を飛び級で卒業してしまい、私は同年代の友人や知り合いが全然いなかった。
今も昔も、周りは年上ばかり。
同年代や年下には慕われてばかりで、対等な立場というものになったことがなかった。
だからソラは私が対等に話せる、初めての存在かもしれない。
実際のソラは私なんかよりはるかに格上の存在である。
だがソラは、そんな壁を簡単に突き破ってしまう。
「でも誤解が解けてよかった。俺の方は、まあ、とんでもない立場になっちゃったけど、これからも今まで通りいてくれると嬉しい」
そう言いながら、手を差し伸べてきた。
握手
ソラは握手も知らなかった。
だから私が教えてやった。
一緒に練習もした。
だがこれは練習とは違う。
本物の握手。
ソラが私を信頼し、右手を預けてもよいと思って差し出した、握手だ。
「もちろん。こちらこそ、よろしくな」
私に選択肢などなかった。
皇帝の兄だからではない。
ソラだから、私は握手をしたのだ。
握手しないなんて、ありえなかったのだ。
ソラの手は無骨だった。
色んな苦労をして、つらい日々を過ごしてしてきたのだろう。
そんなことカケラも見せたことはなかったが、手を握った瞬間にわかってしまった。
伝わってきてしまった。
そんな、固く力強い手をしていた。
その手を握りしめ、私は意を決する。
言うなら、今しかないと。
「これから私達は、友達ってわけだな!」
友達
初めての、同年代の友達
何か一瞬違和感があったが、最後まで言い切った。
ドキドキする。
これで否定されてしまったらどうしようと、ドキドキする。
そんな不安がバレないよう、必死でつくった笑顔
一瞬ソラの笑顔が曇ったように見えたが、気のせいだったのだろうか。
私の笑顔に合わせるように、ソラもより強く笑ってくれた。
「ああ、友達だ」
その友達という言葉を聞いて、喜びが湧き出てくる。
言いようもないほどの喜びが。
こうして私は、生まれて初めて同年代の友達を手に入れたのだった。
だが、どうしてだろう?
”友達”とソラが言ったとき、心がチクリと傷んだのは。
エメラルド視点の幕間でした。
幕間なのに上下編となってしまいましたが、勢いでなんとか一日で更新できました。
勘違いものではないため別キャラ視点は蛇足かもしれませんが、楽しんでいただけると嬉しいです。
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次回から二章が始まりますが、評価を心の支えに今後も頑張っていければと考えております。
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